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最低限の画力
昨日は久しぶりに


大阪の、国立国際美術館へ





お客様のKちゃんとスタッフ青野と3人で







絵画の庭
ゼロ年代日本の地平から、、、を見行きました!








平日の金曜日の午後という状況から
考えても、結構多くの人、特に女性が目立った
のですが、若い人はもちろんですが、中年の女性
も多く見受けられました・・



少し前にこういった現代美術の展覧などは
閑古鳥状態だったことを考えれば、時代は大きく
変わった?という実感を掴めるなぁ~と改めて
感心いたしました。。



さて内容ですが、、



ここで私ごときが展評するなどは、、おこがましい
のですが、先ず紹介文を転載させていただくと・・


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具象的な絵画は、時代を超えた普遍性を持っています。
しかし、90年代半ばから台頭し、ゼロ年代を経てもな
お衰えを見せない日本の具象的な絵画の隆盛には、か
つてない地殻変動が感じられると同時に、欧米の美術
史の文脈のみに縛られない解放感に溢れています。
本展でご紹介する作家の多くは、新しさを一義的に追
求することなく、目に見える世界を素朴に再現するも
のでもなく、個人的で日常的な視点から、描くことそ
れ自体を肯定し、時代の閉塞感さえも軽やかにあるい
はアイロニカルに捉える自在さを具えています。また、
完成作としてのタブローばかりではなく、ドローイン
グの瑞々しい表現を積極的に駆使し、挿絵や絵本、マ
ンガなどこれまで周縁的なものとして排除してきた大
衆文化の養分をも吸収した斬新な作品群も数多く見ら
れます。


国立国際ホームページ記載文転載
http://www.nmao.go.jp/japanese/b3_exhi_beginning_garden.html


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という内容で、確かにその通りの展示となっており
ました。


ゼロ年代からの特徴的な作家作品が上手く収攬されて
いて、プレスメントも見やすくなっていましたが、、、



私は今回、大いなる疑問と大事な部分を再確認
できたような気がしたのです。。




正直言って、私の心を捉えたのは




奈良美智、町田久美、加藤泉、、この3人のみで
した。



これについては後にその理由も書きますが・・・




実は、この3人のタブロー、特に秀作と呼ばれても
おかしくないレベルの作品を見たのが今回が初めて
だったのですが、実物を見て、改めてその完成度
の高さに驚かされました・・・・



奈良美智、そう言えばこの人の作品は雑誌その他
メディアのフィルターを通して数限りなく見ていた
ので初めて?という感覚すら無かったのと同時に
オークションのプレビューなどでドローイングは
結構みたいたので、知ったつもりになっていまし
たが、、実はトップギアのタブローは今回が初めて
で、実際作品に近づいてマジマジと見つめて感じた
のは、、、、、



すごい細微な仕事をしている・・と言うことと
粗いキャンバス地を使って描かれている絵肌は
到底紙媒体やPCのスクリーンでは感じられない
肉厚があるのと同時に、複雑な様相が感じられた。



率直にすごい!と圧倒され、所謂表現という部分
もさることながら、、絵を”物体”として見た場合
においてもその作り、完成度の高さを存分に感じ
ました。


単純に時代を超えられる”強度”がある・・



町田久美も奈良美智同様に媒体でしか見たことが
なかったのであるが、こちらは奈良以上の繊細な
作りがあり、正直度肝を抜かれた・・・・



この単純なフォルムの構成の中に、ここまで細かい
配慮と効果を含んだ繊細な仕事をしているとは・・
線の一本一本の美しさ、、、近づけば恐ろしく繊細
な仕事、離れて見ればとてつもないダイナミックな
迫力・・・このギャップは正直あまり今まで感じた
ことがない衝撃でした・・



この作家の作品も時代を超越する”強度”と国境を
軽々と超えられる、日本独特の感性を感じざるを
得ませんでした・・・



正直、町田久美の作品には凜とした
感動がありました・・



どちらにも共通して感じたのは、神経質くらいに
絵という物を作る人間の感覚がここまで研ぎ澄まさ
れているのか?という事でした・・


これは完全に偶発的に時代がその感性をキャッチし
たというだけではない、、ある意味強かであり、あ
る意味とんでもない研鑽の成果なのでは?と感じ入
りました。


これは、この絵に行き着くまでに、単純にどれほど
描いてきたのだろう?どれほど様々な要素を自分自
身の栄養素として取り込んできたのだろう?とそっ
ちへの感心が高まりました・・


加藤泉は仕事の丹念さというよりも、その作品から
出てくるオーラみたいなものの強さに圧倒されました。
入場口の最初に木彫が展示として配されていたのですが
その作品のプリミティブ・土着的な強さはなにか民族や
宗教を超越する強さや、イノセントな感覚を引っ張り
だすような凄みを感じました。。。


平面も同様な感覚に浸れ、個展ではないのですが、
作品に囲まれた瞬間に独特の世界観に高速で持ち込ま
れました・・



ここまで3人の作品を書いてきましたが、、、
共通に感じたのは、、、やはり、、、




完成度が高い




この一点です。



これは全てにおいてです。



その他の作家も沢山展示されていたのですが、


この完成度という点で比較して見たばあい・・


この3人と同列的に展示されているというのは
果たして????????????





あえてここで私の個人的な感覚で毒づくとするならば




最低限の”画力”を有していないものを
持て囃すな!という事です・・・・




考え方、時代とのチューニング、感性など
様々な要素は認める・・・



しかし、やはり


絵描きなのであれば



絶対値としての画力はいる!と
改めて感じました。



キャンバスや和紙、パネル等という材料や絵の具
や筆という道具などの性質も研究せず、書き殴った
ような結果・・・・



こんなものが



良い筈がない・・



あまりにも稚拙すぎる!



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新しさを一義的に追求することなく、目に見える世界
を素朴に再現するものでもなく、個人的で日常的な視
点から、描くことそれ自体を肯定し、時代の閉塞感さ
えも軽やかにあるいはアイロニカルに捉える自在さを
具えています。また、完成作としてのタブローばかり
ではなく、ドローイングの瑞々しい表現を積極的に駆
使し、挿絵や絵本、マンガなどこれまで周縁的なもの
として排除してきた大衆文化の養分をも吸収した斬新
な作品群も数多く見られます。


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再度言えば、、、、、



確かにそれぞれ若い作家たちの優れた、そしてこの時代
の中において瑞々しい感性という輝きは認めますが、
やはり、見る人と向き合い、ある意味”戦い”を挑む
ような美術館という環境で、こんな稚拙な画力しか持てて
ないものを堂々と飾るというのは如何なものか?という
怒りと、それを上質な”作品”みたいな捉え方やコレク
ションしている現状には少し辟易とさせられました・・・




なんじゃこりゃ?



と言うのが多い!



私に対して




「君は分かっていない!」




と罵声を浴びせられても”結構”です。




こんな物達を上質や鋭い感性などと、持て囃すのは、
とても私の感覚の中にはないものであり、






嘘はつきたくない・・・



この展覧は全てとは言わないが



ある一部分




駄作愚作が図々しく鎮座していたと断罪したい!!!

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