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8畳の宇宙。
良く考えると、私は純粋に旅行というものを
したことがほとんどない。。。



理由は簡単である、仕事でこの20年様々なところ
を飛び回っていたということに尽きる。



あえて時間を作りお金をかけ、さぁ行こうか!と
自分自身から計画するなどということがまったく
想像できなかったし、事実そんなことをしたこと
もなければ、考えもなかった。




そう、考えもなければ、考える暇もない位に様々
なところに行っていた。



ここ最近はさほどではなくなったが、20年前くら
いから3~4年前までの15、6年間は、かなり激し
く動き回っていたように思う。




そんな私が旅行したと記憶できるのは、、、


山口県の萩である。




萩は明確な意識を持って選んだ旅行だった。
萩が好き、萩の雰囲気が好き、と言うことでは
なかった。




実は萩は中学の修学旅行で訪れていた。しかし
再度どうしても行きたい場所があった。行きたい、
そう思う場所は一か所




松下村塾。


ここにどうしても行きたかった。



修学旅行時、それほど大きな興味がなかったの
であるが、その後この私塾を中心とした幕末、
維新回天の偉業を知るにつけ、ボォーと修学旅
行のコースの一つとして眺めただけの瞬間が悔
やまれ、どうしても再度行きたいという強い想
いに駆られたのであった。




修学旅行から10年後の25歳、私は再び、萩、
松下村塾の前に立った。




その日は雨、平日であったこともあり観光客は
ほとんどいなかった。



傘をさしながら、かなり長い時間、松下村塾を
眺めた記憶がある。





なぜ、松下村塾なのか?


それは一言で言えば


みすぼらしい小屋だからである。


そして、、、わずか8畳の教室。





たった一人、在野の人間、罪過を負った
アウトサイダーが自らの信念と志をもと
に教育実験を始めた、、、



小さな小屋、みすぼらしい教室だからである。



この小屋から綺羅星のごとき英雄・俊才が
輩出され革命が興ったという事実、この事実
を再度網膜と脳裏に刻みたかったのである。



25歳の私は、このとき何かを感じたかった。



私は正直、少し悩んでいた。
今の仕事を続けるべきか?否か。




なにか他に出来ることがあるので
はないか?


そんな具体性もなにもない自分に対する
甘い期待を持ち続けていた




同時に、逃げたい衝動もあった。




なんとなく心地の良い観念の世界に逃げ
込みたかった。



この小屋を見て



なにか現状を変える、、、、
瞬発力を感じたかったというのが



本音であった?




いや、、無理やり作った感情、、その方が
正しい・・・・







識見気魄、他人に及ぶなし、、高杉晋作



玄端の才は縦横無尽、、久坂玄端



中々周旋家になりそうな、、、伊藤博文



その人物の完全なる、二子(久坂、高杉)も亦
八十に及ばざること通し、、、、、、前原八十郎



鋭果愛すべき者、、、野村和作



朴訥にしてすこぶる沈毅の質あり、、、寺島忠三郎



書を読むこと河のごとし、、飯田俊徳




中々の奇男児なり。愛すべし。、、、時山直八





何者になるかも分からない若者に対するこの
みすぼらしい小屋の師の評価である。




しかし、師は亡くなり、彼らのその後を見届
けることはできないのであるが、彼らの偉業
は師の評価と違わることはなかった。




この若者たちはその才を選ばれ参集したわけ
ではない。



資質をもっていただけである。その資質が花開
くきっかけとなったのは、間違いなく



8畳のみすぼらしい教室であった。




なぜ、この小屋に若者たちは集まったのであ
ろうか?




当時この小屋の主は風評危険人物であり、まと
もな子弟は親兄弟ら周りから近づくことすら禁
じられていたことは間違いない。



近づくこと、それだけでも近親に類が及びかね
ない、そんな環境であったことは間違いない。
そして誹謗される存在であったであろう。




今のような教育の平等と権利などない時代、
それでも平均的な武家やそれ以外の階層の教育及
び教育機関は既存の存在としてあったはずである。




にも拘わらず、この小屋に参集した若者たちは
何に吸い寄せられたのであろうか?









この見えない強烈な臭気が、若者を惹きつけたと
しか考えられない。





広い日本の国土の中

僅か8畳の宇宙。





特権階級でもなければ


選ばれた人種でもない。



草奔の士。



どこにでもいる人間たちが
志を旗印に立ちあがり、自ら持てる
資質を目いっぱい花開かせた。





無限大の可能性を開かせた
8畳の宇宙。



志は不朽。



今から20年前の雨の日の松下村塾



25歳の私は



残念ながらそんなことは、、、弱虫にはなにも感じられ
なかった。



なんとなく、やはり、、ただなんとなくにしか目に
は映らなかった。



それは雨に濡れた、ただの小屋であった。




次の日から、また同じ日常が始まり、今日まできた。




しかし20年経ち





僅かながら

一つの事が見え始めてきた。








貫徹したいものが生まれた。




松下村塾の志

草奔崛起の精神





「志を立てて持って万事の源となす」




今でも




私は




他人の言葉に迷い
明確に追い求めている筈のものが




漠然とすることが多々ある





短慮


短気になげやりになる時もある


人の顔色を伺い卑屈な時もある




自らの使命と志ができた、、、



などという強固さからは程遠い・・・・




しかし



僅かながら

一つの事が見え始めてきた。




届かないかもしれないが




広い日本の中では



塵のごときものかも


しれない





しかし


私には、、、




小さな宇宙が


あるのです。

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