July 20,2011
原田芳雄さんが亡くなった。
実に残念なことだ・・・・
原田さんで私が先ず頭に浮かぶのは、、
竜馬暗殺。
この映画は私にとってかなりの衝撃でした。
映画で実在の人物をどのように表現するのか?
誰もが知り、かなりの想像の幅を持った人物を
有る一人の役者が演じる・・・・・・・・
リアリズム。
この映画は映画全体もそうだが、、原田芳雄さんが
演じた竜馬、そこに実際の竜馬を観たような気がし
たのでした。
この映画で原田芳雄さんが演じた坂本竜馬を見れば、
その後いやそれ以前も含め竜馬役の役者は噴飯
ものでしかない。
それは、ジェームス・ディーン以降の不良青年の演出
・演技が、すべて彼の模倣であるというのに似ている。
ディーンは屈折した青年というテーマのエッセンスを
出演した3作の映画で全て確立したのだ。
原田芳雄さんの坂本竜馬も私は同じような感覚を持つ。
この映画はくだらない竜馬伝記映画とは確実に一線
を画す。
史実をてんこ盛りしたものとは違い、暗殺までの3日間
に時系列を集約し、あえて竜馬の偉業などを説明しない。
暗殺に怯える等身大の人間竜馬を見事に描ききっている。
そして”原田芳雄さんが竜馬を演じている”
という醒めた観察眼が一切出てこず、最後まで本物の
竜馬ドキュメンタリーを覗き見しているような感覚にさせ
てくれる。
そしてモノクロというストイックな画面が実にリアルな緊張感
を生み出し、匂いや埃っぽい乾いた空気を、胸が苦しくな
るくらい観る者に対して攻撃的に仕掛けてくる。
映画は1974年(昭和49年)の製作で、時代背景を考
えると学生運動との関係も濃密に読み取れる。
しかし映画の視点は、薩長連合等の回天偉業をドラマテ
ィックに演出したものではなく、大きな組織の思惑と陰謀の
狭間で身動きが取れなくなり、閉塞感と猜疑心からくる恐
怖、そして先行きに対するモチベーションを懸命に維持する
青年像を描き出している。
決してそれまでのカッコのいい竜馬像からするとかなり情け
ない人物像が浮き彫りにされている。
しかし史実をてんこ盛した伝記映画よりも緻密に竜馬研究
がなされ、おそらく何度も何度も脚本を検討したのではない
だろうか。実際、今では当たり前の説である薩摩暗殺説を
この時点でかなりリアルに描いているし、その伏線として京都
の商人に時代の権力の在処と商売の拡大を語らせ、密告
の暗部を示唆させている。
なによりも竜馬の存在は、一般には司馬遼太郎の小説に
代表されるような痛快な人物像が主流であるが、実際よく
よく考えると、大藩によって身分保証されているわけでもなく、
時代を動かす組織から見るとかなり”胡散臭い人物”であった
はずである。
アウトローだ。
そういう人間の立場を考えると、ある意味この映画が示す
竜馬像はかなり史実に近いのではないだろうか。
しかし映画の主旨はそんなものではない、この映画にとって
はあくまで映像構成上の要素の話でしかない。。
映画竜馬暗殺、未来から過去を見たのではなく、先行きの
不透明感の中でもがく現在を映像化した実にすばらしい
映画であり、30年以上たった今でも現在を表現している。
そして原田芳雄さんは
私の脳裏の中で今も躍動している。
実に残念なことだ・・・・
原田さんで私が先ず頭に浮かぶのは、、
竜馬暗殺。
この映画は私にとってかなりの衝撃でした。
映画で実在の人物をどのように表現するのか?
誰もが知り、かなりの想像の幅を持った人物を
有る一人の役者が演じる・・・・・・・・
リアリズム。
この映画は映画全体もそうだが、、原田芳雄さんが
演じた竜馬、そこに実際の竜馬を観たような気がし
たのでした。
この映画で原田芳雄さんが演じた坂本竜馬を見れば、
その後いやそれ以前も含め竜馬役の役者は噴飯
ものでしかない。
それは、ジェームス・ディーン以降の不良青年の演出
・演技が、すべて彼の模倣であるというのに似ている。
ディーンは屈折した青年というテーマのエッセンスを
出演した3作の映画で全て確立したのだ。
原田芳雄さんの坂本竜馬も私は同じような感覚を持つ。
この映画はくだらない竜馬伝記映画とは確実に一線
を画す。
史実をてんこ盛りしたものとは違い、暗殺までの3日間
に時系列を集約し、あえて竜馬の偉業などを説明しない。
暗殺に怯える等身大の人間竜馬を見事に描ききっている。
そして”原田芳雄さんが竜馬を演じている”
という醒めた観察眼が一切出てこず、最後まで本物の
竜馬ドキュメンタリーを覗き見しているような感覚にさせ
てくれる。
そしてモノクロというストイックな画面が実にリアルな緊張感
を生み出し、匂いや埃っぽい乾いた空気を、胸が苦しくな
るくらい観る者に対して攻撃的に仕掛けてくる。
映画は1974年(昭和49年)の製作で、時代背景を考
えると学生運動との関係も濃密に読み取れる。
しかし映画の視点は、薩長連合等の回天偉業をドラマテ
ィックに演出したものではなく、大きな組織の思惑と陰謀の
狭間で身動きが取れなくなり、閉塞感と猜疑心からくる恐
怖、そして先行きに対するモチベーションを懸命に維持する
青年像を描き出している。
決してそれまでのカッコのいい竜馬像からするとかなり情け
ない人物像が浮き彫りにされている。
しかし史実をてんこ盛した伝記映画よりも緻密に竜馬研究
がなされ、おそらく何度も何度も脚本を検討したのではない
だろうか。実際、今では当たり前の説である薩摩暗殺説を
この時点でかなりリアルに描いているし、その伏線として京都
の商人に時代の権力の在処と商売の拡大を語らせ、密告
の暗部を示唆させている。
なによりも竜馬の存在は、一般には司馬遼太郎の小説に
代表されるような痛快な人物像が主流であるが、実際よく
よく考えると、大藩によって身分保証されているわけでもなく、
時代を動かす組織から見るとかなり”胡散臭い人物”であった
はずである。
アウトローだ。
そういう人間の立場を考えると、ある意味この映画が示す
竜馬像はかなり史実に近いのではないだろうか。
しかし映画の主旨はそんなものではない、この映画にとって
はあくまで映像構成上の要素の話でしかない。。
映画竜馬暗殺、未来から過去を見たのではなく、先行きの
不透明感の中でもがく現在を映像化した実にすばらしい
映画であり、30年以上たった今でも現在を表現している。
そして原田芳雄さんは
私の脳裏の中で今も躍動している。
