観○光 ART EXPO 2011
2011.10.15 (sat) - 2011.10.24 (mon)
at 二条城・清水寺・泉涌寺
http://www.ab.auone-net.jp/~kcpa/kh2011.html

【会期・会場】
二条城 2011年10月15日(土)-10月24日(月)

清水寺 2011年10月15日(土)-10月24日(月)

御寺泉涌寺 2011年10月15日(土)-10月24日(月)

【入場料】 
二条城・台所 展示については無料(別途二条城入場料一般¥600が必要です)

清水・経堂 無料

御寺・泉涌寺 展示については無料(別途参拝料一般¥500 特別拝観料¥300が必要です)


【展覧会の趣旨】 観光の語源を古代中国にたずねると、もとは「国の光を観る」という意味であったと言います。「国の光を観る」とは、為政者が民の「暮らし」=「光」を見、民もまた、わが光を外に示すということ。古来、日本人の持っていた独自の「光」は、やがて文化や芸術になって日本中へその輝きを伝えていくこととなりました。 2009年秋、千年の都、京都で、人類の未来を照らす「光」が生まれました。 2010年秋、いにしえの都で生まれた美の光が輝きはじめました。 2011年秋、再び京都の文化遺産に、次代の光をとらえるアーティストたちが一堂に会します。

【「観〇光」ART EXPO 2011】 古くは室町時代、かの一休宗純の庵で、連歌師・能楽師・書・画・茶の巨人たちも美の宴を開き、大いにこの国の光を盛んにしました。その「光」をもう一度、私達の感性ですくい取り、次の世代へ引き継いでいきたいのです。 京都発、伝統と未来が交錯する、博覧会。それはこの地に集うものだけに見える、時空を超えて縦横無尽に網羅された宇宙なのです。
solo exhibition
「pico」
2011.09.29 (thu) - 2011.10.24 (mon)
at BAMI gallery
http://combine-art.com/html/gallery/ga_schedule.php

gallery close 10/3・8・9・10・14・15・16・23
open 12:00~18:00

ピコ(pico, 記号:p)とは国際単位系(SI)における、小ささを表わす単位の倍量・分量 であり、漢字文化圏においては【漠(ばく)】と表記される単位である。

その単位は現代社会の中で頻繁に現れる分子や原子を扱う際の主な単位・ナノ(nano) よりも小さく現代社会では認識外にある単位であるとも考えられる。又漢字文化圏に おいて【漠(ばく)】という文字をこの単位に相当させているが、漠と言う字自体が 現在持つ意味とは「果てし無く広々としている様」「取り留めがなくはっきりしない 様」ということであると考えられます。極小な単位を表現するはずの文字が広大無辺 な様を意味として持つ。そこには大小同義の仏教的な思想を読む事もできます。

エトリケンジが【pico】という字に込めて表現する、小さなバニシングフィギュアーとは 極小の世界が持つ人間の知覚・認識外にある広大無辺な感覚を表現すると同時に、科学技 術が運動する現代社会の象徴的極小単位【nano】を少し超えた所にあるまだ見ぬ新たな 世界観=現代を前進させる何かを象徴しているとも言えます。

(director 上山潤)
エトリケンジ solo exhibition
「プロトタイプ-ジュリエッタ」
2011.02.03 (thu) - 2011.03.08 (tue)
at BAMI gallery
http://combine-art.com/html/gallery/ga_schedule.php

gallery close 2/6・11・12・13・20・26・27・3/6

open 11:00~18:00


【ステートメント】 我々一人ひとりは、人生という実験場に投入されたプロトタイプである。生まれながらにしてスタンドアローンであるプロトタイプ同士の共感。
【コンセプト】 世界の成り立ちを明らかにしかねないほど科学が発達し、テクノロジーが進歩したこの時代においても人はなお生まれ落ちたその瞬間から、周囲からは切り離されることを強いられるスタンドアローンな存在である。しかし世界が情報化したことによって、離ればなれだった人は並列化され、ヒューマニズムではない、新たな“共感”する感覚を獲得するのかもしれない。
【Program director 上山潤】 エトリケンジsolo exhibition “プロトタイプージュリエッタ”はこれまでの活動から飛躍し挑戦するメッセージです。混沌する社会の中で、彼が一筋の閃光のように見いだす新たな世界観=プロトタイプを是非おたのしみください。

高松天満屋 solo exhibition 『 VANISHING FIGURE』
2010.12.22 (wed) - 2010.12.30 (thu)
at 高松天満屋 5階 美術画廊
http://www.tenmaya.co.jp/takamatsu/saiji.html

〒760-8516
香川県高松市常磐町1-3-1
TEL 087-812-7548

私はこれまでずっと、「人」を主題として制作を続けて来ました。そして、これらの作品によって、たくさんの「人」と出逢うことが出来ました。私に制作することを許し、応援して下さっている方々に感謝するとともに、この高松での展覧会で、また新たな出逢いがあることを、望んで止みません。
(エトリケンジ)

香川県高松市は現在日本国内の中では有数の現代美術のメッカであり、先般開催されていた瀬戸内国際芸術祭も当初の予想を遙かに超える来場者を迎えることが出来たと聞き及びます。この地域独特の先進的な感受性に応えられる鮮烈な作品として企画。 特に今回はエトリケンジが今まで主体としてきた空間性よりも、作品一点一点の完結を優先し、これまでに無い作品バリエーションに挑戦いたします。

2010 NIIGATA オフィス・アート・ストリートに出品いたします。
2010.09.25 (sat) - 2010.10.24 (sun)
at BAMI gallery
http://www.city.niigata.jp/info/kikaku/office-art/

古町(柾谷小路)〜萬代橋〜JR新潟駅(東大通り)間に面している銀行や証券会社などのョーウィンドーに、公募により選考したアート作品を展示し、コンテストを行います。
作品展示期間
平成22年 9月25日(土)〜10月24日(日)

新潟市の顔である古町(柾谷小路)から萬代橋を渡り、陸の玄関口であるJR新潟駅前(東大通り)に亘る通りは、古くから官公庁や金融機関、商店などが集積し、新潟市の発展を支えてきたメインストリートです。まちの背骨とも言えるこの通りを、湊町新潟・商都新潟の歴史や文化が感じれれる賑わいの空間として魅力を高め、国内外から様々な人や物、情報が集まる21世紀のみなとまちの顔として位置づけます。市民の理解を深めつつ、浪漫溢れる通りとなるよう、第一歩として「2010 NIIGATAオフィス・アート・ストリート」を実施します。

創造公園渋谷 Art Re Public Shibuya 参加します!
2010.05.04 (tue) - 2010.05.04 (tue)
at 渋谷公園通り(マルイシティ〜TOWER RECORDSにかけた道路)
http://www.someonesgarden.org/

創造公園渋谷 Art-Re-Public Tokyo : Shibuya

日程:5/4(火・祝) 13:00-16:00
会場:渋谷公園通り(マルイシティ〜TOWER RECORDSにかけた道路)
入場:フリー


2010年5月4日(火・祝)、渋谷公園通りにてさまざまなアーティストによる発表「創造公園渋谷 Art-Re-Public Tokyo : Shibuya」が行われます。 これは、渋谷の丸井シティからタワーレコードまでの焼く110メートルx27メートルの巨大なエリアが「車両通行止め」となり、歩行者が自由に行き来することができるようになります。このスペースを利用して、様々なアーティストによるパフォーマンスが行われます。 このエリアがこのようなフリーゾーンになることは、初めての出来事であり、またここを野外美術館として使ってしまうというアイデアも、今回がはじめてのこと。 アーティストには、SOIL and "PIMP" SESSIONS、Echostics、ゾルゲルプロ、丹下紘希、Toast Girl、エトリケンジ、小松宏誠、TOMOE等 他多数参加予定となっています。
エトリ ケンジ solo exhibition
『VANISHING』
2010.03.04 (thu) - 2010.03.31 (wed)
at BAMI gallery
http://combine-art.com/html/gallery/ga_schedule.php

gallery close 3/6・7・13・14・21・22・28
open 11:00~18:00


時の合間に、現れ、消えて行く少女達
都会の背景に溶け込む『抜け殻』のような、透明な身体
都市に暮らす膨大な数の人間の匿名的な『輪郭』を象徴する、
虚ろで、はかなく、可愛らしい人型
希薄化した身体は、型押しされた人間のように画一的で空虚な印象を受ける反面、
その輪郭は非日常化された魅力を写し出す(エトリケンジ)
エトリケンジの作品は生身の人体にスチールネットをあてながら型取した人型(ひとがた)である。その人型(ひとがた)作品の中に見出せる人間の姿とは、特定の個人でなく、出現しては消え、尽きることなく都市の中で生き続けていく人間存在の抜け殻群たちである。エトリケンジが直視する高度に発達した現代の情報化社会における人間の姿とは、本来持っているはずの「身体性」を徐々に希薄化させていく風景であり、そこに現れた人間総体の身体性とは「生」=「死」の希薄化ではないか?という都市全体の姿の変容をも表現している。本展『VANISHING』とは、社会の環境と自分という身体の関係性やテクノロジーに依存した世界をも「生きている世界」と捉える現代社会の消失点を鋭い感性で見つめ続けているエトリケンジの表現視線です。 (Program director 上山潤)