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逆も真
年末だったか年始だっか

ハッキリと覚えていないが

各界の若きオピニオンリーダー

たちが討論している

番組があった。

番組名も覚えていないが、、、

聞いていて妙な感覚に囚われた。

確かに優れた分析

流麗な言説

出演者全てと言っていいだろう

申し分ない状況の先端分析者であった。

日本の今後を考えるにおいて

彼らの精緻な分析はどのテーマを取っても

ほぼ一致しており

実際には討論というよりは皆で確認を行って

いるようであった。

私が囚われた違和感とは、この全員一致
という風景も当然あるのだが、、、、、、

何と言うのか、、単純に

出席者それぞれの軸というのか

この人間の思想とは?という部分が

まったく見えなかった事である。

正直、目をつぶって聞いていると

一人の声優が声を変え、それぞれの分析を

語っているような、そんな気がしたのである。

これはあくまで私の感想でしかない。

番組として特段問題がある点ではないので

気にする必要もないのだが、なぜか私は

気持ち悪さがこみ上げて来て、チャンネンル
を変えた。

比較にはならないが、、、、

少し以前といっても10年くらい前までの
話だが、、

この手の討論番組には強烈に相違する

もしくは対峙するキャラクターが配置され

場合によっては大人気もなく大喧嘩が起きたりも
した。

そういった偏った言説を唱えるキャラクターの
人物像とは客観的に見ても偏狭である種意固地
であったり、、、

しかし、先述した思想的な軸という明確さが
あった。

こういう考えもあればああいう考えもある、、
などという事はない。自分は!という考え一本。

場合によっては

ブラウン管を見ながら

殴りたくなるような衝動を起こさせるような
キャラも存在した。

それぞれ、、

当然、、隙はある。

それ違うんじゃない?

しかしある部分は強烈に的を射ている。

故にこの人とはそういう考え方なのか

と言ったような人物の浮き出し方が存在
した。

懐古的にこの比較を言っている訳では
ない。

日本の将来を憂いそれぞれが様々なテーマで
語っている、、

どうも

私にとってはその風景が

憂いてならなかったのである。

すべて正解じゃないか?

しかし、何がどう変わるの?

ある種、皆順目・・・・

では、問題ないではないか?と思うのである。

何が本当の意味で逆目(討論の必然性)なのか???

そんな事を考えさせられた。



-----------



話は少し変わるが、、、



逆の見方という点で


先日あっ!と思わされた事があった。


今、北朝鮮情勢が緊迫している?もしくは
その芽吹きがあるという情勢下だ、

そしてここ数年来隣国の中国の情勢も毎日
我が国のニュースの遡上にのぼる。

つまり日本も含むこのエリアは


極東であり


極東情勢=アメリカの把握である。


そこでこの地域を我々が視覚的認識を取る場合

下のような地図を小さい時分から刷り込まれている









これは自分達を中心に中国・朝鮮という大陸の東岸を
捉えているのだが、もっと言えば背景にアメリカがいる
日本側から見ていると言っても良いだろう。


しかしである、、、、


これを全く逆から見た場合???


これはある軍事専門家が示した戦略的思考にのっとった
視覚的図像なのだが、、、、





視覚の起点というのか


中国及び朝鮮から日本を見るこの図を示された時


あぁ!と感じざるをえなかった。


当然2D的感覚と3D的感覚の相違はある。

又そういう思考の柔軟性が足りないと言う事も
言えるだろう。


この図像から即座に感じるのは、、、

中国・朝鮮は太平洋海域に出る


出口が無い!!


明確なのは


今両国間で揉めている?というよりも
一方的に因縁をつけられている東シナ海しか出口が無い


もしくは台湾海峡から南下し南シナ海に出る他ない


あえて、、この海域を中国側から見るとその本質は


日本が防衛線を張り、その背後にアメリカの第7艦隊が
控えている。


台湾海峡もしかりであろう・・・・・


ここをどう突破するのか?
権益をどう拡大するのか?



我々は常にこの海域を考察するとき


下のような図を見る





しかしこの図では


上の中国・朝鮮側からの見る東シナ海の図像と比べようも
ないくらいに緊張感が足りない・・・・


緊張感が足りないとは


つまり相手の戦略的意図を体感できていないという
事に繋がる。

もっと言えば


彼らの戦略的意図とは、焦燥感でもある事を
感じられていないとも思う。



、、、、、、



この逆の見方というのが



実は大事で



最初に書いた


討論会の
違和感とは、、、



この中国という傍若無人な存在、しかし
相手の側から見た場合の、その行動上の
真意が図れるという把握がないという事
に繋がるような感じがしたのである。。。。


問題というポイントではなく


その源泉・・・・


当然公権力の問題などという世情対立する
構図の事もあるのだが、、、


なぜかそれは近視眼的な感覚に思えたので
ある。。。


変化は唱えれても

変革には本質的には相違する



偉そうに書き連ねたが、、


お前のようなものが!


と、、怒られそうだが


怒られるのを覚悟で


あえて最後に付け加えるならば



上記、図像の見かたとは



ある意味芸術の世界にも活きる思考方法なのでは
ないか?と感じたのである。


ここ最近若い人の作品を見ていて


つくづく感じるのは


あぁ、、、あり得るよなぁ?・・

まぁ面白いなぁ~と言えば聞こえは

言いが、、何か虚脱。。。


どうも、、何かのアレンジ=僅かな変化


その部分をコンセプトと称している


ような感覚に囚われて仕方がない。


何も問題はない、、というよりも問題の
しようがないと言う方が正確か??



つまり



物事をどう見るのか?


その強烈な緊張感がない


しかし実は


このポイントが


これが非常に大事であり


ある意味、、砂漠で砂金をさがすような


そんな作業を感じられない・・・・


安直さ・・・


さらに付け加えて言えば



もっと大事なのは


そのポイント


その逆という固定観念の瓦解を導き出せる


自分という軸が何なのか?という


座標が大事だと感じた次第です。






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