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構造・錯綜・昇華
西洋にも東洋にも同じように存在するものに対してどのような
考え方・感じ方の違いが存在するのか。


この単純な対立軸構築、その差異から生まれる微妙な感覚、
その可視化行為がなによりも大事だと思う。


私はある1点すべてそこから派生すると考えるものがある。
それは”時間”じゃないか?と感じている。


例えば、杉本博司の水平線作品は実に見事にその事を提示して
いると常々私は感じている。何千年も前もそこには水平線が存
在した、そしてそれはどの地域の人にとっても同じ風景であっ
た筈である。


しかしそれを敢えて作品として表現する行為が即ち対立軸を見
事に昇華している。問題はこういった事への明確なアプローチ
の手法が大事なのだと感じる。なぜこういう結論に持ち込める
のか?その基底となすものは?と考えると即ちそれを醸成する
人間のアイデンティティーが太い脈として存在するからに他な
らい。


特に日本人の無常観という流動性と西洋における永遠の一時点
という感覚の違いその錯綜がより表現者の考え方を際立たせる。


つまり日本というもっとも大事な感覚がそこに表出するのだと
私は感じる。そしてもっと大事な事は、今今の時点でそれを同
時代感覚で沸騰する提議が大事なのだと、、、古の具象性の差
異などははなくそほどの価値もないと私は思う。


曾梵志(ツェン・ファンツィ)張睦剛(ジャン・シャオ・ガン)
、岳敏君(ユ・ミン・ジュン)というような中国現代美術作家
を日本の人は馬鹿にしたり無視したりするが、私は中々のモノ
だと感じている。


曾梵志(ツェン・ファンツィ)岳敏君(ユ・ミン・ジュン)は
同じ顔をもつ人物の連続性が特徴。








これは凄く単純明快なコンセプトだ、現代中国の世情をシニカ
ルに描いている。国家が経済で繁栄するのと裏腹に個の喪失を
意味している。曾梵志は感情を喪失した顔、岳敏君は気味の悪
い笑顔。


国家の体制の不条理を分かりつつも経済発展にて黙らせれ個を
ドンドン喪失している現代中国社会、しかしここが、、、、、


大事なポイントでもある。これは中国の事情でもあるが、西洋
における個人の確立という長い歴史的な基底と重なりあう部分
がある。


つまり見た目の表層感覚の違和感よりも奥底に通ずる感覚を打
ち出せている。個と全体という大前提がコンセプトとして共通
語化していく力を持っているのだ。彼らは伊達でない!


又、張睦剛(ジャン・シャオ・ガン)のストイックな家族の肖
像は、国家がどう流れようが変わらず続くファリミリーの血脈
を浮き上がらせている。中国人は所詮国家などというモノを信
じていない。信じられない事が数多ありすぎた。





しかしここも西洋と通底するものがある。圧政と個。これは
現代の様々なものに置き換え感じられる。


つまり、この辺りが実は先ほどから書いている、対立軸構築と
錯綜そして昇華という構造に通じているのだと私は思う。


その極点がアイ・ウェイウェイなんじゃないか?と思う。


前者達とは違うアプローチ、国家に背を向ける事ではなく体当
たりしている姿が、同時代感覚として共感を生んでいるのだと
感じる



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