July 13,2012
少年の持つ冒険心
Avoir un sens de l'aventure comme des garcons,
1982年パリに衝撃が走った。
今から30年前
その当時私は16歳。
当然その衝撃は知らなかった。
今のように高速広範な情報通信がなかった時代
海の向こうの様々な出来事は、今で言うアナログ
メディアが取り上げた事を中心に受容していた。
逆に言えば、極端かもしれないが、、、それ以外
は情報入手することが出来ない時代でもあった。
しかし、、、このパリの衝撃はそう時間がかからず
に私の周りに情報及び現象として伝わってきた・・・
・・
間違いかも知れないが、確か当時出始めた写真週刊誌
のFOCUSという雑誌でその内容を把握したように記憶
する。
COMME des GARCONS
川久保玲。
乞食ルック、、ボロルック
1982年から1,2年後
これらのキーワードが完全に私の中にはインプットされ
1982年のパリの衝撃という事も知った・・・・と、、、
同時に街中は黒一色であった。
こう書くと理解したかのようであるが、実際には
真っ黒な服、しかもボロボロの状態の服でパリコレに
参加した日本人が注目を集めた、、、という現象面
のみでしかない。。。。。
当然、パリコレなるものの印象だけで言えば華美な
ファッションの祭典(ビジネスの場)であり、その場に
前述の通りボロボロのファッションとなれば、そのギャップ
だけでも注目を集めるだろう。またそういうアンチテ
ーゼをしかけた、悪い言い方をすれば気を衒らった仕
掛けとも取れなくは無い。
そういう意味ではパンク的な破壊活動としての
衝撃と正直捉えていたような気もする。。。。
しかし、、それから数年後も川久保は一線に存在し
評価は1982年のデビュー以上になり、世界中からその
存在をリスペクトする風景を見るにつけ、、、、、
衝撃的なデビューのみなら唯単純な泡沫的な存在で
雲散霧消と化すはずなのだが、なぜ?当然毎回のコ
レクションを着実にこなし、相応の評価を得ないと
こうはいかない。
強烈な競争下の中で予定調和的な安定はありえない。
つまり、デビューからある程度一貫したコンセプトが
通低しているからこそ、継続的なコレクションの内容
理解や評価が生まれるはずであり、今に至るまでの筋
の通った哲学の存在こそがCOMME des GARCONSをブラン
ドと化していると判断できる。
そうすると、あの衝撃的なデビューとは一体何が
パリコレを混乱させたのか?と考える。
実はこの部分が藝術においても非常に重要な箇所である
と私は感じている。
約10年近く前NHKが川久保の特集をテレビで放映したが、
その中には彼女の哲学及び海外での衝撃についての答え
が凝縮していた。率直に見終わった時感じた事は、藝術
のマーケットでも同じ、とりわけ東洋の日本人がある意味
メインストリームに出て行くために必要な要件と同じじゃ
ないか?と感じたのでした。
まぁ、出て行くか否かは別にして、我々と彼ら(西洋)と
の間に厳然と横たわっている深い溝そのものを感じたと
言うほうが的確かもしれない。そういう意味で川久保は
日本人の中では稀に見る存在、つまりファッションという
世界を媒体に、ある部分の溝を埋めた人物ではないか?と
私は感じている。
まずもって俯瞰してみると、ファッション=パリコレなる
ものは厳然とフランスを中心としたヨーロッパが中心の世界
であり、その中で展開されるモードとは彼らが積み上げた歴史
の中に立脚している。という事は当たり前であるが、東洋人の
発想などは猿真似以外の何物でもなく、彼らが評価する必要も
なければ、無視の状態でしかるべきであろう。しかしファッシ
ョンというマーケットを考えると、東洋人であったとして、
評価されないからと回避するもしくは無視するという事が出来
るのであろうか?
東洋の国内においてもヨーロッパから様々なブランドが進出し
ある意味、服飾におけるブランドはそういったヨーロッパの
ものを頂点にヒエラルキーを構築しいてく。その時自国の服
という存在は如何なるものとなるのであろうか?デザイナー
などという存在は、、、似非なるものにしかないらない。
厳然としたヨーロッパ中心のモードであるわけだが、そこに
は挑戦せざる負えない必然があることは理解できる。
国内で完結できている部分で良いではないか?という意見も
当然存在するであろうが、しかしそれは人間の心情=業から
言っても実に不自然な消極的な感覚でしかなく、ある意味
あり得ないと私は考える。
この状況は藝術における現在?というよりも約10年前から
始まった状況に似てはいないだろうか?国内完結型の市場
によって成立?ある意味相当数の芸術家が存立し得た時分
から、今や海外と同期していない価値に対して、またひい
ては権威に対して疑問をもって眺めている風景と相似して
いると私は判断する。
つまりクローズドマーケットが開放された途端、日本の中
の価値基準を見失う。例えばAという作家が相当な金額で
国内で取引されていたとした場合、海外でも同様の取引、
即ち同期していると思いたいが、現実としてそれはあり得
ないものを今は目の当たりにできる。これには色々な状況
があることは承知であるが、現象面のみで言えばそういう
事になる。逆に海外での評価とその背景から生まれる価格
とは、ある意味国内でも同様であり、その他の海外
でも同様。つまり同期している。ここから普通に判断でき
るのは国内の欺瞞という事しかない。そういった状況で、
国内完結できていれば良いではないか?と果たして言える
のだろうか???
話を戻すが
そういう状況でパリに出て行くという行動指針は誰にもあ
るし、分かりやすい部分でもある。しかし出て行く事が目
的ではないそれはあくまでも手段であり、目的とは、やは
り先述の通り海外同期ということが最大の目標となる。
しかし、それは言うわ安しであるが、、、猿真似という潜
在的な観念しかもたれていない状況で果たして成し得る事
ができるのか?
無理という即断の方が遥かに現実的ではないだろうか?
結果的に川久保はここを突破したわけである。
それが1982年の衝撃なのだが
ではなぜ突破できたのか?
それは先述した泡沫的な衝撃、気を衒った攻撃での一瞬の
出来事ではなく、今もって世界と同期している成功である。
それは東洋人、日本人が西洋を中心としたモードの世界で
確固たる橋頭堡を築いた訳であり、猿真似の究極としてで
はない。又西洋に対しての媚の粋を集めた訳でもない。
彼らの中で完全無比な存在として立脚した瞬間である。
逆説的に言えば
端から完全無比な存在としてでないと無理という事かもし
れない。それはなにか?当たり前であるが彼らは東洋人で
もなければ日本人でもない。つまりそれが先ず一番のウィ
ークポイントであるが、一番のオリジナリティーでもあり、
単純に強みとなる。
では日本人であるという強みはなにか?
例えば川久保を今は例にしているが、服飾における日本人
の強みとは,,,
なにか?
そこが先ず一番大事な箇所になる。
しかしもう一つ大事な部分は彼らと無関係な部分で強みを
発揮しても意味が無い。つまりここが一番陥りやすい箇所
だが、それは彼らからすれば単純なオリエンタリズムでし
かなく、そんなものはどの国にも歴史的に存在する。平易
に言えば着物はある意味彼らの世界では完全無比であるが、
彼らのモードの遡上に上る事はない。こういう間違いを犯
す輩が実はこの国にもっとも多いように私は思う。
強みとは彼らの世界観の中に入り込める要件を満たしてこ
そになる。そうなると先に述べた着物ではまったく駄目で
あることは当然至極である。
根本的に集約すると”服”なのである。
これは形を変えようが、よほどの裸族でないかぎり世界中
身に着けている。ここが起点である。用途としての服とそ
こから歴史を重ねて発達した服、この時間軸の差異、そし
てそれを形付けてきた文化的な差異という事を理解しない
と自らの強みという部分には到底たどり着けない。又、相
手の在り様を理解する事は当然だが、自らの歴史的・文化
的内容を把握できていなければ当然高次元の差異の発見は
ままならないであろう事は容易く想像がつく。ひいてはそ
こに厳然と存在するそれらに対しての美意識の違い、それ
を育む思想哲学の違いなどである。
しかし最後の答えは、、服、、、という同じ問題意識に帰
結する論理性が必ず必要となる。
川久保で言えば
西洋の服とは”着る”のである。
つまり身体に即応する布であり、その発展としての美がある。
体のライン、よりそれが美しいものとして発達してきた経緯
が読み取れる。
しかし我々の文化的背景にある服、所謂着物にそのような美
意識があるだろうか?
着物を着るとは言うが、本質的にはこれら着物と呼ばれる布
は”巻く”という事により服として完結させている。
決して西洋のように体に即応するという事ではなく、くるむ
わけであり、ある意味身体的な特徴はかなりの部分消しこま
れる。
このポイント一つとっても成り立ちが大いに違う事が伺える。
似て非なるものと呼べなくも無いが、逆に身体の上に装着す
るという本質は同様である。こういった部分の本質的差異と
同義部分の解剖がある。
では、なぜこうも違うのか?その美意識の違いはと読み解け
ばこと西洋的モード=女性というものの存在へのアプローチ
が違うことが分かる。身体的即応=身体を美しく見せるもの
こそ服飾である。
しかし日本の服飾的美意識は違うポイントを兼ね備えている。
着物は身体的特徴を消す代わりに、身体を取り巻く布に季節
や生き物や思い、そういっったものを背負わせている。もっ
と言えば、その服=着物を選択した、またその着物を着る意
味と言ったことまで服には感受性を働かせ、基本はその服の
中にいる人の考え方やセンス、生活などを引き出す性格を孕
ませている。
ある意味、内面の表出でもある。
身体的美観と内面的美観
この違いはかなり大きい。
あまりインタビューに答えない川久保がNHKの特集で自らの
考えをフランスのジャーナリストに語った部分があるのだが、
そこで彼女が常に言い続けている言葉を紹介していた。
「量感と空間」
これは網膜的な可視しうるマテリアルの問題でない事は
明白である。
これを西洋のモードの中でより極大化していくという事、
同じ服であるがまったく違う感受性の”服”が存在する。
同じ服という世界の中で彼女が次に示し具現化するための
要素として選び出したのが、黒、ボロ(穴あき)左右非対
称、無表情モデルという西洋のモードに対抗する部分であ
った。対抗とは即ち先ほど来からのくり返しであるが、厳
然と理解の中には存在するが、それを明の部分主体としな
い感性に対しての提示。あくまで同じ枠内に存在するが
最大公約化されていないものへの集約と焦点を合わした点。
黒という色は、西洋では色としては認識されていない。
またはっきり言えば好意的な色、特にモードにおいて過去
それを主体的に尊重された歴史は無い。夜会・葬儀などあ
る意味没個性的な場面に活用されるのみで、日常の色などで
は到底なかったわけである。
あえてそこにポイントを持ってきた意味がもう一つ私はあ
るように思うのである。
黒は日本でもある意味忌むべき部分がある。しかし方や、
墨染めに代表されるべく、僧侶の修行、先ほど述べた内面
の表出でもあり、また水墨に代表される日本の文化は、墨
を何色もの豊かな色、又常ならざるものを表現するにつけ
て欠かさざる色彩として豊かな感受性を育んできた。
ボロというものを醜い汚い不完全と見るのか、ある意味禅
僧の修行僧が身に着けているボロボロの墨染めを美しいと
感じるのか?その差は心の差までに由来すると私は考える。
彼らにその心の美しさがないと言っているわけではない。
そういう文化がないのである。そこが我々には大きな財宝
なわけである。
左右非対称も然りであり庭園の在り様を考えれば一目では
ないか?俯瞰してしか眺められないものを日本人は庭とし
ては定義していない必ず自然との一体を考慮した作庭感覚
があり、その空間享受を臨む。西洋のような庭の只中では
全貌が把握できないなどというものを決して臨みはしない。
無表情のモデルも然り、能に代表されるように、見えるも
のの奥に深層心理を読み解く、秘すれば・・極小のなかか
ら極大を生み出す。表情が無いほど無限の表情を表出でき、
また顔というアイコン以外から内面の持つ大きな世界が生
み出せる。
「量感と空間」とはまさしく満面の笑みに代表される視覚
的な充足及び調和ではなく、その中の曖昧な部分のシーム
レスな感覚の提示に繋がる。
これらを一体となした時、西洋の服と同一線上に存在する
のだが同時に彼らの信奉するものとはかけ離れた”ウィルス”
のようなものが彼らの中に定着する恐怖が生まれたと私は判
断する。
つまり彼らの内面=心の中にこれまで無かったものが生まれ、
それは無視できないもの、そして理解せざる負えないほどの
圧力を秘め迫ってくる。
同じ服なのだが、到底理解できない、認められない、しかし
厳然と存在し、その服の持つ意味=内容を考えると、単純に
疎外もできない。
ひいては自らの価値観という天秤にかけたとき、そのバラン
スは??
カール・ラガーフェルドは明確に川久保を評する
「彼女は我々のゲームを壊した!」
私の解釈では、いつでも日本人の失敗は
チェスをやっているところに優れたゲームとして将棋を提
示する。これが入り込むとは到底思えない。当たり前である。
そんな事がゲームを壊したと解釈しているのではない。それ
だったら先述の通り、無視されるだけ、縦しんば、、物好き
が好む程度であろう。
カール・ラガーフェルドが示しているのは、将棋をエッセン
スにした新しいチェスのルールを彼女が提示してきた。
その提示が、、、、これまでよりゲームをずっと面白いもの
にした!という方が正しいと私は思うのである。
この場合のチェスとは
美であると考える。
何が美しいのか?
という事がパリの衝撃だったのではないか?
そして川久保が仕掛けた西洋への戦いだったのいではないか?
と私は感じている。
我々は同じ人間として相対的に彼らとは違う、しかしその差異
からは絶対的な違いのポイントがある。
それは何か敢えて言わないが、文脈的に分かっていただきたい。
そしてそのポイントを求めるとき、まったく違う領域から提示
するのではなく、同じ領域からそれを明確に提示しなければな
らない。
これはかなり難しいことではあるが、主たる部分が相手にある
現実を考えた場合、如何にその中で立場を作り出すかを考えれ
ばそう可笑しな論理ではないと私は考える。
日本的という言葉が実にくだらないと常々思うのである。
そういうことを言う場合
日本的という定義がまずもってあやふやであり
何との比較対照においてそういう際立った部分を説明するのか?
まったくもって疑問なのである。
去る作家が文脈=コンテクストという部分から西洋と東洋の
ドッキングをフラット感覚からコンセプト化しているが、
まったくもって違うとは思わないが、私には枝葉のように
しか感じられない・・・・
それは川久保が最初に受けた誹謗中傷とその後の余人の追随
を許さない評価とはあまりにも違いすぎているのと、ビジネ
ス的な整合の上、解釈の上で成り立っているものとは本質的
に違うような気がしてならない。
つまり日本という全体を集約しきれていないと敢えて言えば
感じるのである。また、それを持って日本という全体解釈を
喧伝されるのも迷惑なような気がする。
最後に付け加えて言えば
川久保のNHKの特集の中で
アレキサンダー・マックィーンがインタビューに答えていた
のだが
「様々な姿の人達を理解することが知性なのです」
そういう意味では川久保も凄いが
それを理解して
改めて高次元で評価する
彼らはやはり凄いとも思う!
