大学→行政→大学
June 16,2010
今日は珍しい一日だった。
今月に入ってからCOMBINEとBAMIgalleryに直接関係し
ない・・?
というか、どちらかというと上海Bizに関することで
チョコマカ動き回っているのであるが、
今日はその関係で
午前中、京都造形大学にお邪魔し、午後から京都市の
文化市民局文化芸術都市推進室文化芸術企画課(なんとも
長くて厳めしい名前だが・・)へ伺いそして折り返し
夕刻再度京都造形大学へお邪魔した。。。
本当はこの間上記件で東京へも行く予定をしていたが、
電話にてやり取りをしている。
なににそんなに動き回っているのか?と訝しがるでし
ょうが・・・・
基本は、COMBINEの作家たちの上海での展開の一環についての
準備であり、現状ではまだなにもお話する、、、というより
も形ができていないのでお話しようがないのですが、いずれ
具体化させていくことになるので今しばらくお待ちください。、
という事で大学→行政→大学と
日常ではあまり・・というかほとんど行かない所に行き
貴重な話を色々と伺え勉強になりました。
合わせて、、商売柄いままで頓着しなかったが、、、
現代の大学というのは・・なんとビジネスの世界に近い
位置にいるのかと驚かされた反面・・・限界、、事業上
の性格的制約がありビジネスにはなりにくい状況も感じ
られました。
しかしながら、大学には機会があればドンドン伺いたいなぁ
とも思いました・・
私は社会での基本的な立ち位置はビジネスの世界に身を置い
ているのですが、
当たり前の事ではあるのですが、世の中にはそれ以外の世界
があり、実はそういう世界がビジネスとビジネスを繋いでい
るというのか、実際にはそういう世界の中にビジネスがある
と考えた方が良いのかな?と今日は考えさせられました。
特に藝術ビジネス??の分野は・・・
今後はとても重要な気がいたしました。
昨今盛んに取りざたされている事業仕訳なる行政の無駄の
あぶり出しなどを見ていても、官業の動かす金銭の大きさ
には驚かされるのですが、もっと驚くのは二重三重に無駄
が存在するという部分と、、、、事業追求に関する、本質
的なこだわりの無さ・・スペシャリストがいない、、ある
意味丸投げ的な消化には驚かされます。
今日は終日、公益性を追求する関係に伺ったのですが
実際にはそれぞれ考えておられることはあるのですが
率直な感想としては縦割りでの存在で、もっと連携を
図れば無駄もなくなり質も向上するのでは?と思える
部分が多々ありました。
又そういう組織を横断するというのか、その間を自由に
動き回る事業組織として社団、財団、NPOなるものが
存在しますが、、現実的には案外、資金的、事業目的等
が垂直構造というのか、、以外と融通が付かないことに
気づかされます。。。
結局、、色々良い事を考えて様々な分野との連携を想定
しても壁が立ちはだかるから、、単体の事業としてそうい
う組織を立ち上げる・・・でも実際には似通った組織が
五萬と存在し幾重にも細い線が延びているというのが
実際の風景のように感じました・・・
ともすれば、、何のための組織と逆から伺えば
実は、、本質的な公益性というよりも表層的な体裁
というのが実際ではないか?とも思えます・・・
こんな事は当たり前やろ?と言う声は聞いていましたが
改めて考えた場合、、一般の生活者で知り得ている
公益事業の組織がどれほどあるか?ましてやNPO
となれば・・・・・
本来、、これらを総合し横断すればもっとインパクト
も生み出せて、、実はコストも低減出来るはづであり
尚且つ、例えば国家間で交流するなどという側面を考えた
場合は実は最終的な利益の創出面で大きな違いが出てくる
なぁと感じました。
企業が独自に動いても限界があるのは事実です。
例えばそういう意味では社会主義国家で経済は資本主義
という中国はこういう事が”逆にスムーズ”なのかも
しれません。
それは法人と行政の意思の疎通??というよりも上意下達
という形は戦略的利益が合致しやすく行動をしやすい
組織形態なのだと思うのと同時に、自由裁量がない所で
交渉に向き合うからある意味強い、、妥協がないというのも
逆説的には強みだと考えられます。
本当は公益に適うという事を市民というのか個人が
考えた場合、もっと色々な受け皿が存在しても良いのでは?
と直感的に感じた一日でした。
松ちゃんの絵と影武者の思い出
June 12,2010
今、当ホームページをご覧いただいている
皆さまはお気づきだと思うのですが、今週
から次回展覧の告知を様々な形で行ってお
ります。
次回は松本央くんの個展で2回に分けロングラン
の展開となります。
2回行う展覧の骨格としては
今という時点を中心に
過去、、といっても彼が大学卒業前後に考えてい
た事と、、、
今、働きながら描き続けいる自分が考える表現
についてという二つのストーリーを軸にそれぞれ
を前後半で展開いたします。
この二つの展覧の底流に流れているものは
一つであり、それは彼独特の自画像という手法に
よる表現とそこから訴えるものへの挑戦です。
そして、それぞれのポイントとなる作品をDMに
据えさせていただきました。
こういう内容を様々な形でアシスタントの石本
と検討しながら告知を進めているのですが、、、
彼の自画像に対する考えを、様々なレポートや
プレスリリースに纏めていて、、
フッと感じた事がありました。。。
それは、、
黒澤明監督の影武者です。。
すこし当時を思い起こしました・・
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
私は、13歳の時が実質的な“映画館”へ足を運ぶ
デビューであった。
この年、私は初めて自分の意志で、これが見たいと
いう思いをもって、天平の甍と影武者を劇場に見に
行った。
どちらもプロモーション規模も大きく話題の大作であり、
封切り前から見たいという欲求、ワクワク感が高まって
おり、実に待ち遠しい新作であった。
今のようにネット、dvdやレンタルビデオなどがない
時代、そして日本映画が衰退しきっていた当時は、大掛
かりな予算を使うこともままならない状況下で出てきた
これら映画はいやがうえにも注目の的だった。
商業的に今のような仕組みが出来上がる前、それこそ
完全な興行という意味合いが強かった日本の映画は、
観客動員のみが興行収入の全てであり、博打のような
様相がプロモーション側にも漂っており、その中で大
博打的に封切られる映画は今のプロモーションにはな
い凄みがあった!
所謂、劇場での次回作の宣伝に使われる
史上空前の規模
空前絶後のスペクタクル
過去最高の観客動員必至!
抱腹絶倒、感動の渦!!
というような壮大な宣伝文句を乱発し
そして最後に
撮影快調!!!
と観客の期待をこれでもかと、豚骨スープのよ
うな濃厚さと、そしてとてつもない暑苦しさで
引き出していた!!!我々もそれに引きずられ、
おぉ!と単純に驚き、封切りを待っていた…
しかも、その監督が黒澤明となれば、世間の注目
は他のどの作家よりもボルテージは高く、当時ま
ったく黒澤明や日本の映画界の事を知らなかった
私ですらその盛り上がりの波の中に飲み込まれた!
私は黒澤明に関心や興味があった分けではない。
影武者というテーマが気になっただけである。
この時分より歴史小説にのめり込みはじめ、まぁ、
多くの人間がそうだと思うのだが、分かりやすく
て面白い戦国時代が私も例に漏れず起点となった。
そのタイミングで封切られた影武者という内容に
私はミートしただけであり、黒澤作品というモチ
ベーションではない理由で劇場に行かなくては!
と思ったのである・・
劇場で見るのはいい。
いや、映画はもともと劇場用に全てが作られている
わけであるから、劇場以外、テレビなどで見るのは
別物と考えていても相違ないと思う。
映画の内容そのもの以外の、劇場が持つ雰囲気も
作品の要素には欠かせない無いものだと私は考え
ている。。
あの、すぅーっと暗くなり、ふんわりと暗闇の中
に誘ってくれ、ついさっきまでの日常と綺麗に分断
してくれるのは、色々な芸術が存在すが映画独特の
ものであり、特にその部分が私は大好きだ。
そして人間が実物大よりも大きく迫ってくる、その
迫力は色々なメディアが存在するが、追随を許さな
いくらいの迫力と感動を有する。
これを最大限満足するため、私は基本的に映画は一人
で見に行くことにしている。
一人で暗闇の中、その世界に没入したいたからであり、
デートでは過去映画館をほとんど使わなかった。
気が散るのである。
何か話し掛けられるのも嫌だし、相手のことを気に
かけるのも煩わしい、そして一番嫌なのは、終わっ
てから感想を喋りあうのが一番鬱陶しいのである。
私は映画を見た直後は秀作であろうが、駄作であろ
うが、何故か不思議と感想が出てこないのである。
ゆっくりと時間をかけ自己分析するのに時間が欲し
いのと、実はその時間が私にとっては一番至福の
時間であり邪魔をしてほしくないのである。。。。
とにかく映画館は出来るだけ一人で行くことにして
いる。
さて、影武者であるが、正直、面白かったのである
が、皆が騒ぐのと同じ重みで私の天秤が水平を保っ
たか?というと当時13歳の私は、そういった感覚
がなかった。
確かにスケールや迫力というものには凄さを感じた
のであるが、感動?というものはあまり感じなかった…
歴史的な事象として武田信玄が亡くなってから3年
間回りの大名との紛争がなく、その死が隠されてい
たということは想像に難しくないことであり、映画
のストーリとしてもリアリティはある。
しかし、それが映画の支柱でないことは十分理解し
ていたが、かといって…??何が大きな柱としてこ
の映画が組み立てられているのかは、理解できなか
った。
だから当時の私は、映画のスクリーンから体感できる
スケールと迫力、音響の方が見た感覚として全面を覆
ってしまい、その底流を流そうとしていた核心がまっ
たく見えなかったのであった。。。。
これ以来、黒澤映画は見ていない。
中学を卒業し高校に入学するころからビデオという
ものが一般の家庭にも当たり前に普及し、皆、レン
タルビデオで映画を見るようになると、我々がリア
ルタイムで見ることが出来なかった過去の映画など
も容易に鑑賞でき、友人達同士で映画を話す内容に
も現在封切られている映画と同様のボリュウムで
過去の秀作映画が普通に会話に現れるようになって
きたのである。
いや、どちらかと言うと、それまで大人たちの占有
であった過去の秀作が開放されたという色合いが強く、
過去の映画を話す方が多かったかもしれない。。
そういった会話を友人などとしていると必ずと言って
いいほど黒澤の存在に突き当たり、大半が感動したと
語るのである。。
しかし、私は影武者を見て以降、さしずめ日本の映画
界の巨人であることは過去の賞歴から知識としては得
ていたが、感動するということにはなにか解せないも
のを常に抱えていた。
それと、生来の天邪鬼気質が、皆が良いというものに
迎合を許さなかったのもその要因であったことは自分
でも十分理解していた。
なぜ、皆が口をそろえて良いというのか?いつも私は
そういう印象をもつものが目の前に提示されると、独特
のアレルギーが出て好きにならないという頑なな傾向
を示す癖がある。
しかしこれは意固地になって認めないということも
僅かな割合ではあるが、よくよく冷静に考えると、
やはりそういったものは、基本的に好きではないので
ある。
だからこの感覚を私は内面として自己批判しているわ
けではなく基本的には肯定している。しかし、圧倒的
に肯定されているものを、特に根拠も示さず嫌いとい
う事はかなり危険な行為であり、過去何回か痛い目に
あった。
話は逸れるが、その具体的な内容として、私はサザン
オールスターズとビートルズが嫌いではないが、好き
でもない…
これが、過去何度も痛い目にあった。あのメロディア
スな・・やめておこう。。。
話を戻すが、あまりにも皆が黒澤を良いというのと、
黒澤を知らずして映画は語れないであろう!的な圧力
が凄まじく…
うーん・・見てみようかな?と言う気持ちがポツっと
芽生えたころ、偶然京都駅前にあった小劇場(今もあ
るかどうか知らないが?)で黒澤ウィークという企画
があった。
じゃ、、まぁ一度見てみるか!という事で行くことに
した。
何作か見て・・
うん?面白い!なぁ、いや凄いなぁ・・
あの13歳の時、感じたものとは明らかに違う。。。
ひょっとしてこの監督って??
ものすごい芸術家では・・・(偉そうに・・恥。。)
そして何作目かに”七人の侍”が上映された。。
すっ、スゴイ!
これは…
息を呑んだ。。。
これが、白黒映画??
いや、これ作ったのいつ???
・・・・・ボコボコにヤラレタ…
それまでの、、、
黒澤?そんなにスゴイ?へぇー
俺?べつにぃ…
なんて言っていたのが、猛烈に恥ずかしく感じた。。
なんと・・無知とは恐ろしいのか…
とにかく凄かった。圧倒された。
当時の東宝があまりにも膨大な予算を消費する黒澤に、
映画撮影の進行をストップさせ、出来たところまで社
の幹部で見て中止かどうかの判断をするという結論を
下し、上映会を開いたが、あまりにもの凄さに、即時
続行を決定したというのは有名な伝説として残ってい
るが、それはこの映画を見れば良く分かるし、当然の
結果だとも思う。
映画は興行であるから、端から博打の色彩は強いので
あるが、しかしそれでも通常の試算は商業的な採算が
あってビジネスとして考えるのが普通であり、資金が
無尽蔵にあるわけではないから、基本的には封切る前
から予測のつく採算ラインを割り込めばお蔵入りか中
断というのが普通であろう。
しかし映画そのものが普通ではなかったのである。そ
れは奇異なという意味ではなく、世界中の誰もが見た
ことのないスケールと内容・・
この迫力とは、ビジネスで雁字搦めに計画を遂行する
人間に対し、ある意味での大博打を打たせるだけの説
得力があったのと、多少なりとも映画という芸術を商
売にしている人間の中に宿る活動屋の魂の琴線を弦が
切れんばかりに弾いた結果だったと推察できる。
そして単純に“続きが見たい!”という人間の根底に
ながれる欲望を鷲づかみにしたのだと思う。。。
そう感じてから、あの影武者…あの映画・・
と、再度見る必要に駆られたのだったが、そのままに
なってしまった。。
それから数年後、何気なくレンタルビデオに立ち寄り、
フッと当時の宿題を思い出した。
あっそうそう、あの宿題がまだ片付いていない!
迷うことなく影武者を借り、家で見た。。。。。。。
あっ!
と、気づいた。。
これが分からなかったのか…
この映画・・戦国時代の時代考証などをまったく
知らなければ、武田信玄のことを何も知らなく、
只の“殿様”西洋で言う“王様”として単純に
仮定すれば、この映画の骨格がものすごい色彩
を帯びて浮かび上がってくる…・
影武者とは、人間に内在する自分じゃないか?
表面の自分・・これは他人が判断する客観的な自分
であり、ある意味正確ではあるが、しかし本当の自
分というものであるかは、内在する自分とのギャッ
プを常に人間は悩みとして抱えている。世間のイメ
ージと心の内に存在する自分。。。
人間は生きたいようには生きられはしない、しかし、
じゃぁどのように生きたいかと問われても、明確に
出来る人間もまた少ない。それは現実的には不可能
であったり、そこからくる諦め、反抗。。
これはイメージとしての自分から始まり、結局行き
着くところはシンプルな人間としての素直な自分と
いう、よく分からない自分の気持ちとイメージに帰
着していくような気がするのである。。
人間は心の中に存在する自分像を想像し、先々の生
きかたの台本を書きつづけ、演出するのである・・
しかし、表面にそれを出せるのはごく僅かであり、
いつしか、ある種の逃避が心の中を支配し、もしく
は片隅に存在することに気づき、その気持ちと付き
合い続けている。。
それが人間の影だったりするのではないだろうか??
この映画の影武者の現実社会でのポジションは盗人
である。。
武田信玄という人間と顔は同じだが、まったく生活
環境も生い立ちも教養も、全てにおいて正反対な存
在が世の中に具体的に出現するという想定は、表面
的な見える部分での同一性と、常に人間が抱えてい
る内在する人間のギャップを具体的な陰影として表
しているのでは?という部分に突き当たった。。
これは…あまり斬新なテーマではないかもしれないが、
しかし、影武者という、本来、人間としては“無”の
存在をモチーフにしているところが、他の似通ったテ
ーマ性とは光彩が格段に違い、そして同じ時系列でそ
のギャップを見せていない所にこの映画の妙味も存在
する。
影武者のあまりにも武田信玄像とのギャップのある行
動のみで、信玄の存在を浮かびあがらせ、そしてイメ
ージさせる。
こういう手法が中盤から終盤にいたると、ひょっとし
て信玄という存在は現実的な史実内の想像として固定
的なイメージはあるが、人間としての信玄は誰も分か
らないという根本的な問題に皆を誘導する。
それがある時から、信玄と影武者に仮託していたもの
が取り払われ、人間そのものに存在する、二面性であ
ったり、多面性であったり、真の自分という人間が常
に抱える永遠のテーマへと運び込むというところが、
実は大いなる支柱ではないかと気づいたのである。。
人間は誰しも、他人と会話しているとき以外にも話し
をしている。
それは誰と話をしているのだろう?
歩いていても、電車に乗っていても、車を運転してい
ても・・
人間は常に話をしている。
頭の中なのか?
心の中からなのか?
音無き声を発している・・・
一人悩みそで解決策を考えたり
実社会での失敗を何度も何度も悔やんだり
時には一人ほくそ笑んだり。。。
時には他人を想像し、話かけたり、
しかしこれなんかは落語のような、記憶
にある他人の言語以外の未来予測は自分
で考えてセリフを作っている・・
いつも話している、ずっと話している。。
これは命続く限り行うのだろうか?
・・・・
しかしこの声は他人には聞こえない。
誰とはなしているのだろう?
間違いなく自分である。
自分が自分に?ではどういう自分がどう
いう自分に話ているのだろう?
世間的な固定化されたイメージの自分が、
それとはギャップのある心の内の自分?
心の内にある自分と自分の会話に、世間的
なイメージの自分がオブザーバーとして会
話に参加している?
色々なケースがあるだろう…
しかし、どれが本当の自分で主役なのだろうか?
どちらが影武者なのか?
主役に語りかける自分は本物ではないのだろうか?
演出の上語りかけているのだろうか?ではその演出
と台本は誰が書いたのか?
考え出すときりがない。。しかし、人間は常に
こころの内で見えない自分と語りつづけている。。
この映画は、私にとってはそういった事を語りかけ
ているように思えた。。
今日も私は
私に話し掛けている
遠い未来の
自分を想像し
今日、心の中に数人いる
自分と
会話している。。
命差し出す影武者を決めているのかもしれ
ない。。
しかし
この会話の中だけは
嘘はない。。
嘘は存在しようもないから・・・
嘘が嘘にならないから。。。。。。
大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん
June 10,2010
甘粕正彦の名前を初めて聞いたのは何時だろう?
多分、中学生時代だったような気がする。。
しかし、このときはその名前よりも、彼が起こした事件
について当時の社会科の先生が語っているだけで、
その主犯であった甘粕には触れていなかったと思う。。
彼の名前が世に顔を出したのは、関東大震災時の
アナーキスト大杉栄・伊藤野枝、その甥の橘宗一を
殺害した事件が最初である。
この事件について中学のとき習ったのは、残虐な軍人
(正確には憲兵)非民主主義下の軍国主義国家
の象徴的事件という印象を先生は残しただけであった。。
次に私の前に彼の名前が現れたのは、映画ラスト
エンペラーでの坂本龍一が演じ、それが話題になった
頃である。
そのインタビューで坂本龍一が『学生時代の友達に
甘粕役をやると言ったら、『皆が批判すると。。』
と冗談めかして語っていたのが、深い印象として残った。。
坂本龍一が学生時分はまだ左翼学生がハバを効かせている
風潮が残っており、軍国主義の化身のような人物を演じるの
には少し抵抗感があるという比喩なのだろう…・
大半の甘粕イメージは悪逆非道、軍国主義、謀略に謀略を重ね、
満州帝国建国の暗部に関与し影の支配者というダーティーさが
現在も一般的だろう。。
当時は今のようにインターネットもなく、私もそれ以上の
知識を得るに至らなかった。
しかし私はこのようなアウトローに非常に興味があり、どこか
で頭の隅に残っていたのであろう。。最近の国際情勢を垣間見
ると所謂、物事には表面の事象とは別に裏で画策される様々な
事情が存在し、それらの憶測までも含めて論評されているのを
見ていて、、、、、
突如、、唐突なのであるが“アマカス”というキーワードが頭
をかすめ、そう言えば、甘粕という人間もつまるところよくわ
からない部分があるなぁ??
思わずインターネットで検索した。
するとどうであろう??
あのときの印象に残ったままになっていたのだが
なんか違う人物像が出てくる。。。
うーん??
全て違うわけではない。史実上起こったことについて関与が
はっきりしている部分の状況は間違いではない。しかしどの
ような人物が?という点については印象が少し違うのである。
あまりにも彼の起こした事件や彼の特異な行為の印象が強く、
そこから来る想像がかなり肥大している感じが無きしもあら
ずで、なにより彼が周りを含め、それらの一切を否定してい
ない事が、彼のキャラクターを決定した。
そして謀略という国家暗部に深く関わっていた事も大きな要因
であろう。
そして何より敗戦からアメリカ民主主義へ向かう途上、過去の
忌まわしい集団のコアという事実が彼を全否定へ向かわせ現在
のキャラクターを確率させたのであろう。
いろいろ読むと実に興味深い人物であり、案外当時回りにいた
人間の印象は好いものが多い。。
甘粕事件は現在も謎が多く当時の世論の高まりも相当厳しいも
のがあり軍部も苦慮し、判決は甘粕一人に全責任を負わせた形
だが、どうも真実は違うような感じが濃い。
裁判中、揺れ動く彼の心情が残されている。が判決には結果的
に反映はされていなかった。。
大杉という人物の真実が近年明らかに成りつつあるが、どうも、
いかがわしさを背景に持っていたいたようで、アナーキストか
らの転向も画策していたようである。なにより近年検死結果が
発見されたらしいが、リンチに近い状態の死であり、当時の
裁判結果とはかなり乖離しているようである。そうなると甘粕
事件の真相とは…・
明らかに甘粕は黙して語らずを貫き通した感が強いし、どの
くらい関与したのかも謎だ。事実、求刑10年だったものが恩
赦にて3年で釈放、その後、軍の費用でパリに渡航している。
しかも妻帯で。。これは意外な感覚が残る。。
その後パリで画家のレオナルド藤田などの人物と関わり謀略
工作に没入し、クライマックスは満州国建国になる。その間、
傀儡政権の正当性を保つためラストエンペラー溥儀を引っ張
り出す事にも深く関与していく。最後のポジションは満州映
画協会理事長。なんか不思議な感じだ。
満州国は昼は関東軍、夜は甘粕が支配する。。。
なんで映画会社の理事が満州国の夜の支配者なのか??
最初から不思議な人物で、そういう意味では憲兵大尉という
本来闇の部分の番人が、突如歴史に現れ、最後映画会社の理
事。そして本来歴史の闇に葬られるベキ謀略活動家のはずが、
何故ここまで明るみに出てくるのか??
これが、ひょっとすると彼が持っていた本質なのかもしれ
ない。後世、不気味な人物として描かれているが、悪事を
働く輩の如き奥の浅さではなかったのではないだろうか??
そこには徹頭徹尾の哲学、良いか悪いか別にして持っていた
のではないだろうか??高潔なものを。。。
鉄の様に立ちはだかる人物で、突き通せない強固さがあっ
たんじゃないだろうか??
そうでなければ、恐れられない・・
とにかく謎だらけで不思議な人物である。
しかし、現在の戦争史観からすると甘粕などは最悪の人物と
して表現される事が多いが、当時の甘粕が、自分の謀略を含
む行動についてどういう印象をもっていたのであろうか?
間違い無く国家に対する忠誠という表層があったであろうが、
裏面の深層では何か、何か疑問を常にもっていたんじゃない
だろうか?
ある時まで国家、国体という呪縛の中で行動し、かなり汚い
部分も国家国体という正義を根拠にこなしてきたのだろうが、
満州国が建国された時よりなにか自分のこれまでの国家観に
対する限界と疑問を持ち始めたのではないかなぁ??
それは満州国などという、もともと存在する民に対し、嘘を
強要するとんでもないものを創り出した事に対する悔恨があっ
たんではないだろうか?そしてせめてその考えが間違いである
様、支配層である軍部(関東軍)という似非愛国精神の反逆者
を仮想し、改めての原則論を強固に持ったんではないだろうか?
国家あっての民、民あっての国家ではない!!
しかし私は、どうも終局は確実に自身が間違っていた事に気
づき、満州国の持つ非整合性の認識を持っていたような気が
する。。
だから、関東軍と対極の位置を保て、支配者というよりも対立
軸となりえたのではないだろうか…それが逆説的に彼が気づい
た事の結果だったような気がする。
関東軍に対して単純な原則論者であっただけではないと思う。
【私はもと軍人でしたから、日本刀で切腹をするべきですが、
不忠不尽の者であまりしてそれに価しませぬゆえ別の方法で
しぬことにしました】
この言葉は、甘粕事件やその他を指すのではなく、虚飾に満ち
た満州国に荷担し、嘘をついた愛国者が、真の自身の哲学との
相違である溝に気づいた結果から発したのではないだろうか?
?しかしそこから反発脱出できなかったのも甘粕ではないだろ
うか??
だからこそ軍人作法ではない死に方をえらんだのではないだろ
うか?それか・・
“ほっぽり”だしたかっんじゃないだろうか??
自分らしい結論をだすために。もしくは衆目に対する初めての
主体性行動として。。
関東軍の非道な行いに徹底抗議したり、支配下の中国人に対し
ての接し方など人間味溢れる部分が数多く見受けられている。。
ある意味慕われていたのである。。
俺は国家にとってどうか??と
おそらく彼は過去の行為を国家最善の為の行動であると確信し
ていたに違いないだろうし、かなりの後ろめたい事も、国体
護持のためという根拠を持ち、自ら汚れ役をやっていたのでは
ないだろうか??満州国にしても、これは推測でしかないが、
おそらく心の奥底で、不毛な国家観と虚飾欺瞞を感じていたよ
うな気がしてないらない。
彼が残した僅かな言動の隙間から、なにか虚無感というか
ニヒルな感じを受けるのは私だけではないはずだ。。。
俳優の森繁久弥は甘粕について。
「満州という新しい国に、我々若い者と一緒に情熱を傾け、
一緒に夢を見てくれた。ビルを建てようの、金を儲けよう
のというケチな夢じゃない。一つの国を立派に育て上げよ
うという、大きな夢に酔った人だった 」と証言しているし、、
又別の人物も、「甘粕は私利私欲を思わず、その上生命に対す
る執着もなかった。彼とつきあった人は、甘粕の様な生き方が
出来たら…と羨望の気持ちさえ持った。また、そこに魅せられ
た人が多かった」と述べている。
何か戦後の悪辣な印象とは違い、私利とは超然とした感じを
受ける。しかしどこか日本や天皇というより、もっと別の
広義に殉じたような気もするし、軍人と言う狭義から脱出出
来なかったような気もする。。
この時代に入り甘粕の印象は少しずつ変化してきている。
それを私は感じる。。。
他人はどう思うか知らないが、私はある種、土方歳三とダブ
って仕方が無いのだ。
彼らの生きた時代の差は僅か20年位しかない。
方や幕末、方や昭和史と別時代の人物のようだが、実際には
さほど差が無い。
甘粕が土方を知っていたかどうかはしらないし、知っていて
もどのような印象を持っていたかは現代の土方像からは想像
はできない。
しかし、私は彼らに強い共通の匂いを感じるのだ・・・
徹底した哲学を有するのだが、ある種の限界を持っていた事。
散々汚い仕事を闇の中で行い平然とその部分を自分の中で
“飼う”事が出来る点。
どこか未来に対しての発展的な考えよりも虚無感が先走るよ
うなニヒリズム。
多分、土方も明治期は悪逆非道の人物として巷では通ってい
たはずだ。現在のようなロマンチックな人物像などありえる
はずも無かったであろう。
当時の政府に敵対し、同志を虐殺した頭目としてしか評価さ
れていなかったはずだ。
明治維新に対しての新撰組の果した役割などは皆無で、盗賊
くらいの評価しかなかったはずである。。
これくらい現代の印象とは違うはずだ。
鞍馬天狗が流行った時分でも悪役の代名詞だったはずで
ある。。
それが現代ではどうであろうか?
天領に生まれ育った百姓が、武士でもないのに最後の武士
として、そして幕府に対する義に殉じたという事になって
いる。。
悪魔ののような存在が、男性だけでなく女性までもが思慕
するヒーローに変化している。
土方もあの世で苦笑している筈である。。。
そんな事になろうとは……・・
私は数十年後、いやひょっとすると数年後に甘粕は土方の
様な印象の変換が劇的に訪れるのではないかと考えている。
後世の評価は最終的には様々な不確実な印象が研磨され、
その人物のシンプルな本質が見え始めたときに現れるか
らである。。。
それは、自ら見つけた独善的な哲学の強固さが一つの煌き
を放つが、これらの人物は全て最後は肉体言語をもって自
己完結する。
良いか悪いかは自身の信義との関係であり、多数決の結果
ではない。
彼の辞世…・・
大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん