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basis
出塁率=(安打+四球+死球)÷(打数+四球+死球+犠飛)
このような式が存在する。実は、これが野球において
相手に勝つためには重要な基本的数式であり、野球の
本質となるのである。

しかし、不思議なことに、近年までこれを基本的な軸
に据えた、もしくは解析してきた球団が少ないのであ
る。。。


やはり、今でも野球は打率と防御率が中心にチーム力
が語られる。


これが近年、妙に違うんじゃないか?という視点が向け
られている。打率が低くても好成績を上げるチームの存
在があるのである。基本となるものは一体なんなのか?
独自の理論展開が必要なのかもしれない・・・



打球がヒットになるかどうかは、敵の守備陣形に大きく
左右される。鋭い当たりでも、野手の正面に飛べばアウ
トだし、当たり損ねでも、野手の間に飛べばヒットにな
る。


また、打撃の目的は何だろうか。ヒットを打つことでも
なければ、もちろん打率を上げることでもない。得点す
ることである。


野球は点取りゲームであり、得点しなければ勝てないの
だから。打率は、試合の勝敗や局面に関係なく、ヒット
を打てば上がるのだから、打者がいかに得点に寄与した
かを、必ずしも反映していない。



この出塁率に注目し、オークランド・アスレチックスは
少ない資金でチームを運営しているにもかかわらず好成
績を挙げた。


アスレチックス のGM ビリー・ビーンは他チームの出塁率
が高いがその他の理由で試合に出られない選手を格安で集
め、地味だが得点効率の高いチームを作った。


詳細はマイケル・ルイスが記した「マネー・ボール」で述
べられている。


この話数年前に何かで読んだのか見たのか?忘れたが記憶
に残っている。


野球は不思議なゲームだ。



ディフェンスとオフェンスが球技の場合同じ人数で行わ
れるのが普通だが、野球の場合、オフェンスの基本は一人
だ。


一人が打席に入り、ヒットになれば次に繋がり、この連鎖
が続くとフィールドにはオフェンスの人員が増えていく。


これが実は野球の本質だ。だから普通に考えれば、出塁率
と呼ばれるものが攻撃にとっては一番信用の置けるデータ
ーであり、かつ、勝利に導くための人員のフォーメーショ
ンにももっとも役立つデーターとなる。


打率の高い選手をいかに寄せ集めても勝利に必ずしも近づ
くわけではない。これは過去のケースを見ても歴然とした
事である。


よく言われるが、強いチームが勝つのではなく、勝つチー
ムが強いのである。強いという客観的及び主観的な自信は、
勝負にとって必ず最大有効なものではない。あくまでも気
持ちの上でのことだけであって、実際には勝負をやって見
ないと分からないものだ。


その上で勝つチームが現実的には強いのである。


これはトーナメントをすればそうだろう、前評判というの
はあるが、実際は勝ったチームが強く、運も味方につけて
いるのであろう。


落合という監督は、私が見ている限り、この本質を一番理
解しているのではないか?と思うのである。よく、俺流な
どと呼ばれるその野球観は、業界では異端的雰囲気の表現
色が濃いのであるが、我々素人から見ていると結果論かも
しれないが、実に分かりやすいものであり、なるほどと感
心させられる。これは偏に結果を出しているから余計に分
かりやすいのだろう・・


不思議なものである、過去超一流と呼ばれた選手たちを思
い返すと実に個性的で、大きくまとめると全て“俺流”だ
ったんじゃないかなぁ?と思える。それは打者の場合特に
感じるのである。


打者にとって何が大事で基本になるかと考えると、やはり
“打法”になるんじゃないだろうか?所謂、バッティング
フォームなのだが、超一流はほとんど基本から覚醒したよ
うな打法に行き着いているような気がする。その中でもこ
の落合の打法“神主打法”は過去にも似たような選手がい
たのだろうが、これほどこの打法で中長距離を自在に操れ
た打者は球史の中でも稀有な存在だと思う。


この打法、基本を重視するコーチ陣には嫌われる。


より多くの長打が望める反面、バットコントロールが非常
に難しく三振率が高い選手も多い。またフォームの構造上、
タイミングの見極めにもこの打法独特の熟練が必要とされる。


この点ではタイミングを重視したフォームとされる一本足
打法とは異なり、より遠くへ打球を飛ばすことに主眼を置
いた特化型の打法といえる。


落合も例に漏れず、入団当初このフォームの改良指示を受
けた。この時代、ロッテは山内一弘が監督で、かれはレベ
ルスイングの信奉者であった。その彼からするとバットを
アッパー気味でコントロールする神主打法は論外であり、と
てもではないが尊重できるものではなかった。


このレベルスウィングを落合はどのように考えていたのか
分からないが、ある程度取り入れていこうとする。しかし
思ったような結果が出ないので、さらなる改良を自分自身
で加え、結局、我流で自らの打法を確立していくのである。


まったく芽の出なかった当時の落合のスウィングを安打製
造機の異名を誇っていた大打者・張本が一目見たとたん、



「素晴らしい。このままのスイングで打てる」と断言した
のは伝説であった。



張本の打撃に対する見識の凄さをいまさらながらに感心さ
せられるのである。張本は一般にはあまり知られていない
が、手に障害を持っていた。本人がほとんど公表しないた
め、どのようになっているかは知られていないが、尊敬す
る打撃の神様・川上哲治に見せたところ、川上は絶句し涙
を流したということらしいのだ。



それほど高次元で戦う選手にとってはとてつもないハンデ
ィキャップであり、それを跳ね返し続けた努力に川上は涙
したのであろう。張本はもちろん基本ということを大事に
したのであろうが、これほどのハンディがあると、基本に
はどうしても従えない側面があり、自分なりの改良を加え
ないととてもではないがまともに一流の中では太刀打ちで
きない。


それこそが彼の基本的な軸でありつづけたのではないだろ
うか?その彼をして落合のスイングを絶賛したのである。


一流は一流の芽を見抜くのである。そして一流は決して他
人の意見に流されない。これが実は一流たる所以の本質な
のではないかと思うのである。


基本という軸が違うのであろう。自分で見極めた本質をま
ず軸に据えて、その軸へ自分なりのアプローチをかけてい
く。


だから自分が考える本質にいかに近づくか、そのために必
要なことはなにか?それらを考えていくことが、一流選手
が考え、理想とする基本になるような気がするのである。



なんでもそうなのだが、やはり一般で言う基本はあくまで
平均的な思考でしかない。突き抜ける選手にはとてもでは
ないが、窮屈でたまらないのであろう。


もっと言えば、かえって悪弊になりかねない。この落合の
神主打法もバットコントロールの難しさが三振率を上げる
というのは、基本的な考え方になるのだろうが、しかし、
戦局から球筋を極限まで読み込める能力が高ければ、バッ
トをコントロールする必要が格段に下がる。


読み違いがなければかなりの確率で長打を狙えるという、
逆の発想が一流選手には基本となる。何かを中心に据え、
それを独特の理論と行動で埋めるから、一流に成るので
あって、基本の山積みだけではとてもではないが、ある
一定のゾーンからは決して出られないような気がするの
である。これはイチローも野茂も同じじゃないだろうか?
どちらも結局、我流のスタイルを築き上げ、他人が決し
て真似のできない境地にたどり着いている。



種目は違うが、テニスのマッケンローなどもまったく同
じことが言える。あの対戦相手に背中を向けて体全体に
思いっきりスピンをかけて打ち込むサーブはまさに基本
からはみ出るスタイルである。


サーブを打ち込むと同時にネットまで一直線に駆け出し
ボレー体勢に入る、彼独特のサーブアンドボレーは他の
追随を許さない独特の戦法だった。基本から考えると実
に危険極まりない戦法であり、決して指導のテキストに
は採用されないだろう。マッケンローは超一流の選手で
あったのと同時に、ことごとく基本からはみ出す選手の
典型だったのではないだろうか?あのまったく基本を無
視したフォアハンド、天性の手首のやわらかさを利用し
手首で球筋をコントロールするフォームは決して美しい
理に叶ったスタイルではなかった筈である。


しかし、この時代を代表する劇的な選手であったことは
間違いない。



基本に忠実とはいかなる意味なのか?




野茂、イチローをはじめ、海外で活躍する選手の才能
を飛躍的に伸ばした、故仰木監督の言葉にある



個性に勝る基本はない、という意味



この数日深く考えさせられた。。。

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