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帝と桜
昨日、所用で六甲に行った。


山上における気候の差だろうか
桜が咲き誇っていた。。



京都の街中の桜はおそらく今週が最後
来週は見事に散り始めるだろう・・・



なんとなく慌ただしく、、



今年は桜を一度もゆっくりと眺められなかった。。



せっかく咲いてくれていたのに・・・




なぜか、申し訳ないなぁ・・なんていう感覚が胸
を突き上げた。。



どんな草花も神秘的な要素は兼ね備えているが
桜ほど不思議な花はない。



これほど極端な開花と、その花の短さは他の草花
を寄せ付けない程鮮烈であり、近年益々桜に寄せ
られる人々が増えているような感じがする。




私も歳とともにその想いが強くなっているのが
自分でも確認できる。



お花見という意味ではない。



なぜか、一人で見ていたいなんていう感傷的な
感覚が年々強くなる。。



本当に感心させられる花だ。2週間、4月の初めに
咲く。一年の内、たったの2週間。



忘れることなく咲く。何年も何十年も何百年も・・・・



不思議で仕方がない。。。。



数年前、知った。



今各地で咲いている桜のほとんどが江戸期に品種改良
されたもので、本来の桜とは山桜であることを。



近畿で山桜といえば、吉野と連想は直結する。



古の高貴な人々が愛でた桜。それこそが吉野の山桜だ。



数年前初めて見に行った。



京都から現代でも相当な時間のかかる場所である。
この場所にそれこそまともな交通手段がない時代に
かなりの時間をかけ桜を見に行った往時を想像する
と、その山の持つ性格が改めて感じられる。



この山は特別なんだな!と・・・・



ソメイヨシノのような華奢な桜ではなく、がっしりと
した強さを感じる桜。



ソメイヨシノのような不安な感覚を誘うような可憐さ
はないが、日本の原風景に息づく吐意気のような美し
さが山桜には感じられた。



この山は別の意味でも特別だ。



自然の要害。



最終防衛拠点として、この地は幾度となく歴史に登場
する。


この地の歴史上のクライマックスはやはり、後醍醐帝が
開いた“南朝”だったんじゃないだろうか?



後醍醐天皇と吉野の桜!





“ ここにても雲井の桜さきにけりただかりそめの宿と思ふに ”





桜の逸話や思いは幾万も存在するが、後醍醐天皇と吉野の桜こそが、
日本にとっては一番意味深いものを私は感じる。



今上天皇が追放されたという歴史上の重大事。



都を追われ、幾度となく捲土重来を期してこの地で臨戦態勢を布
いたが、結局、無念のうちに崩御された。



私はこの帝が実は好きである。



何が?と聞かれても具体的な部分は特にないのだが、なぜか惹か
れるものを感じる。



楠木正成などの英雄との関係からか?と思われるが、そうではなく、
なんとなく帝自体が好きなのである。



中世以降、これほど野心的な帝は他にいない。
ほとんどの帝が時の権力者たる武士の傀儡に過ぎないし、場合に
よっては帝という呼称だけの空虚な存在でしかない。



それから考えても、実相が如実に伝わる帝であり、ギラギラした
ものを感じる。



しかしながら、無念の内に山深い、政局から遠い地で崩御した、
この帝の人生にとてつもない虚無感を感じることが惹かれる一番
の理由かもしれない。。




初めて吉野に行ったとき、皇居というにはあまりにも粗末な庵
の奥に配された”玉座”を見た。





“ まだなれぬいたやの軒のむら時雨おとを聞くにもぬるる袖かな ”






この歌にあるように、


まだ慣れない板葺きの粗末な小屋で、軒を叩く通り雨の音を聞く
につけても、我が身の境遇が思いやられ、悲しくて涙に濡れる袖
だことよと・・・




実に粗末なものであり、日本の帝が一時であったとしても、こんな
所にお住いだったとは?と想像するだけで、私の心はざわついた。



実に不憫である。






“うづもるる身をば歎かずなべて世のくもるぞつらき今朝のはつ雪”






我が身がこのまま世に埋もれてゆくとしても、歎きはしない。それ
よりも、世の中がおしなべて曇ってしまうのが辛いのだ、今朝の雪
模様の空のように・・・・




後醍醐帝以降、天皇が政治・権力の表舞台に立つことは無くなり、、


象徴となる。



しかし、それから幾百年後に再度天皇は政治・権力の表舞台に帰
ってくる。明治・大正・・・・



日本が敗戦した時の帝



昭和天皇と・・・・・



そして帝は再度、象徴となる。。






“ ふしわびぬ霜さむき夜の床はあれて袖にはげしき山おろしの風 ”






辛くて寝ていられない。霜が降りたように冷たい寝床は荒れて、
袖の隙間に吹きつける、激しい山颪の風・・・・・・




後醍醐帝と昭和天皇。



この幾年月のあいだ



吉野桜は咲き続けてきた。。



その以前の幾年月と変わることなく。




忘れず春になると・・・・




今も咲いている。

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