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山本さんのアトリエに久しぶりに伺う・・



昨年11月に個展の依頼に伺って以来で
早、3か月・・・早いものである。。





週末に電話があり、色々作っているが
一度打ち合わせしたいという事だったの
で土曜日にお邪魔させていただいた。




山本さんに私の方から依頼したのは







FACE、、、顔というテーマでした。



COMBINEのホームページブログで何度か
動画を使い紹介していただいた、あの
顔である・・・







山本さんは長年、造形に携わり、ある意味
そういった仕事の世界では有名でもあり、
完成された存在の方なのであるが、、、



私たちとやる仕事とは、そういったクライアント
が存在して、その依頼を造形をしていくという
事ではなく、山本さん独自のオリジナル作品を
展開していこうというのが趣旨であり、今回初めて
それを個展というカタチで具体的に展示するのである。。




その時に、何を?




以前から何度もアトリエには足を運び、色々な事を
お話させていただいてきたのだが、その会話の中に、




色々な造形を作ってきて今後も作り続けるのだが




顔に対しての興味は尽きる事がない・・・









というような事をおっしゃっていたのが、、、、
頭にこびり付いており、この展覧企画をお願いする
にあたり、私にはシンプルにその顔に対しての




興味を作品化してもらえないか?という考えが
あった。。



そして今回伺ったのは、作品が仕上がったという
よりも、様々な考え方でどのように展開するか?
という打ち合わせであった・・



今回はその作品及び展覧に対する、、、、
デッサンというのかエスキースのようなものの
確認作業となった・・・




かなり長時間話した。。




顔について




展開について




まだ、結論には至っていないが



私個人としてはかなり面白いものになるんじゃ
ないか?と感じている・・・





改めて考えれば




顔というのは実に面白い




結局、鏡を使ったり、写真を介しては見ることは
出来ても、実際の自分自身の顔というものを人間
は生涯見ることは出来ない・・・




顔というのは自分のものではあるが



そこに生まれる表情というものの基本は、他人という
別の人間に対して表す”演技”でもあり、顔という
ものは他人によって形成されている・・ような気がする。



自らの顔は社会に対しての個性であるが、その内側に
いる自分という存在を現すというよりも、実際には
なんとなく笑ったり怒ったりという他人がする造形を、
自分なりに形作り見せているような気がする。そして
その造形がどのようなものなのかは、実は実際には確認
しようもないのだ・・・




誰とも接してない時に、果たして人間は社会の中に
いる時のように、顔に責任を持つのだろうか??




よく無表情という言葉を耳にするが・・・




それは、本当の意味では限りなく




死に近い状態の造形であり、、、



逆の意味においてはその時の状態こそ
が生きている真の自分そのものの





顔なのじゃないの?



とも感じる・・・





人との接触を完全に絶った時、人間はどんな顔である
必要があるのか・・・




他人に対しての顔を持つ必要がない時の




人の顔って・・・・

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