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6月8日(木)スタート!『発見?京都! 未確認生物 UMA展』





2017.06.08 (thu) - 2017.06.19 (mon)
OPEN 12:00~18:00
期間中無休

BAMI gallery
〒600-8824
京都市下京区二人司町21番地


■access

↓↓↓クリック

http://combine-art.com/html/gallery/ga_access.php


京都の街中に居るかもしれない?居ないかもしれない?
未確認生物の存在=UMA(Unidentified Mysterious Animal )。


本展は、普段京都の街で芸術活動に勤しむ若手現代美術作家達が、
ある者は目撃情報を頼りに取材し、ある者は実際に過去目撃した
印象を基に、又、ある者は実際に捕獲し??作品化??


それら未確認生物の存在を自らの作品として報告しあう展覧会
です。京都市内のかなり具体的な目撃・発見箇所を基に、それら
未確認生物の生態や、発見時のエピソード、及び未確認生物達が、
この京都の街中で現代まで息を潜め生き続けて来た物語を交え
報告いたします。


報告者:

釜匠(かま・たくみ32歳)
佐野曉(さの・あきら36歳)
公庄直樹(ぐじょう・ なおき35歳)
松本央(まつもと・ひさし34歳)
遠藤良太郎(えんどう・りょ うたろう30歳)
太田夏紀(おおた・なつき24歳)
岡部賢亮(おかべ・けんす け27歳)


以下、報告書


***************










人間たちの政治利用のために生み出された悲哀の生物


日中国交正常化X 周年を迎えるにあたり、両国の友好の証を形に
残そうと日本国外務省内に一つのプロジェクトが立ち上がった。


「プロジェクトカッパンダ」、通称PKP である。


京都の鴨川上流、志明院近くでオオサンショウウオと戯れてい
たところを極秘裏に捕獲されたカッパと、中国より貸与されている
国内のパンダとの間に生み出された”カッパンダ”を日中友好の
シンボルとして、政府が主導する様々な記念イベントを盛り上げ
ようというものだ。


カッパンダに関する情報は外務省によって厳しく統制されており、
ごく一部の情報しか公表されていないが、今後政府はカッパンダ
を外交の舞台でも有効活用していく予定であるという。


現在カッパンダは京都市下京区にあるBAMIgallery で展示、飼育
されており6 月19 日まで無料で見ることができる。


プロジェクトの実現にあたっては一部の外務省官僚から
中国共産党幹部に多額の裏金が渡ったのではないかという疑惑が
取り沙汰されており、明日にも野党は国会審議の場で追求する
構えだ。













2013 年9 月に訪れた台風18 号により京都桂川が増水し濁流が
嵐山を襲った。


今にも渡月橋が飲み込まれようとしている様子をテレビで見て
ご存知の方も多いのではないだろうか。


その後水位が下がり濁流に飲み込まれていた渡月橋は無事その姿
を現したが、橋の上には上流から流されてきた沢山の流木や瓦礫
が残されたままだった。


当時、避難指示区域に住んでいた私は川の様子を見るために早朝の
嵐山を訪れていた。そして渡月橋の上で"それ"を見つけた。

一見するとただのヒキガエルに見えたが、傍に寄るとすぐにその
特異な姿に気付いた。


私は思わず"それ"を抱えて家へと走った。


私は"それ"を「童蛙(ワラベガエル)」と名付け飼育する事にした。
その後3年半にも及ぶ生体の飼育と現地調査の末、このカエルの
生態が少しずつ明らかになってきた。


この種を発見した嵐山周辺を捜索したところ、生体の発見こそ
叶わなかったものの本種が張り付いたと思われる特徴的な痕跡が
保津川下りに使用される船の船体と嵐山を南下した松尾橋の橋脚
から多数見つかった。


おそらくこの種は流れの緩やかな嵐山周辺で繁殖を行うため
保津川下りの船に張り付いて亀岡から嵐山まで南下してきて
いると思われる。


更に、近年桂川近辺では河原でのバーベキューによるゴミ問題が
取り沙汰されており、実際に河原には多数の食べ残しや包装の
ゴミが散乱している。


その量は凄まじくその影響で周辺にはカラスが大量に発生してい
る。ゴミが多数放置される松尾橋の橋脚周辺にも童蛙の痕跡が
多数見られることから、童蛙もこの食べ残しを目当てに松尾橋
まで南下するようになったと考えられる。


流れが緩やかで水量の豊富な嵐山と、食料が豊富な松尾橋周辺。
特に後者の人為的な食料の増加が本種に与えた影響は大きい。


観光地間の移動による事故の増加、カラスに捕食されることに
よる個体数の激減と本種を取り巻く環境は悪化の一途を辿って
いる。











イナリモドキは稲荷神を祀っている古い祠や神社に稀に出没する。
稲荷大神の神使である白狐(俗に言うお稲荷様)像に擬態した野狐
の亜種と推測されている。


現在まで目撃例はほとんど無かったが、古来よりお供え物等を
くすねることによってひっそりと生き長らえていたのではないか。


伏見稲荷大社では玉鍵の信仰があるためか、京都のイナリモドキ
は鍵状の物や何らかの玉を咥えている場合が多い。


今回の個体は、伏見区のとある路地の小祠で確保された。


その経緯は、稲荷祭当日に酒を配達中の男性が小用のため
軽トラックを路上に止め少しの間離れたところ、戻った時には
何者かに車の鍵が抜き取られていた。


近辺を探し回った後に路地奥の小さな祠に行き着きそこある
白狐像を見たが、なんと彼の車の鍵を咥えていたという。


配達員が近づいて鍵を口から抜き取ろうとしたところ、突然
その白狐像が逃げ出したため咄嗟に捕まえてしまったそうだ。


イナリモドキが捕獲されたのは過去に例のない事である。


この土地には稲荷神社や祠が数多くあり、古くからイナリモドキ
を稲荷神と同様に守っていた節がある。


「オイナリサマの鍵隠し、玉隠し」という口伝があり、何かの
鍵やボール等が忽然と無くなるとイナリモドキの仕業だという
ことで、その家には繁栄が訪れるので御礼に近くの稲荷社に
油揚げを供えたという。


しかし近年では地元住民の信仰心の低下に伴ってかつての習慣
も無くなり、イナリモドキの存在も忘れられつつある。











仕事の合間、何気なくネットを眺めていたら気になるニュースが
あった。以下引用する。


2017 年4 月京都市伏見区濠川にて推定年齢1000歳を超える
鯉が捕獲された。


発見者は伏見区在住の男性72歳で、早朝伏見港公園付近を散歩中
に川の中を見慣れぬ白い魚が泳いでいるのを発見。川に近づきよく
見てみると1 メートルはあろうかという全身白い鱗に覆われ、
長い鰭を持った鯉であった。


「いやぁ、あれは本間に見事なヒレナガゴイや思いましたわ。
プラチナのように全身真っ白で、心なしか鯉の周囲の水も黄金色
に光り輝いて見えてねぇ、一目惚れですわ。」


男性は愛鯉家でもあり、自らの自宅の池で数多くの錦鯉を飼育し
ている。自らのコレクションに加えようと、自宅に戻り網を持って
捕獲。池に放つ前に水合わせをするため別の水槽に鯉を入れると、
ただの鯉ではない妙な特徴があることに気づく。


「よう見たら鉢(頭)に角みたいな突起があるし、口周りには
髭みたいな緑色の苔も生えとる。けったいな個体やなぁと。
次第にこんな個体飼うてるのは他にはおらんと愛着が湧いてき
ましたけどね。」


と、男性はその時の様子を語ってくれた。その後、同じ愛鯉家の
仲間にもその変わった鯉を見せようと仲間に連絡する。男性の
自宅訪れた仲間と鯉の居る水槽に戻るが、すでに鯉は水槽から
姿を消していた。


「蓋するの忘れてたんですわ。ちょっとの間や思うて目離した
すきに跳ねたんですやろなぁ。」


飼っている鯉が水槽、あるいは池から跳ねて外へ飛び出してしまう
ことはよくある。しかし、たいていは池、水槽の付近に鯉が落下し
ているはずなのだが、この時は様子が異なっていた。


「どこにも居らんのですわ。池も庭もよう探したやけどなぁ。」


鯉の入っていた水槽から池を超えて男性の家の外まで5mはある。
鯉がそんなに跳ねることはふつうあり得ない。どのように男性の
前から姿を消したのか全く見当がつかない。謎である。


しかし、謎はこれだけに収まらなかった。


この奇妙な鯉の残した置き土産がさらに謎を深めることとなる。
跳ねた際にはがれたとみられる鱗が残されていたのだが、それを
専門科に見せたところ驚くべきことが分かったのである。


木の年輪のように、鯉の鱗から年齢が分かることは詳しい人には
よく知られている事実である。その残された鱗を鑑定した結果
1000 年近く生きていることが判明したのだ。


鯉の平均寿命は20 年で、過去には200 年近く生きた個体もいると
言われている。しかし、ながら1000 年という数字は俄かに信じ
難い。この鑑定結果が正しければ、男性の捕獲した奇妙な鯉は
1000 年もの間いったいどこに身を潜めていたというのだろうか。


「あれは、水の神様、龍神様の使いやったんや、子供のころに
ひい爺さんがそないなこと言うとったん思い出しましたわ。
あれは人間が捕まえたらあかんもんやったんやろなぁ。」


鱗の鑑定結果を受けて男性は清々しい表情を浮かべていた。
もしかしたら今もこの千年生きた鯉は京都の河川のどこかに身を
潜めているかもしれない。(引用ここまで)


ネットでこの情報を知り、なんとロマンがある話なのだと心動か
された私は、実際に奇妙な鯉を捕獲された男性に取材を申し込ん
だ。今回、その証言を元に絵で再現してみることにしたのである。











何気なく眺めていた地元のネットニュースに次のような記事が
載っていた。(以下引用する)


京都市北区柊野ダムにて怪魚が目撃されたとの情報がはいった。
その真偽を確かめるため現地へと足を運んだ。


最初に怪魚を発見したのは京都市北区在住の男性50歳男性で、
今回この男性から発見当時の詳しい話を聞くことができた。
男性によるとその日は休日で、朝八時ごろから休日の日課である
ジョギングをしに鴨川へ訪れた。しばらく川の上流へ向かって水面
を眺めながら走り、柊野ダムに差し掛かったころ見慣れぬ光景を目
にした。ダムから流れ落ちる水流に逆らうように跳ね上がろうとす
る巨大な生き物を発見した。


「最初はそれが全く何なのか理解できませんでした。とても大きい
生き物に見えたので、どこからか動物が脱走したのかと思いました
。それにすごく激しく暴れているように見えましたので恐ろしく
なって思わず通報してしまいました。」


と男性はその時の心境を語ってくれた。男性の通報により、駆けつ
けてきた警察官や騒ぎを聞き駆け付けた地元住民数名による捕獲
作戦が始まった。小一時間に及ぶ格闘の末、ようやく捕獲用の網に
誘い込み捕獲、岸に引き上げることに成功したのだが、その姿は
あまりにも我々が知っている魚とはかけ離れた異形なものであった


捕獲に参加し、その生き物を目撃した人々の証言をまとめると、
顔の雰囲気や鱗の形状は鯉に非常に似ている。全長は推定1.5m。


薄い緑色の鱗に全身が覆われ、頭部には角状の突起が一対、口には
鋭い牙があり、胸鰭と尾鰭が長く発達し、全身が薄緑色の鱗に覆わ
れている。さらに、この生き物を特徴づけるのは頭部にたてがみの
ような毛が生えていることだろう。ごく稀に鯉の頭部に苔の生えた
個体が存在していることは知られているが、それが毛なのか苔なの
かは今回は確認できなかった。


というのも、捕獲に成功したと誰もが油断した瞬間、その生き物は
突如暴れだし、その鋭い牙で網を食い破り、水中へと逃げてしまっ
たのだ。再び捕まえようとしたが、その生き物は姿をくらましてしまった。


しかしながら、あまり広いとは言えない鴨川で、1.5mもある魚
が姿を隠せる場所はそうない。徹底的に探しだそうと再び川へ入っ
たとした瞬間、空に雷鳴がとどろき大雨が降りだした。


雨量が多く川の増水の危険があるためこの日の捕獲は中止されたが
、その日以降も捕獲した、または目撃したとの情報はなく、その謎
の生き物は鴨川のどこかに潜んでいると思われる。


しばらく現場周辺で取材を続けているとこの騒ぎの一部始終を目撃
していた地元住民の女性93 歳は興味深いことを話してくれた。


「あれは龍の子や、滝を上って龍になる途中やったんですやろなぁ。」


確かに、証言だけ聞くと登竜門の故事や龍のもつ身体的特徴
に似ていると言えなくもないが、残念なことにその場にいた全員が
その生き物の姿を動画や写真に収めていなかったため、今となって
はその姿を確認することはできない。ただ、龍はあくまで想像上の
生き物であり実在するとは考え難い。


全く未知の新種か、外来種、突然変異と考えるのが自然だろう。


また、証言をくれた90 代女性は最後に取材する我々にこう忠告した



「龍いうたら水の神様やさかい、そんなもん捕まえようとしたら
バチがあたりまっせ。」


しかし、この90 代女性の忠告もむなしく、京都市は近く夏の
行楽シーズンにむけて、この生き物を特定危険生物に認定、
本格的に駆除に乗り出す方針であるという。(引用ここまで)


地元でこのような事件が起こっているとは思いもよらなかった。
この事件はとても私の想像を掻き立てた。この未知なる生き物の
姿を私もこの目で観てみたいとの思いから、今回この記事の証言を
もとに、この謎の生き物の再現図を描くことにした。











日宋貿易が盛んに行われていた時代「蛟(ミズチ)」という生物が
中国から日本に輸入されてきた。


「蛟」は水を司る精霊の一種と考えられており、水生動物では
あるが水掻きが存在せず、遊泳能力が非常に低いという特徴を
持っている。


中国では蛇が龍になる過程の段階の一つと言われており、出世魚
よろしく出世龍として縁起の良い生き物であると信じられていた。


蛟を持つ者は出世すると言われ、蛟は時の権力者たちの間を転々
とし、江戸時代以降その消息はつかめていない。噂では京都の
宝ヶ池に放流されたとかなんとか。


時は流れて2017 年、京都市左京区にある宝ヶ池にはこれでもか
というほど錦鯉が生息している。近くの売店では鯉のエサが
100 円で売られており、錦鯉たちは食べ物に困ることはないだろう



鯉のエサを買い、いざエサをやろうと水辺に立つと、待ってました
と言わんばかりに錦鯉が口をあけ食べる食べる。その群れの中に
一匹どうやら様子のおかしい個体を見つけた。


体長は60 センチほどで錦鯉と同じ模様があり一見すると錦鯉と見分
けがつかない。しかし四本の足が生えており、動きが非常にノロい


そのため、じっくりと観察することができた。


まず、エラがない。どうやら肺呼吸らしい。それに水掻きも無い。
動きが鈍いのはこのためであろう。姿かたちはなんというか龍っ
ぽい。龍というよりは龍になる前段階の蛟(ミズチ)といったとこ
ろか。


しかし蛟は架空の生物であるし、わざわざ錦鯉の模様に擬態する
必要があるのだろうか?というかこれは新種の生物を発見してし
まったのではないだろうか!いや、そんなはずはないだろう。


きっとよくわからないが専門機関的な方々がちゃんと調べている
に違いない。


まぁでも見たことない生物だし、名前ぐらいはつけても良いのでは
ないだろうか。錦鯉の群れの中に擬態して生きており、龍になる前
の蛟(ミズチ)のような姿かたちをしていることから私はこの生物を
「錦蛟(ニシキミズチ)」と名付けようと思う。というよりこれは
専門機関的なにかに相談した方が良いのであろうか?


この生物の詳細をお知りの方がいましたら京都市下京区にある
BAMI gallery までご一報ください
ませ。












【2017年 5月×日(月)天気:晴れ】


大型連休明けの月曜日、昨日まで賑わっていた町が静まりかえっ
ていた。 そんな日に、なんとも不思議な出会いがあったので、
この事について日記に書き留めておこうと思う。


大きな駅の近くにある公園の辺りをぼうっと歩いていたら、鳩が
群がって地面を突いていた。リュックに入っていたパンを取り出
して、鳩に餌でもやろうと近寄ってみると、その中に奇妙な生き
物が1匹(羽?)混ざっていた。


まさかと思い、もう一度目をこらして見てみたのだが、やはり
見た事のない容姿をしている。鳩よりも大きくて茶色い身体を
しているが、明らかにキジバトやカラスではなさそうだ。


すると、パンに気づいた奇妙な生き物は、私の方へよたよたと
近寄ってきた。パンをちぎっていくつか地面に投げてやると、
くちばしを使って器用にそれらを食べ始めた。 私は、奇妙な
見た目に少し怖くなり、餌をあげ終わったらすぐにその場を
離れることにした。


しかし、奇妙な生き物は、短い足を一生懸命に動かしながら
私の後ろを付いてくる。


鶏も餌をくれる人間の見分けがつくように、この生き物もその
くらいの知能はあるのだろうか。人通りのない道だったので、
しばらくそのまま歩いてみたが、妙に人懐っこく、私を攻撃する
素振りはない。


観察しているうちに、なんだかこの奇妙な生き物が気になってし
まい、とりあえず家につれて帰る事にした。


【2017年 5月△日(水)天気:曇り】


正体は全くわからないままだが、呼び名が必要と思い、この
生き物に名前をつけることした。


「ホポポポ...」と小さな声で鳴き、飛べないオウム
(フクロウオウム)と少し似ている事から「ホポポオウム」
と名付けた。


動きは全てにおいて鈍臭く、羽も退化していて、どこか雛のよう
な可愛らしさがある。雑食らしいが、頑丈なクチバシを使って
木の皮を剥いで虫を探して食べる事も好きなようだ。


鳥のような容姿をしているが、羽毛はなく、代わりに茶色く
固い皮膚のようなもので覆われている。少量の食事から栄養
を十分に吸収できるらしく、活動している時間よりも寝ている
時間の方が長い。


【2017年 5月△○日(土)天気:雨】


しかし、人懐っこい上にこんなにも鈍い生き物が、自然に進化して
産まれたとは到底思えない。ということは、人工的に交配して
作られた生き物か・・・?


【2017年 5月×□日(月)天気:晴れ】


晴れた日は近所に散歩に行くことにしているのだが、この頃は
しきりに木の枝などを集めてきている。


巣でも作るのだろうか?


もし、ホポポが雌ならば卵を産むかもしれない。万が一に備えて、
家ではなく、段差のない安全な室内で飼う事にした。


床はコンクリートだが、特にストレスなどは無いようだ。


あまりにも一生懸命に集めているので、木の枝を見つけては、
ホポポの近くに置いてあげるようにしている。


とりあえず、6月の中旬まではここで様子を見てみようと思う。
今後、どうなるのか楽しみである。











「こんな悪趣味な茶碗、見たことないぞ…?」


ここは京都の五条坂。京焼きの発祥の地といわれ、現在でも陶芸家
や陶器店が集まる「焼き物の町」として栄えている。8世紀頃に
僧である行基が製陶したことから始まり、16世紀に清水焼きが
誕生し、今に至るまで芸術文化の発展に貢献した場所だ。


しかし近年、そんな五条坂で奇妙な事件が相次いで発生したのだ。


2012年、五条坂にある窯元や工房で、陶芸に用いる原料
(金属や灰などの粉)が大量に紛失、盗難される事件が相次いで
発生した。陶芸家R 氏もその被害者の1人である。R 氏は、同業者
による犯行ではないか、と考えた。と同時に違和感を覚えた。


実はそうした事件は過去にもなかったわけではないため、原料が
保管してある棚に南京錠で施錠をしていたのだ。しかし、その鍵は
破壊されることなく、中身の原料だけが消えていた。そして違和感
の原因はもう一つ、棚から、何かが這いずったような痕跡が残され
ていたのだ。


これは一体…?結局犯人は捕まることなく、時は過ぎていった。


2013年、R 氏は陶芸の活動に必要なため、再び原料を買い込
んだ。原料は倉庫に保管した。そして以前よりも強固な鍵を取り
付けた。


2014年、真夜中、R 氏は忘れていた道具を取りに倉庫へ向か
った。その日の月は、丸く、そして輝いていた。雲もなく綺麗な
星空だった。真夜中の倉庫へ到着し、扉を開けた。倉庫は薄暗く、
小さな窓から差し込む月の明かりが際立っている。


目的の道具を回収するため、灯りをつけようとしたそのとき、
原料の保管場所付近でなにかが動いた。


R 氏は咄嗟に「原料泥棒だ!」と確信した。まずは灯りをつけなけ
れば。恐怖と興奮がない交ぜになった気持ちを抑えながら、手探り
で電気のスイッチをつけた。なにかが動いた場所を確認するが、
そこには何もいなかった。


倉庫の中を隅々まで、警戒心を切らすことなく慎重に探したが、
なにもいなかった。


「なんだただの思い違いか」


そう思ったとき、床に無造作に置かれていた茶碗に気付いた。


「こんな悪趣味な茶碗、見たことないぞ…?」


その茶碗の釉薬は多くの原料が混ざり合うような、複雑な質感と
色だった。お世辞にも綺麗な茶碗とはいえないものだが、R 氏は
不思議な魅力を感じ、その茶碗を自宅に持ち帰った。


2017年、ある日、R 氏が倉庫で見つけた茶碗が紛失した。
茶碗が置いてあった場所から、なにかが這いずったような痕跡が
続いていた。その痕跡を辿っていく、部屋の中、廊下、玄関、
そして外へ、その痕跡は離れの倉庫の方角へ向かっていた。


そして倉庫の近くまできたR 氏は、不可思議な物体を発見する。
それはまるで焼き物の釉薬のような質感を纏ったなにか。


それは微動だにせずにいたが、あまりの不気味さにR 氏は警察に
通報した。


この不可思議な物体の正体は、一言でいえば謎だった。解析した
科学者は、焼き物に酷似しているが、焼き物ではない、そして物
なのか生物なのか、生きているのか死んでいるのかすら現段階で
は分からない、と煮え切らないコメントを残している。


ひとつ確かなことは、この不可思議な物体が発見されてから、
五条坂で相次いでいた原料盗難事件がぴたりとなくなった
ことぐらいである。

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