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自分花
されば、時分の花をまことの花と知る心が、
真実の花になお遠ざかる心なり。


ただ、人ごとに、この時分の花に迷いて、
やがて花の失するをも知らず。


初心と申すはこのころの事なり。


『風姿華傳』


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新人であることの珍しさによる人気を本当の
人気と思い込むのは、「真実の花」には程遠い。
そんなものはすぐに消えてしまうのに、それに気付
かず、いい気になっていることほど、おろかなこと
はない。そういう時こそ、「初心」を忘れず、稽古
に励まなければならない。



世阿弥は観客に感動を与える力を「花」として表現。
少年は美しい声と姿をもつが、それは「時分の花」
に過ぎない。能の奥義である「まことの花」は心の
工夫公案から生まれると説く。




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時分



この言葉私のブログには良く登場する



それは過去の一点を説明する言葉である
のだが、所謂”頃”であったり”当時”という、もう
戻りはしない記憶の時点である。




時分花



この言葉を知ったのは5年くらい前だ




瀬戸内寂聴さんが朝方の教育テレビで
説明してたのを聞いたのが始まりであった。



寂聴さんの解説は上述にあるのとは
ほんの少し違った・・



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花は種から満開そして枯れる直前、すべての
生命を通して主体的には花で居つづける。。



花が美しいのは、満開だけではない・・



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説明として本質的にはそう変わらないのであるが、、




しかし私は、、




時分と真の花の差、、、それ以外に
寂聴さんの言葉には、花は花という
逃れられないものとの闘いの意味を
感じたのである・・




寂聴さんの言葉から連想したのは




時分花ではなく





”自分花!”であった。




自分らしい花でありたいナァ・・と




今、切に思う。。

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