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始まりです。山本幸夫『FACE』at高松
本日より


山本幸夫 solo exhibition『FACE』
2010年6月30日(水)~7月20日(火)


at 高松天満屋5階アートギャラリー展開
スタートいたします。


昨日セッティングをしたのですが
正直非常に難しかったです・・・・





やはりギャラリーという空間と商業施設の
差はかなり大きく、ライティングにとんで
もなく時間がかかってしまいました。







BAMIgalleryでは空間演出も含めて展示いたし
ましたが、今回の高松での展開は空間性よりも






山本さんが考える『FACE』の仕組を、軸に分か
りやすく展示し体感していただこうと心がけま
した。





また、BAMIgallery展示ではご紹介いたしません
でしたが、高松ではこれまでに作られてこられた”面”
も併せて展示させていただいております。


白い壁面から”ニュッ”と顔が浮かび上がる風景は
他では見ることのできない不思議な空間の可能性を
謳っております。









魅力ある作品ばかりで面白いこと必見です。



自信を持ってお奨めいたしますので、お近くの方は
ぜひご来場いただきますようご案内申し上げます。




※作品についての詳しい説明は、
 担当の青野にお気軽におたずね
 ください!!!

▲TOP
basis
出塁率=(安打+四球+死球)÷(打数+四球+死球+犠飛)
このような式が存在する。実は、これが野球において
相手に勝つためには重要な基本的数式であり、野球の
本質となるのである。

しかし、不思議なことに、近年までこれを基本的な軸
に据えた、もしくは解析してきた球団が少ないのであ
る。。。


やはり、今でも野球は打率と防御率が中心にチーム力
が語られる。


これが近年、妙に違うんじゃないか?という視点が向け
られている。打率が低くても好成績を上げるチームの存
在があるのである。基本となるものは一体なんなのか?
独自の理論展開が必要なのかもしれない・・・



打球がヒットになるかどうかは、敵の守備陣形に大きく
左右される。鋭い当たりでも、野手の正面に飛べばアウ
トだし、当たり損ねでも、野手の間に飛べばヒットにな
る。


また、打撃の目的は何だろうか。ヒットを打つことでも
なければ、もちろん打率を上げることでもない。得点す
ることである。


野球は点取りゲームであり、得点しなければ勝てないの
だから。打率は、試合の勝敗や局面に関係なく、ヒット
を打てば上がるのだから、打者がいかに得点に寄与した
かを、必ずしも反映していない。



この出塁率に注目し、オークランド・アスレチックスは
少ない資金でチームを運営しているにもかかわらず好成
績を挙げた。


アスレチックス のGM ビリー・ビーンは他チームの出塁率
が高いがその他の理由で試合に出られない選手を格安で集
め、地味だが得点効率の高いチームを作った。


詳細はマイケル・ルイスが記した「マネー・ボール」で述
べられている。


この話数年前に何かで読んだのか見たのか?忘れたが記憶
に残っている。


野球は不思議なゲームだ。



ディフェンスとオフェンスが球技の場合同じ人数で行わ
れるのが普通だが、野球の場合、オフェンスの基本は一人
だ。


一人が打席に入り、ヒットになれば次に繋がり、この連鎖
が続くとフィールドにはオフェンスの人員が増えていく。


これが実は野球の本質だ。だから普通に考えれば、出塁率
と呼ばれるものが攻撃にとっては一番信用の置けるデータ
ーであり、かつ、勝利に導くための人員のフォーメーショ
ンにももっとも役立つデーターとなる。


打率の高い選手をいかに寄せ集めても勝利に必ずしも近づ
くわけではない。これは過去のケースを見ても歴然とした
事である。


よく言われるが、強いチームが勝つのではなく、勝つチー
ムが強いのである。強いという客観的及び主観的な自信は、
勝負にとって必ず最大有効なものではない。あくまでも気
持ちの上でのことだけであって、実際には勝負をやって見
ないと分からないものだ。


その上で勝つチームが現実的には強いのである。


これはトーナメントをすればそうだろう、前評判というの
はあるが、実際は勝ったチームが強く、運も味方につけて
いるのであろう。


落合という監督は、私が見ている限り、この本質を一番理
解しているのではないか?と思うのである。よく、俺流な
どと呼ばれるその野球観は、業界では異端的雰囲気の表現
色が濃いのであるが、我々素人から見ていると結果論かも
しれないが、実に分かりやすいものであり、なるほどと感
心させられる。これは偏に結果を出しているから余計に分
かりやすいのだろう・・


不思議なものである、過去超一流と呼ばれた選手たちを思
い返すと実に個性的で、大きくまとめると全て“俺流”だ
ったんじゃないかなぁ?と思える。それは打者の場合特に
感じるのである。


打者にとって何が大事で基本になるかと考えると、やはり
“打法”になるんじゃないだろうか?所謂、バッティング
フォームなのだが、超一流はほとんど基本から覚醒したよ
うな打法に行き着いているような気がする。その中でもこ
の落合の打法“神主打法”は過去にも似たような選手がい
たのだろうが、これほどこの打法で中長距離を自在に操れ
た打者は球史の中でも稀有な存在だと思う。


この打法、基本を重視するコーチ陣には嫌われる。


より多くの長打が望める反面、バットコントロールが非常
に難しく三振率が高い選手も多い。またフォームの構造上、
タイミングの見極めにもこの打法独特の熟練が必要とされる。


この点ではタイミングを重視したフォームとされる一本足
打法とは異なり、より遠くへ打球を飛ばすことに主眼を置
いた特化型の打法といえる。


落合も例に漏れず、入団当初このフォームの改良指示を受
けた。この時代、ロッテは山内一弘が監督で、かれはレベ
ルスイングの信奉者であった。その彼からするとバットを
アッパー気味でコントロールする神主打法は論外であり、と
てもではないが尊重できるものではなかった。


このレベルスウィングを落合はどのように考えていたのか
分からないが、ある程度取り入れていこうとする。しかし
思ったような結果が出ないので、さらなる改良を自分自身
で加え、結局、我流で自らの打法を確立していくのである。


まったく芽の出なかった当時の落合のスウィングを安打製
造機の異名を誇っていた大打者・張本が一目見たとたん、



「素晴らしい。このままのスイングで打てる」と断言した
のは伝説であった。



張本の打撃に対する見識の凄さをいまさらながらに感心さ
せられるのである。張本は一般にはあまり知られていない
が、手に障害を持っていた。本人がほとんど公表しないた
め、どのようになっているかは知られていないが、尊敬す
る打撃の神様・川上哲治に見せたところ、川上は絶句し涙
を流したということらしいのだ。



それほど高次元で戦う選手にとってはとてつもないハンデ
ィキャップであり、それを跳ね返し続けた努力に川上は涙
したのであろう。張本はもちろん基本ということを大事に
したのであろうが、これほどのハンディがあると、基本に
はどうしても従えない側面があり、自分なりの改良を加え
ないととてもではないがまともに一流の中では太刀打ちで
きない。


それこそが彼の基本的な軸でありつづけたのではないだろ
うか?その彼をして落合のスイングを絶賛したのである。


一流は一流の芽を見抜くのである。そして一流は決して他
人の意見に流されない。これが実は一流たる所以の本質な
のではないかと思うのである。


基本という軸が違うのであろう。自分で見極めた本質をま
ず軸に据えて、その軸へ自分なりのアプローチをかけてい
く。


だから自分が考える本質にいかに近づくか、そのために必
要なことはなにか?それらを考えていくことが、一流選手
が考え、理想とする基本になるような気がするのである。



なんでもそうなのだが、やはり一般で言う基本はあくまで
平均的な思考でしかない。突き抜ける選手にはとてもでは
ないが、窮屈でたまらないのであろう。


もっと言えば、かえって悪弊になりかねない。この落合の
神主打法もバットコントロールの難しさが三振率を上げる
というのは、基本的な考え方になるのだろうが、しかし、
戦局から球筋を極限まで読み込める能力が高ければ、バッ
トをコントロールする必要が格段に下がる。


読み違いがなければかなりの確率で長打を狙えるという、
逆の発想が一流選手には基本となる。何かを中心に据え、
それを独特の理論と行動で埋めるから、一流に成るので
あって、基本の山積みだけではとてもではないが、ある
一定のゾーンからは決して出られないような気がするの
である。これはイチローも野茂も同じじゃないだろうか?
どちらも結局、我流のスタイルを築き上げ、他人が決し
て真似のできない境地にたどり着いている。



種目は違うが、テニスのマッケンローなどもまったく同
じことが言える。あの対戦相手に背中を向けて体全体に
思いっきりスピンをかけて打ち込むサーブはまさに基本
からはみ出るスタイルである。


サーブを打ち込むと同時にネットまで一直線に駆け出し
ボレー体勢に入る、彼独特のサーブアンドボレーは他の
追随を許さない独特の戦法だった。基本から考えると実
に危険極まりない戦法であり、決して指導のテキストに
は採用されないだろう。マッケンローは超一流の選手で
あったのと同時に、ことごとく基本からはみ出す選手の
典型だったのではないだろうか?あのまったく基本を無
視したフォアハンド、天性の手首のやわらかさを利用し
手首で球筋をコントロールするフォームは決して美しい
理に叶ったスタイルではなかった筈である。


しかし、この時代を代表する劇的な選手であったことは
間違いない。



基本に忠実とはいかなる意味なのか?




野茂、イチローをはじめ、海外で活躍する選手の才能
を飛躍的に伸ばした、故仰木監督の言葉にある



個性に勝る基本はない、という意味



この数日深く考えさせられた。。。

▲TOP
ATGスタイル
先日、松井監督(映画監督)がギャラリーにお越し下さった。


エトリケンジさんの個展以来、ご案内を差し上げているのだが
律儀にも毎回お越し頂いている。



先日も松本君の絵を見てもらい暫し歓談させていただいたの
であるが、本当に監督の話は面白い!



毎回、映画界の話を中心に監督には質問するのだが、どちら
かというと映画芸術的な話よりも映画ビジネス的な事を教えて
いただいている。


映画はご存じの通り一本完成させるのには莫大な資金を擁する。
松井監督が先般第30回モスクワ国際映画祭正式招待作品/
パースペクティブ・コンペティション部門にノミネートされた
作品、、『どこに行くの?』(主演柏原収史)などは、お聞きし
たところ一千万円という超破格の低予算で完成させ、、現地
モスクワの映画人達から”クレイジー”と驚嘆されたとお聞き
した。。。。。。。。


通常では考えられない予算も当然だが、国際コンペでこの予算
は驚愕である。通常ならばやはりその何倍もの資金が必要とい
うのが常識の世界らしい。



私が学生時分、、今のような映画の周辺を取り巻くビジネスが
不完全であった時代、邦画の危機がよく叫ばれていたのは覚え
ている。しかしどこをどうやってか皆苦労し資金をかき集め映
画を撮っておられた。


その時分、ATGという映画会社があり、私はよくこの映画会
社の作品を深夜テレビで見ていた。



今も私は邦画が大好きなのであるが、このATG映画には
独特の雰囲気、、汗、じとじとした湿気、、虚無というような
なんとも言えないやり場のない感覚が蔓延しており、なんとな
く十代の青年であった私、、男なら誰しも経験があると思うの
だが何とも言えない悶々とした感じ、、それが深く心に密着し
たのである。。。



松井監督にそのことをお話したところ、色々と教えていただ
いた。




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ATGとは(ウィッキペディア転載)

他の映画会社とは一線を画す非商業主義的な芸術作品を
製作・配給し、日本の映画史に多大な影響を与えた。また、
後期には若手監督を積極的に採用し、後の日本映画界を
担う人物を育成した。

ATGは良質のアート系映画をより多くの人々に届けるという
趣旨のもとに設立され、年会費を払って会員になると多くの
他では見られない映画を割安の価格で観られたため、若者
たちの支持を得た。60年代から70年代初めの学生運動、
ベトナム反戦運動、自主演劇などの盛り上がりの中で、シリ
アスな、あるいはオルタナティブな映画に対する関心は高か
った。当時は御茶ノ水近辺に主要な大学が集中しており、
新宿が若者文化の中心となっていて、ATGの最も重要な上
映館であった新宿文化は、話題の映画の上映となると満員
の盛況であった。このような状況と会員制度に支えられて、
大島渚『新宿泥棒日記』、羽仁進『初恋・地獄篇』、松本俊夫
『薔薇の葬列』など、当時の若者たちに大きな影響を与えた話
題作の製作が可能になった。

ATGの活動は、主に外国映画の配給を行っていた第1期、
低予算での映画製作を行った第2期、若手監督を積極的に
採用した第3期に大別することができる。


第2期(1967年 - 1979年) [編集]
テレビが一般に普及するにつれて、大手の映画会社は興行
を成功させるために、動員数が期待できる娯楽作品を中心
に手がけるようになった。このため、松竹ヌーヴェルヴァ
ーグの中心であった大島渚や吉田喜重のように、芸術映画
を製作したい監督は大手映画会社から去り、独立プロを立
ち上げて活動するようになった。


ATGはこれらの独立プロを積極的に支援し、独立プロと半分
ずつ予算を供出することで、「一千万円映画」と呼ばれる低
予算の映画製作を行った。一千万円という予算は当時の一
般的な映画製作費用の数分の一であるため製作には困難も
伴ったが、多くの作品がキネマ旬報ベストテンに選定される
など高い評価を受けた。
一方、これらの映画の中には興行的に失敗するものもあり、
ATGの経営は徐々に困難になり、加盟映画館も減っていった。
このような状況を受け、1979年には初代社長の井関種雄が
退任、佐々木史朗が社長となる。



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私が深夜テレビで見ていたのは所謂第3期に当たる頃で
第2期に確立した予算方法が定着していた時分だったと
思う。


500万円を独立プロ側のこり500万円を東宝系列の
ATG側の捻出というスタイルである。



しかし残念ながら1992年にその活動を停止させたのであるが
このATGスタイルというのは、今から考えても画期的であ
り、あくまで素人考えではあるが、もし今このスタイルを実
行すれば、別の意味で展開が広がる?んじゃないの?と夢想
してしまう。。


東宝という親会社はエンターテイメントで収益を稼ぎ、その
資金を元に芸術映画及び監督の育成を図る。今だとここから
積極的に世界マーケットに打って出るプロモーションをブッ
キングすれば、、、


当時さほど、、、考えていたかもしれないが、今ほどの積極
性があったとは思えない世界マーケット進出を生み出せるの
ではない?と安直に考えてしまうのである・・・・



例えば松井監督の国際コンペの例を見てもそうだが、世界を
相手に闘う映画というのはやはり芸術作品である。決して
ハリウッド的なエンターテイメントではない。今盛んにコン
テンツ産業の輸出ということでアニメ漫画等を中心に語られ
るが、それ以外にも日本独特の映画という芸術が存在し、世
界に冠たる監督を多数輩出してきた。これを考えれば、先ず
根幹にある有能な監督を如何に輩出するかという機能をもっ
と強化しなくてはならない事に気がつく。


全て興行収益から逆算することだけで映画制作が完遂されても
それはその都度都度のビジネスの整合は図れても、最終的な
大枠での収益はどうなの?となる・・


例えば、世界マーケットに出られるのか?というビッグビジネ
スをにらんだ場合はいとも簡単にその方法が間違っていること
に気づかされる。


北野監督が評価された、これは嬉しい出来事ではある、しかし
もっともっと良い監督がこの国にはいる!挑戦させよう!とい
う機運が欲しいような気がするのである・・・



しかし無能なものまで面倒見ることはない。ここでATGが
上手いのは半分は自分たちで用意しろ!という事である。こ
れがなんとなくではあるが上手い整合を図っているのと同時
に、若い作家の育成にも役だっているような気がするのであ
る。


例えば面白い話を松井監督からお聞きしたのだが、市川 崑
という巨匠は、わざわざこのATGスタイルを使い股旅とい
う映画を完成させた。


それは何を意味しているかと言えば、、自分の作りたい映画
を作ると言うことに役立てたらしい・・・
巨匠となれば全てにおいてかなりの制約が生まれるし、その
構想を形にするとなれば大きな興行プロジェクトになり当然
莫大な資金が必要になる。こんなプロジェクトは数年に一回
という割合でしか生まれないから必然的に映画が撮れない
という時間を生んでしまう。そこで間隙をつくかのようにA
TGスタイルを選択すれば、大きなプロジェクトとはまった
く違う市川作品が生まれ、監督の思いも観客の満足感も別の
意味で充足される・・


ATGスタイルとは本質的に映画という興行の側面と芸術
という側面を上手く一時期補完できた産物であった。


しかし興行という側面はかなり水物で最終的には崩壊
したのであるが、今ならちょっと状況が違うのではないか?
と思うのである。。。。。



この話をしていたときに思ったのであるが、美術界も実は
このスタイルが当てはまるんじゃないか?と思ったのである。



特に◎独立プロを積極的に支援し、独立プロと半分
   ずつ予算を供出することで、「一千万円映画」
   と呼ばれる低予算の映画製作を行った。

  ◎ATGは良質のアート系映画をより多くの人々に届け
   るという趣旨のもとに設立され、年会費を払って
   会員になると多くの他では見られない映画を割安
   の価格で観られたため、若者たちの支持を得た。


これらがそのまま当てはまる訳ではないが、なんとなく
活かせられるような気がしている。


いずれにしても二つの要素を取り上げたのであるが、
基本は資金である。ここの部分が点として律動して
いても決して大きなものにはならない。


できれば線となり面となる仕組み、そして基本はATG
は官ではなく民の共感のなかで成長したようにこの部分
の収攬をどのように果たすのかが大きな問題点であろう
と思う。しかしATGは最終的に興行面での採算性で追
い込まれた訳で、ここをどのように補完するか、そこが
生み出せればもう少し強固な地盤が生まれるような気が
する。又、世界との関係性をどう構築するかも同様の問
題としてある。。。。



私のような”芥子粒”ごとき存在が偉そうに語ったとこ
ろで何もないのであるが・・・・・・



私が身を置く環境から単純に類推しても




アートフェアやオークション、、、ミュージアム、、
ギャラリー、、コレクター一般・・・という点の存在が
垣間見える現状は、、もう少し大きなもしくは



”今までと違う”



枠組み、仕組みを必要としているのでは?
と思うのと同時に、、、、


絶対的課題は3点しかないと思う




◎世界との関係


◎一般へのより大きな浸透及び興行としての性格強化


◎絶対的な透明性と優劣の明確な判断





ここが今以上に発展しなければ、、いつまでも同じでは
ないのかな?と思うと同時に、ここ最近様々な方とお話
するの中でその必要性を感じているのが強い印象として
残った。。。

▲TOP
ハレとケ
今年の春の東京アートフェアに伺ったとき


懇意にしていただいているK美術のギャラリストの
方から、今年の秋に京都で行われるアートプロジェクト
を手伝わない?とお誘いを受けた。



このプロジェクト自体は存じ上げていた。京都という
ロケーションを最大限活用した面白いもので昨年評判に
なっていた。


なにより面白いなぁと感じたのは、、京都の人が京都で
行うという良くありがちな”自己完結型”のものではな
く、他地域、東京の人が中心になって、京都を使うとい
う部分に大きな魅力と期待が感じられたのであった。。


京都は京都の人が一番分かっている!というのはある
意味当然なのだが、実は逆説的に言えば、京都は京都の人
が一番分かっていないという部分も客観的には如実に見て
とれる部分がある。


世界的に日本という国を見、その中の都市を想像した場合、
経済大国である我が国を代表するのは間違いなく東京であ
ろう。また、国政の面を考えてもそれは首都という機能か
ら同様の風景が浮かび上がる。


しかし、国という複合的要素考えた場合、根底にある文化
歴史という部分はどこが担っているのか?そう考えると日
本の場合、間違いなく奈良であり京都という事になる。


この事について京都の人は間違いなく誇りを持っている・・が
それはこの国の人に対してが大半である、、、、、、
しかし本来もっと世界的な視野により俯瞰した場合、そこから
浮かび上がる京都という実像を実は京都の人は案外イメージ
として持っていなかったりするのである。


実際に他国というものを我々個人がイメージしたとして、そこ
には確実に現代の様相以外に、歴史文化という要素が相当な量
でイメージの構築に必要不可欠であることは理解できる。


世界的、、、という規模まで拡大しなくても、端的には、、、


観光客の方々が抱くイメージと京都の人が持つ京都の
イメージには相当なギャップが存在する。。



良い意味でも悪い意味でも



京都は純度の高い”ガラパゴス都市”なのだと思う。。。


このガラパゴス感覚、、これが案外厄介で・・・・・・


生半可な知識のみで脱却しようと京都の人は過去色々
試みるのであるが、、、



これが”ダサイ””くだらない””内向的すぎて誰にも理解
されない”などという惨憺たる結果を迎えている・・・



良い例が



西陣織という地場産業が存在するが、、、



これで安直にネクタイなどを作ってしまい、平然と
京ブランドなどとして売り出したりする。しかも駅
のおみやげものとして陳列したり・・


本来京都のイメージを活用しUPを図る筈の施策が



完全な逆効果、、イメージダウンに直結しているので
ある。実際こんなものは京都以外の人に対して訴える
ものもなければ、、なにより京都人すら嫌悪する・・・・


すべてこの感覚なのである。。



しかし、先日も大きく取り上げられていたが、、、、



ドン ペリニヨン&特製桶シャンパンクーラというもの


ドンペリが京都の美しい桶に魅了され、特別に発注した
ドンペリ用のシャンパンクーラーなのだが、これなどは
外部の人が見る京都の美しい伝統の美であり、本来こう
いった形のモノこそが京都なのであろうなと改めて感じ
た。しかしこれを京都の人、所謂内部の人がプロモーシ
ョンできるのか?


というのが当該の最大の問題点であると思うのである・・


と、、まぁ長々と書き連ねたが、今回ご協力させていた
だくプロジェクトとはまさしく外部の方々が京都という
ものを最大限引っ張り上げるおもしろさが満載されていて、
二回目になる今回は一回目以上のインパクトがあることは
間違いないと思う。



昨日、このプロジェクトの主要メンバーの方々が京都に
集合しプロジェクトで使用する展示場所の下見を行われ
たのであるがそこへおじゃまさせていただいた。



私はあくまで縁の下のご協力なのであるが、皆様方が大変
丁寧な挨拶をしてくださり、リーダーである作家のN先生は
当ギャラリーまでお越し頂きました。


そこで改めて今回のプロジェクトについて懇切丁寧にご
説明いただきその思いをお聞かせ下さいました。


そこで大変勉強になったことが2つありました。


一つは現代人の生活において何が足りないか?
現代人が失いつつある感性とはなにか?


これは正直様々な考えがあるとは思いますが、こと、
このプロジェクトを考えられた根底に流れる部分で
必要不可欠な要素として上げれられたのが、、、、、


『 ハレとケ 』


という考え方で、現代ではあまり聞かない言葉なの
ですが、

ウィッキペディアから説明を引用すれば・・

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「ハレとケ」とは、柳田國男によって見出された、
時間論をともなう日本人の伝統的な世界観のひとつ。

民俗学や文化人類学において「ハレとケ」という場合、
ハレ(晴れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」
、ケ(褻)はふだんの生活である「日常」を表している。
また、ケ(褻)の生活が順調に行かなくなることをケガレ
(気枯れ)という。ハレの場においては、衣食住や振る舞
い、言葉遣いなどを、ケとは画然と区別した。

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そうなのである、晴れ着などという言葉に代表されるよ
うに、昔は


おめかししてウキウキと伺う場所や機会またそういうも
のを大事にしていた部分があり、それが一つの節度をもっ
ており日常と非日常を厳然と区分けしていた。結婚式も
葬式もお祭りやその他色々なもの、例えば少し前の
百貨店なんかは近代的な”ハレ”の場としての役割を担
っていた。。


こういう精神性がなくなりつつある。全てが堅苦しい→
カジュアル→どうでもよい。


合理性=経済性=効率などという感性が世の中を支配し
これらの考え方は隅に追いやられつつある。。最大は時間
がないという貧しい感性か?


しかしなくなったか?と言えばそうではない、厳然と存在
はする、しかし気持ちがあっても場がなくなり、それを形
にしにくくなった。。。


などといいう風潮が攪拌され、今、改めて考えれば、、
そういえば”ハレ”の場がなくなりつつある・・・


アートとはまた、アートを展示し鑑賞いただく場とは


もっと広義に捉えれば


京都とはこの国の中の


『 ハレの場 』である。



この場をどのように作り出すか?これが大事なのである。


今この国の観光に対しての支出を考えれば相当な金額と
流動人口があることは間違いない。これは非日常を体感
する間違いない”ハレ”の場を求めているのだが、では
美術館は?と考えれば、確かに相当数の美術館と来場者
が毎年正確なのか不正確なのか分からない風聞として
は聞こえてくる。しかしその人数の合計を分子として全
人口を分母としたとき果たしてその割合は国民の”ハレ”
の場たり得るのか?という疑問もあるが、本当にそれで
美術館及び”アート”は役割を果たしているのか?
という疑問に直面する。


生涯美術館に行かない、もっと言えば絵を鑑賞しない人
がどれほど多くいるか?という逆の試算も成り立つ。乱
暴な意見として見られるかも知れないが、仮に生涯絵を
鑑賞した機会を正確にアンケートすればそれは如実に表
れると私は思う。


だから駄目なのではない。


単純に考えれば、それだけ”潜在的な人口があるという
証左であり、その部分にインパクトを与えることこそが
重要なのだと考えられる。


よく、幅広い方々にご覧頂き・・・などという謳い文句
を目にするが現実的に幅広くない鑑賞者人口に対して具
体的にそれを向上する施策とはなにか?と聞きたいとこ
ろとなるのは本来自然な流れである。。


今回のプロジェクトとはそれらを深く考えれた結晶とし
て具体化されたものである。


もう一つ感じたのは




やはり既存のプロジェクトではない今回のプランは、
個人が起案したところから始まっている。何もない
ところか一人の情熱が形を生み出しているのである。
その情熱に賛同する人達が集まり大きくなり、そして
これからも大きくなりつつある。



全ては一人の信念からスタートしている。



実際には様々な障害が立ちはだかったとおっしゃって
おられたが、当然だろうと皆は簡単に言う。しかし本
当に立ち向かう人がどれほどいるか?また”そうだろう”
などと簡単に言える人が本当にこれまでそのような事に
立ち向かった事があるのか?と逆に聞きたいくらいで
ある。大半は想像逞しく、その手前どころか何もしな
いのがほとんどじゃないの?・・・・


と、、思う。。


・・・・・・・・・・・・・・・・・


無信不立



信なくば立たず、だと思う。



リーダーのN先生の情熱に満ちあふれたお話を聞
いていて



『 井戸を掘る 』




勇気を教えてもらいました。。。。

▲TOP
先輩
先日のブログでも書いたが、、


ここ最近は上海のこともあり情報や、いろいろな海外
の事情について教えていただこうと積極的に人に会う
事に決めた。


特に今までほとんど考えもしなかったが、出来るだけ
公的な立場で仕事をしている人にお会いしようと思った。


で、昨日は京都商工会議所に伺ったのであるが、
ここに関しては実は学生時代よく伺っていたのである。


私より一回り上の大学の先輩が勤められており、
2年ほどアルバイトをさせていただいていた。。。。


まぁ、、お恥ずかしい話なのだが、、初めて申し上げるが、、
私は大学の美術部という所に在籍し、実はその部の先輩
の紹介で会議所の会報誌の挿絵を描かせていただいていた。


因みに大学は龍谷大学です。。


先輩は一回りも上なので私が学生時分にはとうに卒業されて
いたのだが、、後輩をいつも心配しておられる先輩は機会があ
る毎に大学に来られ我々を指導してくださっていた。


今も大学のOB会(大学全体)の世話役をされておられる。


全然年の離れた後輩の私なのだが、何故か分からないが
可愛がっていただきアルバイトを斡旋していただいたのを
きっかけに今も気にかけていただいている。


が、、ここ数年は年賀状のやり取りだけだったので
久しぶりに伺おうと思い昨日電話して時間を頂戴したので
あった。


先輩は実にパワフル


最後にお会いしたときもかなりの役職だったような気が
したが、如何せんそれから数年たって現状どの部署で
働いておられるのかも分からなかったのであるが、とにかく
2階にこい!というご指示だったのでそこへ伺った。



2階の指定されたオフィスを覗くと広い部屋にかなりの
人数の人が働いており、受付カウンターで名前を言おうと
したとき正面の偉い人机に先輩の顔を発見!



『お---------------!』



という大きな声と共に



『ひさしぶり---------!元気にしてたかぁ!』



と以前となんら変わらない先輩がおられた。


・・・・・・・・・・



確か以前にもこんなシーンがあり、、、



『おーーー!お前、、、うーん、、そうそう、、ナントか”じゅん”!』



ナントか”じゅん”と呼ばれた事がよみがえった(笑い。。)



喫茶店に誘っていただきそこで今やっている仕事と
今日伺った理由を説明させていただいた。



全部聞き終わるとおもむろに携帯を取りだされ
該当部署の担当者を紹介していただいた。



途中で来客があったので先輩は離席されたのであるが、、
担当の方とは色々な話をお伺いできて実に有意義であった。



今すぐどうこうという事はないかもしれないが、それでも中国
についてはかなり意識をもっておられ今後様々な情報交換を
させていただけるような話し合いが出来た。



帰り際先輩にお礼を申し上げようと再度先ほどの部屋へ
伺った。




『いつでも遠慮せんと来いよ!仕事頑張れよ!』




と先輩。。。




先輩、昨日は誠にありがとうございました。





また、必ず伺わせていただきます!

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