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ラストタンゴ・イン・パリ
「ラストタンゴインパリ」・・


1972年公開



これは面白かった。



頽廃的で全般に虚無感が漂う
私の好みであった・・



イタリアでは公開後四日にして
上映禁止処分を受け、各国でも
芸術かワイセツかで大きなセン
セーショナルを起こした。



ある冬の朝、パリのアパートの
空室で男女が偶然に出会った。



中年の男ポール(M・ブランド)と
若い娘ジャンヌ(M・シュナイダー)は、
お互に興味も持たず室内を点検して
いたが、間違い電話に刺激された男
の強い腕がジャンヌを捕えた。



行為が終ったあと、二人は何事もな
かったように別れた。



ジャンヌにはTVプロデューサーの
トム(J・P・レオ)という婚約者が
あった。


いまトムは、彼女を主人公に「少女の肖像」
というドキュメントを製作している。


ジャンヌはあのアパートでの悪夢にも似た
一瞬の暴力が忘れられなかった。



彼女は憑かれたように再び部屋を訪れた。



彼女がひそかに予想していたように、ポール
がいた。



彼は提案した。



ここにいる間はただの男と女。



名も知らず、過去も一際明かさない。



ここではセックス以外存在しない、と。



ジャンヌはこの異様なアバンチュールに身
を投じた。


二人は孤島のようなアパートの一室で会い、
オスとメスになって肉欲に身を焦がす。



ポールは下町で簡易ホテルを経営していた。
彼の妻ローザは自殺し、彼にはその理由が
分らなかった。



彼は、妻と肉体関係を結んでいたホテルの
住人マルセル(M・ジロッティ)を訪れ、妻の
話を聞いた。


妻は自分よりもこの男を愛していたようだ。
ポールはただ妻の肉体を恋こがれた。一方
ジャンヌは次第に耐えられなくなってきた。



ポールとの“隔絶した肉欲の時"とトムとの
自然な愛の流れの使い分が困難になってきた
のだ。



この不思議な契約が消滅する日がきた。



彼女は呪縛から解放され、トムをともない新
しい生活の場としてこの部屋を見直した。



その帰り道、ポールはジャンヌを待ち伏せ
ていた。彼女はポールにはっきり宣告しな
ければならなかった。昼間のダンスホール
は社交ダンス・コンテストが開かれていた。



タンゴの曲が流れ、二人は酒に酔いしれた。
逃げるジャンヌを、ポールは執拗に追い、彼
女の家へ押し入った。恐怖がジャンヌを支配
した。彼女は父の遺品の軍用ピストルを握り、
ポールに向けて発砲した。やがてポールはベ
ランダに崩れ折れた。





「私はあなたを誰か知らない……」





ジャンヌはうわ言のようにいい続けていた。




と言うのがインターネット上に流れている
あらすじなのであるが



掻い摘むと



アパートの部屋を探しにきた中年の男と
若い女性が偶然同じ部屋で遭遇し、男が
突如女性を強姦する?(まぁ陵辱という
ほうが正しいか・・)




行為が終わるとお互い何もなかったように分
かれ、どちらが連絡するともなく翌日また同
じ部屋で会い、SEXする。




二人の約束としてお互いの氏素性を決して語
ることなく、ただひたすら肉欲に埋没する。



この偶然の奇異な出逢いを生んだ不思議な
部屋は肉欲のためだけの部屋なる。


しかし、破局を迎える。



男が自らの全てを語り新しい生活を女に求
めるが、女は拒絶し、男を殺害する。



とまぁ、、、あまり“あらすじ”をブレイク
しきれていないのであるが流れとしてはこん
な感じである。



私がこの映画を観て、なにに“おぉ”と
感嘆したのか?と言うと、



-------------------------------------


「ここにいる間はただの男と女。名も知らず、
過去も一際明かさない、ここではセックス
以外存在しない」


-------------------------------------


という点にあった。



この点、自分を中心に考え想像して見ると、
案外気づかなかった面白い世界が広がった
ような気がしたのである。




他人の背景をまったく知ることなく、他人の
過去を拒絶することが出来るのだろうか?そ
れと自分の背景をまったく無にして相手に接
することが出来るのだろうか?




人を見るとき自分は何を見ているのだろうか?
という疑問がフッと湧いてきた。



ここでいう背景とは出自ではなく、人間の考
えとそれによって形づいてきた過去の時間の
ことである。




街中で見かける様々な人



魅力的な女性も居れば、おかしい風体の人
もいる。



その様々な様子は毎日千変万化する風景と
して目に飛び込んでくる。



なんとなく深層の中にある分類で人を整理
しているのであるが、実際にはそれぞれの
人間には無限の背景がある。しかし、そう
いったものに特に関心を持つことなく目に
映る人間をボォーと眺め、こんな風な人あ
んな風な人という社会の中で単純に組み込
まれたイメージの枠組みに落とし込んでい
く。



おっぱいがデカイ女性



SEXしたいなぁ



不思議なことではない。



そこになんらの人間的な背景など望むもの
ではない。




人間の瞬間的な遭遇の関係性から言えば、
主体的に夢想するものがその人間に対す
る全てであり、そこから何かを引き出そ
うとするならば会話し、やはりその人間
の背景という担保が必要となる。



しかし、そういう事を無視し人間を独自
の視点で見ろ、という事になれば一体ど
れくらいの内容で他人を見ることができ
るのか?案外“チャチな”内容しか自分
にはないのではないか?と思ってしまう
のである。



やはり人間の背景の情報を得て、そこか
ら想像を僅か働かすという作業しかして
いないのでは?と考えてしまう。。。。。



アダルトビデオを観ていて、自分好みの
女性が痴態をさらけ出す。そういった自
分の嗜好に適う女性とイメージが合一す
るシチュエーションであった場合、キャ
スティング上の情報の中で、その女性と
いう存在を捕らえ、自分の好み、嗜好と
融合させ完結してしまう。



しかし、実際の出演者は違う日常が存在し、
まったく別の人生が存在する。



今画面の彼女を見て自分は興奮していて
ある種の合一感を得ているがその瞬間、
出演者である彼女はどこかの酒場で友達
と談笑しているというような時空間の違
うところで実存は動いている…・



当たり前のことなのであるが、しかし、
この画面上の情報もある意味街中をある
く人物を捉える自分の想像の世界も、そ
う隔絶することのない自身の人間を見る
真実と考えられなくも無い。



それらの思考構造は非日常ではなく、案外
日常性のような気がするのである。



アンディーウォーホールのマリリンモンロー
という作品もある種この感覚に近いような気
がする。



現実のモンローからかけ離れた、メディアの
中に存在するモンローという大衆消費社会が
生み出した人物創造という部分の見え方…・



全て社会が作りこんだ情報、そこからの背景
で人間を創造してしまうのである。



イメージというものとは少し違う、ロボット
にある種の性格プログラムを施すような感じ??
すべて用意された目に見えるインフォメーション
を組み込むのである。



。。。。。。。。。。。。



逆もある。


知り尽くしていたとしても


それは本当に全て知り尽くしているのか?
という事だ。


映画の中にもあるがマーロンブランドの嫁は
自殺する。



しかしその理由はわからない。



分かったのは、妻は浮気していて
その男のことを自分より愛していただろう?
という事だった。




分かっている、というのは人間の情報の大き
な割合である背景を知っているということと
背景を創出する時間の共有部分が存在してい
たというだけでしかなく、しかし肝心な心の
奥底、人間的な背景を作り出す基幹部分がな
にか分からなければ、、、



実は全て分かってないに等しいことに繋がる。



かといって


心の奥底など


どのように知り、間違いなくそうだなどと
完璧に把握出来るのだろうか?言葉でその
答えを得たとしても



それは所詮目にみない実体の無いものであり
整合はつかないし、それこそ自身に省みて考
えた場合本当に一貫した考えとして提示でき
るものがあるのだろうか?



好きという



情報は本当に深層の中に流れるものなのか?
こんなものは完璧な固体化したようなもので
もなければ流動的ないい加減なものでしかな
い。



ましてや量的な尺度もない。



究極は



分からないという事でしかない。


分かるとは答えられないものである。



この映画の中には

通常の道徳的な




思いやりなどというものはない。



だからこそ、これらが示すものとは案外
人間の本質なんじゃないか?と思うので
ある。




ある意味男と女という絵図らは存在する
のであるが実に独白的な各人のエゴしか
存在しないし、本質的には分かりえない
人間間の心の存在ということの提示のよ
うな気もしたのである。。。




人間はどのようにしてコミュニケーション
をとるのか?一番シンプルで極端な形から
こそ、、、見えてくるものがあるよに思え
たのである。




人間の何を見なくてはいけないか。



ある人が言っていたことを思い出す。



SEXとは究極的な本質は“自慰行為”
なのではないか?



自身の生殖器を他人の生殖器にこすりつ
け得られる快感であり、その本質は自分の
手や道具の代わりが相手の性器なのでは?
という事である。




そういう考え方もあり




そうなのか?と納得できないものもある




。。。。。。




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