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素の美展+アートトレッキング@高松天満屋
来週19日より

高松天満屋5階美術画廊にてCOMBINE企画

★MONHOUSE素の美展★



を開催いたします。



会期:2012年12月19日(水)~12月30日(日)
最終日午後4時閉場
会場:高松天満屋5階 美術画廊
直通電話:087(812)7548
出品作家:倉石文雄、原博史、井本英樹、
大西よしみ、山口佳茂、千葉尚実、
翠さやか、小橋順明


詳細に関しては以下リンクを参照下さい
↓↓↓↓↓

http://ja.scribd.com/doc/116207352

又、この会期中

併催企画として

高松天満屋全館を使用して行う

★アートトレッキングin高松天満屋★




も開催いたします。

NPOかがわ・ものづくり学校が主催する
「かがわ・山なみ芸術祭」プレイベント
として、高松天満屋館内全域にわたって
香川県内外の現代美術家が平面、インス
タレーション、パフォーマンスなど、
作品を展開します!!




会期:2012年12月19日(水)~12月30日(日)
   ※一部作品は12月12日から先行公開
会場:高松天満屋全館




出品作家(敬称略)
井本英樹 / 河津文子 / 三野彰太 / 山口佳茂 /
秋山富美代 / 重本美玲 / 小橋順明 / 植山黄世 /
森大雅 / 翠さやか / 杉江公和 / 川崎展子 /
千葉尚実 / 倉石文雄 / 大西よしみ / 原博史 /
池田愛理 / 南優 / 即興現場



詳細に関しては以下リンクを参照下さい
↓↓↓↓↓

http://ja.scribd.com/doc/116207581



※12月12日(水)より一部先行展開を開始しております。
画像はその作業風景です。











▲TOP
おかげさまで本日丸4年を迎えることができました。
本日2012年12月8日をもって


COMBINE/BAMI galleryは丸4年を迎えることが
できました。


様々な形で過分なご支援ご協力いただいている皆様方に
対してこの場を借りて深く御礼申し上げます。



誠にありがとうございます。


さて、


5年目を迎えるにあたって


何か新しい決意をと思い


昨日から過去のこの日のブログを読み返してい
ましたが、正直、特段威勢のいい事も思いつかず


又過去のブログの内容を自己否定するつもりは
ありませんが、何か今の心情と合致しない、、


少し違うような気がいたしました。


今、この過酷な時代


自分は何ができるのか?
この芸術の世界で、、、、


そんな事を漠然と又生意気に
考えてきましたが、、、、


5年目を迎える自分を振り返ると



自分の今ある形は、


沢山の支えていただいている方々の情義

その事によってのみ成り立っている、、

幾ばくかの形を保っている

そしてそれをもって

自分に仕事をさせていただいている事、

冷静に考えればそれが今ある自分の形=姿


今は


まず、その姿をしっかりと


見つめ直さないと・・・・


そして、この形、


これを


想いを裏切らず、


どう大きくしていけるのか?


そう考えると、




今は、何か観念的な宣言ではなく・・・


、、、と考えた次第です。



今、思うのは、



5年目はもっと自分の考え方を作家と共に
具体化していきたい、それが今の現実的な
心情です。



初期に描いた想い!


ともすれば、そこから現実的な制約によって
知らず知らずに乖離していく弱さ、、、


スタートした時にシンプルに思い描いたもの、


アートマネジメントの新しい”カタチ”





これを再度考え、作家の成長を軸に、そして
共に二人三脚の具体的行動をしていきたいと



考えています!







本当は何も書かずに、


知らない間に通過しよう、、、
などとも考えていましたが、、、、



ある方から


「お誕生日おめでとう」


というメールを頂きました。



逃げようとする、、気持ちを


悟られたような、、、


少し恥ずかしくもありました。




しかし、ありがとうございました。


この一言の中に


明日からの自分が持つべき勇気を
見る思いが致しました!



また新たな気持ちで


前に進みます。


皆様、今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいた
します。





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かぶく干支
【かぶくえと】

●コンテンポラリーアーティストによる干支色紙絵企画

※既製の色紙 8寸×9寸(274×244)のサイズに限定

2012/12/19~
高松天満屋 5階アートギャラリー 担当:青野
TEL 087-812-7549



●趣旨
かぶく(傾く)と干支を組み合わせた造語です。
かぶくとは「かぶく」の「かぶ」は「頭」の古称
といわれ、本来の意味は「頭を傾ける」であった
が、そのような行動という意味から「常識外れ」
や「異様な風体」を表すようになり、さらに転じ
て、風体や行動が華美であることや、色めいた振
る舞いなどをさすようになり、そのような身なり
振る舞いをする者を「かぶき者」といい、時代の
美意識を示す俗語として天正(1573~1592年)頃
に流行した。


この「かぶき」という語が、現代の「歌舞伎」と
なったのは、17世紀初頭、出雲大社の巫女『出雲
の阿国(いずものおくに)』と呼ばれる女性(巫
女ではなかったという説もある)の踊りが、斬新
で派手な風俗を取り込んでいたため、「かぶき踊
り」と称されたことによる。


      
この“かぶく”という言葉が持つ意味を今回の企画
の軸と据えました。


干支というと現在、12月初旬から様々な商材が各種の
商業施設の店頭を飾ります。又作家なども干支を題材
に作品を仕上げたりします。


しかしそれらのモノを見たときどうでしょうか?私が
見る限り少なからずこの20年近く何も変わっていない
ような気がします。


しかし干支というのは元来季節の風物詩というだけの
もではなく、調べていただければ分かりますが、アジ
ア特に漢字文化圏においては“時”を示す数詞であり
暦を始めとして方位などにも用いられる人間生活の根
幹部分でもありました。


西洋的な時間の観念が流入する前はもちろん流入した
後の我々の生活にも息づいているこの“干支”にて独
創的な感性で同時代感覚に迫る内容として描き出し、
現代の干支というテーマ性の中で是非“かぶいて”
みようと考えています!!



釜匠


阿部瑞樹


小橋順明


佐野暁


武者宏迪


八木佑介


川又仁奈


炭田紗季


kappachicken


松本央

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ひかりを求めて
真田日本一の兵。古よりの物語にもこれなき由









確かに古今これほどの男はいないと私は思う。
実はこの半年かなりの回数彼の事跡を何度も
読んでいる。



特に嫌なこと、信義に悖るような事があれば・・・・・



真田幸村の”もののふ”としての最大のハイライト
は敗色濃厚となった大阪夏の陣・天王寺の戦いで
あろう。



徳川家康本陣へ寡兵で3度突撃し、屈強で鳴らす
家康旗本勢を蹴散らし、その凄まじさを持って
家康に自害を二度も覚悟させた事にある。



しかし、私が一番魅かれるのは、、


関ヶ原で西軍に与し敗北し本来死罪である所を
九度山に配流になり昌幸・幸村親子が失意の中
過ごした14年の幽閉生活にある。



敗北し天下の趨勢が決まりつつある中、父子共に
耐えに耐え再起にかけた。



幽閉中の逸話がある、実に情けないが、、
人間味溢れる・・・・・



---------


昌幸は三男に宛ててこんな手紙を書いている--



「借金が重なって大変苦しい。至急20両を届けて
欲しい。無理なら10枚、せめて5枚でも」。



幸村も「焼酎を2壷送って欲しい。そして途中
でこぼれないようシッカリと2重に蓋をして欲しい」
と書くなど、配流生活は実に侘しい日々だった。



「こちらの冬は不自由にて、いっそう寂しく思う。
私のうらぶれた様子を使者が話すだろう。もはや
お目にかかることはない。とにかく歳を取って残念
である。」


「急に歳をとり、病身となって、歯も抜けた。
髭なども黒いところは無い」




・・・・・・・・・・・




苦境の中再起の瞬間が訪れる。

知人に送った最後の手紙




【様子御使可申候。当年中も静かに御座候者、何とぞ
仕、以面申承度存候。御床敷事山々にて候。さだめ
なき浮世に候へ者、一日さきは不知事候。我々事な
どは、浮世にあるものとおぼしめし候まじく候。
恐々勤言 真左衛門佐信繁】




もう、この世に居ると思わないで欲しい・・・




---------




1615年(慶長20年)5月7日 正午


大坂夏の陣 天王寺の戦い


真田幸村の乾坤一擲の突撃!




その日はどんな日だったのだろうか?
どんな陽射しが差していたのだろうか?



多分、今日と何も変わらない陽射しが
降りそそいでいたと思う・・・・・




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又兵衛と又兵衛





後藤又兵衛 豪傑の中の豪傑なり



歴戦の猛将。主君・黒田長政と


うまくいかず黒田家を出奔。



長政の「奉公構」の干渉のため、
流浪に流浪をかさね、、、京へ



乞食にまで身をやつし再起をかけた猛将。


大坂夏の陣の道明寺の戦い、



孤軍でおよそ8時間も奮戦し10倍以上となった


相手に対し突撃を敢行し、乱戦の中に討死。



*************



創作であるが、



大阪の陣入城の際の


後藤又兵衛の姿と


それを気遣った武具屋のオヤジの


話が大好きだ!!




*******



聖ヤコブをしるした長旗六旈を翻し、旗指物も


花十字架の意匠という異色の部隊を率いて入城
した明石全登 


兵五千の大軍を擁して入城した長曾我部盛親


そして 六文銭の旗印・真田幸村



綺羅星のごとき武将の入城が続き
 


その熱気も冷めやらずざわめく大坂の城下町に



菰一つを背にした大男が到着した。


誰あろう、、後藤又兵衛基次。



黒田家の家臣でありながら大名格の
一万石以上所領したこともある男、、、、


関ヶ原以降黒田家当主との確執にて
出奔。



流れ流れ


京の都で乞食にまで身をおとし
再起にかけた戦人



その男が、、、、、


供一人連れるでもない


たった一人の入城・・・・・




小鬢は白く
 

身なりは乞食と大差ない




しかし眉は太く

双眸はらんとして輝きがあって長身

がっしりとした体躯は、、、



語らずとも戦場の往来の古豪であることを物語っており



垢じみた衣服、裾の擦り切れた野袴をもはじき返すばかり
であった。



ボロをまとったその男の 決意と歓喜を秘めた顔つき



落魄の境遇を愧じる色が微塵も見られない、、、、



悠揚迫らぬその態度と雰囲気を察してか人々は 



自ずから道を空けその後姿に 見とれた・・・・



いづれ 名家の御家中であろう・・・・




そんな 又兵衛が大坂・天満橋あたりに達した時



通り沿いの武具屋から、はじかれた様に驚喜し



飛び出してきた小男



「又兵衛どの!」 


「黒田の又兵衛どの!」


「後藤又兵衛基次さまではありまへんか!?」




この男こそ


又兵衛と同じ 播磨の出 そして同じ名を継ぐ奇縁を持つ



武具屋 又兵衛




「天下の後藤又兵衛さまが、、供連れもない御入城なんて」



「あきまへん!」




そういい捨てると


呆れる又兵衛を尻目に 甲冑・かぶとは言うに及ばず


馬から 供揃えまで あっという間に集めてきたのです



「おいおい 見てのとうりの乞食侍 銭など持たぬぞ」




笑う又兵衛に



「何を仰います!天下の又兵衛さまを一人で入城させたら」



「大坂商人 末代までの恥!」




そう叫ぶと 主人・手代一同が深々と頭を下げ



御武運を!! 




そう言って 立派な武者姿の又兵衛が 



馬上豊かに



大阪城に入城していく後姿を




いつまでも いつまでも 見守っていました




豊宣 『大坂軍記之内』-後藤又兵衛-
 大判錦絵三枚続 一部分

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