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遠藤の今に至るまで
こんにちは、遠藤です。
初ブログアップです。せっかく初ということなので、改めて自己紹介を兼ねた今に至るまで、なぜ陶芸を始めたのか?など、そしてこれからについて書きたいと思います。

遠藤良太郎、新潟県燕市生まれ。現在28歳。

私は小さい頃から、ひとつの物事を継続するのが苦手だった。親は私に色々な経験を積んでほしかったのか、小学生の低学年頃から様々な習い事を勧めてきた。例えば最初は水泳。これは一日体験してその日に辞めた。理由は覚えていないがおかげさまで私は赤帽脱出出来ず今でもクロールの息継ぎすら出来ない。次にそろばん。これも昇級試験の日に寝坊をして、そのまま行かなくなった。その他にも絵画教室、家庭教師なんかもすぐに拒み、辞めた。

とにかくちょっとした壁が生じたり嫌なことがあるとすぐに逃げ出してしまう、そんなクセがついていた。そのクセは徐々にエスカレートして学校も休みがちになっていった。高校に入ってから、中学から続けていた唯一熱中できていたテニスもすんなりとやめた。このとき、またすぐに熱中できるものが簡単に見つかるだろうと考えていた。しかしそれは間違いだった。

結局、高校の3年間で熱中できるものなどひとつも見つからず、かといって進学する気も就職する気もなく、迫りくる現実からただただ逃げまくっていた。結局18歳の遠藤は逃げて逃げて逃げまくった挙句、今いるこの環境が悪いんだ、どこか放浪しよう。そしたらきっとどこかに自分に合った何かが見つかるはず!と本気で考えていた。今思えばかなりキツい思考回路だ。しかし無駄に行動力だけあったもんだから私は地元でお金を貯め、稼いだ金で日本各地を放浪した。※車で(このへんがまたヘタレ)

地図も持たずに、目的地もなしに金が尽きるまでさまよう。金がなくなったらバイトして金を稼ぐ、そんな生活が2年ちょい続いた。薄々気付いていたと思うが、どこへ行こうと誰も自分に手を差し伸べてくれるということなど一度も無かった。当たり前だが、楽観的な希望と冷たい現実のギャップに非常に焦っていた記憶がある。そんなとき、なぜかは覚えていないが、とある美術館にふらりと入った。そこで私は衝撃を受けた。今考えると、あの瞬間、あのほんの一瞬で私の今後の人生が決まってしまったように思う。展示されていたのはやきものの器だった。それは人間国宝が作った器で、無駄がなく凛としていて美しかった。あのとき心を鷲掴みにされたのは確かだ。

それから今に至るまではあっという間のトントン拍子で、展示見終わった私はすぐに新潟へと帰り、陶芸をしたい、と悲願。たまたま地元にあった陶芸教室でそのことを話すと、たまたま京都の精華大学の教授と知り合いで精華の陶芸コースを勧められた。そして話を聞くとAO入試なるものの存在を知り、たまたまAO入試の申し込み締め切りの2日前だったのですぐに書類を作り、なんやかんやで試験も合格し21歳で京都精華大学へ入学。京都での一人暮らしが始まった。

現在は、6年間(学部4年、院2年)の長い大学生活を修了し、死なないために京都中央卸売市場で朝5時から昼まで働き、生きるために午後は制作をしている。以前の私ならすぐにでも投げ出してしまうような生活だが、どういうわけか作ることを「やめる」という考えにはなぜか至らない。というよりもやめることは出来ない、というニュアンスが近い。これは理屈ではない、なぜかはわからないがそういうものらしい。それは呪いのようなものでもあるかもしれない。
そしてそんな私ですが、6/16から6/29まで個展をすることになりました!
以下展覧会情報です。



忘れられた宇宙遊泳記 -卵の惑星-
2015.06.16 (tue) - 2015.06.29 (mon)
OPEN  : 12:00-18:00
CLOSE : 会期中無休

今回のテーマになっている卵。 人間社会における卵は、生まれるために存在しているはずなのに、一方的に消費されるという矛盾を孕んでいる。 そうした矛盾を作り出している人間もまた、豊かさを得るための代償の大きさに矛盾を抱えている。 心霊写真、UMA、未知の大陸など、想像力を掻き立てる存在が減少し、合理化されていく社会が人間の本能を蝕む。 私が考える人間の本能、それは「遊ぶ」ことです。 私は空想の宇宙の中、卵で遊んだ。



ネジと卵の組み合わせは、私が美しいと感じるものと共通しています。


展示をするときが楽しみです。私の旅はきっと死ぬまで続いていきます。

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