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それがどうした?
いつだったか忘れたが最近だったような気がする、、


不確実ながら、石原慎太郎氏が


現代美術って見ても


「それがどうした?」ってのが多いんだよな・・


と言うような事を言ってた、、ような気がした。


この件は例のカルティエでのことではなく
それ以外で”ながら”ながらに耳にはさんだ記憶が
私にはあったのだ・・・・


因みに今から4年前の石原氏の言動を
改めて記載すると、、、、、



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2006年「カルティエ現代美術財団コレクション展」の開幕
セレモニー。東京都現代美術館では、4月22日の開幕に
先駆けて、4月20日に、世界各国の関係者1500人を
招待した開幕セレモニーを行い、21日に、国内の美術関
係者を招待したプレオープンを行なった。



東京都現代美術館館長の氏家齊一郎たちと並んで祝辞の
マイクを握った石原慎太郎は、開口一番、,,,,,




「今日、ここに来て、なにかすごいものが見られるん
だろうと思っていたのに、実際は何も見るべきものが
無かった」




そして、こう続けた。




「ここに展示されている現代美術は、まったくもって
笑止千万なものばかりだ」




「見る者に説明を要するような現代美術など無に等しい」




「日本の文化のほうが、西洋文化よりもよほど美しい」




「こんなもん、どこがいいんだか分からねえや。どれも
クズだね。どうせカルティエは金にまかせてやってるん
だろ?私はブランドもんは嫌いなんだ」


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。



「都知事は酔っぱらってるのか?」



と会場は愕然としたらしいのであるが、彼、石原氏にとっては
本音のようであり、真剣な意見であったようだ。。。



オープニングという式典の場での発言として妥当か否か
またかくも批判的な心情をもって嫌がらせに近い?いや
ほとんど嫌がらせのような行為を行う事の是非、及び
総合して、この人の立場においての品格という問題を
あえて脇において考えた場合、、、、、



私は、ある意味大事な意見であり、尊重するべき点
が多々あると感じるのである。




現代美術という言葉を私はあまり好きではないが
あえて説明のための便宜として使わせてもらうならば、




現代美術の本質を突いているような気がする。




あくまで現代美術とは歴史という時間の中での客観的な
見え方、括り方であって、主体的に現代美術ということを
言い放つ必要のないものだと常々感じている。




それは時代時代の変革、表現の変革期に登場する
鮮烈な見え方であり、実際には前時代に対抗する
ものであるから、本来は100%批判非難の対象の
筈であり、理解されにくいモノであると思うのである。



だから、本来、皆して


いいねぇ~


すばらしいねぇ~



なる現象は




本当に現代美術なのかどうか・・・



本来的な定義に照らして言うならば




ある意味、石原氏のような存在があるからこそ
成り立つ表現の現象のような気がしているのである・・・




最後っぺのように付け加えられている




「こんなもん、どこがいいんだか分からねえや。どれも
クズだね。どうせカルティエは金にまかせてやってるん
だろ?私はブランドもんは嫌いなんだ」



これもある意味大きな感情のボリュームを抱える発言で
あり妥当な部分もあるように思えるのである。。。。




現実的に現代美術なるモノに対して、この国の感情を
仮に数値化した場合、実は石原氏の意見のような感
情はかなり大きなボリュームがあることは確かなような
気がしている。


特に


「見る者に説明を要するような現代美術など無に等しい」



というのはズバリ、、ストライクのような気がするのである。




付け加ええて言うならば、
先述の不確実な私の記憶の中にある言葉



「それがどうした?」というのも真理としてある。。




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このカルティエの一件は当時様々なメディアで取り
上げられ相当なバッシングがあったが、そのほとん
どが、石原氏の政治姿勢とリンクして語られるもの
が多く、極端なものになれば、その専横的な発言か
らヒトラーと重ねるような論評もネットでは今も残
っている。。。。







因みに参照されるヒトラーの発言とは



一部の思い上がった一派だけに支持され、健康な多く
の国民の燃えるような賛同を得られない芸術は我慢
ならない(1937年/アドルフ・ヒトラー)




というモノで、、まぁ




印象として下敷きになってトレースしたかのようにも
感じられるのは否めないような気もする・・・・




そして因みに折角なので、、、




ヒトラー総統は若かりし頃画家を目指しておられたのだが、
その当時の絵が、ネットで掲載されていたので、参考までに
ここで掲示いたします、、





































確かに・・・上手??ですねぇ、、、、



しかし、なんとも陰鬱な、、特に精気のなさはある
種の独特な才能すら感じますねぇ・・・




どうしてこうも精気がない絵が描けるのか?




暗い明るいというような差ではなく、、、




とにかく精気がない・・・



総じて言うならば、、、




売れ残りの”おみやげもの”のような・・・




健康な多くの国民の
燃えるような賛同・・・・と鼓舞するわりには、、



自身の作画は



なんだかなぁ~であり、、、とても”ワンダホー”


ではない。。。



しかし、、しかしである。。。。




これを貨幣価値になおせば



相当な高額になることは皆さんお感じのことだ
と思います。。。。





話を戻しますが






いずれにしても



正直、、我々、普通の人の生活において



相当すごい表現が同時代に生まれても




世間の本質的意見とは



「それがどうした?」と言うことであり



身も蓋もない冷ややかな言葉の中で




存在するのが  ”げんだいびじゅつ”  という奴の
ような気がするのと・・・・




価値とは




ヒトラーの絵のようなものが本質のような



気がいたします。。

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宿題
気づけば、、、最後にブログを更新してから


一週間も経つ・・・


この間、実は上海出張の宿題を日々処理して
いた。


普段あまり使わない脳の部位?を急に刺激した
のか、、、毎日毎日ノロノロとした進行、、昨日
やっと一段落したのだが、、あらためて自らの


CPUの低機能を嘆き悲しんだ毎日であった。。


宿題の内容はここで披露はできないが、簡単に
まとめて言えば、成り立ちと理念と言うことについて
少しまとめたものであった。


先般より上海に出向いて色々な方々とお会いした
のであるが、当然仲介者とそれまでの経緯でこちら
のCOMBINEのことはかなり説明はしていただいて
いるのであるが、詰まるところ、、実際対面し話せば
、、、、


もっと詳しく!となるのは当然のことであり、考えれば
これまでに会った人についても、抜け落ちていたか?
と改めて感じたので、遅ればせながらここはすこし詳
しく書き記さねばと言うことで纏め始めたのでした。


しかし、これは誰かに提出するからという事でやり始
めた事であったのですが、書きだして気づいたのは自ら
にとっても実に重要な事であり、振り返ってもう一度
見直すというのか、再度期するモノが見えたというのか
、最終的にはこれをして良かったというよりも、しなくて
はならなかったという事に気づかされました。


当然自分自身でもそうなのだが、これから一緒に行
動する関係の方々、特に国境を越えて関係する方々
には尚のこと統一した理念というものをこれまでの経緯
から明確にする必要性があると感じたのでした。


いずれにしても下手くそな文章ではあるのですが、
なんとか纏められました。



・・・・書いた文章量以上に口頭の説明が必要かも・・・
   口述筆記の方が・・・などという懸念が無きにしも
   非ず・・・・・・・・・・・


書き終わって感じたのは、やはり理念の大切さで
した。


先般ユニクロの柳井さんが上海に旗艦店を出店
した際、日本のメディアに対して答えていたのが、
非常に印象的で、これからは外国から新入社員
を50%以上採用する、グローバルというが、元来
日本という国の国情を考えればかなり昔から外需、
内需なんていうものは存在しない。、、と論断されて
いたが、確かにと考えさせられるものがあった。


戦後すぐから創業し世界的企業に上り詰めた
SONYにしてもHONDAにしても、戦争で荒廃
した国内にマーケットがないから当然のこととして
海外に出て行った訳で、それから何十年も後の
この国で今更外需、内需なんていう概念をさも
重要に語るのは愚の骨頂でしかない。


あるのは世界市場のみという柳井さんの考え方
はダイナミックであるのと同時に、理念として堅持
しているものを形にするために行動しているという
シンプルさを感じざるおえない。


因みにファーストリテーリングの理念は、
『服を変え、常識を変え、世界を変えていく』


ここに端から国境はないし、この世界とは色々
な意味で概念と捉えることも、単純に地球儀
としての世界とも捉えることが出来る。いずれ
にしても、、、、


ファストファッションが良いか悪いかの議論とは
別に、理念に準じた行動というものが伺える。


また付け加えて言うなれば、柳井さんはこの
一連の行動を経営戦略とか成長戦略という
言葉ではなく、”生き残り戦略”という背水の
覚悟を語っていると説明されていた。これも
妥当な考え方だなと思う。


一時、勝ち組負け組などというくだらない言葉
があったが、私はどうも違和感があった。勝った
もの、勝ち組はずっと勝ち続けるのか?という
ことである。そんな企業や組織は過去見たことが
ないと同時に、企業50年説という根拠のない
言葉があるが、ある意味的を得ている部分も
理解出来る。

勝ち負けは常に繰り返される。
その盤面にプレイヤーとして参加できるかどうか
が最も大事な事なのでは?と思うのである。。、

アサヒビールとキリンビールの歴史の関係を見た
ときに、ビール界の巨人として君臨していたキリ
ンビールが、アサヒのスーパードライの一撃で沈
没させられた例を考えれば明白で、常に生き
残りをかけた戦いがあり、一時的に勝っている
というのが元来正確なのではないか?と思う。
こういう言葉の発信は大体安寧な立場を有
するものからしか出ない筈で、それは逆に言え
ば、戦いに参加していないどうでもよい輩だと
も判断できる。


昨日のカンブリア宮殿で過去VTRを何編
か流していたが、その中で鈴木自動車の会長
さんが答えていたのが面白かった。

今スズキはご承知の通り、世界に敵のいない
ほどの軽自動車メーカーで、インドに早くから
進出しその大半のシェアーを奪っている。

そのことについての答えが痛快だった。


日本には豊田も日産も本田も強敵どころか
とっても相手にならない。一番になる国を探して
出て行きました。その為には誰も行っていない
国これが結論でした・・・・・


簡単におっしゃられるが相当な覚悟と苦労が
あったことは容易に想像がつく話であるが、、、


鈴木の社風を見事に体現させる言動であり
行動でもある。これも理念か、、と思う。


「人と同じ事はやらない。やるなら世界一を
目指すのがスズキ」


その結論は一番になれるところで一番になる!


この考え方からか、結果としてこの考え方に
なったのかは分からないが、面白いなぁと感心
を越えてある種の感動を覚える。


と、ここまで理念云々を大層に語ってきたが、
大体、私のような小身なるものが世界的な企業家
の話をさも自分が語っているかのように書き記している
事に不快感を示される方も多かろうとも思います。
しかしあえて言えば、、、それは私の宿題が優れていて、
やはり理念が大事などと偉そうに結論づけるためで
はなく、実は本心として、、、


書けば書くほど、、こんな事はオリジナリティーがないなぁ
とか、誰か他の人も同じ事をやってるしとか、何よりも
無数に存在する同じような立場の人を想像すると、
自分ごときが脚色をふんだんに交えて書いたモノなど
所詮嘘っぱちにしか見えないなぁ・・・などという思いが
次から次から浮かんできたのが本音でした。。。。。


しかし、ある人の文章を目にしたとき、その考え方
を無理からに修正しようと思ったのです。


それはGoogleについて書かれた一文で、


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グーグルも創業当初の2~3年間は収益が
上がりませんでした。

「検索エンジンなんていくらでもあるじゃないか」

という批判的な意見にもさらされてきました。

誰もがやっていないようなサービスを
初めから提供できていたわけではない。

ほとんど世の中にある仕事は誰かもやっていて 
いくらでもあったりします。

けれども、重要なのは、

今やっている仕事がいくらでもあるから価値がない
とか、 やっている人が少ないから価値があるという
話ではないということです。

どこの誰よりも、お客様への質的サービスの向上をし、
お客様に喜ばされることを真剣に考え、 取り組む
ことなのだと・・・


その結果・・・

 
「これがないと生きていけない」

という会社になるのだということです。


これこそが、


「最高の差別化」


です。

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私とGoogleでは・・・誰が考えても何を言うてるねん??
にしか成りませんが、、、しかし初めは個人だった筈で、、

その中で徹頭徹尾理念を追求したことが成功に繋がった
。これはどんな大きさとか小ささとか関係のない世界だと
思うのです。


特に


「検索エンジンなんていくらでもあるじゃないか」


という言葉は少し心に響きました。


『現代美術なんて掃いて捨てるくらい関わってる人が
いるじゃないか?』


その中で、我々は何をやって行くのかと言うことが
現実だと改めて思いました。しかし、それを完遂しなくて
はならない、そうしないと存在価値がなくなるのも
又事実で、やはりそのとき折れない気持ちを持つという
事がすなわち、理念を堅持する事だと改めて気づいた
のです。


生き残れるか否か、そんな事は分かりませんが、
今回の宿題で改めて大事なことを気づかされました。。

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