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松本君とビジョン
昨日は2週間ぶりに松本君の作品チェックを行った。。







作品は悪くない、しかし現時点で目標とする最大へ
は当然過程段階、、


しかしそれは私自身も折込み済みであるから、、



目標への足がかかりのつもりで少し意見をしよう
としたが、、、、



驚いた事に、逆に彼から問われた・・・・



今までの“やり方”=考え方、描法を含め、
実験的に変えて行こうかと思ってます。



あっ!やっと出てきた!



思索にふけり、知識を拡充し、それもあるが、、
プリミティブに、何かに憑依されたように忘我し
物事を変化させていく、、


その中で生まれてくるものには
必ず独特の思想哲学が生まれる。



絵に対しての欲求=幅の拡がりが如実に感じられる。
何よりも“挑戦”的姿勢、、これまでのコケオドシ
のような、気を衒ったような刹那的なものでない、、



何か・・・・


嬉しかった。



今その内容は具体的に話せない、、、

と言っても秘匿するというような偉そうに勿体つけた
ような事ではなく、、

長らく二人で話してきた抽象的な感覚の話であるが
故の事だ。。。



彼と二人で話してきた時間はかなりになる・・・

思い返せば、直近の大きな動きだけまとめても



作品の大幅な改造を指示したのが昨年の秋、そこから
生まれた作品を高松天満屋アートギャラリーの最終企
画にて展開したのが今年の2月。



兆しが少し見えたが、、より一層の改造を指示。
私のスケジュールとして4月は佐野くん公庄くん
の二人展をあべのハルカスにて、5月は釜くんの
松坂屋名古屋店での第二回目の個展、、、



これを終わらせた後6月末に松本君の個展を
BAMI galleryにて開催する予定とし、そこに
更なる改造作品を投入してもらう事を計画したのだが、
実はこの個展は今年の秋から冬に予定している百貨店
での個展を目標として設定していた本格的な改造計画
でもあった。



そのため5月の釜君の個展終了直後から始動させ


それから約半年



ほぼ毎週必ず、多い時には週二回COMBINEに来るという
事を続けてもらい、毎回途中経過を見、新しい作品に
対しての事と、細かいチェックをくり返しくり返し行
いました。



私が受け付けない作品もかなりありました。



怒鳴り散らした事も数限りなくです・・・・



そうこうしてやっと現在20点。。。。。



斯界の先達からすれば“既視感”満載、、
かもしれませんね。。。



このような事を書くと、私が如何に偉いかという事
をツラツラ書き連ねているいるような印象をもたれ
るかもしれません、、又、私のエゴ、、と言うのか
私の好みの絵=売れる=売れそうな=売り絵=パン絵
に無理やり改造しているように捉えられるかもしれま
せん。。。



しかし私は別段そのように感じてもらっても構わないのです。



売れる、大いに結構です。



私にとって追求すべき最大利益であり、抽象的な観念の中で
具体性のないのは一番忌避すべき仕事なのだから、、
何の問題もない。


私の言うが儘に引きずられた方が悪いのである。。



そういう理屈も私にとっては正当性があるが、、、、



ただ、、



私は、彼、松本君と出会ってもうすぐ5年になります。
その5年間近く彼と色々な話をし、実際に作品を市場に
問う事もした上で今、彼と新しい事をチャレンジしよ
うとしているのです。


だから、今の一時点の印象などどうでも良いのです。


これは彼も私は同じだと信じています。




今の時代、SNSなどで宣伝告知を兼ねて速射砲のよう
に情報を喧伝します。


かく言う私もその一人です。松本君の進捗もその商材です。
そこに寄せられるコメントは色々です。肯定も否定もあり
ます。まぁ無視も多いでしょう、、


我々が思い悩むほど他人にとっては“鼻くそ”ほどの
価値もない事柄でしょう。



ただ私が常々感じるのは



そんな簡単に人が変わるか?



その先の何かがあって変わろうとするのではないの?



なぜ即断で失敗というような結論へ物事を近づけようと
するのか?


時として、狂奔するがごとくの焦燥感が蔓延する異常空間
にも感じられる。


もっとおおらかな気持ちになれないのか?



ああなったらこうなる、、こうなったらああなる、、、



そんな事ばかりが終始する。結局、、言う人間ほど案外なに
も出来ていないし、大して出来てもいない事を大仰に誇示する・・・



実にくだらないと思うのである。



そんな声が聞こえてくる中



彼と毎週毎週話したことは数多あります。



私自身も虚脱する事も多々ありました。ただ、いつも
自問しているのは何を伝えたいのか?何を変えて欲し
いのか?常に悩み続けています。



私は決して彼の描画技術に力点を置いて修正を企てて
いるわけではない。


何か彼の絵から出てくる、感じられるものの変化、
そこから大きな世界に向けて・・・・


そのあまりにも単純な言葉を持って彼と対峙した時
具体的に彼の何が変われば良いのか?もし仮に気付
いた点があったとして、、


それは変えて良いものなのか?

ただ常に感じる彼の作品に対しての違和感・・・



彼が大仰にテーマとしているモノと実際の絵の乖離
つまり関心はすれど感動がない・・・・



発表しても



面白いという言葉は聞けても、、、それ以上はない。
言葉は悪いが、、、見世物。




ある時、今から6年前の雑誌の記事が目に留まった・・・




-------------------

礒江毅

現代における写実絵画の意味を問い続けた画家
幽玄のごときもの (高山淳)

「私は長年スペインに暮らし、写実絵画に携わってきた
中で、コレクターの自宅等で数えきれない程の十九世紀
以前の画家達のアカデミックなデッサンを見てきた。

皆驚くべきデッサン力で、しかも殆ど無名である。
前述した“型”を破って名を成す事の出来なかった
作家だろうか」



「前述した型」


について礒江は次のように述べている。


「ルネッサンス以降、遠近透視法の発見や人体解剖学の
発達等でより一層リアルさを表現できるようになった。
その頃までが私なりに西洋美術の“型”形成期だと思っ
ている」



礒江はスペインに約20年を超えてヨーロッパの写実を学んだ。
にもかかわらず、その写実をはみ出るものが彼の中にあった。
おそらくそこには礒江のオリジナリティーがあらわれている。



型に入って、型を破るという言葉を聞くと、どこかで聞いた
気になる。それは世阿弥の風姿花伝の一節ではないかと思っ
た。能は徹底的に型から入る。しかも面をつける。それほど
徹底的に型に入って演者の自由はあるだろうか。

その自由を実際に演じたシテがいた。

それは友枝喜久夫であると白洲正子が述べている。橋懸から
友枝が現れてくると鑑賞者はすでに別の世界に引き寄せられ
る。それは白洲正子の理想の能であり、それを友枝にまざま
ざと見たことの感動が我々に伝わってくるのだが、そこに現
れてくるものは、“幽体”と言って差し支えないものだろう。
能の登場人物はほとんどが死んで成仏もしない幽体たちであ
る。つまり時間軸が現実の時間軸ではない。


能の話が長くなったが、白洲の言うそのイメージを礒江も
追っていたと思うのである。



礒江の本当にやりたかったビジョンは、写実という型を徹底
することによって、ものの魂を表現することである。そこに
は通常の時間軸は脱落する。ものが朽ちるまで礒江は対象を
眺めていたそうだ。眺めながら時間を越えた世界に遊んでい
たのではないだろうか。



-----------------


この文章を読んだときハッとさせられた。


その中でも取り分け、、、



礒江の本当にやりたかったビジョンは、写実という型を
徹底することによって、ものの魂を表現することである。



この文章の



ものの魂を表現



この部分を読んだとき瞠目させられた。



確かに彼の絵を解釈するとき、よくよく見れば彼がしようと
していることは分かる。


私なりの解釈は“魂の所在”これを追い求めていたという
ことだ。


大半の人はその精緻な描画部分に関心が動くだろうし、彼を
解説する第一番はその類稀な写実描写だ。しかしこのような
技術力の水準が並外れた絵画の場合、時としてその時点で止
まり、その事だけの判別、相対化を行うのだが、不思議と
礒江の絵に関しては、あまりにも突き抜けた描写力が逆に
問題とならない。


つまり文章の中に見られる死という現実状態を我々に感知さ
せ、その先の彼が追い求める“ビジョン”へ誘う・・・・・
そのための高水準の描写でしかない。。。


簡単に書いたが、果たしてこの構造を理解し具体化できて
いる作家が幾人存在するか?場合によってはキャプション
や自身の周りにあるパ-ソナルなメディアで文字としてその
ビジョンを文章化している作家が多いのでは??と私など
は考える。


それらと比較するまでも無いが、、彼の作品は、とんでも
なく純度の高い芸術だと感心させられる。



もっと踏み込んで言えば、、例えば、コンセプチャルアート
等とも構造が良く似ている事が分かる。


河原温というアーティストが示したデイ・ペインティングは
その認識できる作品としての物質面は日付を描き記している
だけだ、、この部分はある意味、礒江における写実描写部分
に相当する。


つまり誰が見ても何の疑問も持たない。その事が精緻である
かどうかすらも問題とならない。ただこの作業には厳然とし
た哲学が必要となる。それは河原温においては厳格な作画に
おけるルール、そして生涯続けるという、ある種の透徹感覚。


これを継続すればするほど、その奥に存在する作家のビジョン
は対峙した者の前にマザマザと浮かび上がってくる。。。。


時間という誰もが論理的に説明できないモノ、、又その把握
できない中で揺蕩うわが身、、、、この時点で作品の物質面
のプライオリティーは二義的なモノに変質している事がわか
り、第一義はそのビジョンに対しての感受度合い及び衝撃で
ある事が分かる。




結果として作家が打ち出す、自己が追及するビジョン、
その表出に関して構造自体は同じである。





松本君の問題箇所が少しずつ分かり始めた瞬間でもあった。




話を初めに戻すが



今までの“やり方”=考え方、描法を含め、実験的に変えて行こう
かと思ってます。





これが今までとは違う変化、、、








何を求めてかは



言うまでもないだろう!







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八木佑介 日本画展 松坂屋名古屋店 無事終了いたしました。
昨日10/21日(火)無事、八木佑介 日本画展 松坂屋名古屋店
終了いたしました。


沢山の方にご高覧いただき感謝しております。


誠にありがとうございました。







まだ23歳の大学院生、本当に大きな挑戦の機会をいただ
きました。


このような機会を頂いた松坂屋様にも深く感謝しており
ます。



昨年12月、閉店が決まった高松天満屋にて、色々な調整
はありましたが、ナンとか初個展を開催。


12年間お世話になった私にとっても高松天満屋画廊にて
は最後の企画となりましたが、それから一年、、、


今回は以前にもまして作品の精度を上げ臨みました。




正直、不安はありました。




一体どのような反応が生まれるのだろうか??



無視されないだろうか??





飾り付けの時、


箱から出す瞬間の周りの反応を観察していると

スタッフの結構な驚き具合



画廊の壁一面に



ストイックな黒い作品がマシンガンのように並ぶ様は、、


従来のこの場ではない


独特のスタイリシュさ及び”挑戦的”だと確信しました。



やはり普通では駄目だ!




八木君の若さをより引っ張り出すには危険だがコンテンツ
は分かりやすく一点に集約した方が良いと考えたのは成功
でした。



余談ですが、、今回二人で話し合い


敢えてサブタイトルを外しました。


八木佑介 日本画展


これのみです。


「えっ?これ日本画??」



という声がどれほど多かったか、、


つまり敢えて逆張りをしました。



オーソドックスなものが多く流通し、固定観念が確立して
いる場所だからこそ、敢えて順目にして、こちらが逆らう
のではなく、お客様に錯綜感覚を味わってもらおうと考え
ました。



だから実際の展示もそれに従う事とし



セッティング時、画廊として許容される極限の光量を提案


通常使用する蛍光灯を消し、スポットとダウンスポットのみ
の薄暗い空間を作り出しました。








ある意味非常識な感覚です。



初日、開店早々から驚かされる

どこで情報をキャッチされたのか?



最終的には私のブログに辿り着き、確信を持ってお越しい
ただいた方は、なんと新潟から夜行バスに乗って・・・・



あまりの遠方とその期待値に恐縮・・・



又、昨年の高松の個展で彼と彼の作品に惚れていただいた
コレクターの方も車を飛ばして四国から朝一駆けつけていた
だいたのには本当に嬉しかったです。。。



会期一週間



途切れることなく多くのお客様に来廊いただき

そのスタイリシュ+アーバン+斬新+若い

このような評価をいただき、皆様一様に興味を持って、



概ね好意的にご覧頂けたことにホッと胸を撫で下ろしま
した。





ただ良い事ばかりではありません。


やはりまだまだ未熟な部分もあります。


辛らつなご意見を頂戴することも数多くありました。


しかし、それらは私にとっても彼・八木君にとっても
誠にありがたい今後の糧と成す貴重なご意見でもあり
ました。



最終日一日前

COMBINEで同じく仕事をしてくれている

釜くんと松本くんが来てくれました。







八木君にとっては先輩です。


しかし、


これは学校の先輩後輩ではなく



同じく絵画という世界で志を立て戦う先輩後輩


私としても非常に嬉しい交流となりました。


因みに



釜君は今年5月に同場所にて個展を開催
2年後には第二画廊というより高いステージへ
ステップアップ


松本君は来年2月、25日~3月3日の間、同場所
松坂屋名古屋店第三画廊にて初個展を開催します。


そのため、松坂屋のスタッフの方々への挨拶も
し、制作内容と発表時の構想等の打ち合わせも
行いました。


ある意味、それぞれが同じ経験をし戦う者同士


お互いに様々な意見交換をし、現場でしかできない
感覚を共有できた事は実に有意義であったと私は
確信しています。


又、それぞれが次の課題へのより強い覚悟も
生まれたのではないか?と密かに観察していました。


さて、今回の個展は概ね成功であったと思いますが
次回は??


八木君は現在京都造形の院2生、来春卒業ということで
ここから暫くは卒業制作展へ向けて大作の制作にかかり
ます。


学部卒業時の大作はありがたいことに佐川美術館様に
コレクションしていただきましたが、今回は??



約4ヶ月その制作に没入いたしますが、



それが終了した段階で次の個展を開催するべく現在
調整中です。



次回は関西にてと考えております。


詳細が決まり次第



改めてホームページ及び当ブログにて紹介をさせて
いただきます。


こうご期待ください!!







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八木くんとの出会い
八木くんと出逢ったのは今から4年前、彼が19歳の時だった。


きっかけは彼が母校の主催する学生オークションに出品して
いた事から縁が出来た。


ある人を介してBAMI galleryにやってきた彼、その時、何を
喋ったのかは細かく覚えていないが、私の率直な印象は・・・・


「なんと生意気な奴」


と言う事であった、、、、


私が最初に見た彼の作品は



午前二時四十七分 遠巻く光



午前二時十一分 遠巻く光


作品を描くために写真を多用している事がすぐに分かった
のでその事からくる利点と問題箇所をかなり細かく指摘した
のだが、真っ向から反論してくる姿には他の若者にはない
自分の作品に対しての自信を感じはしたが、、、同時に、、
生意気な印象も強く持った。


ただ、、、彼が語る深夜二時の街の風景に対しての思い
、、この事だけは、その当時と今も全く変わっていない事
は鮮明に覚えている。


その後、なぜ彼が私の周りに居るのか実は記憶にない。。。


おそらくたまに覗きに来ては色々な話をしていた??
のだろう。。。。


当然記憶にないから何を喋ったのかすら覚えていない。。


暫くして、多分最初の出会いから一年後だったと思うが
彼が豊橋トリエンナーレ星野眞吾賞展 入選・審査員推奨
を貰いましたと報告しに来てくれたのを覚えている。


それまでもチョクチョク画像ではあるが彼の作品を見ては
いた。


確かに上手い、年齢からすれば抜きん出たものを感じていた。

しかし今ひとつ何か食指が動かないものも感じた。


彼の豊橋トリエンナーレ星野眞吾賞展の作品を見た瞬間も
以前指摘した違和感を完全に拭えたものではなかったが、、


何か以前とは違う強い主体性がほんの少しの引っかかりを
生んだ。


敢えて偉そうに言えば、、この子の画力があれば入選は
ある程度予想はできる。それ以上は当然コンペに合う合
わないはあるだろうが、、、

しかし普通に考えれば順当だろうなと感じていた。。。。
だから入選・審査員推奨というのは特段驚きもし
なかったが、、、


うん?ひょっとして、、


何かテーマを与えもう少し数を描かせたら?
何か出てくるかも?という独特の期待感、
その匂いを感じたのである。


そこで当時、私が若者の出口兼実験場として利用していた
高松天満屋のアートギャラリーにての特集を企画した。


今だから言えるが、この高松天満屋のアートギャラリーに
新しい作家、特に若い作家を入れるとき、スタッフであっ
た青野女史と現場で調べていた事があった。


それは二つの事象である。


一つは、最初の一点の売約までのスピード
もう一つは単価である。


実は、一週間以内に反応がある場合は芽がある。
それよりも早い場合はかなりのモノが期待できる。


大抵、百貨店は一週間単位で催事が進行するが、
この場合の一週間は別の意味がある。ごく限られた
お客様への告知以外はせず、ほぼプロパー(店頭)にて
お買い周りのお客様にぶつける。


つまりLIVEだ!


その期間は大体3週間。長年やっていて掴んだサイクル
である。


そういう意味では乱暴であるが


その人間の持つ”星”も見る。

作品がどういうストーリーを産み出すか?


つまり出会いである。


高松天満屋という場所はそういうレスポンスが効いた
場所であった。当然、それは継続して若い作家を紹介する
ことにより生まれた環境であり、それをスタッフの青野女史
が丁寧にフォローし続けていたからでもある。



結論から言えば、八木君はどちらも合格であった、、、
と言うよりもこちらの予想を遥かに超えた。



青野女史から毎日届く接客報告を聞いていても、彼の作品
には独特の吸引力があることが分かった。


確かに合格である。。。が、、、まだ少し気になる部分も
あったが、、、、


その後ある作品を目にした時、、


ハッ!とさせられた・・・・


この子はひょっとして、、、




午前二時四十六分


この自動販売機の作品を見たのが、、実は今の私の行動の
きっかけとなる。


この子は並じゃない・・・

これは画力、描写力という技術面からの関心事ではない・・
中に秘めているものと、、ある種偏向的な鋭い視点だ。。。


彼が”夜が明るすぎる”と集約して語る、、つまり必要の
無い電力を湯水のごとく使い続ける現代の深夜二時・・・
こう象徴的に語ったのを初めて聞いたのは


3.11より以前であり、、


彼がそのことに囚われたのはもっと以前である
。。。。


これまでにないモノが生まれる??



**********


その後一年は何もしなかった。彼も大学学部卒業と言う事
もあり、卒業制作の大作をかなりの時間をかけて描いていた
事もあった。





この卒業制作、約5Mの大作だが、めでたく
京都造形芸術大学卒業制作展 学長賞 
佐川美術館栗和田榮一賞受賞



そして佐藤国際文化育英財団 第22期奨学生の選抜された、、



2013年、、、

再度企画を練った。

一年で2回同じ百貨店で個展を敢行しよう!

春先に前回同様の実験場である高松天満屋アートギャラリー
にて


そしてその年の最年末に画廊にて!

当然この二つのハードルは制作点数と発表単価の上昇
を課題とした。


これは正直私の仕事としての思惑であり、つまり今後を
見据えてであった。


結果は、そのどちらもこちらの予想を上回る結果を残す。


そしてこれまでの購買客層とは全く違うお客様を吸引した
その状況はこちらを驚かせた。。。。


それから10ヶ月後の現在


満を持して向かえる


新たな試練として頂いた松坂屋名古屋店での挑戦!





恐ろしいスピードで猛進する彼と彼の作品


是非見ていただきたいと切に願います。。。



■八木佑介 日本画展

・2014/10/15(水)-21(火)
・10:00-19:30(最終日は16時)
・松坂屋名古屋店 南館 6階 第3画廊


〒460-8430
名古屋市中区栄三丁目16番1号
電話:052-251-1111


電車でお越しの場合

地下鉄名城線矢場町駅 地下通路直結(5・6番出口) /
地下鉄栄駅 16番出口より南へ徒歩5分

お車でお越しの場合

名古屋高速 白川出口、東新町出口、東別院から
お越しいただくと便利です。





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