November 23,2010
前のブログで記憶媒体の容量その革新
ということについて少し触れたが、そのことに
関して思い出した事がある・・・
もう一年半位前のネットでのニュースだったが
うん・・なるほどぉと感心する記事があった。
「視聴率は番組に対する絶対的な評価としては機能して
いない」
視聴率1位の番組が、視聴者にもっとも支持された番組
だとは限らないのだ・・
たとえば、約一年半前の4月27日から5月3日までの視聴率。
1位から5位までを並べると、「ネプリーグ」「はねるの
トびら」「NHKニュース」「首都圏ニュース」「ぐるぐる
ナインティナイン」という結果だ(ビデオリサーチ、関
東地区)。
ところが、老舗のテレビ誌「TVガイド」が調べた録画率
を見ると様相は一変する。トップ5は「鋼の錬金術師」
「けいおん!」「婚カツ!」「BOSS」「アイシテル」と
いう具合だ。「月9始まって以来の低視聴率」などとい
われた「婚カツ!」も録画率ではいい成績を収めている。
という事なのであるが、よくよく考えれば
当たり前と言えば当たり前な事である。
自分の生活を考えても、録画の割合は結構なものが
ある。これを全国的に統計だてれば当然、リアルタ
イムの視聴以外の視聴がかなりの割合存在するのは
明白である。
こんなこと今更と思うが、どうもこの記事を良く見ると
乖離が激しくなってきたらしいのである。
当然、ヒットしたものはリアルであろうが録画であろうが
合一の結果であろうとこれまで茫漠とイメージしていたものが
実際に調査するとまったく整合しなくなっているのである。
問題は、どうもリアルタイムで見ない層が多くなっている?
もしくはリアルタイムで見る層が固定化されている…
リアルで見るもの録画で見るものとの嗜好性のギャップ
これは何が要因なのか具体的な考察はどの記事にも
そう明確に記載されていなかったが、どう考えても
我々世代も含め、どうも録画の方が実は実質的な
視聴率のような気がしてならない。今までの基準で言うと
ころのリアルタイムの視聴率というのが、実際には偶然
見ているという要素と、リアルタイム視聴の場合、
中年以降の高齢者が必ず見るニュースに限定されている
ような気がする。
単純にライフスタイルの変化などという捕え方では
ない事だけは間違いない。
録画という技術が生活の中に現れてからかなりの時間が経つ。
劇的な変化として考えられるのは、DVD等記録媒体の容量
が格段に増幅され、またスケジュールがこれまで、直近で
対応しなくてはならなかったものが、かなり先まで可能に
なった、または、RSSやアラートのうような機能が出て
きたことにより、撮るだけとって後で見るか見ないか決め
るなどというこれまでの技術になかった要素が一般化して
きた成果のような気がする。
こういった要因が現象面で顕在化してきているのだろうか?
実はこれ、へぇーで終わるわけには行かない事情もある。
結局視聴率とは広告収入に対するポートフォリオであるから
録画という面の視聴とリアルタイムでの視聴という両局面が
きちっと明文化されていなければ虚偽の報告になる可能性を
含んでしまうのである。
じゃ、録画も現行調査の項目に加えるか!という事で解決
になるか?というと、問題はそう単純ではないような気が
する。
録画した場合、CMなど見るかぁ?という本来視聴率と広告
という関係が、録画視聴の場合、そう素直に反映されないよ
うな気がするのである。
この「録画率」というのは、我々の生活の中でそう大きな
問題のように感じないのであるが、実はよくよくその現象
を考えると我々の生活変化の端緒を如実に表しているよう
な気がしたのであったと同時に、なにか独特な日本人の民
族的感受性のような気がしたのであった。。
前から思っていたことであり、
先のブログでも少し触れたが・・・
基本的な文明の発展というのは記録装置及び記録容量の
増強なのでは?という事である。実際この部分が発達し
なければ、どの要素も発展の端緒を掴むことができない。
様々な科学分野での研究成果も記憶媒体の発展がなけれ
ば考察できないものがほとんどであるし、社会の現象面
を考察するにも記憶媒体の精度が低ければなにも解明さ
れない部分が存在する。。。
まぁ極端な論理展開で飛躍しすぎかもしれないが、最重
要な要素であることは間違いないであろう。
そしてこの記憶ということに関して言えば、個人的な感
想ではあるが、日本人は比較的大好きな民族なのではな
いのか?と考えている。
この技術的な要素が発達すればするほど、その技術から
享受できるメリットに邁進するような気がしてならない。
SONYがアメリカでビデオを発売した当時、確か映画界と
裁判闘争になったと記憶している。
その際、実は今の録画率という概念に相当するものを
司法的な見解としてすでに発表していたと記憶してい
る。確か“タイムシフト”という造語のようなものを
持出していた。
以下はSONYのホームページ歴史部分から当時の状況説
明の抜粋である。
-----------------------------------------------
1976年9月初頭のこと。「これで、『コロンボ』を見
ているから『コジャック』を見逃す、ということは
なくなります。その逆もありません。ベータマックス
――ソニーの製品です」。
広告代理店から送られてきたソニーの家庭用VTR
「ベータマックス」広告のラフスケッチを手にし
て困惑していたのは、ユニバーサル映画とその親
会社MCAであった。
『刑事コジャック』と『刑事コロンボ』は、ユニバ
ーサル映画配給の人気テレビ番組の双璋だった。
その困惑はやがて、ロサンゼルス地裁への提訴に始
まる8年がかりの大訴訟へと変わっていったのである。
「著作権侵害」、初めてソニーが突きつけられた
「容疑」だった。
原告のユニバーサルスタジオとウォルト・ディズニー
・プロダクションが、ソニー本社およびソニー・アメ
リカを訴えた主張は――
(1)映画は製作者側の著作物である(2)著作権を
持つということは、複製の独占権を持つということ
である (3)著作者でない個人消費者が勝手にテ
レビ映画を複製するのを可能にする家庭用VTRは、
必然的に複製権の独占の侵害、つまり著作権の侵
害となる (4)その侵害行為を行うVTRを実際に
使用した個人はもちろん、それを製造・販売する
ソニーは侵害行為に寄与している――という内容の
ものだった。ソニーの他に広告代理店、小売店、
実際にビデオ録画した個人が訴えられた。
この訴えがアメリカの法律上認められば、法改正
でもない限り、アメリカ市場におけるベータマッ
クスの販売を諦めなくてはいけなくなる。
もちろん、敗れれば損害賠償金も支払わなくては
ならない。前者は特に困る。家庭用VTRの将来が摘
み取られてしまうかもしれない。裁判は莫大な費
用と時間、そして人々のエネルギーがいる。
しかし、盛田率いるソニーは受けて立った。ソニー
だけでない、世界の電子産業全体の将来にとって重
要な訴訟だ。ソニー側の理論の中心となり、やがて
裁判上のキーワードになったのは、盛田の造語
「タイムシフト(時間に拘束されずにテレビ番組を
見られる)」という概念だ。
(1)家庭用VTRは、一般大衆が受信機を持ってさ
えいれば、本来見られる番組を単に時間帯を変え
て見られるようにしているに過ぎない、つまり
「放送の延長」であり「複製」ではない(2)さら
に、公衆の電波はより多くの人に情報を伝達する
ために与えられた公衆の資産である。そこに情報
を乗せた以上は、多くの人に情報を伝えるための
道具であるVTRの存在も認めるべきである――これ
がソニー側の掲げた主張だ。
1979年10月、ロサンゼルス地裁でソニーの主張は
認められ、全面勝訴した。ところが、ほっとした
のも束の間、ユニバーサル側の控訴により行われた
1981年の米国連邦高等裁判所の審議では、一転して
敗訴となった。
ソニーはもちろんこの判決を不服とし、翌年ワシ
ントンの連邦最高裁判所に控訴することになる。
高裁で負けるまで、この家庭用VTRをめぐる訴訟は、
これに関わった担当者を除いて、あまり社内外の
人々の関心を集めていなかった。しかし、敗訴す
ると、一転して注目が集まった。
アメリカ中の、いたるところの新聞がこの「ソニ
ーの大々的な敗訴」を取り上げ、しかも、そのほ
とんどが「けしからん判決だ」というものだった。
テレビの前でビデオを見ている人に、ミッキーマ
ウスが手錠をかけに来るという1コマ漫画まで掲載
された。また、ソニーのみならず、他社にも家庭
用 VTRをめぐる訴訟は広がっていった。
盛田は「この問題は裁判にとどまらず、いずれか
は議会にまで波及する」と読んだ。なぜなら、こ
の当時のアメリカの著作権法には、家庭用VTRのよ
うな新しい技術に対応する明確な記述がなかった。
アメリカの著作権法には、日本のように「私的複
製の例外(個人の楽しみのための複製は著作権侵
害にあたらない)」というのがなかったのである。
盛田のいうとおりだった。「このような判決を出
させる『著作権法』こそ問題である」とばかりに、
私的複製を合法化すべく、猛烈に立法活動を始め
るアメリカ議員も出てきたのである。
「この家庭用VTRの問題は訴訟、裁判という特定
当事者間で決着するのではなく、立法で決着すべ
き本質的な命題を含んでいる」と盛田は確信した。
ソニーにとって、法の遵守は基本姿勢だ。しかし、
裁判がよりどころとする既存の法がおかしい、あ
るいは足りない時には、訴えていく必要もあると
いう信念を彼は持っていた。
盛田の指揮の下、当時ソニー本社の法務スタッフが、
ソニー・アメリカのクリス・和田、そして弁護士の
ダンラビー氏たちと力を合わせ、裁判の準備をした。
同時に、何人かの議員の協力を得て立法化に向けた
準備も進めていく。高裁の敗訴後、こうしてベータ
マックス問題は、大裁判と大立法活動が同時に並行
して進む珍しいケースとなっていったのである。
映画会社も黙っているはずがない。私的複製を認め
る法案を通すなら、ロイヤリティーをVTRやテープ
に課す内容にするべきだと譲らない。
ソニーは最高裁への控訴準備と並行して、伝統的に
議員や政治界と結び付きの強い映画産業に、どうや
って議会で対抗していけるかを検討した。
そして、到達した結論は――
「われわれは、議員を選ぶ民衆、有権者に訴えてい
こう」
まず、「タイムシフト」に基づくソニーの主張の
正当性を訴え、利害の一致するほかのメーカーや
消費者、流通業者を組織し、HRCCというコアリシ
ョン(利害が一致する企業・個人の集まり)を組
織化した。
有力なロビイストや弁護士を雇い、この団体を母
体に、直接議員にロビイ活動を行う一方、市民の
署名活動を組織したり、消費者団体、ユーザー
やディーラーからも地元議員に手紙を出してもら
うよう呼びかけたりした。
いわゆる草の根運動、グラスルーツ運動だ。
そして、この運動はアメリカでもまれに見る大
がかりなものとなっていった。
一方、アメリカ映画産業側も、大物スターや多
勢のロビイストを動員しながら、対抗してくる。
著作権問題は連邦議会の問題でもありながら、
それに販売業者、消費者、そして映画産業、
音楽産業が複雑に絡み合う規模の大きなもの
となっていった。
マス・メディアからも質問が殺到した。盛田を
中心に公開討論、スピーチなども積極的に行い、
電波に乗せてアメリカ国民へメッセージを送っ
た。また、「What time is it now ?」の見出し
で、タイムシフトの「健全な常識」を世に訴え
るオピニオン広告を一流新聞の1面全部を使って
掲載したりもした。大変なエネルギーと時間を
かけて、盛田たちは全米を説いて回り、決して
諦めなかった。
一方裁判も、法務チームが、最高裁へ何とか持
ち込もうと必死の努力を続けていた。アメリカ
の最高裁は、上告すれば自動的に審議してくれ
るわけでない。申請された上告を受理するかど
うかをまず決める審議が行われるという、2段
構えの仕組みとなっていた。
1982年3月に出した上告申請が受理されるまで、
とにかく異例なほど時間がかかった。裁判官た
ちにとっても、厄介な裁判だったのだろう。
最高裁の審議は始まった。しかし、最高裁の本
論に入ったあとも、待てど暮らせど判決が出な
い。やっと出た判決は何と「リ・アーギュメン
ト」。つまり、9人の最高裁判事の前でもう一
度議論せよというものだった。
そして再審議の後、ついに出た判決は、5対4と
いうソニーにとってきわどい勝訴であった。
判決理由は、「無料テレビ放送の電波から家庭
内でビデオ録画を行うことは、著作権侵害には
当たらない。メーカー側に一切法的責任なし」。
判決文の中に、「タイムシフト」の言葉が使わ
れていた。
家庭用VTRは人々の生活に便益をもたらすもので
あるという盛田の強い信念に基づいたものだった。
日米で必死に動いたスタッフの努力は実を結んだ。
1984年1月17日、訴えが起こされてから実に8年が
経とうとしていた。米国連邦最高裁判所において、
初めて日本企業が勝訴した記念すべき日となった。
法を変えることなく、タイムシフトに基づく主張
は正当と認められたのだ。
---------------------------------------------
という結果なのである。。。
これを考えても、日本人のこの録画というものに対する
意識の高さ及び、概念的に闘う姿勢は、欧米諸国に
比類するものがないように私は思うのである…
もちろんSONYという会社の創業者および社風というものも
大きな割合で存在するのであるが、後年のベータマックス
対VHSの熾烈な闘争、そして世界標準をつくりだした背
景をみても、決してSONYの体質だけではなく、なんとなく
民族的な感情のようにも思えるのである。。。。
この部分、民族的感情の本質だが、実は私は決定的
に日本人と他民族、特に西欧とまったく違う劇的な感
覚があると考えている。
それは時間に対する観念及び感受性なのであるが、、、
しかしその点については次に書くのブログに譲るとして・・
。。。。。。。。。。。。。。
先ず今回のポイント
この録画や記録ということの民族的特性であるが、
私はなんとなくお伊勢講という日本の近代まであった
習俗にその性格的特徴があるような気がしてならない。
以下はウィッキペディアの説明であるが・・
-------------------------------------------------------
当時の庶民にとって伊勢までの旅費は、相当な負担であっ
た。日常生活ではそれだけの大金を用意するのは困難で
ある。
そこで生み出されたのが「お伊勢講」と言う仕組みである。
「講」の所属者はそれぞれお金を出し合い、それを合わ
せて旅行費に充当する。積立金から「講」に所属する農
地や財産を置く場合があった。
誰が行くかは「くじ引き」で決められる仕組みだが、「講」
の全員がいつかは当たるよう配慮されていた様である。く
じ引きの結果、選ばれた者は、「講」の代表として伊勢へ
旅立つ、旅の期間は農閑期が利用される。
出発にあたっては盛大な見送りの儀式が行われる。また地元
においても道中の安全が祈願される。参拝者は道中観光し
つつ、伊勢では代参者として皆の事を祈り、土産として御祓
いや新品種の農作物の種子、松阪や京都の織物などの伊
勢近隣や道中の名産品や最新の物産(軽くてかさばらず、
壊れないものがよく買われた)を購入する。
無事帰ると、帰還の祝いが行われる。江戸の人々が貧しく
とも一生に一度は旅行できたのは、この「講」の仕組みによ
るところが大きいだろう。
お蔭参りに行く者はその者が属する集落の代表として集落か
ら集められたお金で伊勢に赴いたため、手ぶらで帰ってくる事
がはばかられた。
また、伊勢参拝はあくまで旅に出る口実である事も多く、最新
の知識や技術、流行などを知り見聞を広げるための旅でもあっ
た。お蔭参りから帰ってきた者によって、最新のファッション
(例:京都や松坂の最新の織物の柄)や農具(例:新しい品種
の農作物がもたらされる。箕に代わって、手動式風車でおこし
た風で籾を選別する唐箕が広まる)、音楽や芸能(伊勢音頭
に起源を持つ歌舞が各地に広まる)が、実際の品物や口頭、
紙に書いた旅の記録によって各地に伝わった。
これを読んで面白いのは
● くじ引きの結果、選ばれた者は、「講」の代表として
伊勢へ旅立つ
● 伊勢参拝はあくまで旅に出る口実である事も多く、
最新の知識や技術、流行などを知り見聞を広げ
るための旅でもあった。
この2点だと思うのである。
これは簡単に言えば、講の中で選ばれた人物が
“記録媒体”となっている点だ。
実に面白い、人間が所謂DVDやCD-ROM、はた
また録画装置のような記録メディアの役割を果
たしている。
このような感性が実は日本のいたるところで発
生していて同じ様な形態で存在していたとい
うのである。
これはまったく録画、再生と同じ機能のように
感じられるのであった。
今回の視聴率と録画率という記事を見て思った
のだが、日本人は根本的に録画という事に長け
ていて尚且つ好きであるという事を感じたので
あるが、このポイントから少し先のDNAを受け
継いだ我々の現在の感性を考えれば、多少問題
があるようにも感じる。それは、このDNAが生活
の中で過度に入り込みすぎているような帰来を
受けたのである。
その感性のデメリットは情報から離脱する恐怖
心というものが感じられたのである。
情報を知らないという恐怖心といよりも
情報の共有化の絶対性とでも言うのだろうか?
確かに伊勢講に見られる仕組みは近代日本の記
憶装置として現代に通ずる感性を読み解くこと
ができる事象なのであるが、同時にこの村的発
想が実は村八分の構造も内包しているようにも
感じたのである。
情報共有と情報疎外この二面性があるように思
えるのであった。
そしてもう一つの大きな問題は
断片的記録、録画にその感性が固執しており、
どうも連続性の記録という感性が弱いような気
がして成らないのである。
物事の捉え方に、連続が溶解して現代に流れ込む
というような、、なんというのか記憶媒体の結果
から解析できない、民族の底流に流れる強固な
連続性の共有感覚が脆弱なような気がするあった。。

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ということについて少し触れたが、そのことに
関して思い出した事がある・・・
もう一年半位前のネットでのニュースだったが
うん・・なるほどぉと感心する記事があった。
「視聴率は番組に対する絶対的な評価としては機能して
いない」
視聴率1位の番組が、視聴者にもっとも支持された番組
だとは限らないのだ・・
たとえば、約一年半前の4月27日から5月3日までの視聴率。
1位から5位までを並べると、「ネプリーグ」「はねるの
トびら」「NHKニュース」「首都圏ニュース」「ぐるぐる
ナインティナイン」という結果だ(ビデオリサーチ、関
東地区)。
ところが、老舗のテレビ誌「TVガイド」が調べた録画率
を見ると様相は一変する。トップ5は「鋼の錬金術師」
「けいおん!」「婚カツ!」「BOSS」「アイシテル」と
いう具合だ。「月9始まって以来の低視聴率」などとい
われた「婚カツ!」も録画率ではいい成績を収めている。
という事なのであるが、よくよく考えれば
当たり前と言えば当たり前な事である。
自分の生活を考えても、録画の割合は結構なものが
ある。これを全国的に統計だてれば当然、リアルタ
イムの視聴以外の視聴がかなりの割合存在するのは
明白である。
こんなこと今更と思うが、どうもこの記事を良く見ると
乖離が激しくなってきたらしいのである。
当然、ヒットしたものはリアルであろうが録画であろうが
合一の結果であろうとこれまで茫漠とイメージしていたものが
実際に調査するとまったく整合しなくなっているのである。
問題は、どうもリアルタイムで見ない層が多くなっている?
もしくはリアルタイムで見る層が固定化されている…
リアルで見るもの録画で見るものとの嗜好性のギャップ
これは何が要因なのか具体的な考察はどの記事にも
そう明確に記載されていなかったが、どう考えても
我々世代も含め、どうも録画の方が実は実質的な
視聴率のような気がしてならない。今までの基準で言うと
ころのリアルタイムの視聴率というのが、実際には偶然
見ているという要素と、リアルタイム視聴の場合、
中年以降の高齢者が必ず見るニュースに限定されている
ような気がする。
単純にライフスタイルの変化などという捕え方では
ない事だけは間違いない。
録画という技術が生活の中に現れてからかなりの時間が経つ。
劇的な変化として考えられるのは、DVD等記録媒体の容量
が格段に増幅され、またスケジュールがこれまで、直近で
対応しなくてはならなかったものが、かなり先まで可能に
なった、または、RSSやアラートのうような機能が出て
きたことにより、撮るだけとって後で見るか見ないか決め
るなどというこれまでの技術になかった要素が一般化して
きた成果のような気がする。
こういった要因が現象面で顕在化してきているのだろうか?
実はこれ、へぇーで終わるわけには行かない事情もある。
結局視聴率とは広告収入に対するポートフォリオであるから
録画という面の視聴とリアルタイムでの視聴という両局面が
きちっと明文化されていなければ虚偽の報告になる可能性を
含んでしまうのである。
じゃ、録画も現行調査の項目に加えるか!という事で解決
になるか?というと、問題はそう単純ではないような気が
する。
録画した場合、CMなど見るかぁ?という本来視聴率と広告
という関係が、録画視聴の場合、そう素直に反映されないよ
うな気がするのである。
この「録画率」というのは、我々の生活の中でそう大きな
問題のように感じないのであるが、実はよくよくその現象
を考えると我々の生活変化の端緒を如実に表しているよう
な気がしたのであったと同時に、なにか独特な日本人の民
族的感受性のような気がしたのであった。。
前から思っていたことであり、
先のブログでも少し触れたが・・・
基本的な文明の発展というのは記録装置及び記録容量の
増強なのでは?という事である。実際この部分が発達し
なければ、どの要素も発展の端緒を掴むことができない。
様々な科学分野での研究成果も記憶媒体の発展がなけれ
ば考察できないものがほとんどであるし、社会の現象面
を考察するにも記憶媒体の精度が低ければなにも解明さ
れない部分が存在する。。。
まぁ極端な論理展開で飛躍しすぎかもしれないが、最重
要な要素であることは間違いないであろう。
そしてこの記憶ということに関して言えば、個人的な感
想ではあるが、日本人は比較的大好きな民族なのではな
いのか?と考えている。
この技術的な要素が発達すればするほど、その技術から
享受できるメリットに邁進するような気がしてならない。
SONYがアメリカでビデオを発売した当時、確か映画界と
裁判闘争になったと記憶している。
その際、実は今の録画率という概念に相当するものを
司法的な見解としてすでに発表していたと記憶してい
る。確か“タイムシフト”という造語のようなものを
持出していた。
以下はSONYのホームページ歴史部分から当時の状況説
明の抜粋である。
-----------------------------------------------
1976年9月初頭のこと。「これで、『コロンボ』を見
ているから『コジャック』を見逃す、ということは
なくなります。その逆もありません。ベータマックス
――ソニーの製品です」。
広告代理店から送られてきたソニーの家庭用VTR
「ベータマックス」広告のラフスケッチを手にし
て困惑していたのは、ユニバーサル映画とその親
会社MCAであった。
『刑事コジャック』と『刑事コロンボ』は、ユニバ
ーサル映画配給の人気テレビ番組の双璋だった。
その困惑はやがて、ロサンゼルス地裁への提訴に始
まる8年がかりの大訴訟へと変わっていったのである。
「著作権侵害」、初めてソニーが突きつけられた
「容疑」だった。
原告のユニバーサルスタジオとウォルト・ディズニー
・プロダクションが、ソニー本社およびソニー・アメ
リカを訴えた主張は――
(1)映画は製作者側の著作物である(2)著作権を
持つということは、複製の独占権を持つということ
である (3)著作者でない個人消費者が勝手にテ
レビ映画を複製するのを可能にする家庭用VTRは、
必然的に複製権の独占の侵害、つまり著作権の侵
害となる (4)その侵害行為を行うVTRを実際に
使用した個人はもちろん、それを製造・販売する
ソニーは侵害行為に寄与している――という内容の
ものだった。ソニーの他に広告代理店、小売店、
実際にビデオ録画した個人が訴えられた。
この訴えがアメリカの法律上認められば、法改正
でもない限り、アメリカ市場におけるベータマッ
クスの販売を諦めなくてはいけなくなる。
もちろん、敗れれば損害賠償金も支払わなくては
ならない。前者は特に困る。家庭用VTRの将来が摘
み取られてしまうかもしれない。裁判は莫大な費
用と時間、そして人々のエネルギーがいる。
しかし、盛田率いるソニーは受けて立った。ソニー
だけでない、世界の電子産業全体の将来にとって重
要な訴訟だ。ソニー側の理論の中心となり、やがて
裁判上のキーワードになったのは、盛田の造語
「タイムシフト(時間に拘束されずにテレビ番組を
見られる)」という概念だ。
(1)家庭用VTRは、一般大衆が受信機を持ってさ
えいれば、本来見られる番組を単に時間帯を変え
て見られるようにしているに過ぎない、つまり
「放送の延長」であり「複製」ではない(2)さら
に、公衆の電波はより多くの人に情報を伝達する
ために与えられた公衆の資産である。そこに情報
を乗せた以上は、多くの人に情報を伝えるための
道具であるVTRの存在も認めるべきである――これ
がソニー側の掲げた主張だ。
1979年10月、ロサンゼルス地裁でソニーの主張は
認められ、全面勝訴した。ところが、ほっとした
のも束の間、ユニバーサル側の控訴により行われた
1981年の米国連邦高等裁判所の審議では、一転して
敗訴となった。
ソニーはもちろんこの判決を不服とし、翌年ワシ
ントンの連邦最高裁判所に控訴することになる。
高裁で負けるまで、この家庭用VTRをめぐる訴訟は、
これに関わった担当者を除いて、あまり社内外の
人々の関心を集めていなかった。しかし、敗訴す
ると、一転して注目が集まった。
アメリカ中の、いたるところの新聞がこの「ソニ
ーの大々的な敗訴」を取り上げ、しかも、そのほ
とんどが「けしからん判決だ」というものだった。
テレビの前でビデオを見ている人に、ミッキーマ
ウスが手錠をかけに来るという1コマ漫画まで掲載
された。また、ソニーのみならず、他社にも家庭
用 VTRをめぐる訴訟は広がっていった。
盛田は「この問題は裁判にとどまらず、いずれか
は議会にまで波及する」と読んだ。なぜなら、こ
の当時のアメリカの著作権法には、家庭用VTRのよ
うな新しい技術に対応する明確な記述がなかった。
アメリカの著作権法には、日本のように「私的複
製の例外(個人の楽しみのための複製は著作権侵
害にあたらない)」というのがなかったのである。
盛田のいうとおりだった。「このような判決を出
させる『著作権法』こそ問題である」とばかりに、
私的複製を合法化すべく、猛烈に立法活動を始め
るアメリカ議員も出てきたのである。
「この家庭用VTRの問題は訴訟、裁判という特定
当事者間で決着するのではなく、立法で決着すべ
き本質的な命題を含んでいる」と盛田は確信した。
ソニーにとって、法の遵守は基本姿勢だ。しかし、
裁判がよりどころとする既存の法がおかしい、あ
るいは足りない時には、訴えていく必要もあると
いう信念を彼は持っていた。
盛田の指揮の下、当時ソニー本社の法務スタッフが、
ソニー・アメリカのクリス・和田、そして弁護士の
ダンラビー氏たちと力を合わせ、裁判の準備をした。
同時に、何人かの議員の協力を得て立法化に向けた
準備も進めていく。高裁の敗訴後、こうしてベータ
マックス問題は、大裁判と大立法活動が同時に並行
して進む珍しいケースとなっていったのである。
映画会社も黙っているはずがない。私的複製を認め
る法案を通すなら、ロイヤリティーをVTRやテープ
に課す内容にするべきだと譲らない。
ソニーは最高裁への控訴準備と並行して、伝統的に
議員や政治界と結び付きの強い映画産業に、どうや
って議会で対抗していけるかを検討した。
そして、到達した結論は――
「われわれは、議員を選ぶ民衆、有権者に訴えてい
こう」
まず、「タイムシフト」に基づくソニーの主張の
正当性を訴え、利害の一致するほかのメーカーや
消費者、流通業者を組織し、HRCCというコアリシ
ョン(利害が一致する企業・個人の集まり)を組
織化した。
有力なロビイストや弁護士を雇い、この団体を母
体に、直接議員にロビイ活動を行う一方、市民の
署名活動を組織したり、消費者団体、ユーザー
やディーラーからも地元議員に手紙を出してもら
うよう呼びかけたりした。
いわゆる草の根運動、グラスルーツ運動だ。
そして、この運動はアメリカでもまれに見る大
がかりなものとなっていった。
一方、アメリカ映画産業側も、大物スターや多
勢のロビイストを動員しながら、対抗してくる。
著作権問題は連邦議会の問題でもありながら、
それに販売業者、消費者、そして映画産業、
音楽産業が複雑に絡み合う規模の大きなもの
となっていった。
マス・メディアからも質問が殺到した。盛田を
中心に公開討論、スピーチなども積極的に行い、
電波に乗せてアメリカ国民へメッセージを送っ
た。また、「What time is it now ?」の見出し
で、タイムシフトの「健全な常識」を世に訴え
るオピニオン広告を一流新聞の1面全部を使って
掲載したりもした。大変なエネルギーと時間を
かけて、盛田たちは全米を説いて回り、決して
諦めなかった。
一方裁判も、法務チームが、最高裁へ何とか持
ち込もうと必死の努力を続けていた。アメリカ
の最高裁は、上告すれば自動的に審議してくれ
るわけでない。申請された上告を受理するかど
うかをまず決める審議が行われるという、2段
構えの仕組みとなっていた。
1982年3月に出した上告申請が受理されるまで、
とにかく異例なほど時間がかかった。裁判官た
ちにとっても、厄介な裁判だったのだろう。
最高裁の審議は始まった。しかし、最高裁の本
論に入ったあとも、待てど暮らせど判決が出な
い。やっと出た判決は何と「リ・アーギュメン
ト」。つまり、9人の最高裁判事の前でもう一
度議論せよというものだった。
そして再審議の後、ついに出た判決は、5対4と
いうソニーにとってきわどい勝訴であった。
判決理由は、「無料テレビ放送の電波から家庭
内でビデオ録画を行うことは、著作権侵害には
当たらない。メーカー側に一切法的責任なし」。
判決文の中に、「タイムシフト」の言葉が使わ
れていた。
家庭用VTRは人々の生活に便益をもたらすもので
あるという盛田の強い信念に基づいたものだった。
日米で必死に動いたスタッフの努力は実を結んだ。
1984年1月17日、訴えが起こされてから実に8年が
経とうとしていた。米国連邦最高裁判所において、
初めて日本企業が勝訴した記念すべき日となった。
法を変えることなく、タイムシフトに基づく主張
は正当と認められたのだ。
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という結果なのである。。。
これを考えても、日本人のこの録画というものに対する
意識の高さ及び、概念的に闘う姿勢は、欧米諸国に
比類するものがないように私は思うのである…
もちろんSONYという会社の創業者および社風というものも
大きな割合で存在するのであるが、後年のベータマックス
対VHSの熾烈な闘争、そして世界標準をつくりだした背
景をみても、決してSONYの体質だけではなく、なんとなく
民族的な感情のようにも思えるのである。。。。
この部分、民族的感情の本質だが、実は私は決定的
に日本人と他民族、特に西欧とまったく違う劇的な感
覚があると考えている。
それは時間に対する観念及び感受性なのであるが、、、
しかしその点については次に書くのブログに譲るとして・・
。。。。。。。。。。。。。。
先ず今回のポイント
この録画や記録ということの民族的特性であるが、
私はなんとなくお伊勢講という日本の近代まであった
習俗にその性格的特徴があるような気がしてならない。
以下はウィッキペディアの説明であるが・・
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当時の庶民にとって伊勢までの旅費は、相当な負担であっ
た。日常生活ではそれだけの大金を用意するのは困難で
ある。
そこで生み出されたのが「お伊勢講」と言う仕組みである。
「講」の所属者はそれぞれお金を出し合い、それを合わ
せて旅行費に充当する。積立金から「講」に所属する農
地や財産を置く場合があった。
誰が行くかは「くじ引き」で決められる仕組みだが、「講」
の全員がいつかは当たるよう配慮されていた様である。く
じ引きの結果、選ばれた者は、「講」の代表として伊勢へ
旅立つ、旅の期間は農閑期が利用される。
出発にあたっては盛大な見送りの儀式が行われる。また地元
においても道中の安全が祈願される。参拝者は道中観光し
つつ、伊勢では代参者として皆の事を祈り、土産として御祓
いや新品種の農作物の種子、松阪や京都の織物などの伊
勢近隣や道中の名産品や最新の物産(軽くてかさばらず、
壊れないものがよく買われた)を購入する。
無事帰ると、帰還の祝いが行われる。江戸の人々が貧しく
とも一生に一度は旅行できたのは、この「講」の仕組みによ
るところが大きいだろう。
お蔭参りに行く者はその者が属する集落の代表として集落か
ら集められたお金で伊勢に赴いたため、手ぶらで帰ってくる事
がはばかられた。
また、伊勢参拝はあくまで旅に出る口実である事も多く、最新
の知識や技術、流行などを知り見聞を広げるための旅でもあっ
た。お蔭参りから帰ってきた者によって、最新のファッション
(例:京都や松坂の最新の織物の柄)や農具(例:新しい品種
の農作物がもたらされる。箕に代わって、手動式風車でおこし
た風で籾を選別する唐箕が広まる)、音楽や芸能(伊勢音頭
に起源を持つ歌舞が各地に広まる)が、実際の品物や口頭、
紙に書いた旅の記録によって各地に伝わった。
これを読んで面白いのは
● くじ引きの結果、選ばれた者は、「講」の代表として
伊勢へ旅立つ
● 伊勢参拝はあくまで旅に出る口実である事も多く、
最新の知識や技術、流行などを知り見聞を広げ
るための旅でもあった。
この2点だと思うのである。
これは簡単に言えば、講の中で選ばれた人物が
“記録媒体”となっている点だ。
実に面白い、人間が所謂DVDやCD-ROM、はた
また録画装置のような記録メディアの役割を果
たしている。
このような感性が実は日本のいたるところで発
生していて同じ様な形態で存在していたとい
うのである。
これはまったく録画、再生と同じ機能のように
感じられるのであった。
今回の視聴率と録画率という記事を見て思った
のだが、日本人は根本的に録画という事に長け
ていて尚且つ好きであるという事を感じたので
あるが、このポイントから少し先のDNAを受け
継いだ我々の現在の感性を考えれば、多少問題
があるようにも感じる。それは、このDNAが生活
の中で過度に入り込みすぎているような帰来を
受けたのである。
その感性のデメリットは情報から離脱する恐怖
心というものが感じられたのである。
情報を知らないという恐怖心といよりも
情報の共有化の絶対性とでも言うのだろうか?
確かに伊勢講に見られる仕組みは近代日本の記
憶装置として現代に通ずる感性を読み解くこと
ができる事象なのであるが、同時にこの村的発
想が実は村八分の構造も内包しているようにも
感じたのである。
情報共有と情報疎外この二面性があるように思
えるのであった。
そしてもう一つの大きな問題は
断片的記録、録画にその感性が固執しており、
どうも連続性の記録という感性が弱いような気
がして成らないのである。
物事の捉え方に、連続が溶解して現代に流れ込む
というような、、なんというのか記憶媒体の結果
から解析できない、民族の底流に流れる強固な
連続性の共有感覚が脆弱なような気がするあった。。

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