June 1,2017
思えば、昔からそうだった。
三重に祖父母(母方)の家があり、
毎年夏になると母が帰省した際には必ず鈴鹿サーキットへ遊びにいっていた。
ゴーカートが大好きで色んな種類のゴーカートに乗って
楽しんでいた事は今でも鮮明に思い出せる。
F1界の伝説、アイルトン・セナが大活躍していた時代。
当時、幼稚園児の僕もF1に夢中になっていた。
F1のチームとドライバーを全て覚えていたらしく...
地元のテレビにF1大好き少年として出演まで果たしたようだ。(覚えてない)
※Wikipediaより
時は過ぎ、セナも34歳という若さでレース中の事故で不帰の人となってしまった。
そしていつの間にか僕の興味の対象はガンダムへと移っていた。。
ガンダムといえば、あの大きいロボットを創造するかもしれないが、
僕が夢中になっていたのはSDガンダムという
デフォルメされて三頭身くらいになったガンダムだ。
SDガンダムは中に人が乗っているロボットではなく、
ガンダム自身が物を考え、言葉を発し、まるで生きているように
コミカルな描写で描かれたアニメだった。
そのビデオを飽きずに何度も観ていた記憶がある。
小学生の高学年になってくると、
そのSDガンダムのプラモデルにド嵌りすることとなる。
ただ組むだけではなく、
色んなガンダムのパーツを組み合わせてオリジナルのガンダムを作ったり、
ガンダムマーカーというもので自分で塗装したり、
出来たガンダム同士を妄想で戦わせたり。。
そんな小学生時代だった。
中学生にもなると、今度はリアル頭身のガンダムも好きになった。
そうなると三等身なガンダムと比べるとプラモデルも複雑化し、
作るのには非常に時間もかかる。
けれど塗装からちゃんとして、
組み上がった時はすごく気持ち良かったのを覚えている。
わりと器用な方だと自分でも思うが、
その器用さはプラモデルで身につけたといっても過言ではない。
また、なぜかシャーペンやボールペン、マーカーに
それぞれ名前を付けて一人遊びしていた。
今思うとはずかしいが...俗にいう黒歴史である。
この頃から無意識に「物」を単なる物として捉えていなかったのかもしれない。
さて、高校生になるとスタジオジブリ作品に没頭することとなる。
「風の谷のナウシカ」に登場する巨神兵。
人間によって作られた人型の人工生命体。
人工物に対する人間の業を感じ得ずにはいられなかった。
「天空の城 ラピュタ」に登場するロボット兵。
人が滅びた後もラピュタで動き続けるロボット兵は
もはや自然と融合しており、
人間の業から解き放たれたピュアな存在として描写されている。
そんな、宮崎駿監督の描き出すロボットたちが
それまでの僕の経歴からすると好きにならないはずがなく、
ノートの端や机などあらゆる所に落書きをしていた。
それと同時にふつふつと自動車への興味も再燃してきていた。
スタジオジブリの背景の仕事をしたくて美大に進む事を決め、
浪人は許されなかったので、
公立は落ちたが京都造形芸術大学は受かったので進学した。
大学時代、ふと友人から「攻殻機動隊」というアニメ作品を見るように勧められる。
その中で「タチコマ」というAIロボットが破壊されるシーンで
タチコマが涙(?)のようなオイルを流すシーンがある。
それまでどんな悲しいストーリーの映画や本などを見ても
涙ひとつ流さなかった自分が、攻殻機動隊のそのシーンではじめて涙を流した。
今でも思い出すとちょっとうるっときてしまうくらいだ...。
自分の原点はF1...もとい自動車。
もはや本能レベルで惹かれてしまう物。
そして、「人工物」に対する考え方は、
日本のアニメーション作品によって形成されてきた。
今も昔も、やってる事は変わらないんだなとつくづく思う。
「生機物」というタイトルで個展を現在開催中だが、
生きた 機械の 人工物
という内容で、自動車という人工物の色々な捉え方を
絵に描いて表現しようとした。
どうしようもなく自分は自分でしかない
三重に祖父母(母方)の家があり、
毎年夏になると母が帰省した際には必ず鈴鹿サーキットへ遊びにいっていた。
ゴーカートが大好きで色んな種類のゴーカートに乗って
楽しんでいた事は今でも鮮明に思い出せる。
F1界の伝説、アイルトン・セナが大活躍していた時代。
当時、幼稚園児の僕もF1に夢中になっていた。
F1のチームとドライバーを全て覚えていたらしく...
地元のテレビにF1大好き少年として出演まで果たしたようだ。(覚えてない)
※Wikipediaより
時は過ぎ、セナも34歳という若さでレース中の事故で不帰の人となってしまった。
そしていつの間にか僕の興味の対象はガンダムへと移っていた。。
ガンダムといえば、あの大きいロボットを創造するかもしれないが、
僕が夢中になっていたのはSDガンダムという
デフォルメされて三頭身くらいになったガンダムだ。
SDガンダムは中に人が乗っているロボットではなく、
ガンダム自身が物を考え、言葉を発し、まるで生きているように
コミカルな描写で描かれたアニメだった。
そのビデオを飽きずに何度も観ていた記憶がある。
小学生の高学年になってくると、
そのSDガンダムのプラモデルにド嵌りすることとなる。
ただ組むだけではなく、
色んなガンダムのパーツを組み合わせてオリジナルのガンダムを作ったり、
ガンダムマーカーというもので自分で塗装したり、
出来たガンダム同士を妄想で戦わせたり。。
そんな小学生時代だった。
中学生にもなると、今度はリアル頭身のガンダムも好きになった。
そうなると三等身なガンダムと比べるとプラモデルも複雑化し、
作るのには非常に時間もかかる。
けれど塗装からちゃんとして、
組み上がった時はすごく気持ち良かったのを覚えている。
わりと器用な方だと自分でも思うが、
その器用さはプラモデルで身につけたといっても過言ではない。
また、なぜかシャーペンやボールペン、マーカーに
それぞれ名前を付けて一人遊びしていた。
今思うとはずかしいが...俗にいう黒歴史である。
この頃から無意識に「物」を単なる物として捉えていなかったのかもしれない。
さて、高校生になるとスタジオジブリ作品に没頭することとなる。
「風の谷のナウシカ」に登場する巨神兵。
人間によって作られた人型の人工生命体。
人工物に対する人間の業を感じ得ずにはいられなかった。
「天空の城 ラピュタ」に登場するロボット兵。
人が滅びた後もラピュタで動き続けるロボット兵は
もはや自然と融合しており、
人間の業から解き放たれたピュアな存在として描写されている。
そんな、宮崎駿監督の描き出すロボットたちが
それまでの僕の経歴からすると好きにならないはずがなく、
ノートの端や机などあらゆる所に落書きをしていた。
それと同時にふつふつと自動車への興味も再燃してきていた。
スタジオジブリの背景の仕事をしたくて美大に進む事を決め、
浪人は許されなかったので、
公立は落ちたが京都造形芸術大学は受かったので進学した。
大学時代、ふと友人から「攻殻機動隊」というアニメ作品を見るように勧められる。
その中で「タチコマ」というAIロボットが破壊されるシーンで
タチコマが涙(?)のようなオイルを流すシーンがある。
それまでどんな悲しいストーリーの映画や本などを見ても
涙ひとつ流さなかった自分が、攻殻機動隊のそのシーンではじめて涙を流した。
今でも思い出すとちょっとうるっときてしまうくらいだ...。
自分の原点はF1...もとい自動車。
もはや本能レベルで惹かれてしまう物。
そして、「人工物」に対する考え方は、
日本のアニメーション作品によって形成されてきた。
今も昔も、やってる事は変わらないんだなとつくづく思う。
「生機物」というタイトルで個展を現在開催中だが、
生きた 機械の 人工物
という内容で、自動車という人工物の色々な捉え方を
絵に描いて表現しようとした。
どうしようもなく自分は自分でしかない