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それがどうした?
いつだったか忘れたが最近だったような気がする、、


不確実ながら、石原慎太郎氏が


現代美術って見ても


「それがどうした?」ってのが多いんだよな・・


と言うような事を言ってた、、ような気がした。


この件は例のカルティエでのことではなく
それ以外で”ながら”ながらに耳にはさんだ記憶が
私にはあったのだ・・・・


因みに今から4年前の石原氏の言動を
改めて記載すると、、、、、



---------------------------------


2006年「カルティエ現代美術財団コレクション展」の開幕
セレモニー。東京都現代美術館では、4月22日の開幕に
先駆けて、4月20日に、世界各国の関係者1500人を
招待した開幕セレモニーを行い、21日に、国内の美術関
係者を招待したプレオープンを行なった。



東京都現代美術館館長の氏家齊一郎たちと並んで祝辞の
マイクを握った石原慎太郎は、開口一番、,,,,,




「今日、ここに来て、なにかすごいものが見られるん
だろうと思っていたのに、実際は何も見るべきものが
無かった」




そして、こう続けた。




「ここに展示されている現代美術は、まったくもって
笑止千万なものばかりだ」




「見る者に説明を要するような現代美術など無に等しい」




「日本の文化のほうが、西洋文化よりもよほど美しい」




「こんなもん、どこがいいんだか分からねえや。どれも
クズだね。どうせカルティエは金にまかせてやってるん
だろ?私はブランドもんは嫌いなんだ」


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。



「都知事は酔っぱらってるのか?」



と会場は愕然としたらしいのであるが、彼、石原氏にとっては
本音のようであり、真剣な意見であったようだ。。。



オープニングという式典の場での発言として妥当か否か
またかくも批判的な心情をもって嫌がらせに近い?いや
ほとんど嫌がらせのような行為を行う事の是非、及び
総合して、この人の立場においての品格という問題を
あえて脇において考えた場合、、、、、



私は、ある意味大事な意見であり、尊重するべき点
が多々あると感じるのである。




現代美術という言葉を私はあまり好きではないが
あえて説明のための便宜として使わせてもらうならば、




現代美術の本質を突いているような気がする。




あくまで現代美術とは歴史という時間の中での客観的な
見え方、括り方であって、主体的に現代美術ということを
言い放つ必要のないものだと常々感じている。




それは時代時代の変革、表現の変革期に登場する
鮮烈な見え方であり、実際には前時代に対抗する
ものであるから、本来は100%批判非難の対象の
筈であり、理解されにくいモノであると思うのである。



だから、本来、皆して


いいねぇ~


すばらしいねぇ~



なる現象は




本当に現代美術なのかどうか・・・



本来的な定義に照らして言うならば




ある意味、石原氏のような存在があるからこそ
成り立つ表現の現象のような気がしているのである・・・




最後っぺのように付け加えられている




「こんなもん、どこがいいんだか分からねえや。どれも
クズだね。どうせカルティエは金にまかせてやってるん
だろ?私はブランドもんは嫌いなんだ」



これもある意味大きな感情のボリュームを抱える発言で
あり妥当な部分もあるように思えるのである。。。。




現実的に現代美術なるモノに対して、この国の感情を
仮に数値化した場合、実は石原氏の意見のような感
情はかなり大きなボリュームがあることは確かなような
気がしている。


特に


「見る者に説明を要するような現代美術など無に等しい」



というのはズバリ、、ストライクのような気がするのである。




付け加ええて言うならば、
先述の不確実な私の記憶の中にある言葉



「それがどうした?」というのも真理としてある。。




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このカルティエの一件は当時様々なメディアで取り
上げられ相当なバッシングがあったが、そのほとん
どが、石原氏の政治姿勢とリンクして語られるもの
が多く、極端なものになれば、その専横的な発言か
らヒトラーと重ねるような論評もネットでは今も残
っている。。。。







因みに参照されるヒトラーの発言とは



一部の思い上がった一派だけに支持され、健康な多く
の国民の燃えるような賛同を得られない芸術は我慢
ならない(1937年/アドルフ・ヒトラー)




というモノで、、まぁ




印象として下敷きになってトレースしたかのようにも
感じられるのは否めないような気もする・・・・




そして因みに折角なので、、、




ヒトラー総統は若かりし頃画家を目指しておられたのだが、
その当時の絵が、ネットで掲載されていたので、参考までに
ここで掲示いたします、、





































確かに・・・上手??ですねぇ、、、、



しかし、なんとも陰鬱な、、特に精気のなさはある
種の独特な才能すら感じますねぇ・・・




どうしてこうも精気がない絵が描けるのか?




暗い明るいというような差ではなく、、、




とにかく精気がない・・・



総じて言うならば、、、




売れ残りの”おみやげもの”のような・・・




健康な多くの国民の
燃えるような賛同・・・・と鼓舞するわりには、、



自身の作画は



なんだかなぁ~であり、、、とても”ワンダホー”


ではない。。。



しかし、、しかしである。。。。




これを貨幣価値になおせば



相当な高額になることは皆さんお感じのことだ
と思います。。。。





話を戻しますが






いずれにしても



正直、、我々、普通の人の生活において



相当すごい表現が同時代に生まれても




世間の本質的意見とは



「それがどうした?」と言うことであり



身も蓋もない冷ややかな言葉の中で




存在するのが  ”げんだいびじゅつ”  という奴の
ような気がするのと・・・・




価値とは




ヒトラーの絵のようなものが本質のような



気がいたします。。

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宿題
気づけば、、、最後にブログを更新してから


一週間も経つ・・・


この間、実は上海出張の宿題を日々処理して
いた。


普段あまり使わない脳の部位?を急に刺激した
のか、、、毎日毎日ノロノロとした進行、、昨日
やっと一段落したのだが、、あらためて自らの


CPUの低機能を嘆き悲しんだ毎日であった。。


宿題の内容はここで披露はできないが、簡単に
まとめて言えば、成り立ちと理念と言うことについて
少しまとめたものであった。


先般より上海に出向いて色々な方々とお会いした
のであるが、当然仲介者とそれまでの経緯でこちら
のCOMBINEのことはかなり説明はしていただいて
いるのであるが、詰まるところ、、実際対面し話せば
、、、、


もっと詳しく!となるのは当然のことであり、考えれば
これまでに会った人についても、抜け落ちていたか?
と改めて感じたので、遅ればせながらここはすこし詳
しく書き記さねばと言うことで纏め始めたのでした。


しかし、これは誰かに提出するからという事でやり始
めた事であったのですが、書きだして気づいたのは自ら
にとっても実に重要な事であり、振り返ってもう一度
見直すというのか、再度期するモノが見えたというのか
、最終的にはこれをして良かったというよりも、しなくて
はならなかったという事に気づかされました。


当然自分自身でもそうなのだが、これから一緒に行
動する関係の方々、特に国境を越えて関係する方々
には尚のこと統一した理念というものをこれまでの経緯
から明確にする必要性があると感じたのでした。


いずれにしても下手くそな文章ではあるのですが、
なんとか纏められました。



・・・・書いた文章量以上に口頭の説明が必要かも・・・
   口述筆記の方が・・・などという懸念が無きにしも
   非ず・・・・・・・・・・・


書き終わって感じたのは、やはり理念の大切さで
した。


先般ユニクロの柳井さんが上海に旗艦店を出店
した際、日本のメディアに対して答えていたのが、
非常に印象的で、これからは外国から新入社員
を50%以上採用する、グローバルというが、元来
日本という国の国情を考えればかなり昔から外需、
内需なんていうものは存在しない。、、と論断されて
いたが、確かにと考えさせられるものがあった。


戦後すぐから創業し世界的企業に上り詰めた
SONYにしてもHONDAにしても、戦争で荒廃
した国内にマーケットがないから当然のこととして
海外に出て行った訳で、それから何十年も後の
この国で今更外需、内需なんていう概念をさも
重要に語るのは愚の骨頂でしかない。


あるのは世界市場のみという柳井さんの考え方
はダイナミックであるのと同時に、理念として堅持
しているものを形にするために行動しているという
シンプルさを感じざるおえない。


因みにファーストリテーリングの理念は、
『服を変え、常識を変え、世界を変えていく』


ここに端から国境はないし、この世界とは色々
な意味で概念と捉えることも、単純に地球儀
としての世界とも捉えることが出来る。いずれ
にしても、、、、


ファストファッションが良いか悪いかの議論とは
別に、理念に準じた行動というものが伺える。


また付け加えて言うなれば、柳井さんはこの
一連の行動を経営戦略とか成長戦略という
言葉ではなく、”生き残り戦略”という背水の
覚悟を語っていると説明されていた。これも
妥当な考え方だなと思う。


一時、勝ち組負け組などというくだらない言葉
があったが、私はどうも違和感があった。勝った
もの、勝ち組はずっと勝ち続けるのか?という
ことである。そんな企業や組織は過去見たことが
ないと同時に、企業50年説という根拠のない
言葉があるが、ある意味的を得ている部分も
理解出来る。

勝ち負けは常に繰り返される。
その盤面にプレイヤーとして参加できるかどうか
が最も大事な事なのでは?と思うのである。。、

アサヒビールとキリンビールの歴史の関係を見た
ときに、ビール界の巨人として君臨していたキリ
ンビールが、アサヒのスーパードライの一撃で沈
没させられた例を考えれば明白で、常に生き
残りをかけた戦いがあり、一時的に勝っている
というのが元来正確なのではないか?と思う。
こういう言葉の発信は大体安寧な立場を有
するものからしか出ない筈で、それは逆に言え
ば、戦いに参加していないどうでもよい輩だと
も判断できる。


昨日のカンブリア宮殿で過去VTRを何編
か流していたが、その中で鈴木自動車の会長
さんが答えていたのが面白かった。

今スズキはご承知の通り、世界に敵のいない
ほどの軽自動車メーカーで、インドに早くから
進出しその大半のシェアーを奪っている。

そのことについての答えが痛快だった。


日本には豊田も日産も本田も強敵どころか
とっても相手にならない。一番になる国を探して
出て行きました。その為には誰も行っていない
国これが結論でした・・・・・


簡単におっしゃられるが相当な覚悟と苦労が
あったことは容易に想像がつく話であるが、、、


鈴木の社風を見事に体現させる言動であり
行動でもある。これも理念か、、と思う。


「人と同じ事はやらない。やるなら世界一を
目指すのがスズキ」


その結論は一番になれるところで一番になる!


この考え方からか、結果としてこの考え方に
なったのかは分からないが、面白いなぁと感心
を越えてある種の感動を覚える。


と、ここまで理念云々を大層に語ってきたが、
大体、私のような小身なるものが世界的な企業家
の話をさも自分が語っているかのように書き記している
事に不快感を示される方も多かろうとも思います。
しかしあえて言えば、、、それは私の宿題が優れていて、
やはり理念が大事などと偉そうに結論づけるためで
はなく、実は本心として、、、


書けば書くほど、、こんな事はオリジナリティーがないなぁ
とか、誰か他の人も同じ事をやってるしとか、何よりも
無数に存在する同じような立場の人を想像すると、
自分ごときが脚色をふんだんに交えて書いたモノなど
所詮嘘っぱちにしか見えないなぁ・・・などという思いが
次から次から浮かんできたのが本音でした。。。。。


しかし、ある人の文章を目にしたとき、その考え方
を無理からに修正しようと思ったのです。


それはGoogleについて書かれた一文で、


-----------------


グーグルも創業当初の2~3年間は収益が
上がりませんでした。

「検索エンジンなんていくらでもあるじゃないか」

という批判的な意見にもさらされてきました。

誰もがやっていないようなサービスを
初めから提供できていたわけではない。

ほとんど世の中にある仕事は誰かもやっていて 
いくらでもあったりします。

けれども、重要なのは、

今やっている仕事がいくらでもあるから価値がない
とか、 やっている人が少ないから価値があるという
話ではないということです。

どこの誰よりも、お客様への質的サービスの向上をし、
お客様に喜ばされることを真剣に考え、 取り組む
ことなのだと・・・


その結果・・・

 
「これがないと生きていけない」

という会社になるのだということです。


これこそが、


「最高の差別化」


です。

-------------------

私とGoogleでは・・・誰が考えても何を言うてるねん??
にしか成りませんが、、、しかし初めは個人だった筈で、、

その中で徹頭徹尾理念を追求したことが成功に繋がった
。これはどんな大きさとか小ささとか関係のない世界だと
思うのです。


特に


「検索エンジンなんていくらでもあるじゃないか」


という言葉は少し心に響きました。


『現代美術なんて掃いて捨てるくらい関わってる人が
いるじゃないか?』


その中で、我々は何をやって行くのかと言うことが
現実だと改めて思いました。しかし、それを完遂しなくて
はならない、そうしないと存在価値がなくなるのも
又事実で、やはりそのとき折れない気持ちを持つという
事がすなわち、理念を堅持する事だと改めて気づいた
のです。


生き残れるか否か、そんな事は分かりませんが、
今回の宿題で改めて大事なことを気づかされました。。

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ハッちゃんと京やん
昨日テレビを見ていたら



土曜日


おぉ!という告知。



岡八郎と花紀京のゴールデンコンビのみを
編集したdvdが発売されるというものであった。



吉本新喜劇は今も大変な人気があるが、、
しかし私にとって、忘れられないのがやはりこの
二人が絡んで作り上げていた笑い、これに適う
新喜劇の笑いは正直今もあまり見る事がない!



岡八朗と土曜日そして吉本新喜劇というワードは、
関西に育ったわれわれ世代には特別なものがある
はずです!


奥目の”ハッちゃん”は



ある種の”ヒーロー”だった。。



昔小学校は現在の様に週休二日では無かった。



しかし土曜日は4時間授業で12時過ぎに終わり、
小学校時分はこの土曜日が楽しみで待ち遠しかった。


もともと休みではないのだから半日で授業が終わる
のは少し得な気分があり、家に帰ってから友達と遊
んだり等のスケジュールが目白押しだった。


でもスケジュールは午後1時から始まる吉本新喜劇を
見てからしか始まりませんでした!



これは、みんなそうでした!だからみんなとの約束は
午後2時からなのです。


12時過ぎに学校が終わり、みんなダッシュで吉本新喜
劇のオンエアーに間に合うように家に帰り、用意して
いた昼ごはん、大抵“チキンラーメン”“昨日の残り
のカレー”とかなのだが、取りあえず食べてテレビに
噛り付き,、、、、



「えげつなー!」「くっさー!」



と毎週同じタイミングでのギャグなのではあるが、
笑っていたし、、、、、、、、、



やっていた。。。



こういう小学校時分の土曜のスケジュールは私だけの
思い出かと思うと、大学に入って別の関西地域から通学
していた友人も同じ思い出を共有しており、その状況が
まったく同じであった。



「そうや、そやねん!汗かいてダッシュで帰って見ててん!」



「俺も!俺も!」




類は友を呼ぶで集まった傾向かなーとも思いましたが、
これが実はそうではなく結構なムーブメント?いや関西人
DNA?!


当時“おはよう朝日”で岡八郎訃報のコメントを宮根誠司
アナが喋っていたが、まったく同じ思い出を語っていた。



「とにかく土曜は走って学校から帰り見てましたねー」、
彼も1963年生れでわれわれ世代だ。



吉本新喜劇の笑いは洗練された都会の笑いとは違い、
泥臭く直接的でおしゃれではない。



関東の人には受け入れがたいものが存在するんじゃないだ
ろうか、特に当時の吉本新喜劇の笑いというのは。



確かに笑いに種類が存在するのは認めるが、笑う側には
笑い方の種類はない!おしゃれな構成とか洒脱な会話と
か以上に、笑えるか笑えないかが絶対的な基準で、私は
吉本の泥臭く直接的で



“これでもか”の笑いを体いっぱいに充満させて育ち
ました。



笑わせる行為は、人間にとって一番崇高な行為ではない
かと思います。



人間以外に状況を笑う生き物は存在しますが、考えて
相手を笑わす生き物は存在しません。。



笑いの基本・根底には“差別・優越”という人間にとって
はあまり他人見せたくない欲望が存在しているのは事実
でしょう。



あこがれる・尊敬・敬愛と言うような存在を笑いの対象に
は考えないでしょう、しかし劣る・愚鈍・不運という事は
笑いの対象になり得るのです。




プロのお笑いは、笑わせるのであって“笑われる”のでは
ない。



人間の不道徳な感情をクスグリ、自らを笑わせる対象と化
す緻密な計算を企てる哲学者であります。



表面的洒脱感や泥臭さそんな違いではなく、芸人の笑いに
対する哲学の凄みが、われわれの笑いのボルテージを左右
するのと、ハッちゃんはじめ吉本の役者さんたちは、われ
われの関西人DNAをよく解剖し理解しています。



だから当時亡くなった直後の「ハッちゃん」を偲ぶコメント
で、楽屋では物静かで読書家だったというのは理解できる
し、、、、




究極は、お笑いのビートたけしから




”世界の北野”のような存在を輩出するフィールドに
”笑い”は成り得るのだと思います。

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絶海の孤島



宇喜多秀家という武将がいた。


関が原敗戦以降、紆余曲折はあるが生き延び、
最終的に“八丈島”に流刑となり、そこで50年、
84歳まで生きたという武将だ。。。



私はあるときこの武将に強烈な興味を抱いた。



以前から思うのであるが、現在の岡山の県民性は
江戸時代の統治者である池田藩ではなく、その前
の戦国時代の統治者である宇喜多の性質が現代
にも色濃く反映されているように感じるのである。



その代表的な性質の持ち主とは秀家の父・祖父
であり、謀略の限りを尽くした戦国の梟雄で、とも
すれば北条早雲や斎藤道三以上であるかもしれない。



この現在で言うところの岡山県を中心とした東西の
立地は、全ての中心であった京都とは遠隔地に位置
し戦国の覇を競う拠点としての性格が弱かった。



しかし毛利と全国統治を視野に入れだした秀吉が
対峙したときに初めて軍略上において重要拠点とな
りだした。



そのタイムラインから初めて戦国覇権ドラマの
全国的レベル、この岡山近辺の名主は登場したため、
それまでの宇喜多の所業はさほど周知される事もなく、
その恐ろしさの喧伝が後世においても詳細になく、
薄くなった帰来がある。



しかしよく調べると宇喜多とは、本質的には戦国
史上でも稀有な下克上武将であることは間違い無い。



さてその宇喜多の草創期を築いた武将と秀家が同類か?
というと少し違う。父亡き後秀吉の寵愛・庇護のもと、
五大老となり豊臣政権下では隠然たる権力を持ち得た
のである。



そして家督を継いだのが9歳という少年時代であり、
そこから秀吉の近習として帝王学を備えられる。
出来あがった彼の姿は、中国地方の梟雄であった
祖父・父とはまったく違う“貴人”然としたもので
あった。。



よく戦国ドラマでも登場するが、大抵眉目秀麗な役者
が演じ、おぼちゃま気質を反映するかのような激烈な
性格を表現したりしている。。



ある意味彼は30歳前後まで栄耀栄華の限りを享受し、
歴史の中心人物として活躍していた。



それが関が原の敗戦を期に、急転直下歴史の表舞台か
ら姿を消し、それどころか世捨て人として残りの人生
を過ごすのである。



ここまで強烈な人生の反転はあまりないだろう。。



確かに後醍醐天皇も悲しみのうち吉野で崩御されるが、
ある意味歴史的な意味をもっていたし、それ意外の歴
史上失脚した人物にしても、大抵その時点で死を選ん
だりする。



自身の人生哲学、とくに武将という性格から考えても
秀家の選択は他とは大きく違う。



遠島時点で恐らくお家再興は断たれたという結果であっ
たはずだし、自分の生きる意味が無くなったと考える
のが、この時代の武将としては自然だろう。。。



しかし彼は生き長らえた。



生き長らえたどころか、当時の平均寿命からすると、
倍近い年月を生きた事になる。



そこが私にとっては最大の興味のポイントである。



30歳で失脚、そのご50年絶海の孤島で過ごす。



彼の人生という観点考えると、明かに50年生きた
孤島の生活こそが彼であり、その前半は彼にとって
は人生という時間で考えると僅か三分の一くらいし
かない。


ある意味後半生から前半を見ると“夢幻”程度でし
かない。


それは“浦島太郎”のような。。



何故彼は死を選ばなかったのだろう?



傅く家来もなく、罪人として、栄華を誇った30年の
人生の倍近い時間をどのように過ごしたのであろう??



何故、生きる事に執着したのだろう??



いや、執着したのだろうか??流れの中に身を漂わせ
ただけだろうか??



果たして幼少から帝王学を身につけたものが、そう
いった達観した考えを持ち得たかは少々どころか大
いに疑問がある。。。



しかし、品性下劣な生への執着という汚らしさも感
じないし、ある種の誇りが、不思議にもある。。



生きている時間ってなんだろう?と考えると
結局、今という実感を得ることができる時しかない。



今以外の過去や未来など、ある意味ないのではない
だろうか?



確かに史実として残ったりするが、結局自分の実感
からは遠く離れた“夢”でしかない。



未来にしてもそうだ、なんらの実感はない。



あるとすれば、どういった考えをもって夢想するか
だけである。



そういう意味ではやはり夢でしかない。



以前聞いた事があるが、茶の世界で“夢”は死を
意味するらしい。



それは少しだがわかるような気がする。。



秀家の哲学は知り得ないが、私はこの絶海の孤島
にての50年は、他の武将にはない独特の哲学が存在
したんじゃないか?と今でも深い興味を持っている。。



事実、何故かわからないが、明治になりときの
政権が宇喜多家を赦免している。



250年後の名誉回復である。。



こんな事にその時点で意味があったのか?疑問だが…



秀家の流刑、そして絶海の孤島で歴史と無関係で
ありながら生き長らえたからこそ、この赦免には
大いなる意味が存在する。。。




そして生きるという意味と誇りを考えさせられる。。

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松井監督と山本さん
昨日から山本幸夫 solo exhibition『FACE』 がスタート
いたしました。



アシスタント石本のblogにその様子がスケッチされてい
ますが、夕刻、お忙しいにも関わらず松井監督がお越し
下さいました。



実は遡ること一週間前、エトリケンジさんと松井監督と
食事をした際、この展覧の案内へのお礼と是非伺わして
頂きますとのお言葉を頂戴したのでした。



監督は今、東京と京都を行き来しておられ、なかなか
都合がつきにくい忙しい最中、約束通り昨日来ていた
だけたのです。



監督のホームページ(※ダイアリーもあります!)

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ クリック!


http://www.aa.alpha-net.ne.jp/cineymbw/




監督は山本さんの展覧を丁寧にご覧になられ、その後、
私を交えしばしの歓談にお付き合いいただいたのでした。







事務所、応接室など、、、そんな立派なものがない
当ギャラリーの裏側・・・


ストック場兼、、、私の昼寝場所?程度のスペース、、


実に雑然とした汚い場所にての歓談、、、、しかし、、








お互い芸術を作り出すクリエーター同士、それぞれの
世界についての話の交換が実に面白く、世界を舞台に
闘っておられる映画監督と40年に亘り様々な立体造形
の仕事を続けてこられたお二人の持つ独特のオーラが
刺激的で場所の狭苦しさや汚さを軽々と凌駕し、


しばし小汚い場所は、素敵なディープな空間になりました。。













・・・と、、しかし、、いくら言い訳しても、、
すみませんでした,あのような場所で。。。。。。。




面白かったのは、、松井監督が顔の表情という部分に
対して山本さんに質問したときでした・・









顔が今回の展覧のテーマなのですが、当然我々は
顔=表情というところで囚われますが、山本さん
はその表情というものを消し込んだ中の顔、そこ
から見える何かを求めて実験を重ねておられ、、
その本質的な部分にいきなり突き刺さる松井監督
の鋭い質問が、この展覧を凝縮したものに感じら
れたのでした。



仮面の存在。


能の世界・・


仏像の世界・・



実態以外に存在するもの。視覚以外に存在する顔、
固定観念に囚われている部分以外に存在する顔、
様々な顔がある。



表情というものから考えれば、それは他人があって
初めて作られるものであり人間のコミュニケーション
の道具でもある。しかしそこから開放されたときの
人間の顔とは・・・というもう一つの世界の顔、、




松井監督にも不躾ながらお聞きしました。




役者の顔とは、肉眼で目視したとき、カメラで覗いた
とき、スクリーンに映し出されたとき、それぞれ違う
はずで、どこで選択されるのですか?・・と



監督は、、



表情です。と、、、



私は直接面談したときの表情を大切にしますと、、




これはどの表情が良くて悪くてとは我々には到底分
からない世界なのですが、なにか”ピッ”とくるも
のがその瞬間瞬間に現れるらしいのである。。



そこを掬い上げるらしい・・・・・・・


これは監督のイメージの中の世界との整合で、我々
には当然いくら聞いても踏み込むことのできない
世界なのだが、しかし、映画になって、観客となった
とき我々はその世界を初めて理解できるのかもしれない。



その最初の無垢の瞬間を直感で見つけ出す作業は
大変だろうナァ?と素人ながらにも感心した。、、、、



それからもお二人の話は続きましたが、松井監督の
次の予定時刻が迫りましたので、残念ながらにも散会。。。



帰り際、無理を申して記念撮影・・・
こころよく了解いただいた記念ショットがこちらです。。












松井監督、昨日はお忙しい中誠にありがとうございました。


これからますます暑くなりますのでくれぐれもお体ご自愛
ください。


またお時間がありましたらぜひお立ち寄りください、
こころよりお待ち申し上げております。

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