June 5,2010
いつだったか忘れたが最近だったような気がする、、
不確実ながら、石原慎太郎氏が
現代美術って見ても
「それがどうした?」ってのが多いんだよな・・
と言うような事を言ってた、、ような気がした。
この件は例のカルティエでのことではなく
それ以外で”ながら”ながらに耳にはさんだ記憶が
私にはあったのだ・・・・
因みに今から4年前の石原氏の言動を
改めて記載すると、、、、、
---------------------------------
2006年「カルティエ現代美術財団コレクション展」の開幕
セレモニー。東京都現代美術館では、4月22日の開幕に
先駆けて、4月20日に、世界各国の関係者1500人を
招待した開幕セレモニーを行い、21日に、国内の美術関
係者を招待したプレオープンを行なった。
東京都現代美術館館長の氏家齊一郎たちと並んで祝辞の
マイクを握った石原慎太郎は、開口一番、,,,,,
「今日、ここに来て、なにかすごいものが見られるん
だろうと思っていたのに、実際は何も見るべきものが
無かった」
そして、こう続けた。
「ここに展示されている現代美術は、まったくもって
笑止千万なものばかりだ」
「見る者に説明を要するような現代美術など無に等しい」
「日本の文化のほうが、西洋文化よりもよほど美しい」
「こんなもん、どこがいいんだか分からねえや。どれも
クズだね。どうせカルティエは金にまかせてやってるん
だろ?私はブランドもんは嫌いなんだ」
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
「都知事は酔っぱらってるのか?」
と会場は愕然としたらしいのであるが、彼、石原氏にとっては
本音のようであり、真剣な意見であったようだ。。。
オープニングという式典の場での発言として妥当か否か
またかくも批判的な心情をもって嫌がらせに近い?いや
ほとんど嫌がらせのような行為を行う事の是非、及び
総合して、この人の立場においての品格という問題を
あえて脇において考えた場合、、、、、
私は、ある意味大事な意見であり、尊重するべき点
が多々あると感じるのである。
現代美術という言葉を私はあまり好きではないが
あえて説明のための便宜として使わせてもらうならば、
現代美術の本質を突いているような気がする。
あくまで現代美術とは歴史という時間の中での客観的な
見え方、括り方であって、主体的に現代美術ということを
言い放つ必要のないものだと常々感じている。
それは時代時代の変革、表現の変革期に登場する
鮮烈な見え方であり、実際には前時代に対抗する
ものであるから、本来は100%批判非難の対象の
筈であり、理解されにくいモノであると思うのである。
だから、本来、皆して
いいねぇ~
すばらしいねぇ~
なる現象は
本当に現代美術なのかどうか・・・
本来的な定義に照らして言うならば
ある意味、石原氏のような存在があるからこそ
成り立つ表現の現象のような気がしているのである・・・
最後っぺのように付け加えられている
「こんなもん、どこがいいんだか分からねえや。どれも
クズだね。どうせカルティエは金にまかせてやってるん
だろ?私はブランドもんは嫌いなんだ」
これもある意味大きな感情のボリュームを抱える発言で
あり妥当な部分もあるように思えるのである。。。。
現実的に現代美術なるモノに対して、この国の感情を
仮に数値化した場合、実は石原氏の意見のような感
情はかなり大きなボリュームがあることは確かなような
気がしている。
特に
「見る者に説明を要するような現代美術など無に等しい」
というのはズバリ、、ストライクのような気がするのである。
付け加ええて言うならば、
先述の不確実な私の記憶の中にある言葉
「それがどうした?」というのも真理としてある。。
--------------------------------------
このカルティエの一件は当時様々なメディアで取り
上げられ相当なバッシングがあったが、そのほとん
どが、石原氏の政治姿勢とリンクして語られるもの
が多く、極端なものになれば、その専横的な発言か
らヒトラーと重ねるような論評もネットでは今も残
っている。。。。
因みに参照されるヒトラーの発言とは
一部の思い上がった一派だけに支持され、健康な多く
の国民の燃えるような賛同を得られない芸術は我慢
ならない(1937年/アドルフ・ヒトラー)
というモノで、、まぁ
印象として下敷きになってトレースしたかのようにも
感じられるのは否めないような気もする・・・・
そして因みに折角なので、、、
ヒトラー総統は若かりし頃画家を目指しておられたのだが、
その当時の絵が、ネットで掲載されていたので、参考までに
ここで掲示いたします、、















確かに・・・上手??ですねぇ、、、、
しかし、なんとも陰鬱な、、特に精気のなさはある
種の独特な才能すら感じますねぇ・・・
どうしてこうも精気がない絵が描けるのか?
暗い明るいというような差ではなく、、、
とにかく精気がない・・・
総じて言うならば、、、
売れ残りの”おみやげもの”のような・・・
健康な多くの国民の
燃えるような賛同・・・・と鼓舞するわりには、、
自身の作画は
なんだかなぁ~であり、、、とても”ワンダホー”
ではない。。。
しかし、、しかしである。。。。
これを貨幣価値になおせば
相当な高額になることは皆さんお感じのことだ
と思います。。。。
話を戻しますが
いずれにしても
正直、、我々、普通の人の生活において
相当すごい表現が同時代に生まれても
世間の本質的意見とは
「それがどうした?」と言うことであり
身も蓋もない冷ややかな言葉の中で
存在するのが ”げんだいびじゅつ” という奴の
ような気がするのと・・・・
価値とは
ヒトラーの絵のようなものが本質のような
気がいたします。。
不確実ながら、石原慎太郎氏が
現代美術って見ても
「それがどうした?」ってのが多いんだよな・・
と言うような事を言ってた、、ような気がした。
この件は例のカルティエでのことではなく
それ以外で”ながら”ながらに耳にはさんだ記憶が
私にはあったのだ・・・・
因みに今から4年前の石原氏の言動を
改めて記載すると、、、、、
---------------------------------
2006年「カルティエ現代美術財団コレクション展」の開幕
セレモニー。東京都現代美術館では、4月22日の開幕に
先駆けて、4月20日に、世界各国の関係者1500人を
招待した開幕セレモニーを行い、21日に、国内の美術関
係者を招待したプレオープンを行なった。
東京都現代美術館館長の氏家齊一郎たちと並んで祝辞の
マイクを握った石原慎太郎は、開口一番、,,,,,
「今日、ここに来て、なにかすごいものが見られるん
だろうと思っていたのに、実際は何も見るべきものが
無かった」
そして、こう続けた。
「ここに展示されている現代美術は、まったくもって
笑止千万なものばかりだ」
「見る者に説明を要するような現代美術など無に等しい」
「日本の文化のほうが、西洋文化よりもよほど美しい」
「こんなもん、どこがいいんだか分からねえや。どれも
クズだね。どうせカルティエは金にまかせてやってるん
だろ?私はブランドもんは嫌いなんだ」
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
「都知事は酔っぱらってるのか?」
と会場は愕然としたらしいのであるが、彼、石原氏にとっては
本音のようであり、真剣な意見であったようだ。。。
オープニングという式典の場での発言として妥当か否か
またかくも批判的な心情をもって嫌がらせに近い?いや
ほとんど嫌がらせのような行為を行う事の是非、及び
総合して、この人の立場においての品格という問題を
あえて脇において考えた場合、、、、、
私は、ある意味大事な意見であり、尊重するべき点
が多々あると感じるのである。
現代美術という言葉を私はあまり好きではないが
あえて説明のための便宜として使わせてもらうならば、
現代美術の本質を突いているような気がする。
あくまで現代美術とは歴史という時間の中での客観的な
見え方、括り方であって、主体的に現代美術ということを
言い放つ必要のないものだと常々感じている。
それは時代時代の変革、表現の変革期に登場する
鮮烈な見え方であり、実際には前時代に対抗する
ものであるから、本来は100%批判非難の対象の
筈であり、理解されにくいモノであると思うのである。
だから、本来、皆して
いいねぇ~
すばらしいねぇ~
なる現象は
本当に現代美術なのかどうか・・・
本来的な定義に照らして言うならば
ある意味、石原氏のような存在があるからこそ
成り立つ表現の現象のような気がしているのである・・・
最後っぺのように付け加えられている
「こんなもん、どこがいいんだか分からねえや。どれも
クズだね。どうせカルティエは金にまかせてやってるん
だろ?私はブランドもんは嫌いなんだ」
これもある意味大きな感情のボリュームを抱える発言で
あり妥当な部分もあるように思えるのである。。。。
現実的に現代美術なるモノに対して、この国の感情を
仮に数値化した場合、実は石原氏の意見のような感
情はかなり大きなボリュームがあることは確かなような
気がしている。
特に
「見る者に説明を要するような現代美術など無に等しい」
というのはズバリ、、ストライクのような気がするのである。
付け加ええて言うならば、
先述の不確実な私の記憶の中にある言葉
「それがどうした?」というのも真理としてある。。
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このカルティエの一件は当時様々なメディアで取り
上げられ相当なバッシングがあったが、そのほとん
どが、石原氏の政治姿勢とリンクして語られるもの
が多く、極端なものになれば、その専横的な発言か
らヒトラーと重ねるような論評もネットでは今も残
っている。。。。
因みに参照されるヒトラーの発言とは
一部の思い上がった一派だけに支持され、健康な多く
の国民の燃えるような賛同を得られない芸術は我慢
ならない(1937年/アドルフ・ヒトラー)
というモノで、、まぁ
印象として下敷きになってトレースしたかのようにも
感じられるのは否めないような気もする・・・・
そして因みに折角なので、、、
ヒトラー総統は若かりし頃画家を目指しておられたのだが、
その当時の絵が、ネットで掲載されていたので、参考までに
ここで掲示いたします、、















確かに・・・上手??ですねぇ、、、、
しかし、なんとも陰鬱な、、特に精気のなさはある
種の独特な才能すら感じますねぇ・・・
どうしてこうも精気がない絵が描けるのか?
暗い明るいというような差ではなく、、、
とにかく精気がない・・・
総じて言うならば、、、
売れ残りの”おみやげもの”のような・・・
健康な多くの国民の
燃えるような賛同・・・・と鼓舞するわりには、、
自身の作画は
なんだかなぁ~であり、、、とても”ワンダホー”
ではない。。。
しかし、、しかしである。。。。
これを貨幣価値になおせば
相当な高額になることは皆さんお感じのことだ
と思います。。。。
話を戻しますが
いずれにしても
正直、、我々、普通の人の生活において
相当すごい表現が同時代に生まれても
世間の本質的意見とは
「それがどうした?」と言うことであり
身も蓋もない冷ややかな言葉の中で
存在するのが ”げんだいびじゅつ” という奴の
ような気がするのと・・・・
価値とは
ヒトラーの絵のようなものが本質のような
気がいたします。。






