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2018.01.11 岡部賢亮 『童子と剣』

いろんなキャビネット

ナカマハズレ
【作品紹介】
釜匠(かま・たくみ)の絵を見ていて思い浮かぶ文章がある。

「ミシンと洋傘との手術台のうえの、不意の出逢いのように美しい」

19世紀フランスの詩人、ロートレアモン「マルドロールの歌」の一節である。
今はもうこの短文について誰も語ることはない。しかし今から約半世紀前、この短文は芸術運動の象徴的詩節として世界中を席捲していた。その芸術運動とはシュールレアリスムである。

この短文を読んで理解できる人間はほとんどいないであろう。言葉の流れ、単語と単語の連関のなかで意味を伝えるように構築されている訳ではないこの文章を理解できないというのは当然の結果であると思う。またこの短文そのものが作為的にそういった効果を求めて創られた節があることも確かであった。

作為的に求める効果とはなにか?それは通常では考えられない単語の組み合わせにより、日常世界で約束された現実的光景を裏切る手法なのである。通常の感覚では到底整合つかない不合理な世界が脈絡のない単語の組み合わせにより突如知覚の中に出現するのである。冷静にこの短文を読み返すと、確かにそんな光景は現実世界では誰かが意図的に行わなければ出現しない。しかし人間の知覚からの想像的映像としては具体的な様相を示すことはそう難しい作業ではなく、極端な結論付けかもしれないがあり得る光景なのである。

この手法をシュールレアリスムの世界では“ディペイズマン”という名で総称していた。

こう書くと難しいようであるが、このディペイズマンという手法は現代の絵画ではごく当たり前に駆使されており、それを敢えてディペイズマンで表現しましたなどという事もないくらい常態化している。例えば、鳥を除く生き物は重力と言う法則に従い、必ず地に足がついた状態で生活している。瞬間的にジャンプすることはあっても、常に宙に浮いているような状態はあり得ない。
しかしどうであろうか?現在、絵画において宙に浮いている人間の姿などそう不思議な絵とは感じないのではないだろうか?そして、この宙に浮いた状態の人間の背景にリアルな丸い皿が描かれ、その大きさが人間よりも大きな存在であった場合、人間と皿が空で出逢う、しかもその大きさが現実世界の約束に反するといった絵画が生れた場合、現代の我々は、単純な作業としてイメージの置き換えを完了し絵として完結してしまえるのである。また、こういった絵について現在大いなる疑問を持つ人間は少ないのではないだろうか。ダリ的マグリット的というような過去に評価された芸術家の類似系的な捉え方により落ち着かせてしまうのではないだろうか?しかし、これはディペイズマンという手法そしてシュールレアリスムという理論を踏破したからこそ現代において奇異なものとして捕らえる必要がなくなっただけでしかない。ロートレアモンの詩節も今の説明から逆に考えればなんてことのない文章に感じないだろうか?しかしロートレアモンの文章からだけ考えた場合、突如思考が停止し、難解な世界となってしまう。ここに人間が絵画を描き見る上で大きな意味が存在するのと同時に、絵の本質が存在するように感じるのである。

「目に見える思考」

マグリットは見えるものは他のものを隠すと語りました。私たちは常に、見えるものによって隠されたものを見たいと願っています。隠されたものと見えること、これが私たちに見えなくしているものへの関心を煽ると彼は言い、シュールレアリスムの先駆けであるキリコにおいては絵画とは「現実の向こう側」の世界を表現するものであると喝破しました。「絵の中の絵」、絵を網膜で捉え知覚で理解しようとするとき人間には眼前の絵画とは別の世界が脳内に映像化される。それはあたかも絵画が窓のような働きを持ち、その窓の境界とは「作品を見ているひと」と「見られている作品」の間の溝を埋め、絵の中に鑑賞者を引き込み、その作用により現実の曖昧さを表現し明示しうるのです。

このことから、彼らの論理的背景及びシュールレアリスムの理論的支柱をなすものとは、形而上学という学説が色濃く反映されていることに気づかされます。形而上学とは、物理学では説明できない法則と問いかけの存在であり、形而上学の祖であるアリストテレスが語る「すべての人は、生まれつき、知ることを浴する」という現実を超越した意識下の世界、不可視の世界への想像を可視化するという作業がシュールレアリスムにとっては、この形而上学を底流に据えることにより明確に表現されているのです。

リンゴが落下することは物理学で説明出来るが、なぜそれが起こりうるのか、どういった法則か?
ということが形而上学であり、その不可視な世界、知識に先立つ世界を人間は直感という言葉に置き換えそれぞれが内在していることに気づかされるのです。この直感こそが実は「目に見える思考」になるのではないか?と考えるのと同時に、絵画世界とはまさしくこの直観が引き寄せる不可視な世界の可視化ではないかと考えるのです。

釜匠の絵とはこれらの理論的部分が精緻に内包された世界観があると私は判断します。そして、ある種シュールレアリスムの正統な系譜と捉えられなくもない。今回彼がテーマに据えた「枠の中」という言葉、その意味として彼は「私達が過ごしている日常と切り離された、四角い枠の中に存在する“絵”というものは、一見枠に収まっているように見えますが、それは枠の外の世界とも言えます」と語る内容は、まさしく前述のキリコの形而上絵画を彷彿とするものであり、絵画の本質を見つめる彼の視線を表したものとして受け止めることが出来ます。

しかしながら、言葉は悪いが埃をかぶった過去の芸術理論を具現化しているだけかというと、それは似て非なるものであるとここで論断したい。確かに彼の絵からはシュールレアリスムの臭いを読み取ることはできるが、それはあくまで絵画というものの本質を追及する姿勢から合一となった部分であり、シュールレアリスムを下敷きに作画していると言うわけではない。彼が評価される部分とは、やはり現代において同時代の人間たちの感受性を刺激する感性が充満している絵画であるからである。

彼が現在メインモチーフにしているキャビネット“棚”というものは、先述した枠のそのまた枠という存在に相当する。そしてこの多数の枠にてゾウやカメレオンといった生き物を取り囲み埋め込むような様態は過去のシュールレアリスムからだけでは読み解けない現代性が内包されていると私は考えるのです。キャビネットの1マス1マスの中に丁寧に描きこまれた世界。これを俯瞰して想像した場合、類似的な光景の符合がないだろうか?我々が日常的に目にしているパソコンの画面上に現れる多数の「Window」のように見えないだろうか?彼の描く1マス1マスは物語がありそれがマスごとに関連している。これは所謂“リンク”という概念に相当するように感じるのである。我々は前時代の人間とは異なり、絵画以外にて日常的に不可視の世界を可視化しているのである。しかしながら今だ不可視な部分とは何か?と考えた場合、この多数の多元的不可視な世界を同次元で可視化出来ないという事に気づかされるのである。現実社会のグローバル化とネット領域という二層社会の出現。

自分という人間を取り巻いている世界とは、肉親、知人、その他関係者の生活や人生、自然、政治、国などが生きている時間を共有し同次元で運動しているのであるが、これは本来、不可視な世界なのであるが、高速通信網の発達によりリアルタイムに可視できる技術が現代に持ち込まれた。携帯電話もそうであるしPCを通じた画像の受信などもそうであろう。しかしながらリンクしているという概念は理解できるのであるが、同時にこの多元化した世界を一元化した可視化世界に変換することが出来ないことに気づかされるのである。ここに実は現代においても絵画が威力を発揮する部分があり、大いなる意味が存在するのだと思うのである。

釜匠の描く世界とは同時に運動する多元多岐な世界を同一次元に可視化し、本来あり得ない形、生き物をキャビネットに囲い込むというイメージの変換、ディペイズマンを駆使することにより、枠そのもが人間社会であると仮定し、その1マス1マスが多元的な人間をとりまく環境、不可視な世界を科学技術により可視化したと勘違いしている人間世界を現し、ゾウやカメレオンとキャビネットの遭遇というディペイズマンによって、人間社会の視線からの現代を可視化した状態ではなく、地球においては人間社会と人間以外の生き物(自然)が共生してこそ存立するという現代においてやっと可視化しだした人間以外の生き物の「目に見える思考」からの着眼と概念を読み解く仕掛けが内在しているのである。

彼の作品は、前時代のシュールレアリスト達が一重でしか伝えられなかった人間の心的世界を、人間個人と地球という二重の構造にディペイズメントを張り巡らせ、不可視な世界を可視化し得た現代人に対し、実は不可視な世界であるという逆説的な手法を使い伝えると同時に可視化できる「目に見える思考」として、人間とそれ以外の生き物(自然)との関係性を再度埋め込んでいるのである。


【この展覧会について】
本展は作家の初個展となります。17歳で創作した版画(エッチング)から大学の卒業制作、卒
業後に出品した大作(100号2点、130号2点)など、24歳の現在までの作品を網羅いたしま
した。ギャラリー内に所狭しと展示された大小様々な作品群は、あたかも“おもちゃ箱”をひっくり返したような楽しさが充満しております。
【作家プロフィール】
趣味     動物を見る
血液型    O型
星座     うお座
好きな作家  Michael Sowa
同居人(?)  ヒト・カメレオン・ヤモリ・イモリ・ウサギ・インコ・フグ・エビ etc…(変動多)


1985
大阪府大阪市に生まれる

2006
第74回 独立展  入選 <東京都美術館・大阪市立美術館>

2007
京都精華大学 芸術学部 造形学科 洋画専攻  卒業

2007
アクリル美術大賞展2007  優秀賞 <兵庫県立 原田の森ギャラリー>

2007
第5回 武井武雄記念 日本童画大賞  入選

2008
第12回 越後湯沢全国童画展  入選

2008
第7回 全国公募 西脇市サムホール大賞展  入選

2008
第25回 FUKUIサムホール美術展 奨励賞

2008
アクリル美術大賞展2008  入選 <兵庫県立 原田の森ギャラリー>

2009
solo exhibition 『枠の中』 <BAMI gallery>
solo exhibition 『枠の外』<高松天満屋美術画廊>
第26回 FUKUIサムホール美術展 佳作受賞
第13回上海アートフェアー 出品

2010
第8回前田寛治大賞展出品
第14回上海アートフェアー出品
『コンテンポラリーアートの扉』<高松天満屋美術画廊>
solo Exhibition『のぞきみ展』<BAMI gallery>

2011
【Gombessa proposal ep1 「I am Japanese.」】<BAMI gallery>

著書 こんなんできまし展 (ポストカードブック)
   著者  かま たくみ  2008 文芸社VA