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みつばちがやってきた。
エトリケンジsolo exhibition
『VANISHING』 も気づけば折り返し点を越えた・・



これまでテレビ局2番組
新潮社、新聞のギャラリーガイド、ネット情報等取り上げ
ていただきありがたい限りです。



今はまだご報告できる段階ではないのですが、雑誌社
からも2社取材依頼があり、内一社は来週取材と撮影
の予定が入っております


これは実に面白い企画なので後日、動画・写真を併せて
ご報告申し上げたいと思います。


なんにしても


注目が高いというのは間違いなく、、、、、
驚くような有名な方の関係者も来ていただき緊張
いたしました。



一般の来廊者も様々なメディアを見て来ていただいており、
昨日も東京からネットの情報を元に来ていただいた方が
おられ驚いた次第です。。




様々なメニューをこなしてきましたが、今回は実に
広角な範囲から来ていただき毎日驚きと喜びが交錯する
ような状態です。



そんな昨日




当ギャラリーに”みつばち”がやって来ました・・・




みつばち???




これはなにかと言えば



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学生メディアセンター なないろチャンネルの
活動とはパーツショップが並ぶラジオセンター
の4 階、中央通沿い、総武 線のガード下、斜線部
の隙間の奥から発信します。全国芸術系学生の様々
なアイデアをリアルタイムで発信するパーソナル
放送局が、全国7つのエリア(※1)に同時多発的
に開局します!なないろチャンネルは次世代を担
う学生達の多彩なアイデアが行き交うメディアセ
ンターです。


秋葉原駅電気街口徒歩1分のラジオセンター401
が活動拠点です。リレー形式で拠点を改修する
リノベーションリレーのライブ中継や様々な活動
を紹介する番組などをインターネットを通じて発
信します。3月14日(日)から3331 Arts Chiyodaの教
室をサテライト会場に、学生アーティストの展覧会
やパフォーマンスのイベントが行われます。
その様子もこのウェブサイトで中継します。

※7つのエリアとは、東北、関東、中部、近畿、
四国、九州、沖縄を指します。


事業名称:千代田区秋葉原地域における全国芸術
     系学生交流拠点形成事業
主 催 :東京都、東京文化発信プロジェクト室
    (財団法人東京都歴史文化財団)、
     東京藝術大学
協 力 :3331 Arts Chiyoda
企 画 :東京藝術大学大学院美術研究科壁画
     第一中村政人研究室
制 作 :学生メディアセンター なないろチャンネル

本事業は、東京文化発信プロジェクトにおける
「学生とアーティストによるアート交流プログラム」
の一環として実施されます。

東京文化発信プロジェクトとは
東京文化発信プロジェクトは、東京ならではの
芸術文化の創造・発信と、芸術文化を通じた子供
たちの育成を目的として、東京都と東京都歴史
文化財団がアートに関わる様々な団体と協力して
実施しているプロジェクトです。様々な芸術分野
のイベントや、まちなかで市民とアーティストが
協働するアートプログラム、子供向けの体験型
プログラムなどを展開しています。

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http://nanachan.tv/



”みつばち”とはこのプロジェクトの7つのエリア
に配置されている特派員的な企画や情報の提供者で、
そのうちの一人であるA君が、昨日



小吹さんのブログを見てやってきたのでした。



魅力ある情報というのは、幾重にも生き物のように
流れはじめ、そしてそれが様々な形で攪拌され、
相乗的に力が加わり速度を上げた遠心力を元に様々
な方向に飛び出し、色々な展開に結びつくのだなぁ
・・・と改めて感心いたしました。。



みつばちのA君とも



なにか面白い事ができればなぁと




今後に繋がる有意義な話ができました・。。

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エトリ ケンジ  KBS京都 京プラス本編
放送スケジュールが2回も延期になり、



なかなかお伝えできませんでしたが、、




16日の夕刻やっと放映していただけました。



前回の生放送も実に良かったのですが




今回は録画による編集のため、、、、


ギャラリー空間もエトリさんのインタビュー
もより彫り下げた濃い内容に仕上げていただて
いるとスタッフ一同満足しております。。。




KBS京都 京プラスのスタッフの
皆さま、誠にありがとうございました。






*エトリさんのメーセージ!実に
 良い内容だと思います!


 是非注目してください!!






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自己表出と支持表出
数日前、何気なく新聞のテレビ欄をみていて



NHK教育の吉本隆明の講演が目にとまった。



ETV特集、吉本隆明語る~沈黙から芸術まで~
昨年放映されたものの再放送なのだが、なんとなく
このタイトルに惹かれ見ることにした・・・



結論から言えば、実に面白かった。




もう老齢で、失礼だがともすれば言語が不明瞭な
部分も多々あったり、少し難解で分かりにくい部分
もあったのだが、全体には時間を忘れ引き込まれた。



正直、私は吉本隆明の著作を一冊も読んだことは
ない、よって彼の全体の仕事については全く知らない
と言ってもよい程度の知識しかない。そんな私でも
多少知っている事と言えば”知の巨人”という異名と
我々より10歳以上年上の方々にとってはカリスマ的
存在の”思想家”であるという事ぐらいだ・・・




しかしそのような先入観や足りない知識を前にしても
なんら気にならない程、私にとっては面白い講演だった。




番組は、吉本隆明が自らの思想の核心「芸術言語論」
を語った3時間の講演を記録、戦後60年以上かけて紡
いできたその思想の到達点を描く。というコンセプトのもと



吉本氏自らも



「僕の本なんか読んでいない人に、どうやったら分かっても
らえるかが勝負です。」



と語って居るとおり、いくつかのテーマに分かれて順に語った
のだが、その中の一つ、言語にとっての根幹の部分が私には
非常に面白く、乾いた砂が水を吸い込むような爽快な感
覚に浸れた。。




「自己表出と支持表出」




初めて聞く言葉であったが、この説明が非常に明瞭で
分かりやすかった。




一般に言語というものは様々な地域、国、コミュニティー
で時間と共に熟成され、文化として形成されてきたもの
であり、その役割の主たるモノとは”コミュニケーション”の
ツールであるということが概念化されていて、これが言語
というものを語るときの根幹であり、ここから出発すること
が言語の論理性としては妥当とされている。



しかし、吉本隆明の論理は先ず持ってこれから否定
するのである。


言語にとってのコミュニケーションというツール部分とは
あくまで枝葉末節でしかなく、全体の構造から言えば
僅かな部分でしかないというのである。言語というものを
巨木として想定した場合、コミュニケーションとして見える
部分は決して幹や根には当たらないという事なのである。。。



では、幹や根とは一体なんなのか?




沈黙であると喝破するのである。




沈黙では言語ではないではないか?と考えるのだが
そこがそもそも、言語というものを考えるときの間違いの
元になっている、、



ここで言語と呼ばれるものを冷静に解析すると、、



テレビの中では図解で説明が入り分かりやすかったのだが



例えば、美しい花を見たとする、


先ず人間はその時、心の中に美しいという言葉から
連想するものではない、見えない知識外の感情の昂ぶり
を覚える。



そしてその感情を自ら知っている言語に対して様々な
翻訳を開始する。当然知識豊かな人は言葉の数も
多いし、それを解釈する仕方の方法も多数持っている。


しかしながら、そうではない人でも芽生えた感情そのもの
が劣る訳でもなければ、量的に計れるものでもない。


ただ言葉に置き換える技術力に多少差があるという
程度でしかない。



ここで言語の二つの特質が生まれていることに気づく。



一つは心が感じている部分。
もう一つはそれを自らが習熟した文化によって言葉に
換えるという部分である。



実はこの二つの作業が言語と呼ばれるものには
元来存在し、元を辿れば、最初に個々が受ける
心の動き、これがすなわち言語の根幹に相当する
という論理である。



最初の作業が、自己表出
次の言葉につなげる作業が、支持表出である。



そう考えれば、なるほどと思う部分もある。




確かに先ほど、知識豊かな人はその変換技術に
長けていると書いたが、言葉そのものが違う場合
にはどうなのか?と考えられる。



英語、フランス語、ドイツ語、中国語、、、、、、、、




これは知っていれば或程度は使いこなせ、今のような
変換技術も取り入れられる事も可能だろう・・・・・



しかし、それ以外のマイナーな国の言語を考えた場合は
どうであろうか?言葉そのものがまったく通用しなければ
そもそもコミュニケーションなどは不可能なのではないか?



しかし、同じ花を見て感じるというこの心の部分に
人間的な断絶が存在するのか?と言えばそれは
違うのは誰でも理解できる。



故に、言語というものを考えた場合、我々はすぐに
コミュニケーションの最大ツールであり、それを遮断
することなく通用させるために、様々な便宜に応じ
習熟を果たそうとすることに最大の重きを置くが、実は
それは根本的な言語の意味からすれば順番としては
一番ではないという事が読み取れる。



では何が一番なのか?と考えれば、



やはり心の中に生まれる、言葉に変換される前の
人間がもつ情感そのものが言語の根幹なのでは
ないかという事に気づかされる・・・・



大事な事は、自己表出、この部分である。



私はこのCOMBINEというものを立ち上げた時から
今まで終始一貫して伝えていることは、優れた現代
美術であるとか、優れたコンテンポラリーとか、そういう
見た目の雰囲気の事ではない。



優れた”芸術表現”と言うことを軸に据えて考えてきた。



表現とは以前にも書いたが



表し現すという行為であり、



これがすなわち、自己表出と支持表出の作業を同時に
目に見える形で行うモノであることは今までの吉本隆明
の論理説明で多少理解していただけるのではないか?と
思っております。



表すということはすなわち絵を描いたり、形を作ったり
という事に相応するのですが、根幹的に大事なモノと
はやはり”現す”という事なのだと考えるのです。



この現すということの根幹は芸術家が今の時代を生き
そして過去を勉強し未来に思いを馳せるときに生まれる
我々凡夫には到底及びも着かない境地境涯であり、
この選ばれた芸術家の内面の中に生まれる優れた心の
動きを如何に他人に対して目に見える、もしくは同じように
芸術家自らの作品を介して見る人たちの自己表出を促
すか、、これが何よりも尊く、そして優れた行為なのか、それ
を伝えたいと私は常々身を焦がすような気持ちで思い仕事
をしているのです。



実はこの自己表出に国の違いや性差、貧富そんな境界は
存在しないのです。


誰もが与えらているものであり、それはコミュニケーションとして
流通している言葉なども軽々と跳躍していしまう力強さが
存在しているのです。



私はこれを日本から生まれた自己表出として出来れば
国内はもとより海の向こうの人達とも分かち合いたいと
いう気持ちが座右としてあります。



それぞれの文化の違いは感じ方、自己表出の多様な色彩を
生み出します、その時なにが優れてとか勝ち負けではなく、
その多様な中で、東洋の極東の他の文化圏にはない、独特の
感性を持って伝えると言うことは、今の時代に対してもの凄く
意味のあることなのじゃないか?と切に考えています。



決してアニメという表層的なものがそれを代表する
訳ではない思うのです。



西洋のもしくは経済のというような世界の軸を語るとき
様々なモノが持ち出されますが、根本は人間そのもの
にとってどうなのか?という基軸が大事であり、その時
世界が大事にする情報とは、この自己表出と呼ばれる
目に見えない感情なのではないか?と思うのです。




それが様々な決定や判断の舵を着る際必ず必要
となるように思うのです。全てが許容されること
は不可能である。しかしながら協調しある種の妥協
とともに最大公約数の領域を広げる作業は必ず必要
となる。その時の公約数はエゴであってはならない。




その時、日本の感受性を誰が一体伝えるのか?
この役割は、私は芸術家をおいて他には無いと
考えるのです。



政治家や経済界、軍事、どれもが到達しえない
国という仮装の枠組みの中で生き続けている
人間個人の感情を最大限に表出するのは、やはり
芸術だと思います。



日本を出来るだけ最短で語るとき
支持表出する場合・・・・



過去の時代の様々な政策を語るであろうか?
権力者を語るであろうか?



そんな事は決して無いのではないだろうか?それらは
日本という一面を表しているに過ぎず、全体を把握
するには到底至らない事であることは簡単に理解できる。



長谷川等伯の絵を見るとき
尾形光琳の絵を見るとき
利休の茶を考えるとき




これらの方が遙かに日本というものが理解できる領域
をもって居ることが分かり、日本人の中に存在する
自己表出という”沈黙”の部分が浮かび上がってくる。。。。。。




吉本隆明も講演の中で語っていましたが、




日本人の芸術の特徴とは




最高に集約し極限まで切り詰めることにより、ある一点の
伝えるべき事を最大に引っ張りだすという事だと説明して
いましたが、私も同感なのです。



芭蕉の俳句や利休の茶を考えたとき、それは明白に理解
出来るように感じます。




私は、これは日本人が自己表出により生み出したものを
日本人の独特な感受性によって支持表出し昇華した
一つの象徴的な特質だと考えています。




言語の本質的根幹は自己表出に現れる”沈黙”であり
この誰もが山積させている”沈黙”のなんたるかを、支持表出
として訴える技術者?というのが芸術家の根本であり、それは
この日本という国にとどめ置くことなく、他の国へも表出する
ことは、今の時代の必然であり使命のような気もするのです。





それをどのようにより大きくセッティングするのか?





それが私たちの仕事だと




吉本隆明の講演を見て




改めて勇気をもらったのでした。。。。

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エトリケンジ Kenji Etori's Works Video
METAPHYSICAL BODY


エトリさんの以前のワークスである。




プロジェクターを使用したインスタ
レーションである。



プロジェクターにて都市映像を照射する。



その青みがかった都市映像を内包した
光線は、バニシングフィギュアーの空虚
なボディーを突き抜ける・・・・・・



壁面に映し出された都市
バニシングフィギュアーのボディーの
曲面に流れていく都市・・・・・・




人工的な創意で生み出され、膨張を続け
生き続ける都市、その都市空間の中で
DNAという生命体の原子を肉体という搬送
の道具を経由し存在し続ける人間・・・



二つの時間軸が瞬間的に交差する瞬間




誰の記憶でもない都市の記憶の残像が
残る・・・・・








というような展開にするか否か・・





実は今回の展示については、この点で
かなりの時間をかけてエトリさんを中心
に悩んだ。。しかし当ギャラリーの物理
的限界から、別のコンセプトを選択した。




空間性の選択よりも




エトリさんの作品鑑賞を中心に空間性を
構築することに決定した!





私はどちらもエトリさんの作品、これは
フィギュアー一体及びその空間を含んで
の事であるが、どちらを軸としても表現
としては高いポテンシャルと可能性があ
ると確信した・・・





ぜひ、今回の展示ではフィギュアーをじっくり
鑑賞していただき、それを中心にフィギュアー
が静かに佇む空間に日常を離れた瞑想的世界
を堪能していただきたい・・・

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エトリ ケンジ KBS京都 本編
おまたせいたしました。



エトリケンジさん2010年3月8日放映
「KBS京都 ぽじポジたまご」
生放送出演の本編をご紹介させていただきます。





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