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BAMI gallery移転 3周年記念企画 B10展 32㎜×45㎜-最小規格サイズの世界
さて、一年もいよいよ終わりですね。
今日を入れてあと4日

COMBINE/BAMI galleryは2017年12月31日(日)から
2018年1月4日(木)まで冬季休廊とさせていただきます。

現在開催中の4展 Shiten Round9 Thema【地図】は
12月30日(土)に最終日を迎えます。

新年は、1月5日(金)より
”BAMI gallery移転 3周年記念企画
B10展 32㎜×45㎜-最小規格サイズの世界”
を開催いたします。












早いもので、京都・島原の地に移転して来年一月で
丸三年が経ちます。


そこで、節目の新年


ただ単に”おめでとう”と迎えるのも・・・
かといって大上段に構えるのも・・・・
皆が気軽に楽しめて満足感の高い、、、


何か面白い企画は???と、、


実は7月頃から考えていました。
ある日、、、あまり明確に覚えていなのですが、
サイズについて調べていた時、偶然にAとBというサイズ
に触れました。


そう言えば、、このサイズは現在社会の中で厳然と存在
しているが、、果たしてなぜこのサイズになったのか?
と・・・調べていくうちに段々面白くなり、このサイズ
の中ので最小で作品、、作品群構成し展示したら!と
思うようになりました。


ギャラリーのドアを開けると小さな小さな作品が点々と
壁に破線を描くように・・・・通常のギャラリー空間から
すれば、、展示しているの???と目を凝らさないと分か
らない展示!!!





これは面白いと!!!、そこから企画を纏めました。





COMBINE 『B10展 32㎜×45㎜-最小規格サイズの世界』 概要 by COMBINE on Scribd




B10というサイズの謂れと企画概要は添付の概要書を
ご覧いただきたいのですが、かいつまむと、、、、



B判サイズは日本独自規格であり、江戸時代に徳川将軍家の
御用紙であった美濃紙のサイズがルーツとなっています。


明治政府が公文書は江戸時代の美濃紙(B判)サイズを引き
継ぎ、戦後も日本工業規格(JIS)が「帳簿類の寸法はB判
を原則とする。


と定めていたことなどから、1997年には行政文書の100%が
A判化するまでは、国の文書の9割がB判でした。その日本
独自の企画サイズの最小であるのがB10(32㎜×45㎜)です。


この独特のBサイズがもう一つ面白いのが


縦横比率が「白銀比」と呼ばれる「縦:横=1:√2」と
なっており、どこまで半分にしても同じ形、相似形の
長方形です。


古来より美しい比の形として好まれてきました。


B0を半分に折ればB1、B1を半分にすればB2・・・・・・
なんとも美しいと感じます。


この意味ある小さな小さなサイズでCOMBINE/BAMI gallery
の様々な技法の作家達が同一のサイズで作品を作るというの
は実にワクワクしたのです。そして彼らの作品の一部として
紹介できるそれも最小サイズの作品としての”記録”












COMBINE 『B10展 32㎜×45㎜-最小規格サイズの世界-』 プレスリリース by COMBINE on Scribd





これが起案した時の骨格でしたが、もう一つ


私には、この小さなサイズから湧き上がるものがありました。

要素は3つ


●一寸の虫にも五分の魂

●孫悟空とお釈迦様

●釣りキチ三平という漫画の一話
『小さなビッグゲーム』



************


●一寸の虫にも五分の魂

は、調べてでてくる内容と私が感じているのは実は
少し違う。。。一寸の虫に存在する魂も、ゾウのような
巨大な生物に存在する魂も、、、量化できないという
事、、この例えが私は大好きなのです。

大きい生物の魂は大きく??小さいものは???
本来魂に大きさが存在しない・・・・・・
つまり、この企画も同じですね。

作る側、見る側の魂の共鳴があれば、どんな大きな
作品よりもその感動は大きい筈だと!!!



●孫悟空とお釈迦様


この話は、たいていの人が小さい時に聞いたと思います。
悪さばかりする孫悟空をお釈迦様が懲らしめるという内容で





「俺様は、72変化(へんげ)の術をすべて会得した。
その他に筋斗雲もある。乗れば一瞬にして10万
8000里飛べる。怖いものはない。恐れいったか。」

「ならば、悟空。ここでひとつ賭けをしないか?」
     
「何だ?」
     
「私の右の手のひらからあなたが飛び出すことができれば、
私が玉帝に天界を譲り渡すよう、話をつけましょう。どう
ですか?」

「そんな、簡単なのか?俺をバカにするな!一尺足らずの
手のひらなんて朝飯前よ。それっ。」


悟空は筋斗雲に飛び乗り、世界の端を目指した。
しばらくすると、雲の間に5本の柱が立っていた。
近くに寄ってみると...。


「ははぁ。これが世界の行き止まりだな。来た証拠に名前で
も書いていくか。」

悟空は、自分の毛を1本抜いて筆に変えると、真中の柱に
「斉天大聖」と記して、ついでに「オシッコ」までもひっかけていった。


「これで、よし。」


「悟空よ、いい加減にしなさい。」
    

「なんだよ。俺様は今、世界の端まで行って来たんだ。しかも、
そこにあった柱に、 斉天大聖って書いてきたんだぜ。疑うなら、
いっしょに見に行こう。」


「いくまでもありません。」
     

「何でだ。」
     

「私の手のひらを、よくご覧なさい。」


*******


と言うのが話の内容だが、、、


小さいな時分、私は、この事が全く理解できなかった。。。。


後年、つまり孫悟空のちっぽけな存在とお釈迦様の
大きさという人生訓に通じるような比喩的意味は
理解できたのですが、、、、それでも、この話の中に
存在する物理的空間の整合性がどうしても理解できず
小さな私はこの話に関して言えば実に気持ちの悪い
感覚を持ち続けていた・・・・


じゃなぜこの話と今回の企画がリンクするのか???


明確には言い切れないのですが、、、


芸術品という物理的な大きさの支配と


芸術品が持つ目に見えない威力


この二つの不整合性がなぜか私の中では大きく
重なるのです。



ギャラリーや美術館、その他でも構わない
その空間を圧倒的に埋め尽くすような事柄は
確かに驚き感動し脅威にも感じる・・・


しかし、誰も気づかない


小さな小さな箇所に恐ろしい集中力を発揮する
その強烈な芸術家の威力も、、驚き感動し脅威
にも感じます・・・・


大仰な事柄も立派なのですが、、、
先ず、、、という部分が何よりも大事じゃないのか?
という風にも感じ、その果てにあるものを追い続けていく
という順番というのか積算というのか?何かそんな
感じを受けるのです・・・・


所詮、


物理的なものが残る、その上にある
目に見えないものとして残すものとは
何か?


それが何となく孫悟空とお釈迦様の話には
感じるのです。それを理解させる最大は
空間性の不整合さなんじゃないか???


このB10という企画も実際、私のギャラリーの
壁面から考えれば相当な不整合な空間性になります・・・・


最後は、


●釣りキチ三平という漫画の一話
『小さなビッグゲーム』


タナゴ釣りを馬鹿にする外国人釣り人に
釣りキチ三平が語る釣りの本質・・・・


「でっけい魚を、ごっついしかけで釣って、そのスリルを
あじわうのがビッグゲームならば・・・」

「ちっこい魚をほそいしかけで釣るってのもビッグゲーム
にまさるともおとらねぇビッグゲーム!」








B10企画との関連で言えば、、


この小さなサイズを絶対値として見れば、、


私の小さなギャラリーも・・・


ミュージアムに匹敵する空間に
成りますよね!!!


まぁ色々と書き連ねましたが


とにかく面白い企画・展示にいたしますので

ぜひお越しいただきますよう

心よりお願い申し上げます。


最後に


本年も大変お世話になりました。
来年も何卒よろしくお願い申し上げます。

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