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個展 幸せなら手をたたこう@広島福屋


広島にて、デビュー戦です。
祈りのアイコンである縁起物をテーマに制作しています。

また、会期中全日在廊します。
よろしくお願い致します。

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遠藤良太郎 やきもの展
「幸せなら手をたたこう」

会期:2018年2月15日(木)~2月21日(水)

午前10時-午後7時半
金・土は午前10時-午後8時
※最終日午後5時閉場

会場:福屋八丁堀本店
7階 ギャラリー101

広島市中区胡町6-26
電話:(082)246-6111(代)
http://www.fukuya-dept.co.jp

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幸せと不幸せの境界とはなんだろう。
それは私には分からない。
だけど誰かのために祈ることはできる。そこには善も惡も無い。あるのは無垢な想いだけ。

そんな想いを形にするため、私は皆様のご多幸をお祈りして作ります。

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個展 幸せなら手をたたこう
個展のお知らせです。




遠藤良太郎 個展
幸せなら手をたたこう


2017.11.25 (sat) - 2017.12.03 (sun)
OPEN 12:00~18:00
期間中無休


COMBINE / BAMI gallery

〒600-8824
京都市下京区二人司町21番地
TEL.FAX. 075-754-8154
E-mail. office@combine-art.com
http://www.combine-art.com



幸せとは何か?この問いはきっと人類にとって、永遠に続くテーマなのではないだろうか。
私には何が幸せで、何が不幸せなのか、その境界線はよく分からない。
だけど誰かの幸せを祈ることならできる。そこには善も悪も、何もない。
縁起物は、誰かの幸せを祈って作られたもの。
私は、皆様のご多幸を心より祈念して、縁起物を作ります。

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手のひランド@あべのハルカス近鉄本店
明日、5/17からあべのハルカス近鉄本店にて「手のひランド」という手のひらサイズ?の作品展が始まります。





遠藤は20日と28日に在廊しています。新作も投入しているのでぜひぜひお越し下さい。よろしくお願いします。

出品作家:遠藤良太郎 釜匠 太田夏紀 岡部賢亮 公庄直樹 佐野暁
【手のひランド】
会期:2017年5月17日(水)→5月30日(火)
会場:あべのハルカス近鉄本店
   タワー館11階 美術工芸品売場


Mix!! -三彩猫-
9x6x5cm
陶土


Mix!! -福の上にて#1-
20x15x13cm
陶土


Hello!! -だるま#1-
10x15x14cm
陶土

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八木一夫から考える
戦後、現代陶芸の異才として語られる、八木一夫の作品集を改めて熟読。
八木一夫の作品は、移り変わりが激しい。


有名なザムザ氏の散歩のような、いわゆるオブジェ焼きと称された機能を排除したやきものや、かと思えばけっこう素朴な器や、ブロンズの作品、海外の作品のオマージュぽいもの、動物などの具象形態、果ては焼成の変化を排除した黒陶による作品など、作品の幅はかなり広く捉え所がない。










それぞれの作品に共通していることは、強烈な好奇心なのかな、と思う。

同じ時代を生きたわけじゃないから知らないけど、勝手に憶測するに、ひとつの作品に対してあまり時間をかけるタイプではなく、頭の中のアイデアをどんどん形にしていきたい、インプットからアウトプットまでのスピードが極端に早い人だったんだろうな。そしてそれを実現する器用さや容量の良さを兼ね備えていたんだろう。なんとなくそんな感じがする。



八木一夫の残した言葉の中に


「初もの喰い、新しがり屋、皿ねぶり、などという軽薄さをむき出しのままで、この世間をまかり通れたこと。それはまさに敗戦なればこそだった。ただセンチメンタルと好奇心との、双翼で飛翔すればよかった。」


とある。そういう制作スタンスは八木一夫の気質でもあり、戦後っていう時代の特質でもあったんだろう。

だから今の時代に八木一夫を当てはめてしまうと、おそらくは、作家としての方向性がよくわからん、とか結局なに作ってる人?みたいな感じに見られてしまうのかもしれない。


ただ、八木一夫は茶碗は生きものだ、とか、器は独立したものではなく、周囲の中へ同化しながら周囲そのものとつながる、一つの流動感だ。と言っている。そうした精神性を見るに、作品はもちろん、八木一夫自身も、絶対的なものではなく、常に移ろいゆくものだということを受け入れて生きていたんだと思う。(戦争という劇的な変化を受け入れざるを得ない時代を生きた、という背景もあるように思う)




今の時代は絶対的な評価を求められる傾向が強い。
より確かなもの、より分かりやすいもの、より潔癖なもの、そうしたものが求められている。

しかし過去から学ぶに、そんなものは無いことが分かる。
形在るものはいつかなくなる。仏教でもそれが定説。おれもそう思う。



だけど、なんだろう、黒陶の作品を作る晩年の八木一夫は、無常な中に身を置きながら、確かなものを求めていたような、そんな気がする。


一言でいえば矛盾してるじゃん、で終わっちゃうんだけど、矛盾を抱えて生きる、それは右にも左にも答えが出ない流動的な状態をキープして生きる、ということなのかもしれない。


今の時代を面白くするために必要なものは、そうした度量の広さなのかもしれない、と思った。やっぱ好きだな八木一夫。

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30歳になりました@三十路
4/28に30歳になりました。



30歳、よくここまで生きてきたなぁ、と思った。
というのも、思い返せば「あ、死んだかも」っていう瞬間がいままで何度もあったし、、


例えば、小さい頃に10円玉を飲み込んで喉に詰まったとき、自転車乗ってて前方不注意の車に吹っ飛ばされたとき、つまずいて顔面から大量出血したとき、2年連続インフルからの肺炎になったとき、などなど、、ちょっと違えばとっくに死んでると思う。


こんな調子だから、勝手におれは28とか29あたりで死ぬんじゃないかなぁ、なんてわりと真面目に思っていたのですが、こうして生きて30歳になりました。


生きているというよりかは、ギリギリのところで、なんかよくわからんものに生かされているんだなぁ、という感じ。


そして30歳になったことで、確かになったことは、自分の人生は短距離走のタイプじゃなかったんだってこと。


どこが終わりかわかんないけど、おれの人生はフルマラソンなんだな、そういう運命に生かされてるわけだから、おれはその運命を全うしなくてはいけない。Born This Way的なやつだ。

今まで作ることも、それ以外もたくさん回り道をしてきて、寄り道だらけで全然すすまねー!っていう焦りみたいなもんがあったけど、きっとこれでいいんだ。


イチローもそれでいいって、そうじゃなきゃダメだって言ってた。バカボンもそれでいいのだって言ってるしレディ・ガガも他の道なんてないのよって言ってるし、みうらじゅんもそこがいいんじゃない!って。



そういうわけだから、自分の運命を認めて、たくさん寄り道しながら進んでいこう。きっと面白いことになる。


今後ともよろしくお願いします、30歳遠藤、はじまりはじまり。

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