June 21,2015
遠藤くんの個展を最初に開催したのは今から
約3年前の2012年だった。
その後、今回を入れて4回、私のギャラリーで
個展を開催している。
毎回彼のステートメントには特徴があり、
かなり抽象的だが同じ事を繰り返し探索している
感がある。
そして表現するものの空間性にも毎回強烈な
共通の臭気がある。個展を4回重ねてきたのは、
ある意味、二人でこの臭気を確認しているよ
うな気が私はするのである。
これまでの彼の個展のステートメントを列記する。
その上で面白い実験を行う。
ステートメントからワードクラウドを作ってみた。
画像はその結果だ!画像を見たうえでステートメント
を読んでいただくもよし、ステートメントを読んだ
上で画像を確認していただくもよし。
単純な実験だが、案外面白いものが浮かび上がる。
彼と私の会話ではカタカナの”アート”という
言葉は使わない。私も個人のブログ・SNSでもアート
という言葉は極力使わない。常に”芸術”という言葉
を持って世界観の共有を図るようにしている。
----------------
■遠藤良太郎 Ceramic Works
ゆらゆらと行方知れずの小宇宙
2012.09.07 (fri) - 2012.10.12 (fri)
幼い頃に持っていた自由な遊び心は自身の
小宇宙を形成する。好きなようにルールを
作りそのルールの中で限りなく自由に遊ぶ。
しかしそれは時が経つにつれていつのまに
か行方をくらました。確かにあったはずな
のに圧倒的スピードで押し寄せる膨大な
情報の波にもまれて小宇宙と離れ離れに
なってしまった。
だが決して消えたわけではない。あの頃の
ように五感を研ぎ澄まし変化を望めばきっ
とまた出会えるだろう、あの頃よりも素晴
らしい小宇宙と。
■裏アイデンティティは放たれた
遠藤良太郎 Ceramic Works
2013.03.01 (fri) - 2013.03.25 (mon)
gallery close 3/2.3.9.10.16.17.20.23.24
あらゆるものが自らの意識とは別に猛烈な
勢いで簡略化されていく現代社会において、
自分自信が受ける「生への実感」が薄れて
いっているように私は感じている。 自らの
実感が薄れていくにつれて、自分が自分で
あるという意味のアイデンティティという
言葉の裏に潜む胡散臭さは肥大化していく
ように思う。
自分が自分であるという認識は、表面的な
情報から形成されるものだけではなく、自
らが受けた生々しい実感と合わさることで
はじめて成立し得るのではないか?
そうした考えから、私は人間の本能に響く
感動を大切にしたいと思った。そして芸術
にはその力があると思った。
人の心を動かすような感動が、私が現代
社会に欠けていると思う「生への実感」
につながると信じて、私は私なりの感動
を表現をする。
■私は私をやめることは出来ぬ
遠藤良太郎 Ceramic Works
2013.11.25 (mon) - 2014.01.31 (fri)
強い信仰の対象も、謎の土器も、輝く石も、
神々しく、そして意味があり、貴重なも
のだが、ある側面から見たとき、それらは
ただのオブジェクトになり得る。
まったく同じモノなのに、そこに向かう
人間の想像力は強く、醜く、美しい、まさ
に自由自在だ。
今日も私は実像と虚像の狭間で心地良く
ゆれている。
■卵の惑星
遠藤良太郎 忘れられた宇宙遊泳記
2015.06.16 (tue) - 2015.06.29 (mon)
今回のテーマになっている卵。
人間社会における卵は、生まれるため
に存在しているはずなのに、一方的に
消費されるという矛盾を孕んでいる。
そうした矛盾を作り出している人間もまた、
豊かさを得るための代償の大きさに矛盾を
抱えている。 心霊写真、UMA、未知の大陸
など、想像力を掻き立てる存在が減少し、
合理化されていく社会が人間の本能を蝕む。
私が考える人間の本能、それは「遊ぶ」
ことです。
私は空想の宇宙の中、卵で遊んだ。
約3年前の2012年だった。
その後、今回を入れて4回、私のギャラリーで
個展を開催している。
毎回彼のステートメントには特徴があり、
かなり抽象的だが同じ事を繰り返し探索している
感がある。
そして表現するものの空間性にも毎回強烈な
共通の臭気がある。個展を4回重ねてきたのは、
ある意味、二人でこの臭気を確認しているよ
うな気が私はするのである。
これまでの彼の個展のステートメントを列記する。
その上で面白い実験を行う。
ステートメントからワードクラウドを作ってみた。
画像はその結果だ!画像を見たうえでステートメント
を読んでいただくもよし、ステートメントを読んだ
上で画像を確認していただくもよし。
単純な実験だが、案外面白いものが浮かび上がる。
彼と私の会話ではカタカナの”アート”という
言葉は使わない。私も個人のブログ・SNSでもアート
という言葉は極力使わない。常に”芸術”という言葉
を持って世界観の共有を図るようにしている。
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■遠藤良太郎 Ceramic Works
ゆらゆらと行方知れずの小宇宙
2012.09.07 (fri) - 2012.10.12 (fri)
幼い頃に持っていた自由な遊び心は自身の
小宇宙を形成する。好きなようにルールを
作りそのルールの中で限りなく自由に遊ぶ。
しかしそれは時が経つにつれていつのまに
か行方をくらました。確かにあったはずな
のに圧倒的スピードで押し寄せる膨大な
情報の波にもまれて小宇宙と離れ離れに
なってしまった。
だが決して消えたわけではない。あの頃の
ように五感を研ぎ澄まし変化を望めばきっ
とまた出会えるだろう、あの頃よりも素晴
らしい小宇宙と。
■裏アイデンティティは放たれた
遠藤良太郎 Ceramic Works
2013.03.01 (fri) - 2013.03.25 (mon)
gallery close 3/2.3.9.10.16.17.20.23.24
あらゆるものが自らの意識とは別に猛烈な
勢いで簡略化されていく現代社会において、
自分自信が受ける「生への実感」が薄れて
いっているように私は感じている。 自らの
実感が薄れていくにつれて、自分が自分で
あるという意味のアイデンティティという
言葉の裏に潜む胡散臭さは肥大化していく
ように思う。
自分が自分であるという認識は、表面的な
情報から形成されるものだけではなく、自
らが受けた生々しい実感と合わさることで
はじめて成立し得るのではないか?
そうした考えから、私は人間の本能に響く
感動を大切にしたいと思った。そして芸術
にはその力があると思った。
人の心を動かすような感動が、私が現代
社会に欠けていると思う「生への実感」
につながると信じて、私は私なりの感動
を表現をする。
■私は私をやめることは出来ぬ
遠藤良太郎 Ceramic Works
2013.11.25 (mon) - 2014.01.31 (fri)
強い信仰の対象も、謎の土器も、輝く石も、
神々しく、そして意味があり、貴重なも
のだが、ある側面から見たとき、それらは
ただのオブジェクトになり得る。
まったく同じモノなのに、そこに向かう
人間の想像力は強く、醜く、美しい、まさ
に自由自在だ。
今日も私は実像と虚像の狭間で心地良く
ゆれている。
■卵の惑星
遠藤良太郎 忘れられた宇宙遊泳記
2015.06.16 (tue) - 2015.06.29 (mon)
今回のテーマになっている卵。
人間社会における卵は、生まれるため
に存在しているはずなのに、一方的に
消費されるという矛盾を孕んでいる。
そうした矛盾を作り出している人間もまた、
豊かさを得るための代償の大きさに矛盾を
抱えている。 心霊写真、UMA、未知の大陸
など、想像力を掻き立てる存在が減少し、
合理化されていく社会が人間の本能を蝕む。
私が考える人間の本能、それは「遊ぶ」
ことです。
私は空想の宇宙の中、卵で遊んだ。