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「進路」
4月12日(月)よりBAMI galleryにて個展を開催いただきます。VOCA展 2021の出品作を中心に新作4点を展示予定です。ぜひ、ご高覧下さい。

30才になっていたので、あらためて自分について、展覧会のステイトメントとして書きました。


八木佑介 「進路」

2021/04/12(月)~04/25(日)
休廊日 4月17日(土)、18日(日)、24日(土)

12:00~18:00
※最終日午後4時閉廊

BAMI gallery
京都府京都市下京区二人司町21
http://combine-art.com/html/gallery/ga_access.php

ステイトメント
地中に隠されていく電線。我々は何故電線を見たくないのか。
かつて電線のある風景は近代文明の象徴であった。文明の根底には私達の生存への欲求がある。生産消費活動の場としての都市に溢れる様々な製品はデザインされパッケージされる。その内面には我々の強烈な生存本能があるのだがそれを覆い隠すよう洗練された包装紙で包まれている。
電力化と通信の発展によって都市の中では電線の密度が上がり、その姿はまるで毛細血管や絡み合う蔦のような形へと近似していく。それが人の本来の姿であるかのように自然界の形態へと還っていく。
電線というものはパッケージが施されず外部に露出してしまっている都市の内部構造であり、その密に絡み合う姿にはそのまま生き物としての欲望が現れている。
我々は何故電線を地中に隠そうとするのか。私達は私達を見たくないのだ。

私が好きな立川談志は文化や文明という言葉をよく使っていた。
昨日より今日と科学は進む。より生きやすい社会へ向かっているようである。だが人は間違える。情や孝行や恩義を重んじ、迷い、悩み、欲望を押さえきれず過ちを犯す。人間性は文明から排されていく。人は一方では合理性を理想とし、一方では個々に感情や欲望を持つ。そのような合理性の外にある複雑で混沌とした人間的な思考が文化なのだろう。人が生んだ文明と文化。文明が巨大な力で世界を変えるならば、対して文化が思うこと。
絵描きという社会のはみ出し者ができること(はみ出し者だからこそ見えるものがあるのではないか)について。それは、人間という不条理で複雑で小さく、臆病で欲深い存在を認め、表すことではないか。気付けば30才になっていたが、何が正解かは分からない。ずっと分からないまま絵を描いて考えることが道なのだろうというような気はしている。




「共喰い」
2020年制作
アクリル、土絵具、岩絵具、顔料、キャンバス
312.5×250.0(cm)



「2:38」
2021年制作
アクリル、岩絵具、キャンバス
37.8×45.5(cm)


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