RECENT POSTS
今後の予定(BAMI&高松天満屋)
少しBlogが開いてしまいましたが


当Blogでも再々紹介させていただいて
おります


観○光 ART EXPO 2011が現在開催されて
おります。













会期は24日(月)までですので、まだご覧になられて
いない方で興味をお持ちの方は是非この週末足をお運
びください!


----------------------------


さて今後のスケジュールですが


BAMI galleryでは11月1日(火)より


佐野 暁 URUSHI exhibition
Hello ♡ Kumasan





2011.11.01 (tue) - 2011.11.30 (wed)
gallery close 11/3・5・6・12・13・20・27
open 12:00~18:00

開催いたします。


2011年京都芸大にて

漆工研究領域修了学位 博士(美術)取得した
気鋭の【URUSHI Artist】佐野暁!




はるか縄文の時代から現代まで日本人を貫き通す天恵
の素材「うるし;漆」。

未完なもの、未熟なものを肯定的にとらえ、愛でる
日本人の美意識、古くから存在し、今世紀に入って
一躍注目を浴びる「かわいい」。

万物にカミを見出す日本人の自然観に立戻った時、一見
関わりあうことの無い二つの軸は静かに交わりあう。漆
という名の魂を身に宿し、キャラクターたちは毅然と、
そして「かわいく」立ち現れる。





乞うご期待ください!!



-----------------------


12月5日(月)からは

GOMBESSA proposal ep2



を開催いたします。

【Artist】


釜匠
松本央
阿部瑞樹
佐野暁
武者宏迪


その後連動企画として

↓ ↓ ↓


高松天満屋5階美術画廊にて

12月21日(水)~12月30日(金)


現代美術のカッティングエッジ
京都・瀬戸内のゴンベッサたち


を開催いたします!!



【展覧会主旨】


ゴンベッサとはシーラカンスである。
シーラカンスとは、古生代に出現し、
白亜紀に絶滅したと考えられていた
全長約1.5メートルの魚のことで、
原始的な形質を有するので、生きた
化石といわれています。


その存在を昔から知っていたコモロ
諸島周辺の人々からは肉が不味くて
「使えない魚」との語義をもつ
「ゴンベッサ」の名で呼ばれていた。


その価値が明らかになり高値で取引
されるようになった現在、「ゴンベッサ」
は一転、「幸運を呼ぶ魚」との
肯定的な語義に変わっている。


今展企画は、このゴンベッサの語義
変化をアートの世界における劇的な
パラダイムシフトに擬え、今はまだ
その名も作品も世に知られず、価値
も確立していない京都と瀬戸内の若
いアーティスト達約9名をゴンベッ
サと位置付け、東京以外の現代美術
のカッティングエッジ(刃先・最先
端の意)の能力とその可能性を広く
問いたいと考えております。


【参加アーティスト】

釜匠
松本央
阿部瑞樹
佐野暁
武者宏迪

高松明日香
炭田紗季
辻孝文
小橋順明


【イベント予定】

24日25日ギャラリートーク


※詳細に関しては当blog及びプレスリリースを
 11月初旬に配信いたします。






------------------------------





高松天満屋5階アートギャラリーでは


11月2日(水)より

期待の瀬戸内ゴンベッサ第3弾!

COMBINEの核弾頭!

辻孝文くんのsolo exhibitionを開催します!




彼はこのたび

2012 Saari Residence (フィンランド・Koneen Säätiö )
のレジデンスプログラムに選抜されました!


辻孝文 solo exhibition 【transition period】

会期:11月2日(水)~11月22日(火)
場所:高松天満屋5階アートギャラリー
直通電話:087(812)7549 担当 青野
※最終日は午後4時閉場


baberu 112×145(㎝)


trnsition period 97×133(㎝)


【ステートメント】


僕は、大きなテーマとして『営み』があり、
そこから見えて来る出来事を作品として形
にしている。3.11以降僕は、連日流れてく
る悲惨な情報を前に以前の様に絵を描く事
が出来なくなった。


自然の猛威、自分達が作り上げた手に負え
ない産物によって僕達は今自分達の生活
(営み)を考え直さないといけない所に立
っているのではないか?


そんな思いが込み上げて来ると同時にもっと
社会にコミットした作品を描かなくてはなら
ないと言う気持ちが溢れ出て来る。


半分が崩れ落ち半分は、生きている。どちら
に転ぶか分からないその真ん中に僕らはいる
んじゃないか?


そんな転換期と呼べる場所に。(辻孝文)


【プロフィール】

1985年生まれ、岡山県在住

賞歴

2010 トーキョーワンダーウォール公募2010
   トーキョーワンダーウォール賞

2007 メルボルン日本芸術祭(オーストラリア)
   日豪芸術様式美賞

2006 モントリオール国際芸術祭(カナダ)
   カナダ日本フランス芸術友好賞

2004 弟6回雪梁舎フィレンツェ賞展 入選
KARUISAWA HEARTLAND DRAWING BIENNALE 入選

展示会

2011 トーキョーワンダーウォール都庁2010 (東京)
TWS-EMERGING 2011 (tokyo wonder site hongo/東京)
   TWS-EMERGING-165 (TWS Art Cafe kurage/ 東京)
ワンダーシード2011 (tokyo wonder site sibuya/東京)
petit"GEISAI#15 (東京都立産業貿易センター/東京)
             
2010 トーキョーワンダーウォール公募2010
   入選展 (東京現代美術館/東京)
   100 Artist Exhibition (OUCHI GALLERY/ニューヨーク)

2008 "GEISAI#11 (東京ビックサイト/東京)

2005 "GEISAI#9 (東京ビックサイト/東京)

レジデンスプログラム

2012 Saari Residence (フィンランド)



-----------------------


その後の高松天満屋アートギャラリーの
予定として


11月23日(水)~12月30日(金)


現在京都造形芸術大学3回生の

八木佑介くんのsolo exhibitionを開催予定





作品タイトルは全て


午前2時○○分と示し、社会が静かに眠る風景
それは映画のセットのような、又都市が息をしている
瞬間を捉えたような、、、、誰もいない都市、煌々と
光る無意味なライト群・・・・


【八木佑介制作コンセプト】


午前二時、無人の街に光が溢れる。


夜が明るすぎると僕は思う。


ただただ人間の安全のため、安心
のために膨大な光が生まれ、人間
はそうやって築かれた文明を賛美
する。


誰もいないにもかかわらず、煌々
と街を照らし続ける光に僕らは麻痺
しているのだ。


この作品群では、画面をまず真っ黒
に塗りつぶし本来の闇を作り、その
上から光の粒子を点描として描き重
ねる。


画面の中に描かれているのは、闇と
光だけであり、その光の群れによっ
て街が形取られる。


無人の都市を支配する光を実際に粒子
として描き起こす事によって、人工の
光の意味や必要性、さらには、種の繁
栄へと突き進む中で都市というものを
創りあげた人間に対し疑問を投げかけ
ている。


※exhibition詳細に関しては11月初旬に
 当blogにて改めて紹介させていただきます。


---------------------------


そして年が変わって

2012年1月中旬より約3週間


京都造形芸術大学院生


川又仁奈さんのsolo exhibitionを開催予定






※exhibition詳細は後日改めて当blogにて紹介
 させていただきます。


乞うご期待ください。





▲TOP
8畳の宇宙。
良く考えると、私は純粋に旅行というものを
したことがほとんどない。。。



理由は簡単である、仕事でこの20年様々なところ
を飛び回っていたということに尽きる。



あえて時間を作りお金をかけ、さぁ行こうか!と
自分自身から計画するなどということがまったく
想像できなかったし、事実そんなことをしたこと
もなければ、考えもなかった。




そう、考えもなければ、考える暇もない位に様々
なところに行っていた。



ここ最近はさほどではなくなったが、20年前くら
いから3~4年前までの15、6年間は、かなり激し
く動き回っていたように思う。




そんな私が旅行したと記憶できるのは、、、


山口県の萩である。




萩は明確な意識を持って選んだ旅行だった。
萩が好き、萩の雰囲気が好き、と言うことでは
なかった。




実は萩は中学の修学旅行で訪れていた。しかし
再度どうしても行きたい場所があった。行きたい、
そう思う場所は一か所




松下村塾。


ここにどうしても行きたかった。



修学旅行時、それほど大きな興味がなかったの
であるが、その後この私塾を中心とした幕末、
維新回天の偉業を知るにつけ、ボォーと修学旅
行のコースの一つとして眺めただけの瞬間が悔
やまれ、どうしても再度行きたいという強い想
いに駆られたのであった。




修学旅行から10年後の25歳、私は再び、萩、
松下村塾の前に立った。




その日は雨、平日であったこともあり観光客は
ほとんどいなかった。



傘をさしながら、かなり長い時間、松下村塾を
眺めた記憶がある。





なぜ、松下村塾なのか?


それは一言で言えば


みすぼらしい小屋だからである。


そして、、、わずか8畳の教室。





たった一人、在野の人間、罪過を負った
アウトサイダーが自らの信念と志をもと
に教育実験を始めた、、、



小さな小屋、みすぼらしい教室だからである。



この小屋から綺羅星のごとき英雄・俊才が
輩出され革命が興ったという事実、この事実
を再度網膜と脳裏に刻みたかったのである。



25歳の私は、このとき何かを感じたかった。



私は正直、少し悩んでいた。
今の仕事を続けるべきか?否か。




なにか他に出来ることがあるので
はないか?


そんな具体性もなにもない自分に対する
甘い期待を持ち続けていた




同時に、逃げたい衝動もあった。




なんとなく心地の良い観念の世界に逃げ
込みたかった。



この小屋を見て



なにか現状を変える、、、、
瞬発力を感じたかったというのが



本音であった?




いや、、無理やり作った感情、、その方が
正しい・・・・







識見気魄、他人に及ぶなし、、高杉晋作



玄端の才は縦横無尽、、久坂玄端



中々周旋家になりそうな、、、伊藤博文



その人物の完全なる、二子(久坂、高杉)も亦
八十に及ばざること通し、、、、、、前原八十郎



鋭果愛すべき者、、、野村和作



朴訥にしてすこぶる沈毅の質あり、、、寺島忠三郎



書を読むこと河のごとし、、飯田俊徳




中々の奇男児なり。愛すべし。、、、時山直八





何者になるかも分からない若者に対するこの
みすぼらしい小屋の師の評価である。




しかし、師は亡くなり、彼らのその後を見届
けることはできないのであるが、彼らの偉業
は師の評価と違わることはなかった。




この若者たちはその才を選ばれ参集したわけ
ではない。



資質をもっていただけである。その資質が花開
くきっかけとなったのは、間違いなく



8畳のみすぼらしい教室であった。




なぜ、この小屋に若者たちは集まったのであ
ろうか?




当時この小屋の主は風評危険人物であり、まと
もな子弟は親兄弟ら周りから近づくことすら禁
じられていたことは間違いない。



近づくこと、それだけでも近親に類が及びかね
ない、そんな環境であったことは間違いない。
そして誹謗される存在であったであろう。




今のような教育の平等と権利などない時代、
それでも平均的な武家やそれ以外の階層の教育及
び教育機関は既存の存在としてあったはずである。




にも拘わらず、この小屋に参集した若者たちは
何に吸い寄せられたのであろうか?









この見えない強烈な臭気が、若者を惹きつけたと
しか考えられない。





広い日本の国土の中

僅か8畳の宇宙。





特権階級でもなければ


選ばれた人種でもない。



草奔の士。



どこにでもいる人間たちが
志を旗印に立ちあがり、自ら持てる
資質を目いっぱい花開かせた。





無限大の可能性を開かせた
8畳の宇宙。



志は不朽。



今から20年前の雨の日の松下村塾



25歳の私は



残念ながらそんなことは、、、弱虫にはなにも感じられ
なかった。



なんとなく、やはり、、ただなんとなくにしか目に
は映らなかった。



それは雨に濡れた、ただの小屋であった。




次の日から、また同じ日常が始まり、今日まできた。




しかし20年経ち





僅かながら

一つの事が見え始めてきた。








貫徹したいものが生まれた。




松下村塾の志

草奔崛起の精神





「志を立てて持って万事の源となす」




今でも




私は




他人の言葉に迷い
明確に追い求めている筈のものが




漠然とすることが多々ある





短慮


短気になげやりになる時もある


人の顔色を伺い卑屈な時もある




自らの使命と志ができた、、、



などという強固さからは程遠い・・・・




しかし



僅かながら

一つの事が見え始めてきた。




届かないかもしれないが




広い日本の中では



塵のごときものかも


しれない





しかし


私には、、、




小さな宇宙が


あるのです。

▲TOP