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7月の予定/COMBINE/BAMI gallery グループ展/交錯する京都
7月が1/3過ぎてしまいました・・・・

当月は久しぶりにBAMI galleryにてグループ展を
開催いたします。

テーマは”京都”です!





COMBINE/BAMIギャラリーのアーティストが 京都の様々な
側面を探る

COMBINE/BAMI gallery グループ展/交錯する京都

2024.07.27 (sat) - 2024.08.09 (fri)
OPEN 13:00~18:00
※最終日午後4時閉廊

京都を拠点に活動する9名のCOMBINE/BAMI galleryの作家が、
京都の多面性をテーマに新たな視点で作品を創り出しました。
本展では、伝統と現代が織りなす京都の魅力や問題が多角的
に表現されています。

作家たちは、歴史と未来、自然と人工、現実と幻想など、
相反する要素が交錯する京都をそれぞれの独自の感性で表現
しました。古都としての豊かな歴史と文化、現代都市として
の革新と変化が交わるこの場所に対する多様な解釈が集結し、
京都の奥深さと多様性が内包される今を新たな形で映し出し
ます。

この展覧会は、彼らの表現を通して再解釈された京都の姿を
体感する場です。この展覧会を通して、伝統と革新そして様
々な現代の問題点が共存する京都の姿を新鮮な視点で発見し、
感じることができるでしょう。ぜひご覧いただき、彼らの表
現を通じて紡がれる京都の現代の姿をお楽しみください。




阿部瑞樹「キカイ」
53×45.5cm (F10号) 板パネルに綿布、アクリル絵具

今回京都をテーマに作品を制作するにあたって
”機械”と”奇怪”を画面の中に落とし込もう
と考えました。この二つは相反するもののよう
に見えますが、京都はただ現代的で機械を利用
することによって循環する都市というだけでな
く、碁盤目状に綺麗に舗装されたコンクリート
の下にはどろっとした人間の歴史の積層がある
ので、二つの“キカイ“が入り混じっているよ
うに感じるのだと思います。約20年前に富山
の田舎から京都へ来てこれまで体感したことを
『キカイ』として描きました。




岡部賢亮「抹茶」
H15×W12×D15(cm)
ジェスモナイト、アクリル絵の具、箔押し

京都生まれでも在住でもない私からすれば「京都」
と言えば「抹茶」かなと非常に短絡的な決め方を
して制作をしたのですが何事も内側ではなく外側
から見たイメージは意外と単純明快で誰しもが
ピンとくるものなのではないかと思います。




釜匠「かいじゅう襲来」※画像作品部分
2024/木製パネルに綿布・アクリル絵の具/130.3×162cm(F100)

「ついに“かいじゅう”が京都にやってきた。
あれは怪獣なのか妖怪なのかそれとも神様なのか、
あるいはただの巨大なゴミなのか…」




宮本大地「KYOTO CUP」
F6(31.8×41cm)木製パネルにアクリルガッシュ

日本が誇る観光都市として京都は日々大量の外国人
観光客で溢れている。京都で暮らし生活していると、
街に出なくてもその外国人観光客の多さは肌で感じ
ることが出来る。京都の持つ歴史や文化を求めて
訪日される方が多いと感じる一方、世界的人気の地
であるという情報の元、京都というイメージを消費
しに(楽しみに)来ている様にも感じる。多くの者が
求めたあの味あの場所あの光景の確認作業として、
記号化された京都を自分好みに選択して楽しんでい
るのだろう。私個人としてそこに良し悪しはないが、
現状の京都が抱えるオーバーツーリズムや、インバ
ウンド需要による潤いの中で生きる一人として今回
の作品を描いた。




公庄直樹「子狐様」
H18×W16×D16cm 桧、榧、着彩

京都と言えば神社仏閣ですが、その中でも伏見
稲荷大社を連想する人は多いのではないでしょう
か。伏見稲荷と言えば狐。他にも京都には数多く
の狐にまつわる伝説が各地に残されています。
また、古くから諺(ことわざ)でも登場する比較
的なじみのある動物です。京都に住んでいると、
そこかしこに狐の存在を感じられると思います。




佐野曉「きょうをみつめるもの」
25×10×25㎝
漆、カシュー、青貝箔、螺鈿、檜、石粉粘土

悠久の歴史と文化を抱く京都にはそれを見守る
様々な霊獣が存在するとされている。中でも神
の使いとして伏見稲荷大社にまつられる狐は、
今日では国内だけでなくアニメ作品や観光など
を通して海外にも広く知られる存在だ。エジプ
トにそびえたつスフィンクスがごとく過去、
現在、そしてこれからの未来の京をじっと見つ
め続ける存在、そんな瑞祥なる姿を表したい。




小橋順明「四神/青龍」
H336×W248×D25cm F4
パネル・ステンレスメッシュ・陶土・顔料
・釉薬・定着、材部分的に焼成

土をパネルに塗って焼成するclay on panelは
12年前ほど前から取り組んでいるシリーズ。
自ずから然らしむように何かが現れる、その
ような作品こそが土と火で私が作るべき作品
だと思った。それは、土を焼く事で初めて現
れてくるものであり、焼く行為そのものが表
現となるものであり、存在とは何かという問
いに関わるものであり、焼物というメディウ
ムを陶芸の呪いから解放するものである。
京都は日本の文化の中心であり、例えば日
本文化を象徴する「焼物」においても京都と
の関係が重要でなかったものはありません。
土と火を使う芸術が今、日本の文化そのもの
のような京都を表現するなら、余白、無常、
自然、神話、時空のようなものが自ずから詰
め込まれるものになるだろうと思う。




松本央「古都の宿」 
F6 31.8×41㎝
パネル、キャンバスに油彩

京都は長い歴史を持つ都市です。ということは、
古いものが淘汰され廃れていき、新しいものへ
と切り替わる機会が多かったとも言えます。私
の生きている間だけでも、京都の街並みは大き
く変わりました。古い大きな町家が壊され、複
数戸建ての新築建売住宅へと変わる姿を幾度と
なく見てきました。しかし、古いものも完全に
無くなってはおらず、町家を改装したり、古い
歴史のあるものを上手く生かしている建物も見
られます。今回は、近年よく目にする古い町家
を改装した宿、そこへ宿泊する旅人の出会った
一幕を描きました。時代が移り変わり、そこを
訪れる人や目的が変わっていくと思いますが、
都市としての機能や人間の本質として変わらな
い情景がいつまでも続けば良いなと思っていま
す。




八木佑介「 2:01」
M6 24.2×41㎝
綿布、岩絵具、アクリル絵具

京都市が近代都市となるまでの紆余曲折を知る
中で人の手癖のようなものが垣間見えて面白い。
急激な時代の移り変わりに試行錯誤する様には、
都市がいかに不安定で曖昧なものなのかと気付
かされる。東海道五十三次の起点である三条大
橋、かつて物流、経済の中心だった。明治の初
期には両替商が銀行に、飛脚問屋が郵便局へと
変わり、また新興の新聞社などが続々と西洋建
築を建て始め、京都市の中でも先んじて新たな
町並みが生まれる。だがその後、京都市による
都市改造の三大事業の一つとして、四条通、烏
丸通などの通りが拡幅される。それにより四条
烏丸へは銀行が移転、新たな京都の金融街とな
るなど、京都のメインストリートが三条通から
移り変わっていく。道路拡幅事業の際、鴨川に
かかる橋も架け替えることになるが、この拡幅
事業は京都市によるものであり、東海道として
国道指定されていた三条大橋は京都府の管理だ
った。京都府が架け替えた三条大橋は秀吉が架
けた当時の桃山調を思わせるデザインで脚は鉄
筋コンクリート、上は木材による復古的な外見
だった。対して京都市による四条大橋は当時、
西洋で流行していた極力装飾を排した様式で、
鉄筋コンクリート製の近代西洋風の橋であった。
ここには京都府と京都市の目指す京都という都
市への見解の違いがある。その後、三条通は京
都市都心部ではありながらもかつてのように経
済、文化の中心ではなくなるが、三条大橋から
烏丸通までは観光客で賑わう繁華街である。近
代化を受け入れる人々の模索は生き生きと興味
深く、そうして都市間競争の中で観光都市とし
ての京都の風景が作られていく。都市の成り立
ちを俯瞰すると、個人は都市を構成する一つの
細胞のようで、人は都市を最適化するための新
陳代謝として労働しているかのような、人と都
市の主従が逆転していくようにすら思える。人
工物である都市には人の理想や欲望が織り込ま
れている。だが時に、全てが虚構であるかのよ
うな風景を見せてくる。都市や社会や人間とは
、と考える中、何か中心が欠けたようなその風
景が都市文明の裏表にある。






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