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遠藤良太郎のにおい
遠藤くんの個展を最初に開催したのは今から
約3年前の2012年だった。


その後、今回を入れて4回、私のギャラリーで
個展を開催している。



毎回彼のステートメントには特徴があり、
かなり抽象的だが同じ事を繰り返し探索している
感がある。


そして表現するものの空間性にも毎回強烈な
共通の臭気がある。個展を4回重ねてきたのは、
ある意味、二人でこの臭気を確認しているよ
うな気が私はするのである。



これまでの彼の個展のステートメントを列記する。


その上で面白い実験を行う。


ステートメントからワードクラウドを作ってみた。
画像はその結果だ!画像を見たうえでステートメント
を読んでいただくもよし、ステートメントを読んだ
上で画像を確認していただくもよし。



単純な実験だが、案外面白いものが浮かび上がる。



彼と私の会話ではカタカナの”アート”という
言葉は使わない。私も個人のブログ・SNSでもアート
という言葉は極力使わない。常に”芸術”という言葉
を持って世界観の共有を図るようにしている。










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■遠藤良太郎 Ceramic Works
ゆらゆらと行方知れずの小宇宙
2012.09.07 (fri) - 2012.10.12 (fri)



幼い頃に持っていた自由な遊び心は自身の
小宇宙を形成する。好きなようにルールを
作りそのルールの中で限りなく自由に遊ぶ。

しかしそれは時が経つにつれていつのまに
か行方をくらました。確かにあったはずな
のに圧倒的スピードで押し寄せる膨大な
情報の波にもまれて小宇宙と離れ離れに
なってしまった。

だが決して消えたわけではない。あの頃の
ように五感を研ぎ澄まし変化を望めばきっ
とまた出会えるだろう、あの頃よりも素晴
らしい小宇宙と。



■裏アイデンティティは放たれた
遠藤良太郎 Ceramic Works
2013.03.01 (fri) - 2013.03.25 (mon)
gallery close 3/2.3.9.10.16.17.20.23.24



あらゆるものが自らの意識とは別に猛烈な
勢いで簡略化されていく現代社会において、
自分自信が受ける「生への実感」が薄れて
いっているように私は感じている。 自らの
実感が薄れていくにつれて、自分が自分で
あるという意味のアイデンティティという
言葉の裏に潜む胡散臭さは肥大化していく
ように思う。


自分が自分であるという認識は、表面的な
情報から形成されるものだけではなく、自
らが受けた生々しい実感と合わさることで
はじめて成立し得るのではないか?


そうした考えから、私は人間の本能に響く
感動を大切にしたいと思った。そして芸術
にはその力があると思った。


人の心を動かすような感動が、私が現代
社会に欠けていると思う「生への実感」
につながると信じて、私は私なりの感動
を表現をする。



■私は私をやめることは出来ぬ
遠藤良太郎 Ceramic Works
2013.11.25 (mon) - 2014.01.31 (fri)



強い信仰の対象も、謎の土器も、輝く石も、
神々しく、そして意味があり、貴重なも
のだが、ある側面から見たとき、それらは
ただのオブジェクトになり得る。

まったく同じモノなのに、そこに向かう
人間の想像力は強く、醜く、美しい、まさ
に自由自在だ。

今日も私は実像と虚像の狭間で心地良く
ゆれている。



■卵の惑星
遠藤良太郎 忘れられた宇宙遊泳記
2015.06.16 (tue) - 2015.06.29 (mon)



今回のテーマになっている卵。
人間社会における卵は、生まれるため
に存在しているはずなのに、一方的に
消費されるという矛盾を孕んでいる。


そうした矛盾を作り出している人間もまた、
豊かさを得るための代償の大きさに矛盾を
抱えている。 心霊写真、UMA、未知の大陸
など、想像力を掻き立てる存在が減少し、
合理化されていく社会が人間の本能を蝕む。
私が考える人間の本能、それは「遊ぶ」
ことです。



私は空想の宇宙の中、卵で遊んだ。

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