June 12,2013
先月のある週末と先週の土曜日、ある仕事の関係で
香川県のある場所に行っていました。
今回は高松ではなく琴平、金毘羅宮の近くです。
仕事現場集合だったので車で向かったのですが、
目的地につくほんの、そう、ほんのごく手前で、、
ある石碑が眼に飛び込んできた!
呑象楼・どんぞうろう!
えっ!ここなのか、、、、
あの日柳燕石の・・・・・・

幕末期、数多の英雄がいるが、ほんの僅かな史実
としてしか登場しない、しかし、歴史の中では決
して欠かす事のできない豪傑、英雄、、、歴史の
スター以上のすごい侠が我が国の歴史には数多存
在する。
なかでも日柳燕石は別格中の別格、侠の中の侠と
言って間違いないだろう。
幕末長州藩を追われた高杉晋作を身命を賭して匿い、
自ら身代わりとなって捕縛され4年獄舎に繋がれた
のち、その過酷な境遇が災いし死んだ侠客。
高杉が書簡で語る彼、日柳燕石
「当所にて日柳燕石と申す奇人に出会い、議論符合し、
益得ること少なからず候・・・、何れにしても、日柳
氏一身を抛うち潜伏させると申す位につき、決して御
懸念無用に存じ奉り候」、
「日柳氏は博徒の頭、子分千人ばかりもこれ有り、
学問詩賦も腐儒迂生の及ぶ所にこれ無く、実に関西の
一大侠客に御座候」

吉田松陰、高杉晋作師弟に繋がる幕末随一の侠客。

吉田松陰が燕石の詩を好み、松下村塾では燕石の詩が吟
じられていたそうであある。

司馬遼太郎「世に棲む日々」の中にも登場するのですが、
その中で、吉田松陰の猛を継ぐひとりである高杉晋作を
匿うにあたり幕末随一の侠客としての心意気を語らせて
います!
「常ならば何も為すことなく僻地の仁侠一匹として死ぬ
だけだったが、、、
あの小僧(晋作)のおかげで俺も猛をひとつ発することが
叶った」
・・・・・
この呑象楼は移築されたものらしいが、しかし、心の
高ぶりは抑えられないものがあった。
以前、この燕石という名前、不思議に思い調べたこと
がある。単純に燕石と検索すると大半以下のような説
明がでてくる。
《燕山から出る、玉(ぎょく)に似るが玉でない石の意》
まがいもの。また、価値のないものを珍重し、誇ること。
小才の者が慢心するたとえ。
なるほど、この意味から日柳燕石が自嘲及び自重として
付けたというので合点がいく・・・
しかし、もう一つ燕石には意味がある。
つばめいし、、、
ツバメの巣の中にはヒナの盲を治す不思議な石や安産
の象徴になる子安貝が入っている」というものだ。
南方熊楠、珠玉の論考にも燕石考というのがあるらしい
が、浅学寡聞の私では到底ここで紹介できないが、あえ
て言うと「燕石」の伝承は洋の東西を問わず類似するも
のが存在する。
我が国においては竹取物語の中にその内容が出てくるら
しい。
南方熊楠はその東西に存在する近似した伝承に対して
文化伝播論を展開している。
人間の想像力のパターン性の追求というのだろうか?
つまり基底となる部分の同一感覚。
私は日柳燕石という人を思う時、どうも後半に記した
理由が湧きあがるのである。
彼が命をかけて堅持した義侠心。世上の判断、世論、
そんな事とは違う、自らの信念の中から見つけ出す正義、
そこには獄舎に繋がれようが、貫き通した中に存在した
「燕石」、、、
人間にとってもっとも美しいものを感じるのである。
香川県のある場所に行っていました。
今回は高松ではなく琴平、金毘羅宮の近くです。
仕事現場集合だったので車で向かったのですが、
目的地につくほんの、そう、ほんのごく手前で、、
ある石碑が眼に飛び込んできた!
呑象楼・どんぞうろう!
えっ!ここなのか、、、、
あの日柳燕石の・・・・・・

幕末期、数多の英雄がいるが、ほんの僅かな史実
としてしか登場しない、しかし、歴史の中では決
して欠かす事のできない豪傑、英雄、、、歴史の
スター以上のすごい侠が我が国の歴史には数多存
在する。
なかでも日柳燕石は別格中の別格、侠の中の侠と
言って間違いないだろう。
幕末長州藩を追われた高杉晋作を身命を賭して匿い、
自ら身代わりとなって捕縛され4年獄舎に繋がれた
のち、その過酷な境遇が災いし死んだ侠客。
高杉が書簡で語る彼、日柳燕石
「当所にて日柳燕石と申す奇人に出会い、議論符合し、
益得ること少なからず候・・・、何れにしても、日柳
氏一身を抛うち潜伏させると申す位につき、決して御
懸念無用に存じ奉り候」、
「日柳氏は博徒の頭、子分千人ばかりもこれ有り、
学問詩賦も腐儒迂生の及ぶ所にこれ無く、実に関西の
一大侠客に御座候」

吉田松陰、高杉晋作師弟に繋がる幕末随一の侠客。

吉田松陰が燕石の詩を好み、松下村塾では燕石の詩が吟
じられていたそうであある。

司馬遼太郎「世に棲む日々」の中にも登場するのですが、
その中で、吉田松陰の猛を継ぐひとりである高杉晋作を
匿うにあたり幕末随一の侠客としての心意気を語らせて
います!
「常ならば何も為すことなく僻地の仁侠一匹として死ぬ
だけだったが、、、
あの小僧(晋作)のおかげで俺も猛をひとつ発することが
叶った」
・・・・・
この呑象楼は移築されたものらしいが、しかし、心の
高ぶりは抑えられないものがあった。
以前、この燕石という名前、不思議に思い調べたこと
がある。単純に燕石と検索すると大半以下のような説
明がでてくる。
《燕山から出る、玉(ぎょく)に似るが玉でない石の意》
まがいもの。また、価値のないものを珍重し、誇ること。
小才の者が慢心するたとえ。
なるほど、この意味から日柳燕石が自嘲及び自重として
付けたというので合点がいく・・・
しかし、もう一つ燕石には意味がある。
つばめいし、、、
ツバメの巣の中にはヒナの盲を治す不思議な石や安産
の象徴になる子安貝が入っている」というものだ。
南方熊楠、珠玉の論考にも燕石考というのがあるらしい
が、浅学寡聞の私では到底ここで紹介できないが、あえ
て言うと「燕石」の伝承は洋の東西を問わず類似するも
のが存在する。
我が国においては竹取物語の中にその内容が出てくるら
しい。
南方熊楠はその東西に存在する近似した伝承に対して
文化伝播論を展開している。
人間の想像力のパターン性の追求というのだろうか?
つまり基底となる部分の同一感覚。
私は日柳燕石という人を思う時、どうも後半に記した
理由が湧きあがるのである。
彼が命をかけて堅持した義侠心。世上の判断、世論、
そんな事とは違う、自らの信念の中から見つけ出す正義、
そこには獄舎に繋がれようが、貫き通した中に存在した
「燕石」、、、
人間にとってもっとも美しいものを感じるのである。