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亡国
8月15日



これを終戦と呼ぶか



敗戦と呼ぶか



言葉の違いは大きい。
即ち思想信条が内包されている。



ここであえて思想信条を述べる
つもりはない。



しかし、この数年来この国の彷徨
からは色々と考えさせられるものが
多い事も事実である。


この彷徨・・


私は、、、これはあくまで個人的な
考えであるが、やはり歴史の考察・
議論の欠如が積年によって出てきた
結果なのではないのかと常々考えて
いる。


その欠如、正確には分断と論じても
よいのだが、それはおそらく1945年
の8月15日まで遡らねばならないよう
な気がしてならない。



ここ最近



フッと思う事、



いや正確には単語なのであるが



”亡国”という言葉である。



現在、何事においてもメディアが放つ
この国の客観的事情は、その内容に
おいて大半が凋落の風景である。。


そして政治のスローガンの大半が
この国の再生であったりする・・



こういったネガティブな空気が蔓延
する社会の中で極端な、最悪の想定と
は何かと考えれば、行きつく所の突
き当たりはやはり”亡国”という
言葉に直結するような気がするの
である。




しかし、亡国とは




言葉の直訳としては国が滅びる、亡くなる
という事で頭では理解できるが、果たして
その風景とはどういった事なのだろう?
と考える・・・




私はさほど頭が良いわけではないし、そ
ういった事を高い次元で学んだ事もないか
ら安直なイメージしか湧かないが、、、、




それでも足りない頭を振りしぼり考えた
イメージ・想像とは、、、少し寂しい
ものが浮かんできた・・・・




亡国と言えど



この国の地図上の地形が無くなるわけでもない。



この国の全ての人々が死滅するわけでもない。



逆に言えば




この国の地図上の地形はそのままである。



この国の大半の人々の人間としての生活は
継続するのである。。




では亡国とはなにか?



一体なにがなくなるのか??



私は



文化だと思うのである。



それは古から培ってきたものが



無くなる




これが即ち亡国であると考える。



支配された時




支配された側の主体性などは
ほぼ無視されるのは当然であろう・・




言葉として妥当かどうか分からないが
植民地という一つの象徴される形から
想像してもそれは容易に理解できる。




文化がなくなる




単純に直言すれば、これはあくまで
極論を論拠に据えている私論である
ことを改めてここで加筆するが、、、



もう、日本語を喋れない



もうこれまで大事にしてきた
お祭りができない・・・



この国の歴史的遺産・遺構が別の価値
観に支配される、それは即ち保全を含め
支配側の価値観に委ねられてしまう・・



この国で醸成されてきた殆どのものが
今、我々は最上のものとして崇めてい
るが、それがほとんどそうはならなく
なる。。



これは実に寂しい限りである・・



もっと言えばその時、自らの
拠り所をどこに求めるのか??



子孫に誇りをもって伝える
文化がない。



いや正確には



文化は存在しても伝える
事を許されない・・



それを想像した時、今の生活から
いかほどのものが欠損するか、、、



いつも、こんなもの・・などと
深く意味など考えないものでも・・




亡国という最終地点から
今のこの国を眺めると、




案外色々なものが愛おしくなるのは
私だけではない筈である。。。



グローバルやインターナショナルは
大いに結構だと思う。公用語の英語化
もそうだろう、しかし大事な根幹は
大丈夫か?と問いたくもなる・・・・






戦後10年も経たない日本のアートシーン
に突如現れたアーティスト、、、





河原温という当時19歳の青年が、ペン画
ですけども『浴室シリーズ』という、ペ
ン画でタイル張りの浴室から妊婦、足の
ない妊婦、腹の膨れた妊婦や少年などの
顔がこう壁から突き出ているというそう
いう絵にショックを受けて、それがああ、
つまり戦争が終わってもあの極限状況は
そんなに簡単に変わらない、人間の回復
なんて嘘っぱちだ、今我々が置かれてる
のはこんな状態だというふうに、河原温
のあの『浴室シリーズ』で痛感したので
あります」(針生一郎ミニ・レクチャー)







色々な方が論じているので




あえて私ごときが云々するというのは
おこがましいのであるが・・




私はこの絵から当時の衝撃を考えれば



日本人は復興に向け様々な上昇志向を
発揚しているが、本質は死骸の中を
遊泳している、、それは決して忘れる
ことのできない風景であり、、極論
として、、、




私は今もこの国は死骸の海の中を
彷徨っていると思うのである・・





この禍根は消えざるものであり
これを積年に亘り無視し続けた
この国の風景は今改めて見直す
べき時点に差し掛かっていると
思うのである。。






亡国




1945年8月15日以降この国が
欠損したものが




確実にある筈である。。




新たな世紀の




この国の新たな





大戦がはじまっているように
感じる・・・

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