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GNH
昨日、NHKのニュースを見ていて


GNHなる言葉を初めて知った。。


ご覧になられていた方も多いかと思うが
ここで拙い説明をさせていただくと、、、


Gross National Happinessとい英文の頭文字の略で
日本語に直訳すれば・・



国民総幸福感となる。。



近しい類義語としてすぐに思いつくのが


GNPとGDPとなるが


こちらは


国民総生産 GNP:Gross National Product
国内総生産 GDP : Gross Domestic Product


ある一定期間にある国民によって新しく生産された
財(商品)やサービスの付加価値の総計という意の
GNPと、、

一定期間内に国内で産み出された付加価値の総額。
ストックに対するフローをあらわす指標であるGDP

どちらも経済産業等の状況を表す指標として国内
では広く認識されているが、、



実はそれ以上に一般に定着している観念と言えば
この指標が指し示すものこそが国の豊かさを可視化
する数値であり、外国等との比較における対外的な
相対感を感じる指標としてかなり国内では定着して
いる・・


実際にはさほど状況を的確に論ずるほどの精度の
ない指標なのであるが、、しかし高度経済成長
から未曾有のバブルと様々なウェーブを経験して
きたこの国で長らく指標として活躍してきたこれら
は、今でも大事な観測ポイントとして生きている。。



先般も中国にこのGDPが抜かれるという予測が
メディアで流れたが、実際多くの国民が、諦め
と共になんともいえない寂寥感を感じたのは
事実だと思う・・



いよいよ経済大国から陥落か・・・・
マナーも何もないあの国に追い越されるのか??
もう二度と這い上がれないのかも??



ひょっとして!


すでに、、かの国の連中は


東京をトウキョウではなく



”トンキン”と・・・北京や南京のように
自分たちの街のように認識しているのかも・・



などというネガティブマインドが支配した事
も又事実である。。


で、、、ここで登場するのが



GNHなのである・・・



いくらものを沢山作って儲けても
経済大国、、発展著しい国家などという
称号を掴んだとしても、、、、



国と国民の心が荒んでいたのでは・・



豊かでもなければ幸福でもない!



だから、、本当の豊かさを計る指標とは
GNPでもなければGDPでもない・・



まさしくGNH、国民総幸福感なのだ・・・という



解釈が成り立つのであるが。。



まぁ所謂、、ボロは着てても心は錦・・というやつ。。




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GNHの成り立ちをもう少し付記すれば



国の力や進歩を「生産」ではなく「幸福」で測ろう
というこの「GNH」の考え方は、1976年の第5回
非同盟諸国会議の折、ブータンのワンチュク国王
(当時21歳)の「GNHはGNPよりもより大切である」
との発言に端を発しているといわれています。
物質的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさも同時に
進歩させていくことが大事、との考えです。


 ワンチュク国王は、どのようにしてこのユニーク
な概念を打ち出されたのでしょうか? 1960年代~70年
代初め、ブータンでは先進国の経験やモデルを研究しま
した。その結果、「経済発展は南北対立や貧困問題、環
境破壊、文化の喪失につながり、必ずしも幸せにつなが
るとは限らない」という結論に達したそうです。そこで、
GNP増大政策をとらずに、人々の幸せの増大を求める
GNHという考えを打ち出しました。「開発はあくまで、
国民を中心としておこなわれるべき」――GNHとは、
ブータンの開発哲学であり、開発の最終的な目標なので
す。


このGNHという概念のもと、ブータンでは、
1)経済成長と開発、2)文化遺産の保護と伝統文化の
継承・振興、3)豊かな自然環境の保全と持続可能な利用、
4)よき統治――の4つを柱として開発を進めることになり
ました。


 もともとは、幸福という概念は主観的なものですし、
国際的に一律の尺度で測れるようなものではないため、
GNHはあくまでも概念的なものとして考えられていま
した。しかし、GNHという考え方が知られるようにな
り、「GNPのように、指標として数値化できないか」
という声が高まったこともあって、1999年にブータン研
究センターが設立され、具体的な研究がスタートしてい
ます。


現在、まずはあくまでもブータン国内で通用する指標
をめざして、幸福という概念を9つの要素に分けて検
討しているそうです。


その9つの要素とは、

 

◎living standard(基本的な生活)

◎cultural diversity(文化の多様性)

◎emotional well being(感情の豊かさ)

◎health(健康)

◎education(教育)

◎time use(時間の使い方)

◎eco-system(自然環境)

◎community vitality(コミュニティの活力)

◎good governance(良い統治)




-------------





ということらしいのであるが・・


確かにこのような趣意を見聞すれば


なるほどぉ~と感心しきりになるのは
今の日本の状況からは容易に想像がつくし、、


同じような事を!と考える割合が増えるのも
想像できる・・・



実際、、NHKのニュースの構成としては
仙石国家戦略大臣を中心にGNHの模擬的なアンケート
を実施し、その回答をもとに、、、


いかに幸福を追求するか・・などと重々しい顔つき
で話し合っている風景が画像として差し挟まれていた・・



が、、、




私が思うに




このGNHという概念そのものを否定や誹謗する
思いはまったくないが、、、




本当に大事な部分とは




先述の説明文の中にある、、



GNHとは、
ブータンの開発哲学であり、開発の最終的な目標
なのです。


という事が本質なのでは・・・と思う。。



本質は



日本の開発哲学、開発の最終的な目標




その手段として



何をするのか?
何を指標とするのか?




それが大事なのではと思う今日このごろであった・・

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twitter始めてます
twitterを始めてます。



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死への彷徨
最初の子供ができた時、忘れた事があった。



2番目の子供の時には忘れない様、その
タイミングを待った。。



それは




,,,,






母親のおなかの中に居る時の記憶を聞くことである。



ずーと以前に誰かに聞いた事がある。



物心ついて言葉を覚え始めると、それまでの記憶が
消えて無くなると。



無くなるというより、消されるというほうが近いか
もしれない。


消しゴムで誰かが自分のノートを消す様に。。




しかし、その狭間、記憶が消し去られるほんの手前の
瞬間には、ひょっとして僅かな記憶とそれを表現でき
る極々わずかな言葉が残せるのでないだろうか?


と考えた。。



あくまで私の確認でしかないし、本当にその事を子供
が語っているかどうかの確証は掴めないのだが…



それでもこの興味は抑えがたいものがあった。。。



2番目の子供が、言葉らしきものを話し出した時



このタイミングとばかりに聞いた…・



すると、




“暗いところで浮いていた”と答えた。。





正確には浮いている状態を擬態語で表現しており、
言葉では無かったのであるが、でも間違いなく、




記憶にあった。。。



しかし、聞いた後すこし後悔した。。



何かわからないものが物凄い勢いで消し込んでいる状態に、
割り込むことが何らかの影響にならないか??と。。。



物心というが、この狭間がなにか還俗する瞬間なのか?
とも考える。




あるテレビを見ていて関心した。




あかちゃんをプールに放り込むのである。通常だと
無謀にみえる行動だが、しかし、あかちゃんは泳ぐのである。



そこから色々な説明があったが、基本的な人間の機能が
じつは既に備わっているらしいのである。
まぁそうなのかもしれない。その潜在的な能力の覚醒が
歩いたり喋ったりということなのであろう。。



しかしこのタイミングで記憶が消えて無くなる。。
医学的な問題ではなく、私はこの瞬間が非常に興味がある。
ある種,,宗教的な解釈を加えた方が理解しやすいのかもしれ
ない。



そして歩き立ちしゃべり始めるまでの期間、あかちゃんは全て



“かわいい”。。



ここにも潜在的な能力が隠れていると聞く。。




明かに弱者であるということが潜在的なDNAの中に組み
込まれていて、外敵からの防御として“かわいい”という
雰囲気を醸し出し、極力攻撃を回避するようにしているら
しいのである。これも確証たるものはないが、しかし理解
できる。。



父親の精嚢から生れ、何億という競争を生物として勝ち抜き、
そして人体を勝ち得ていくのである。その経過を考えてもそ
れぐらいの戦略性がDNAに組み込まれていてもおかしくな
いだろう。。




そして、それは死なない為にと言うところから生み出された生へ
の攻撃に他ならない。




生命を得て世間に出現するのだが、それは結局積極的な死への
彷徨の始まりである。



母親のおなかの中で保持していた記憶はどこから始まるので
あろう?



それは生死の狭間からの記憶のような気がする。。。。



それが消し込まれる・・生への記憶の蓄積ばかりが先行してい
くが、本質は死へ向かう記憶の蓄積にほかならない。



松下幸之助翁の言葉にある。
「死を恐れるのは人間の本能である。だが、死を恐れるよりも、
死の準備のないことを恐れたほうがいい。人はいつも死に直面
している。それだけに尊い。そしてそれだけに、与えられてる
生命を最大に生かさなければならないのである。それを考える
のがすなわち死の準備である。そしてそれが生の準備となる。」



死を忘れた人間世界が現在のスタンダードな社会である。
厚かましくも当然長生きする期待に満ち溢れている。




しかしそれでも限界、いや、目安は一応各自もっている。
それは平均寿命という客観的な数値である。そこまでの人生の計画
が全て計算されている。



経済的にも精神的にも。。しかし、誰もそれを保証しているわけで
はないのだが。。。。。



平均とはある種のボリュームゾーンであり、その分子が大きければ
大きいほど、確率から外れる可能性を見なくなる。。。



それをいい事に本来絶対値であるはずのものが、相対的な思考に変化
しているのだ。。



これは私も含めてだが、松下翁が言うところの生の準備への不備を
逆説的であるが説明しているし、大半が問題としない事柄になっている。
しかし、なぜ問題としないでいけるのだろうか???



世の中にはそんな計画とは無縁の人間がいる。。



絶対値で生きていく人間が。。。



よく破滅型とか言うのだが。。



それは我々側からの見方でしかない。。
安穏と計算して暮らしている。。



始まりと終わりを、自分たちの量の過小と比べているだけで
濃度を測っていないのだ。。



明かに我々から見ると死を恐れない生きかたとしてしか見えない存在
がある。



本人の計略でそういう相違を起しているわけではなく。
自然と我々社会と乖離する人間がいる。我々の考えの範疇を遥かに超す
のである。



なぜ?そんなことになるのか??



考えると、死を常に背中に背負っているのだろう…
しかしそれは我々が考える死と果たして同じなのだろうか??



生命の終焉ではなく、生への実感の消失との闘いのように思える。。。



真剣士・小池重明。。



体じゅうにつけられた酸素吸入器や点滴の管を引きちぎり、44年の人生
を終わらせた。



客観的には自殺なのだが、しかしそうは感じない。。。



彼の生き様にはその事が凝縮している。。



ルポライターの竹中労の言葉にある。



「人は、無力だから群れるのではなく、群れるから無力になる。」




遠い物心つく前の生と死の狭間の記憶を残し、強烈な死への彷徨を突き進む
人間が存在する。



そこには我々が気づかない、生への準備を示す生きかた、死への彷徨の本質
を語り、教えてくれるものが存在する。




遠い物心つく前の記憶。。。




姑息に立ちまわりそうになる
自分が嫌になる今日この頃だ。。。

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ドンブリズムと俺ジナル  創造公園渋谷 リハ&打ち合わせ@渋谷
行ってきました!



創造公園渋谷 Art Re Public Shibuya



リハ&打ち合わせ。。



小雨降る23日深夜零時・・



40過ぎの男たちがイソイソと



金網少女を車に積み込み(・・怪しい。。)




一路東京は”渋谷へ”




午前6時前




人もまばら・・ほぼ、、いない
薄らと夜が明けた渋谷の街に到着・・



渋谷丸井ちかくの駐車場に車を停め




どこも店が開いていないので



近くのデニーズへ




待機すること約5時間・・




いよいよ打ち合わせ場所丸井前へ








しばらくすると




COMBINEデザイナーズユニットの



MIRROR二人が駆け付けてくれる。









これで今回のCOMBINEスタッフ集合




創造公園渋谷 Art Re Public Shibuyaの
プランナーでオーガナイザーの



西村氏と津留崎女史を待つ。。









西村氏と津留崎女史登場




プラス今回のエトリ展開に協力いただく



フォトグラファーの




OKOZYO氏と天野女史もご一緒に登場





早速、、丸井前で人目を憚ることのない




”熱い打ち合わせ”の始まり!















現場の路上近くまで行き打ち合わせ











ゲリラ的に




信号待ちのほんの僅かなタイミング(数秒)を
利用し路上に展示!



通りかかった女子高生の嬌声があがる!!!

















車に轢かれかけながらのゲリラ実験を
終了後近くの喫茶店にて再度詳細の打ち合わせ・・



金網少女も喫茶店でくつろぐ。。








本番まで約10日




時間的にも予算的にも



お互い出来ることは限られてはいるが



それでも最善がなにか?



最高に面白いことはなにか?




それぞれの想いをぶつけ合う!!












まだ詰めなくてはいけない事



本番ぶっっけの事




それ以外にもたくさん課題はあるのだろうが




とにかく今回、、渋谷に集まった




熱い人間たちの打ち合わせは終了!




金網少女を担ぎ




悠悠と渋谷の街を後にする



COMBINE+エトリケンジ+MIRRORの面々でした












帰路、、





又深夜6時間の高速行程・・・・





途中エトリさんとタバコを吸いながら





「冷静に考えれば・・・」





40過ぎのエエおっさんたちが




深夜、、金網フィギュアーを車に乗せて
往復12時間もかけて渋谷に行き・・・・




他人が見たら





滑稽ですね。。。。



と語ると




ニヤッと笑っておられた・・・










何と言うのか、、、、







我々は





あまり後先考えない





いつまでも学生のような”ドンブリズム”と





強烈な”俺ジナル”を追い求める





人間なのである・・・




そんなバカ達に







昨日の強烈な寒さは








激励のように







感じたのでした・・・

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天井知らず
Googleアラートのニュースを
見ていたらロイターの動画ニュースが、、



中国の天井知らずのアートマーケットの
ニュースで、先般このブログでも紹介した
サザビーズの好調を受けてのクリスティーズ
の動向というのがポイントのようだ・・




以前、リーマンショックまでの活況を呈した
アジアオークションでは国内の雑誌等メディア
は”バブルか?”などとはしゃいでいたが、、




大体、冷静に考えれば



芸術品がウナギ登りの値をつけて
売買されるのは、



間違いなく可処分が市場に溢れだし
現れる現象であり


全てバブルと考えてよいのでは?
と思う。



今もバブルなのだろう



そして必ず何時か、停滞がくる。



それが何時か??どのくらいの期間
続くかが最大の問題なのではないか?



その現象がなんなのかなどを検証しても
我々の側ではあまり意味がないような気がする。。




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クリスティーズ、中国芸術品への期待は天井知らず

香港のクリスティーズ・アジアは、来月の中国美術
品競売で大儲けを狙っている。先週は、香港での競
売としては初めて2億5600万ドルを売り上げた。



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