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この世と芸術
この世という定義は何から来るのか、、






私はこの世とはレイヤーな世界じゃないか?と考える。


つまりそのレイヤーの要素とは時間ではないか?と、、






所謂科学の究極はこの世界=宇宙の成り立ち、
その解剖=理論構造=検証であり、アインシュタイン
もその他も全て美しい理論と呼ばれる一つの定式を求
めている。


その定式=科学の先端である量子力学を初めとする科学
には時間という概念は存在しない。


時間の存在を明確に論証するものは何一つとして存在しない。

我々が送っていると感じる1秒1秒の存在は確認できない、
つまり現在の科学領域の外に存在する。


科学と芸術の差とは論証の必要性の有無にあるような気がする。


すなわち論証できないものは、思想、哲学、芸術という
分野に存在する。


私は実は日本人とは早くからこの時間という捉えどころの
ない概念化されたものに異様な感心と存在のありようを求
め続けてきた民族なのではないか?と考えている。


そういう意味で日本人の感受性とはかなり早い時期=民族的
な集合を成した時点より、鋭い芸術的感受性を培ったと考える。


日本の芸術の最重要なエッセンスとはこの時間概念を基底と
なすような気がするのである。


もし仮に我々の民族的芸術の文脈を明確に1点集約すると
するならば、私は時間概念の紡ぎだし方?のような気が
してならない。


実は私の運営するギャラリーの基本概念とは、上記内容
を具現化するアーティストをタレント(才能)として、
その昇華を試みている。


私はギャラリーの役割にはこの概念化が本来必要不可欠
なんだと常々考えている。


ただ単純に催事を繰り返すだけではない筈であり、


ギャラリストの役割はかなり重要なのではないのか?
とも感じている。


まぁ、、、そういう努力を明確にしてこなかった反省
もあり、これからもう少し深めたいと感じる今日この
頃である。。。。。

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