RECENT POSTS
アイ・ウェイウェイとひまわりの種 Sunflower seeds and Ai Weiwei 
ネットのニュースを見ていてオッ!というものが
飛び込んできた・・・



【艾未未(アイウェイウェイ)展で1億円のつぼを
故意に割る、芸術家を逮捕】



ロイターの動画を見たのだが

面白いなぁと率直に感じた。


”天才の一面は明らかに醜聞を起し得る才能である。”
(芥川龍之介)


アイウェイウェイ自らが起こした訳ではないが、、
しかし、自らの知らない所で、こういう事により
存在が際立つのも才能の一つだなとつくづく感じ
る。


また、今回の事件、壷を割ると言う行為が、少なから
ず彼が作品に込めた意味とリンクし、それが別の意味
を生み出しているところも又面白い。


私はアイウェイウェイが好きだ。


このブログでも以前少し紹介しましたが、昨年、台湾に
友人を訪ねたおり、彼の代表作である”ひまわりの種”
を貰った。


凄く嬉しかったのであるが、


その後、親しい人に何個か分けた。


ギャラリーに尋ねてくる若い人たちも
凄く興味を持ってくれている。


やはり大きな魅力があるんだ!と素直に感じた。


そんなおり、、、


ある方からアイウェイウェイを知りたいと言われ
レポートを書くことになったのですが、併せて
私自身も断片的な印象しか持っていなかったので
この際、自分なりに纏めてみようと思いました。




以下はそのレポートになります。




■アイ・ウェイウェイとひまわりの種
 Sunflower seeds and Ai Weiwei





どのような作家を説明する場合も経歴というのは
大変重要なのですが、特にアイ・ウェイウェイを
理解する場合においては、経歴そのものが“作品”
的要素を深く孕んでいます、先ずは私なりの
彼の経歴における作品及び活動の流れを記したい
と思います。



著名な詩人艾青(がいせい、アイ・チン、Ai Qing)
を父に同じく詩人である高瑛(こうえい、カオ・イン、
Gao Ying)を母に1957年5月18日 北京に生まれている。



所謂芸術家一家に生まれた彼ですが、1957年時代の
中国には芸術に限らず二つのタイプが存在したと私
は考えます。一つは体制恭順的もう一つは反体制的。
ただしこの反体制とは、自らの意思というのはごく
僅かであり、文化大革命による恣意的なレッテルだ
と考えます。



アイ・ウェイウェイの父は本人がそう自覚してなのか、
もしくは色々な経緯の末烙印を押されたのかは分かり
ませんが反体制派として文化大革命で非難され、一家
で新疆ウイグル自治区の労働改造所(労改、強制収容所)
に送られ幼い艾未未も5年間を労働改造所で暮らして
います。


私は以降説明させていただこうとする彼の活動内容
(反体制的)の約90%以上が実は、この事実から
全て派生していると考えています。



つまりこの時の記憶と現在の中国の状況、ひいては普遍的
な人間と国家という関係性を彼は生涯考え続ける“十字架”
を背負ったような気がするのです。


あるインタビュー記事を読んでいても、それは如実に
感じることが出来ます。



*****************


父アイ・チンはランボーやボードレールといった詩人の影響
を受け、中国に帰国した後は最高の現代詩人と称されるよう
になったが、モダニストとして共産党からの矛先が向くこと
になる。文化大革命の時代、アイ・チンは反革命主義、反人
民の烙印を押され、人口200人の僻地に送られ公衆便所の
掃除夫となる。


Q:あなた(アイウェイウェイ)は世界的に有名なアーティ
  ストで、とても成功しているにもかかわらず、いつ
  投獄されてもおかしくないリスクを冒している。投獄さ
  れることを恐れていますか?


アイ・ウェイウェイ:

もちろん投獄は恐れているが、私の父は詩人だった。
詩人としては尊敬していないが、20代で6年も投獄され、
その後20年も追放されて、最悪な状況の下、公衆便所の
掃除をさせられていたが、彼は生き延びた。

そこは尊敬している。私の父が監獄や劣悪な扱いに耐
えられたのは、人間として、詩人としてのとても強い信念
があったからだ。私はそう自分に言い聞かせている。

だが、実際に監獄でなにが行われているのかは誰も知らない。


*******************



彼の様々な芸術家としての思想及び行動規範とは、私はこの
父の姿が何よりも大きいのではないかと考えています。


彼の青年期の経歴を見ると、彼が20代30代を過ごした時期は、
中国でも前衛芸術の萌芽が生まれています。文化大革命後と
その後における鄧小平が進める改革開放の機運が僅かながら
広がり、芸術家を中心に先端志向が花開こうとしていた時期
になるかと思います。


その中でも先鋭的なグループ、星星画会に彼も結成に加わり、
芸術家としての経歴をスタートさせます。


しかし、あまりにも過激な表現の星星画会は中国当局の圧力
を受けて1983年までには活動を停止させられ、主なメンバー
は国外へ散っていきました。


こののちアイウェイウェイはアメリカに渡り、彼のキャリア
の中核をなす芸術的仕事の基礎を養うのですが、これは現代
美術家・キュレーター・建築家・文化評論家・社会評論家と
いう彼の現在の一般的な肩書きでの事です。


この辺りまでは現在のような社会性を濃く滲ませたタイプで
はない現代美術作家であったと思います。


その後帰国し、若い作家を中心としたグループを結成し活動
を中国国内に戻します。この状況は欧米にて活動したある種
の著名な作家を頼りに若い作家たちがというありふれた風景
だと私は考えます。彼の年齢としては35.6歳、、、こののち
約7年ほどはこういった風景の中に存在しますが、、、



彼を一躍有名に、もしくは今の活動の起点となる出来事が起
こります。


2000年グループ展「不合作方式 Fuck Off」をキュレーショ
ン(企画)し、上海ビエンナーレにぶつけるように上海市内
で開催した。この展覧会は、肉体を酷使するパフォーマンス
アーティストのみならず、人間の本物の死体を用いた作品を
作るアーティストまでが登場する激しいものであった。



私は彼のこの展覧会について感じるのは、完全に反逆の狼煙
を上げたと感じています。上海ビエンナーレは、私も幾度か
上海に行く機会があったので調べましたが、基本中国共産党
が当然牛耳っているのですが、その内容は金銭的援助をして
もらっている共産党へ阿るような内容であり、当然、ビエン
ナーレ主催の美術館側もドップリ体制派であるという事です。



又政治的な背景をリンクして考えれば、この2000年前後は
江沢民絶対権力時代であり、江沢民は上海閥の領袖として
共産党内で君臨し、幹部の殆どを上海閥で固めていた時期
とも符合します。



この当時は北京で政治は動くのですが、導火線は全て上海
に繋がっていたような気が私はいたします。その濃い空気
の中、あえて上海で過激な事をぶち上げたアイウェイウェイ
の心境は、おそらく芸術家として反体制的反逆の狼煙だった
のではないか?と私は考えています。



またこのことを契機に当局は彼を危険分子として監視し始
めたとも感じております。


2000年のこの過激な展覧会から現在の2013年まで、彼の
トピックスは3つあると考えます。彼の現在の存在を明確
に示す経歴は、ある意味この13年の内の約5、6年、
2006年~2011年だと考えています。



そして彼を国際的な現代美術作家として不動の地位に押し
上げたのは、2000年から2005年の5年間で、この間、国際的
なビエンナーレやその他展覧会で勇名を馳せました。



その流れ=国際的な著名な芸術家、それ故に、その後3つの
トピックス(2006年~2011年)に突入します。



つまり国際的発信力を持つ芸術家、国内的には国際的に
活躍するわが国の芸術家




この二つの要素が絡まり出します・・・・・



その一つ目は北京オリンピックの主会場である北京国家
体育場(鳥の巣)の建設にあたり、芸術顧問として設計
者のスイス人建築家ユニットヘルツォーク&ド・ムーロン
と共同制作を行いましたが、結局オリンピック開催に
失望し反対する考えを示していましたが、これら意思表示
は中国の報道からは無視され挙句、後に彼は国家体育場建
設やオリンピック関係のイベントから手を引きました。



この行動=オリンピックを糾弾したことが中国共産党に対
して決定的な危険分子としてマークされる結果を導きまし
た。


中国国内で黙殺されましたが、彼の発言は、国際的なニュ
ースとして伝播され、そのことが返って彼の身をその後
危険にさらす事となります。



二つ目は、2008年5月の四川大地震で多くの児童・生徒・
学生が校舎の下敷きになり死亡し、家族の抗議を中国当局
がはねつけ、被害の全貌が明らかにされないでいることに
関して、2008年12月15日、艾未未は自らのブログを通じて
犠牲の実態調査を始めることにしました。



このプロジェクトは事実、責任、権力といった事柄を考察
するためのもので、2009年5月12日の震災一周年までに、
地震で死んだ児童・生徒・学生すべての名簿(学校、氏名、
年齢、学年など)を作成することにあったのですが、、、、
、ここに至っては当局も黙殺することができず




2009年8月に学校倒壊や欠陥を調査する目的で活動家らと
成都市を訪問した際に艾未未は警官に殴打され、以後頭
痛を訴えるようになった。





9月にはドイツ・ミュンヘンで入院し、脳内出血と診断さ
れ手術を受けます。



この辺りで国際的に彼を擁護する機運が高まります。



そして逆に国内では、この時点を境に、彼と中国共産党と
の対立は決定的となります。



三つ目は、2010年11月、北京の自宅において中国当局に
より軟禁されます。


約1年軟禁は続きますが、各国からの非難が高まり2011年
6月22日釈放



その後、当局はとどめを刺すように、、、、北京市地方
税務局は艾未未のスタジオに対して、脱税を理由に1,200万
元以上の巨額の追徴金支払いを命じます。



これは現在も争われていますが、アイウェイウェイの出廷
は認められず欠席裁判?=中国に法の下の平等など存在せ
ず、事実上活かさず殺さずという当局の策略であると考え
ます。



世界中から注目されている存在のため、殺す事は出来ない、
ただだからと言って自由な行動も当局にとっては目障り、
故に軟禁したのですが、やはり世界各国の非難はやまない、
、最後金銭をむしり上げて、その活動を封殺する手段に出
たと思います。




彼は裁判にて積極的に当局と戦おうしましたが、出廷は出
来ず、自らの知らないところで全てが運ぶという居たたま
れない=彼にとって一番恐怖する状況=無視=黙殺、、、
が現在も続いています。そして、、、、



現在、彼は沈黙を続けている?沈黙させられている??



ここに父親と同じような境涯をたどる彼の、以前のインタ
ビューにおける言葉が蘇ってきます。



------------



20代で6年も投獄され、その後20年も追放されて、
最悪な状況の下、

公衆便所の掃除をさせられていたが、彼は生き延びた。


そこは尊敬している。私の父が監獄や劣悪な扱いに耐
えられたのは、人間として、


詩人としてのとても強い信念があったからだ。


私はそう自分に言い聞かせている。



だが、実際に監獄でなにが行われているのかは誰も
知らない。



-------------




現在56歳の彼・アイ・ウェイウェイ、、、


果たして晩節はどのような事をするのか?



まだ当局と戦うのか?





はたまた、このまま消えていくのか?





【作品について】





アイ・ウェイウェイには所謂一般的な現代美術家・
キュレーター・建築家・文化評論家・社会評論家
という肩書きの仕事の中で、その内容的傾向が
4種類位に大別できるのではないか?と私は考
えています。


それに関しては2009年7月25日(土)~11月8日(日)
に森美術館で開催された“アイ・ウェイウェイ展-何
に因って?”でのコンセプトが非常に上手く纏めてい
るので引用させていただきます。



「基礎的な形体とボリューム」


「構造とクラフトマンシップ」


「伝統の革新と継承」




この3つは、社会活動=政治的な色彩のあまりない、
彼のこれまでの作品を要約したキーワードとして的
確だと判断します。



プラス私は彼の“生き方=社会活動”というものを
作品と考える者なので、あえてこの3点の要約に一つ
“生き方”という項目を加えます。



3つの要約点を作品画像ごとに見ますと



「基礎的な形体とボリューム」




誰にでも分かる形状・地図や蛇?もしくはそう言った
印象を想起する形状というものを実際の大きさとは逆
の形状を示すことにより、ある種のトランス感覚=通常
とは異なった意識状態に導く手法をとっています。






また基礎的な形状を留保しつつも、それが存在し得ない
空間への表出により、実際把握できない地図を立体物と
して提示するなどし、そのボリュームへの固定観念を揺
さぶる手法を取る。





あまり難解ではない見て瞬時に感じるセンセーションが
アイウェイウェイの特徴でもあると私は感じます。






「構造とクラフトマンシップ」





本来融合しない物体同士を強引にくっつけてしまう。




「生々しさを制御する」とは異なるやり方で、
新しい質感/表象を起こしています。





「この世に無い不可思議な感じ」が心の中に残ります。







比較的アイウェイウェイの作品には伝統的な技術を使い
作品を制作している側面が見受けられます。



所謂クラフトマンシップ=職人魂というようなものが響
いてくるものが多く登場します。



特に木工、陶芸に関してはそう言った内容が色濃く反映
されているように感じます。







「伝統の革新と継承」




3つ目ですが実はこれまでの2つは正直、そう綺麗な別れ目
があるコンセプトの差異ではないとも思えます。一つの流
れとしてみる方が自然かな?とも思います。


二つの要素が入っている作品もあれば、一つの要素だけと
いうのもあります。



例えば上記椅子などは確かにクラフトマンシップであり
ますが、ある種の基礎的な構造とボリューム世界も有し
ています。


そういった基本コンセプトの要素が複合的にくり返し
作品の中に現れてくるのもアイウェイウェイの特徴かな?
とも感じます。しかもシンプルに!




さて3つ目ですが、これも当然上記複合要素を含みますが、
代表的なものと、上記複合要素を加えたものの2種。





歴史的価値がある「つぼ」を無表情で落とすというパフォ
ーマンスアートです

※これは、漢時代の壺を落とす様子を撮ったものです。







「コカ・コーラの壺」1997年 唐時代の壺(206BC-24AD)、
塗料にて着彩。







彼の中で今と言うことを端的に現した表現。




確かに伝統の上に今は成り立っていますが、逆に言えば
今は伝統を下敷きにして成り立っています。こういう
乱暴な行為が果たして良いか悪いかは別にして、実際の
革新とはある意味の伝統的遺産を破棄する、もしくはそ
ういった気概から生まれてくるという事を考えれば、こ
の行為の持つ単純なメッセージは理解しやすいかも知れ
ません。








この自転車のタイヤを幾重にも組み重ねた作品は彼の代表
的なものですが、これには先述の2つの要素とプラス「伝統
の革新と継承」が加味されたものだと感じます。






この作品の発想の起点は、数十年前の中国の朝の風景だと
彼は語っています。





現在の発展した中国とは違い当時貧しかった中国の大半の
人間の移動手段は“自転車”でした。



その当時の名もない大勢の人間の原風景を示しているのと
同時に、自転車そのものが姿を消した訳ではない事を考え
れば、その革新性とは如何なるものか?ある意味、自転車
で移動することで事が足りた時代は貧しかったかも知れま
せんが、それ故に人と人の間の関係は?どうだったのか?



社会的な因果関係、「何が何に因って在るのか」、そして
「自分はどこから来て、どこへ行くのか」という集団=画
一的=数値的集積としての人間ではない人間個人の根源的
な問いが浮き彫りになってきます。



急速な経済発展、社会的変革の渦中にある中国に身を置き
ながら、独自の視点で現代を過去と繋ぎ、個人を世界と繋
ぐアイ・ウェイウェイ。




彼の作品はヨーロッパのアーティストに見られるような
複雑な観念性もアメリカのアーティストに見られるよう
な瞬間的かつ刹那的なPOP感覚も全体を占めることはあり
ませんが、どこかアジア独特の志向性をベースにしたシ
ンプルで“感じやすい”ものが多いように私は感じます。





■生き方




経歴で説明させていただいたとおり、2000年以降
の彼の活動は過激です。過激すぎ、ついには軟禁、現在は
沈黙という事態を招いています。



しかし、彼がいる居ないという事を考えたとき、作品とは
別に、彼の存在そのものが誰しもイメージできるのではな
いか?つまり作品と離れた“人間”という部分のみで存立
する彼がいる事に気づかされます。



当然それに類するような存在はあります。政治家などもそ
うでしょう、又、彼と同じような活動家と言う存在も基本
作品があるわけではないので、今私がいうような存在とし
て併記できなくもないと考えます。


しかし果たしてアイウェイウェイと比べた時、この同時代
に比肩できる存在は誰がいるのか?という単純な回答がそ
れらの同列の意見を排するに足ると私は感じます。



単純な政治思想をベースにした社会活動家ではない、ある
意味、自らが起爆剤となり社会に激震を走らす、その行い
そのものに、私は低レベルな社会的メッセージではない、
高度な芸術家としての生き方の作品性を見出すのです。



この辺りに関して興味深い彼のインタビューがありますの
で転載いたします。



***************


アイ・ウェイウェイ:

まず、中国のインターネットでは“明日”という文字が入っ
ている文章は検索できないようになっている。“明日”とい
う言葉自体が、規制対象になったのだ。


Q なぜですか?


アイ・ウェイウェイ:

なぜって、人々が「明日、王府井(中国ジャスミン革命が
起こっている北京市内の中心のエリア)を行進しよう」
などと言うからだろう。
  

“今日” という言葉も検索できないようになっている。
コンピューターは“今日”という文字が入っているすべ
てを規制しているんだ(笑)。


“明日”と“今日”が使えない状況というのは、すごいこ
とだよ。彼らがどれだけ脅かされているかわかるだろう。
議論や知性ある話し合いや討論の予知は皆無だ。


昔の中国人の親みたいなものだ。子供は、一切反抗せずに
親の言うことをきかなければいけない。経済と政治に意見
を持つことは許されていないのだ。


これは非常に悲惨なことだ。この国では過去100年におい
て何も創造されていない。


影響力を保ちたければ中国国内にいる必要があると思います。


国内にいて、自分自身への被害も含め、結果を甘んじて受け
入れる。


そうでなければ公平ではありません。


外から何か言っても、「あいつはアメリカのパスポートを
持ってるから、あんな説教ができるんだ」と言われるかも
しれない。

実際には私はアメリカのパスポートなど持ってはいず、
政府によって下される処罰に直面していて、それについて
オープンに議論をしている。


これは、中国の若い世代にとって大いに模範となる行為で
す。



責任をもって応答し、与えられるかもしれない打撃に耐え
ること。


これこそが倫理的に非常に重要だと思います。



Q  アーティストとしての顔と活動家としての顔がある
   わけですね。
 


アイ・ウェイウェイ:


私にとっては、そのふたつはひとつです。アーティストは
活動家であり、よき活動家はアーティストにほかならない
と思います。


私のあらゆる活動はひとつであり、社会の中に暮らし、
自身の意見と理想を持つひとりの人間としてのものです。


Q  それはすなわち、あらゆる艾未未作品は政治的メッセ
   ージを内包するということですか。       


アイ・ウェイウェイ:


そうです。それは分離できない。分離されたら不完全なも
のとなります。


Q  とすると、中国国内に留まり、体制を変革することが、
   艾さんの活動における中心的課題でしょうか。



アイ・ウェイウェイ:


はい。もちろん自分では変革などできません。でも私は国内
に留まり、自らの権利を行使しなければならない。それは、
アーティストであるためには極めて基本的な権利なのです。









■"Sunflower seeds"について



これまで長々と彼の経歴と作品内容の傾向について偉
そうに説明させていただきましたが、それらを踏まえ
て結論を言えば、、、


私はこの"Sunflower seeds"という2011年にロンドンの
テート・モダンで発表されたインスタレーション作品
は彼の“最高傑作”だと考えています。



年代としてもこの作品を構想した時期は2008年から
2009年、まさしく彼が四川大地震と直面した時期で
あり、発表が2011年という彼にとって当局に存在を
消されそうになった時期と符号することを考えても、彼
の中にある今まで全てのものが詰まっていると考えても
おかしくないと私は判断しています。





「ヒマワリの種」は、1億個以上のヒマワリの種を、
テートモダン・タービンホールの床1000平方メートル
に敷き詰めたもの。






種は本物そっくりに見えるが磁器で出来たフェイクで
ある。






中国の北京からおよそ1000km離れた江西省景徳鎮市に
ある小さな工房で、一つ一つ人の手によって着色され
ました。


1億個の種は1600人の人達が約2年半の歳月をかけて
制作されました。



アイ・ウェイウェイにとって、ヒマワリの種はとても
パーソナルな意味をもつ。それは(中国では)日常的
なスナックであり、毛沢東の大躍進政策が引き起こし
た大飢饉の中、比較的簡単に手に入った食べ物であり
ました。





また、一つ一つ手作業で作られた、微妙に大きさや形
が異なる磁器製の種子からは、それまでの「メイド・
イン・チャイナ」の大量生産にはない作り手の個性を
感じる事ができる。




何より「圧巻」と言える景色に、しばらく見とれてし
まうのは間違いないことだと思います。


アイウェイウェイ曰く、


「とてつもない努力や芸術や職人技を、役にたたないと
いうか名前もないものに注ぎこむというのを、わたしはじ
つに面白いと思っている。それを名付ける事はできないし、
それらは存在しない」



私はこの膨大な無駄に思える作業の中に




“神々しい人間の輝きと栄光を感じます”







そしてこの作品の最高に優れている点は、もう存在し
ない、つまりそういう事があったという事実だけが皆
の脳裏に強烈に焼きついているという点だと思います。


我々の歴史とは悲しいかな須らくこういった形の伝播
であり、名も無い人間の記憶の積算でもある。


アイウェイウェイの全ての根底には人間の確かな記憶
を感じて止まない。


私は、彼、アイウェイウェイは、この21世紀初頭の
東アジアにおける最高の芸術家だと感じています。




▲TOP