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2019年に向けて、制作中の頭の中身


去年の2月、福井県に引っ越して
もうすぐ1年になります。


一年前の今頃は、これから
どのくらいの物があればいいのか?
場所はどのあたり?
家の借り方は?
市役所の手続きは?
免許はあるけど自転車で過ごせるのか?
費用は・・・

と、本当に何もかもわからないまま勢いで引っ越しをしました。


そのせいで毎日、
常にバタバタとプチパニック状態の日々が半年以上続きましたが

周りのいろんな方々に助けていただいたおかげで、
やっと引っ越してきた当初よりも落ち着いて生活が出来るようになってきました。


そう。やっとこの頃「生活」感を感じる事ができてきました。
もちろん、いろんなやりくりが間に合っていないところは多々ありますが…





そして、私は今年 ついに26歳になります。
もういつの間にか立派な大人の年齢です。

でも、正直私は今になっても
反抗期に感じていたような「大人なんか…!」という感情がなかなか消えません。
さすがに、中学・高校生の頃よりその感覚は薄れてきましたが、
いまだに大人に成りきれない気持ちのようなものが大きいです。

小さい頃は、
26歳なんてもう立派すぎるくらい大人な年齢と思っていて、

大きくなるにつれて自然にこの感覚も消えて、
大人になっていくんだろうなあ~~

…なんてのんびり考えていたのに、
ほとんどそのまま年齢だけ増えていくなんて思いもしませんでした。





そんな私の毎日はというと、

朝起きて、お弁当を用意して、朝ごはんを食べて、
晴れていたら洗濯をして
さて、制作。
となるわけですが、

気軽に話せる友達や知り合いがいるわけでもなく、
喋るとなれば、宅急便の人かスーパーのレジの人にお礼を言うくらい。
あとは手を動かしながら独り言をぶつぶつ唱えて粘土を触ります。


人とコミュニケーションをとりながら
集中する事が苦手(話すのは楽しいけれど集中出来ない)
な私にとって、一人で居る時間はとても過ごしやすいのですが、

そんな毎日が続くと、脳みそが勝手に一人でぐるぐる考え事をはじめます。
一番多い考え事は「ところで、大人って何?」。




母は5×歳ですが、いつか話をした時、
「今もまだ18歳くらいの感覚で止まってるで。」という話をしたような事を覚えています。
そうか。子どもの感覚のまま大人になるのは私だけではないのか…


そういえば、
いつからかテレビで「はじめてのおつかい」を見ると
子どもが行きしなに一人で歩いているシーンだけでも
号泣してしまうようになったし(思い出しただけでも泣く)
まだふわふわの赤ちゃんを見ただけで泣きそうにもなった。

もともと涙もろすぎるところはあったのだけれど、
ここ数年特にひどい。


いつの間にか“親”目線に変わっていったのか?
何を思って自分は泣いているのか?

いまだに自分でもわからない部分が多いけれど、もしかしたら
“大人になりたくない私”のまま大人になっていくしかない現実に
動揺している部分もあるのかもしれない。



もちろん、
大人になってやれることが山ほど増えたので、
子どもの頃のようなもどかしさはない。

でも、
それに比べて子どもの頃は不自由も多かったけれど、

目の前には常に誰かがいて、
誰かに何かをしてもらえる安心感があった。





・・・・・
と、
こうやって

問いかけを一人でやって
子どもの自分と大人に成りきれない自分を行ったり来たりしていたら、

ふと現実に戻る。




今、
私は曇空の冷えた北陸地方に一人、

大きな田んぼの隣にある薄暗い小さな作業小屋で、
なんと狭い世界について悩んでいるのか…


そうやって途中で馬鹿らしくなるのですが、

馬鹿らしくなったって結局のところ、
私の世界はとても狭い。




物心ついたころには情報社会と言われていて、
今時、スマホを3回くらいタップするだけで世界中の情報が知れる。

これだけ情報が溢れているのを見ていると、
まるで眩暈をおこしているような気分になります。



自分の事でさえまだはっきりわかっていないのに、
周りから半強制的に情報が流れ込んでくる。

いったい私の“情報”はどれ?
自分が自分であったのはいつ?・・・


そんな事を考えているとやはり子供の頃にさかのぼってしまいます。
自然に周りを吸収しながら生活していたあの頃・・・







・・・そんな感じで

形のないことばかり考えているけれど、


私は作品をつくる際、形から思い浮かびます。



つらつらと上に書いたような事や、
見てきたものなどが
言葉にならない頭の中でぐるぐるして、
それらがまとまって出てくるのは、形です。


その形に鋭利な部分や
直線があることはほとんどなくて、

丸くて、
大事な何かを両手で持ち上げるときのような、
あたたかい器を口に運ぶような、
触り心地のよさそうなラインを探して手びねりをすすめます。






私は、
元々絵を描くことが好きだったという単純な理由で
油画か版画をやりたいと思っていましたが、

見に行く展覧会は木彫ばかり。

好きな作家も木彫の方が多かった。



そういえば、

立体作品に魅かれた理由の元をたどると
幼い頃、自宅で木彫りの仏様を趣味で作っていた
祖父の印象が強いからかもしれない。
(すべすべに磨かれた仏様の頭を撫で回していたら
祖父に怒られたのを覚えている)



ああ、そうか。
私は平面作品より立体作品の方が好きなのか、

と気づいてから、
彫刻をやるぞ!と意気込んだのはいいけれど、
選んだのはなぜか陶芸だった。



振り返ってよくよく考えてみると、

木彫よりも、
クロッキーのように肩を動かして
指で触れたままの形を作れる陶芸に魅力を感じて
はじめたのがきっかけだったように思う。



やり始めたとき、
粘土の塊をちぎって、ぐるっと粘土を積んで、
親指でぐっぐっと形が出来上がる
手びねりの工程が心地よくて、
これだ!と思った記憶があります。



でも、
形にする工程に魅力を感じて陶芸を始めたので
焼成する際の物理的な制約や
釉薬の魅力を感じるのにはとても時間がかかりましたが

去年の終わりごろ、
衝動的に樂美術館に行きたくなって
違う分野の陶芸作品を見てきたことをきっかけに
去年まで考えていた事が鮮明になって、
頭の中がすこしずつ整理できてきたような気がします。






新しい場所で過ごし初めてから約1年。

いつまでたっても福井弁に慣れる気がしませんが、
春の個展に向けて、引き続き作品を制作していこうと思います。

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