March 12,2010
フェチという言葉がある。
元来はフェティシズムという、なんかファッション
ムーブメントの一つのような言葉みたいであるが、
現代ではフェチという言葉で大いに流通し認識さ
れている。
Wikipediaの定義を見ると
フェティシズム(英語:Fetishism)は、人類学・
宗教学では呪物崇拝、経済学では物神崇拝と訳される。
また、心理学では性的倒錯の一つのあり方で、物品
や生き物、人体の一部などに性的に引き寄せられ、
性的魅惑を感じるものを言う。極端な場合は、性的
倒錯や変態性欲の範疇に入る。
現代の日本でフェティシズムという場合、上記のうち
心理学的な意味における「性的フェティシズム」を指
すことが多い。本来、精神医学ではかなり深いこだわ
りを指すものであるが、省略形・俗語でフェチとも言い、
単なる性的嗜好程度の意味で使われている。
フェティシズムを向ける対象をフェティッシュ(fetish)、
フェティシズムの志向を持つ人をフェティシスト
(fetishist)という。
事らしい・・・
と言うことで、フェチだが、一般通念では性的嗜好を
表現する言葉として広く認識されている。
確かに元々の意味は少し違ったのかもしれないが、
本来的にはアンダーグランドに存在する言葉であった
はずが、現代は日の当たる場所に堂々と出てきている。
そして性的嗜好が元になった犯罪というショッキング
な側面に引きずられ、ほぼそれらを指し示す言葉とな
ってしまった。
めがねフェチ
ツインテールフェチ
脚フェチ
尻フェチ
パンストフェチ
タイツフェチ
ラバーフェチ
ミニスカフェチ
大きくは物質・人体パーツ・シチュエーション
に分かれるようだ。。。
なんかよく分からないが、ちょっと調べるだけ
でもこれらがジャーナルの如く流れ出てくる。
一般的に明るさはない。。
それらが性欲と結びつき、犯罪にまで至るケース
からこのフェチという言葉はダーティーなイメージ
を引きずるのであるが、、
実はもう一つその衝動について気づく点は
正常?という
大多数が持つ平均感覚を、平均的に有しているは
ずだと自覚していた自分が、実は内に平均からは
ずれる感覚がある!
と、、
気づいたとき、その世の中一般の平均感覚と自分
が有している希少性感覚の狭間に生まれる妙な感
覚、、、これが時間経過と共に肥大化し、押さえ
きれない衝動を持つに至るのである。。
他人に理解されなくても良いという趣味的な範囲、
これは見えている部分において一般的な許容範囲
を指すのだが、それらに対しての配慮が著しく無
くなることにより、常識としての”羞恥心の平衡
感覚が破壊された瞬間。。
自分は変質者なのだろうか?という相対感を欠落
させてしまう原因が生まれ、それがやがて厳然と
認識せざるおえなくなることにより、フェチの世
界へ突入していく。。
しかし、実際はこの人間の感性の中で相半する関係、
平均的な感覚と逸脱した感性こそが秘められた欲望
の源泉であり、実は上手に操ればある意味楽しい趣
味であったりということも考えられる。
問題は表面露出であり・・
してはいけない、しかし押さえられない。。的な
心理環境が絶対存在するはずで、その狭間の心理
感覚の範囲におれば楽しい趣味で終わるものが、
そのゾーンから僅かでも突出し偏向嗜好を全面に
だした、もしくは出している人は即時“変態”と
いう人間社会の次のカテゴリーに送り込まれるの
である。
だから犯罪前と犯罪後ではその人間のカテゴリー
も大いに違ってくる。。
まぁ犯罪という極端な区別は問題があるが。。。
以前、Uという優秀な経済学者が起した“のぞき”
などはその典型ではないだろうか?
捕まる前は人に言えない内なる個人のフェティシ
ズムであっただけのものが、それを世の中で具体
に実行したとき、それはもう“フェチ”とは呼べ
なくなってしまっている。
彼にとってはスカートの中という世界が夢の世界で、
それが本来見れない場所で見れるということに大い
なる快感が生まれたのであろう。
しかしその橋渡し行為が世の中では“のぞき”
と呼ばれ犯罪になるのである。
この行為を、金をはらって出来るような場所で
思いを遂げても、それはあくまでバーチャルな
世界でしかなく、本意を遂げた事にはならない
どころか、、、
ある意味、似て非なる最たるものになってしまう
のだろう。。
もしくはひょっとすると“のぞく行為”そのもの
が彼のフェティシズムかもしれない。
だから究極は人でも猿でも車でもなんでもよかっ
たのではないだろか?
それはまだ彼のフェティシズムが未成熟で平均的
な男性の女性に対する欲望が混入していただけか
もしれない。
極端かもしれないが、のぞきの度合いが成熟の極
に達すると、、、、
ひょっとすると、走っている車の床面が見てみたい!
凄く興奮するなどという極地があるのかもしれない。。
この場合、その欲求を実際の行動に移した場合、、、
確かに変態ではあるが、、、もっと別のゾーンの人
になるのだろう・・・・・・
。。。。。。。。。。。。。。。。
しかしフェチにとって、その真の実感とは、現実
との距離感こそが至福の感覚であり、これこそが
大きなフェチ原動力でありエネルギーである。
これがある意味、現実が近づいてしまう、、、、、、
例えば先ほどの例のように実際に”のぞく”
などという事が目の前可能であるという状態が生
まれると、もしくは希求すると、これは実に危険
なのだ。
ある意味フェチが夢想するものは本来物質的な
側面が大きいのだが、本質は空虚な世界のイメ
ージの増幅でしか無いのではないだろうか。
それは枯れない泉の如く次から次から溢れ、
無理に押さえると水道管のバルブのように破裂
してしまう危険性を孕んでいる・・・・
この危険とは
一線を越え
破裂してしまう、、、、、、、、
そうなった時、目が覚め、、、、
平均的嗜好社会に戻ろうとしても、
すでにその扉は閉じられており、フェチの
社会からも抽出されてしまっているのである。。。
単純に”変態”というごくありふれた境界
の曖昧な世界の住人となり・・・・
フェチというどこか人間的に軽やかな無責任
な存在からは放逐されてしまうのである・・・
だから大半はバーチャルなイメージ世界に
棲息し、現実との乖離の中で悶々と過ごすの
だが、ある線を越えた瞬間、地雷地帯を踏み
分けるような危険な行軍となるのだ。
だから、イメージの増幅こそがフェティッシュ
にとっては一番大事なのだろう。
それ以上の具体的行動による欲望追求は危険な
行為なのである・・・
とまぁこんなに難しく考えなくても良いの
だけど。。。
しかし、対象や内包しているものの種別を別に
して、人間はある意味すべてフェティッシュ
なんではないだろうか、先天的に気づいたものや
後天的に育んでいるに関わらず様々な形があると
思う。
そして、それが案外現世の自分が写し出されてい
る世の中のキャラクターと大いなるギャップが
存在していることがあり、それがよりフェティシズム
感覚を増幅させるのである。。
えー!!
あの人がーーー!!
そう考えると、宗教も政治も学問もそこに取り
かかる発端はフェティシズム的発想なのかもし
れない。
社会正義と社会悪は表裏であり、所属する集団
によってその感性は大いに違ってくる。
自分は人より世の中を良くできる、出来れば頂点
に立ち良くしたいという感性は、凄い立派な人だ
という認識があるようだが、これは指向性(嗜好性)
によっては大いなる疑問と成り得る。
たとえばそのような人物が現代において共産主義者
であった場合どうだろうか?
また逆に、権力の中枢に居るにも関わらず力に対
してのフェティシズムが働かない輩では上手くいか
ないのも事実である。
ある意味”中道”などと呼ばれている偏向傾向の
少ない集団においても、リーダーのフェティシズム
がある波長で人民につながらなければ、権力奪取に
は至らない。
そしてフェティシズムはイメージの増幅でしかな
い、だから政権の運営基盤はイメージという理想
を元にするのだが、現実とは常に乖離し、そして離反、
破綻する。
集団がイメージとの乖離をいつも許さないのだ。。
あんたはこうなんや!!という強固なもの。。
宗教の場合は宗教側が無理に集団のイメージに合わ
せるのであろう。
逆の乖離感が生まれるが、元々現実とは超越した
関係にあり、現実も偏向気味のイメージ世界であり、
振幅があくまでバーチャル内の出来事でしかないた
め破綻には至らない。
では芸術は?
まぁはっきり言えば
世間から認められない存在であるならば
絵画フェチでしかないだろう、、、
そんな存在の人間が
人前に自分の描いたモノを晒すなどというのは
先ほどの論理に照らし合わせれば
変態行為・・・なのかもしれない。。。
シコシコ家で描いている分には”フェチ”でよいが、、、
これは、、大して売れない業者も然りであり
ひょっとすると私などは
日々変態行為に溺れているのかも。。。。。
くわばら、、くわばらである・・・
話は変わるが、集団という意味で、
以前も何かの番組であったが、数人の男女が頭から
足の先までを覆い被るウェットスーツのような物
(たぶんもっと薄手でコントなんかで着るタイツ
みたいなもの?)を着衣し、お互いに寝転がり、、、
“スリスリ”し合い快感に浸るフェチ集団が放映
されていた。。
聞くとこの集団は、あくまでお互いもしくは複数
で着衣したものをこすり合わせ“スリスリ”する
事に快感があり、男女での行動の場合、性行為の
ように相手の性器を掴んだり揉んだりすること、
そして会話は御法度なのだそうだ。。。
私は是を見た瞬間、笑ったが、でも世の中は広い
とも大いに感じたし、すこしやってみたいなぁ!
なんか気持ち良さそうだなぁ~とも正直思った。。
気づいていない自分のフェティシズムを呼び起さ
れたような。。。。
この人たちは真剣にその快感に何時間も耽ってい
るのだ。。。。。。。。。。。
だからといって他人に迷惑をかけているかと言う
と、決してそうではない。
具体的に“スリスリ”しているが、実は肉体の
快感だけなら皆して集まる必要もない、そこに
はイメージの増幅という言葉に出来ない大きな
快感が存在するのだろう。
そしてもう一つ驚いたのは、この集団の欲望の
パワーは全国組織なのである。。
ある意味侮れない!!
と、とにかく結構なフェチが存在する。
そしてネットという現代の通信手段がこれら
嗜好の人たちを繋げ、本来一人で抱えていた
欲望がネットにより集団ができ、一気に世の
中に噴出している。
よく昔は“恥ずかしげもなく!”などという
言葉を大人から聞いたが、現在ではそん
な言葉も一種の“合いの手”くらいしか意味
をもたなくなってしまっている。。
恥ずかしげもなく!みんなで見ましょう!
やりましょう!
と言われると、自分のフェティシズムが分かって
いないと
ある種の間違った勇気が生まれるのも事実だ。。。
そんな集団性って
どうなん??
元来はフェティシズムという、なんかファッション
ムーブメントの一つのような言葉みたいであるが、
現代ではフェチという言葉で大いに流通し認識さ
れている。
Wikipediaの定義を見ると
フェティシズム(英語:Fetishism)は、人類学・
宗教学では呪物崇拝、経済学では物神崇拝と訳される。
また、心理学では性的倒錯の一つのあり方で、物品
や生き物、人体の一部などに性的に引き寄せられ、
性的魅惑を感じるものを言う。極端な場合は、性的
倒錯や変態性欲の範疇に入る。
現代の日本でフェティシズムという場合、上記のうち
心理学的な意味における「性的フェティシズム」を指
すことが多い。本来、精神医学ではかなり深いこだわ
りを指すものであるが、省略形・俗語でフェチとも言い、
単なる性的嗜好程度の意味で使われている。
フェティシズムを向ける対象をフェティッシュ(fetish)、
フェティシズムの志向を持つ人をフェティシスト
(fetishist)という。
事らしい・・・
と言うことで、フェチだが、一般通念では性的嗜好を
表現する言葉として広く認識されている。
確かに元々の意味は少し違ったのかもしれないが、
本来的にはアンダーグランドに存在する言葉であった
はずが、現代は日の当たる場所に堂々と出てきている。
そして性的嗜好が元になった犯罪というショッキング
な側面に引きずられ、ほぼそれらを指し示す言葉とな
ってしまった。
めがねフェチ
ツインテールフェチ
脚フェチ
尻フェチ
パンストフェチ
タイツフェチ
ラバーフェチ
ミニスカフェチ
大きくは物質・人体パーツ・シチュエーション
に分かれるようだ。。。
なんかよく分からないが、ちょっと調べるだけ
でもこれらがジャーナルの如く流れ出てくる。
一般的に明るさはない。。
それらが性欲と結びつき、犯罪にまで至るケース
からこのフェチという言葉はダーティーなイメージ
を引きずるのであるが、、
実はもう一つその衝動について気づく点は
正常?という
大多数が持つ平均感覚を、平均的に有しているは
ずだと自覚していた自分が、実は内に平均からは
ずれる感覚がある!
と、、
気づいたとき、その世の中一般の平均感覚と自分
が有している希少性感覚の狭間に生まれる妙な感
覚、、、これが時間経過と共に肥大化し、押さえ
きれない衝動を持つに至るのである。。
他人に理解されなくても良いという趣味的な範囲、
これは見えている部分において一般的な許容範囲
を指すのだが、それらに対しての配慮が著しく無
くなることにより、常識としての”羞恥心の平衡
感覚が破壊された瞬間。。
自分は変質者なのだろうか?という相対感を欠落
させてしまう原因が生まれ、それがやがて厳然と
認識せざるおえなくなることにより、フェチの世
界へ突入していく。。
しかし、実際はこの人間の感性の中で相半する関係、
平均的な感覚と逸脱した感性こそが秘められた欲望
の源泉であり、実は上手に操ればある意味楽しい趣
味であったりということも考えられる。
問題は表面露出であり・・
してはいけない、しかし押さえられない。。的な
心理環境が絶対存在するはずで、その狭間の心理
感覚の範囲におれば楽しい趣味で終わるものが、
そのゾーンから僅かでも突出し偏向嗜好を全面に
だした、もしくは出している人は即時“変態”と
いう人間社会の次のカテゴリーに送り込まれるの
である。
だから犯罪前と犯罪後ではその人間のカテゴリー
も大いに違ってくる。。
まぁ犯罪という極端な区別は問題があるが。。。
以前、Uという優秀な経済学者が起した“のぞき”
などはその典型ではないだろうか?
捕まる前は人に言えない内なる個人のフェティシ
ズムであっただけのものが、それを世の中で具体
に実行したとき、それはもう“フェチ”とは呼べ
なくなってしまっている。
彼にとってはスカートの中という世界が夢の世界で、
それが本来見れない場所で見れるということに大い
なる快感が生まれたのであろう。
しかしその橋渡し行為が世の中では“のぞき”
と呼ばれ犯罪になるのである。
この行為を、金をはらって出来るような場所で
思いを遂げても、それはあくまでバーチャルな
世界でしかなく、本意を遂げた事にはならない
どころか、、、
ある意味、似て非なる最たるものになってしまう
のだろう。。
もしくはひょっとすると“のぞく行為”そのもの
が彼のフェティシズムかもしれない。
だから究極は人でも猿でも車でもなんでもよかっ
たのではないだろか?
それはまだ彼のフェティシズムが未成熟で平均的
な男性の女性に対する欲望が混入していただけか
もしれない。
極端かもしれないが、のぞきの度合いが成熟の極
に達すると、、、、
ひょっとすると、走っている車の床面が見てみたい!
凄く興奮するなどという極地があるのかもしれない。。
この場合、その欲求を実際の行動に移した場合、、、
確かに変態ではあるが、、、もっと別のゾーンの人
になるのだろう・・・・・・
。。。。。。。。。。。。。。。。
しかしフェチにとって、その真の実感とは、現実
との距離感こそが至福の感覚であり、これこそが
大きなフェチ原動力でありエネルギーである。
これがある意味、現実が近づいてしまう、、、、、、
例えば先ほどの例のように実際に”のぞく”
などという事が目の前可能であるという状態が生
まれると、もしくは希求すると、これは実に危険
なのだ。
ある意味フェチが夢想するものは本来物質的な
側面が大きいのだが、本質は空虚な世界のイメ
ージの増幅でしか無いのではないだろうか。
それは枯れない泉の如く次から次から溢れ、
無理に押さえると水道管のバルブのように破裂
してしまう危険性を孕んでいる・・・・
この危険とは
一線を越え
破裂してしまう、、、、、、、、
そうなった時、目が覚め、、、、
平均的嗜好社会に戻ろうとしても、
すでにその扉は閉じられており、フェチの
社会からも抽出されてしまっているのである。。。
単純に”変態”というごくありふれた境界
の曖昧な世界の住人となり・・・・
フェチというどこか人間的に軽やかな無責任
な存在からは放逐されてしまうのである・・・
だから大半はバーチャルなイメージ世界に
棲息し、現実との乖離の中で悶々と過ごすの
だが、ある線を越えた瞬間、地雷地帯を踏み
分けるような危険な行軍となるのだ。
だから、イメージの増幅こそがフェティッシュ
にとっては一番大事なのだろう。
それ以上の具体的行動による欲望追求は危険な
行為なのである・・・
とまぁこんなに難しく考えなくても良いの
だけど。。。
しかし、対象や内包しているものの種別を別に
して、人間はある意味すべてフェティッシュ
なんではないだろうか、先天的に気づいたものや
後天的に育んでいるに関わらず様々な形があると
思う。
そして、それが案外現世の自分が写し出されてい
る世の中のキャラクターと大いなるギャップが
存在していることがあり、それがよりフェティシズム
感覚を増幅させるのである。。
えー!!
あの人がーーー!!
そう考えると、宗教も政治も学問もそこに取り
かかる発端はフェティシズム的発想なのかもし
れない。
社会正義と社会悪は表裏であり、所属する集団
によってその感性は大いに違ってくる。
自分は人より世の中を良くできる、出来れば頂点
に立ち良くしたいという感性は、凄い立派な人だ
という認識があるようだが、これは指向性(嗜好性)
によっては大いなる疑問と成り得る。
たとえばそのような人物が現代において共産主義者
であった場合どうだろうか?
また逆に、権力の中枢に居るにも関わらず力に対
してのフェティシズムが働かない輩では上手くいか
ないのも事実である。
ある意味”中道”などと呼ばれている偏向傾向の
少ない集団においても、リーダーのフェティシズム
がある波長で人民につながらなければ、権力奪取に
は至らない。
そしてフェティシズムはイメージの増幅でしかな
い、だから政権の運営基盤はイメージという理想
を元にするのだが、現実とは常に乖離し、そして離反、
破綻する。
集団がイメージとの乖離をいつも許さないのだ。。
あんたはこうなんや!!という強固なもの。。
宗教の場合は宗教側が無理に集団のイメージに合わ
せるのであろう。
逆の乖離感が生まれるが、元々現実とは超越した
関係にあり、現実も偏向気味のイメージ世界であり、
振幅があくまでバーチャル内の出来事でしかないた
め破綻には至らない。
では芸術は?
まぁはっきり言えば
世間から認められない存在であるならば
絵画フェチでしかないだろう、、、
そんな存在の人間が
人前に自分の描いたモノを晒すなどというのは
先ほどの論理に照らし合わせれば
変態行為・・・なのかもしれない。。。
シコシコ家で描いている分には”フェチ”でよいが、、、
これは、、大して売れない業者も然りであり
ひょっとすると私などは
日々変態行為に溺れているのかも。。。。。
くわばら、、くわばらである・・・
話は変わるが、集団という意味で、
以前も何かの番組であったが、数人の男女が頭から
足の先までを覆い被るウェットスーツのような物
(たぶんもっと薄手でコントなんかで着るタイツ
みたいなもの?)を着衣し、お互いに寝転がり、、、
“スリスリ”し合い快感に浸るフェチ集団が放映
されていた。。
聞くとこの集団は、あくまでお互いもしくは複数
で着衣したものをこすり合わせ“スリスリ”する
事に快感があり、男女での行動の場合、性行為の
ように相手の性器を掴んだり揉んだりすること、
そして会話は御法度なのだそうだ。。。
私は是を見た瞬間、笑ったが、でも世の中は広い
とも大いに感じたし、すこしやってみたいなぁ!
なんか気持ち良さそうだなぁ~とも正直思った。。
気づいていない自分のフェティシズムを呼び起さ
れたような。。。。
この人たちは真剣にその快感に何時間も耽ってい
るのだ。。。。。。。。。。。
だからといって他人に迷惑をかけているかと言う
と、決してそうではない。
具体的に“スリスリ”しているが、実は肉体の
快感だけなら皆して集まる必要もない、そこに
はイメージの増幅という言葉に出来ない大きな
快感が存在するのだろう。
そしてもう一つ驚いたのは、この集団の欲望の
パワーは全国組織なのである。。
ある意味侮れない!!
と、とにかく結構なフェチが存在する。
そしてネットという現代の通信手段がこれら
嗜好の人たちを繋げ、本来一人で抱えていた
欲望がネットにより集団ができ、一気に世の
中に噴出している。
よく昔は“恥ずかしげもなく!”などという
言葉を大人から聞いたが、現在ではそん
な言葉も一種の“合いの手”くらいしか意味
をもたなくなってしまっている。。
恥ずかしげもなく!みんなで見ましょう!
やりましょう!
と言われると、自分のフェティシズムが分かって
いないと
ある種の間違った勇気が生まれるのも事実だ。。。
そんな集団性って
どうなん??
