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放屁論
放屁論。


れっきとした平賀源内の評論である。







このタイトルだけでも作者が只者でない事が窺い知れる。


元来、屁にTPOはない。


屁は時としてその人物を限りない辱めにさらしてしまうかなり
危険な行為でもある。


出来ればそんなものは、しないというより人間の肉体機能とし
て無い方がいいとも思うが、、、誰しも過去の密かな経験とし
て、お腹が張り苦悶の末に出してしまった大放屁!の開放感と
爽快感!!を得た経験があるのではないだろうか??


あれは恥ずかしながら実に気持ちがいいものである!


しかしながら、この快楽とは本来隠密裏の事柄であり・・・
この行動には必ず以下の原則が伴うことも我々は人間社会の
マナーとして認識している、、。。。。


誰にも言えない、知られたくない,知られてはいけない・・・


そう、この快楽は人間個人一人だけが味わう快楽であり、他人
に対しては不快この上ない現象なのである。しかし、誰しもが
体得している快楽であることもまた事実なのだが、、これに対
しての相互理解を深めるなどということが元来あまりないので
ある。。



そしてこの部分も肝心なのだが、比べてわかってもらえないと
いう、、なんとももどかしいジレンマを感じる快楽でもあるの
であった。。




屁に不快感を示す,もしくは嘲笑を浴びせ掛けるのは決して先
天的な感性ではないと思う。おそらく通念的なものだと思うが、
しかしなぜかあの音は後天的な笑いの信号音として認識したも
のでなく、先天的な滑稽感があるのか?実に不思議である。



そしてどんなに美人で頭が良くても、カッコの良い男性であろ
うと,おそらく生涯10,000発以上はするだろうと私はひそかに
考えている。(いや、そんなものでは効かないと思う!)



それほど日常生活において常態化した行為が・・・・こうも疎ん
じられるのは???



この屁=滑稽・不快という通念が逆転したばあい、、



○●氏の屁は素晴らしい!
時と場所を見事に選ぶ、美しい放屁だ!しかも匂いにも気品が
ある・・・



日ごろの胃腸のケアがよろしいのでしょうなぁ!!



“う------------------ん、、我輩もかくありたし!!”



などという通念が生まれても本来おかしくはないと思う・・・



しかしながら、人類史上、決してそのような通念の変異は
21世紀まで見られることはなかった・・



口から出る言葉という音は、哲学を語り恋愛を語り時として人
を傷つける音をも発するが、基本は人間の肉体から発生する
“音である”。。。


同様に、、



尻の穴から出る“屁”も音であり、生物としてのメカニズムだ
けでみると言葉も屁も同じ音の発生である。



まぁ違いは、、口臭に比べ、、その臭気の攪拌範囲が著しく広
い場合があるが・・・




さて、平賀源内“放屁論”だが・・


源内先生曰く、



「漢にては放屁といひ、上方にては屁を“こく”といひ、関東
にては“ひる”といひ、女中は都ておならといふ。其語は異な
れども、鳴ると臭きは同じことなり。その音に三等あり。ブツ
と鳴るもの上品にして其形圓く、ブウと鳴るもの中品にして其
形いびつなり。スーとすかすもの下品にして細長くして少しひ
らたし。是等は皆素人も常にひる所なり。」




ある時の話、




江戸の両国で「へっぴり男」なる自在に屁を出す大道芸人が人気
を博していたらしい。



うぐいすの鳴き声や、水車の回る音などかなりのレパートリー
を持ち、かなり金を稼いでいたらしく、源内先生と仲間たちは
早速に出かけその芸を確認したらしい。。。。




仲間達はインチキではないかと批判的であったが、源内先生は
「たとえ、からくりがあるにせよ、見せているのは尻一つ。そ
れが誰の目が見てもからくりがわからぬ。それならそれで、立
派な芸ではないか。」と言いましたが、仲間の一人が食って掛
かりました。



天下の源内があんな「へっぴり男」を誉めるとは、一体どういう
料簡か?人前で尻を見せるあの行為のどこが立派な芸なのか?



それに対して源内先生、



人間が、体内より発するものは、天地の定めにより、貴賎の違い、
身分の違いなるものが自ずとあるとこは否定できない。中でも、
もっとも身分の高いものは、頭脳より発せられる「思想」であろう。
口から生じられる声、歌の類も、身分の高い方に属する。



そして、低い身分に耐えているものに「糞」「小便」のたぐいが
ある。人々はそのものたちを、やれきたないとか、やれ臭いとか、
けがらわしきものとさげすみ、それを話題にするだけでも下品と
見なしている。しかし、その「糞」、「小便」でさえ、田畑に使
えば、立派な肥しとなり、その価値をもって、最下位を逃れてい
る。




最下位に位置するものは語るも明白、「屁」である。屁こそ百害
あって一利なし。厳粛なる式の場などで、もしも「屁」などひろ
うものなら、その武士は、切腹まちがいなし。田畑の肥しにもな
らず、さらに悪いことに、目に見えず、人に罪をかぶせたすぐさ
ま、姿をくらまし、逃げさるもの。誠に、卑怯にして、卑劣。



歴史上、「屁」の価値など見出した人間など、聞いたこともなし。
名実共に「屁」こそ最も卑しきものであることは、万人が認める
ところである。 



が、しかしである!



身分高き「思想」をもって多額の金を得るのは、いともたやすい
こと。麗しき「声」をもって歌い、金を得るのも、当然の理。
これこそ「ふつう」。そこには、なんの工夫も手練もなし。金
の成る木で金を得ることは、なんの苦労もないことである。



だが、あの「ヘッピリ男」なるは、万人に見捨てられてきた「屁」
を粗末にせず、それをもってして工夫・修行の限りをつくし、見事
、大衆の眼前にて披露し、金を稼ぐという偉業を成し遂げたのであ
る。



これを「立派」と私が認めるのは、その故である。




う----------------------ん!!




万人に見捨てられてきた「屁」で金を稼ぐという偉業を成
し遂げた!かぁ!!



なるほどぉ!である。。




なんとなく、ただなんとなくではあるが・・




芸術家なんてのも、、、万民の生活に即時役に立つ具体物を
つくらずして金を稼ぐという偉業、、その類似する状態から
考えれば・・・



さしずめ、、優れた芸術家などは




優れた





「ヘッピリ男」なのではないか?




と、、、、考えてしまう今日この頃であった・・・

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