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「宇宙人の親子が動物園にやってきました。その中で宇宙人たちを最も驚かせた動物は、色々とりどり、大小様々のある動物でした。その動物は何だったでしょうか?」

小さな頃に読んだなぞなぞの本。その中で今も、この問題だけは覚えている。

答えは「人間」だった。

「人間」という種を見る、地球外からの地球への視点。私はそれに気が付いた。


その場所に居ながらも、その場所を俯瞰する。距離を置いた、客体の視線。
思えば、ずっとそうやって世界を見ている。
私の今いる場所、身近な外界を眺める。私という一人の人間が生きた、その感覚を留めていく。
観測するようにして見えたそれは地球上に広がった私達人類の巣だ。

都市という、人間が生きるために造り上げられた人工環境。文明は巨大に、高度にこの世界を埋め尽くしていく。
加速膨張し続ける宇宙の果てを思うように、私はふと拡がり続ける文明の巨大さに眩む。
この地球上での人類の振る舞いはあまりにも異質だ。
私達はどこに向かうのか。
人類が築き上げたこの地点を記録する。描き起こす。留めていく。
この時代、人類の巣はこうであったのだ。


個展「巣 nest」第二部は3月14日(土)までです。
どうぞご高覧下さい。




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着火点
高校生の時、私はロックが好きだった。毎晩ラジオを聴き、毎週TSUTAYAでCDを借りていた。
彼等は叫んでいた。友達も少なく勉強も運動も不得意だった私にとって、そんな彼等がたまらなくかっこ良かった。

「ロックとは」と、ある人はこう定義付ける。
ロックとは若いが故の強さと、若いが故の悲しさだ、と。

私達はどうしようもない。
どうしようもなく生き辛い、どうしようもなく上手くいかない、悲しみ、怒り、不安、孤独。若さは全てに無防備でいる。彼等はだから叫ぶのだ。もがき苦しむ日々の中から、世界に抗い、反し、問う。
そんな風に私は泥のような人生の中をのたうちまわりながらゴミのように死んでいくのかもしれない。
ただ、放つ叫びが、全てを肯定するだろう。伝えんとする意志の起こり、それが芸術の着火点だ。
この場所から始まる。


ふと深夜、海外のスポーツ中継に見入った。
彼等はただ、打球を強く打ち返し続ける。
彼等はそれを仕事としている。
その事へ仕え、その為に生きている。
だから、人間の持つ力の限界へと近づいていくことができる。
彼等のそんな姿に見入る。

絵描きとは生き様だ、と教わった。

いつしか若さが過ぎ去ろうとも私は懸命に生きていきたい。
強さと悲しさを抱え、どうしようもないままに生きていきたい。
そうやって、叫ぶのだ。
それが本当であるべきだ。

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