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釜匠 洋画展 ~化生~けしょう @大丸東京店 始まりました!
スタートして二日経ちましたが

釜匠 洋画展 ~化生~けしょう @大丸東京店

無事立ち上がりました!






今回は、大作・100号を2点





これまで展示をしたことのない




ドローイング作品も加えさせていただきました。


初日、二日目と沢山の方にお越しいただきました





29日(火)午後5時まで開催しております!!

※本日25日明日26日は午後9時まで営業して
 おります。





********


釜 匠 洋画展 「化生~けしょう~」


2013.10.23 (wed) - 2013.10.29 (tue)
at 大丸東京店
http://www.daimaru.co.jp/tokyo/bijutsu/
〒100-6701
東京都千代田区丸の内1-9-1
営業時間:10時~20時


【お問い合わせ】
COMBINE office
〒600-8033京都府京都市下京区寺町通仏光寺下る恵美須之町521番地 4F

office@combine-art.com
http://www.combine-art.com/

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釜匠 洋画展 ~化生~けしょう @大丸東京店
10月の予定・・・・・


もう今日は17日、、、半分過ぎている・・・


企画は山積みなのだが、、告知が、、、


取り急ぎ、、今月の重点項目


来週23日(水)より29日(火)まで

釜くんが大丸東京店で第二回目の個展を
開催させていただきます。


今回のテーマは”化生”=けしょう、です。







化生 けしょう 化粧ではありません。


仏教の世界にある四生の一つです。


四生とは、、、


●胎生(たいしょう)母親の胎内から出生するもの。

●卵生(らんしょう)卵からふ化するもの。

●湿生(しっしょう)湿気の中から出生するもの(虫など)。

●化生(けしょう) 胎生・卵生ではなく、
          業により忽然と出生するもの。



彼、釜くんは、この四生の中にある
”化生”から名づけたようです。


あまり多くを敢えて語らない釜くん


それは見て感じてもらいたいという一心から
来るのですが、、、、、


仕事柄、、私、ほんの少しだけ、、、


今回のDM作品、画像では分かりにくいのですが、、

よくよく見ていただきますと、、

一匹の金魚にだけ影があります、、、これは実存です。

しかし、、その他は、、チューブ=絵具から生まれている??


これが今回のテーマの”KEY”です


ぜひ皆様、この”KEY”にて展覧会場の扉


釜匠の絵画世界の扉を開いてみてください!!!


※実はこのメイン作品には上記とは別にもうひとつ
 彼、釜匠の想いが込められています、、、それも
 会場にてご確認ください!!!











私も彼も全日在廊予定です!
お気軽にお声がけください!


と言うことで、、、丁度展覧会開催まで
一週間をきったのですが、、、


作品はまだ全て仕上がっておりません、、、





一部会場に持ち込み、額にセットするものもあり
ます・・・・が、、、


展覧会開幕までには全て仕上がります!

そして彼の過去の展覧会の中でも


際立った面白さを感じていただけると
考えております!!


こうご期待ください!


そして、


ぜひ、皆様、お誘い合わせの上ご来場いただきますよう
心よりお願い申し上げます。







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powan powan 公庄直樹+佐野暁 二人展無事終了いたしました
9月11日(水)からスタートした

Powan Powan deuxième
公庄直樹 佐野曉 二人展

@高松天満屋5階美術画廊




無事終了いたしました。


会期中、大型台風が接近するというような
足元の悪い中、沢山の方にお越しいただいたこと

この場を借りて御礼申し上げます。

誠にありがとうございました。


初日にRNC(TV)さんに取材していただき
その効果もあって最終日まで、TVを見たという
方が沢山お越しくださいました。





高松=讃岐は言わずと知れた”漆の本場”







地元には沢山の漆芸家の先生方がおり、
そのど真ん中で開く、京都芸大漆工科卒の
二人展・・・・・


色々とあるかな?と思いきや、京都芸大卒の
先輩作家の方々、また展覧を見た地元工芸高校の
先生からの紹介で沢山の高校生が来てくれたの
は非常に嬉しい限りでした。






伝統工芸を守る意識の高い地域、確かに苦言を
呈する方もおられましたが、大半は、TVで紹介
していただいたポイント、新しい漆・表現という
テーマに多くの方が共感していただけたと自負
しております。





又、今回は厳しくも真に優しいお客様から頂いた
宿題の挑戦でもありました。


実は以前、作品をご紹介させていただいた時、
作品そのものもなのですが、なによりも、制作に
向き合う姿勢、そして挑戦する姿勢の弱さをご指摘
いただきました、、、


本当はそこで終わっていたかもしれないのですが

今回、再度の挑戦をお許しいただきました。


作家として、これからの自らの制作、これまでの足り
ないものを理解し、新しい挑戦!

しかし、、これは我々スタッフも同義の挑戦課題でした。





本当の意味での自分らしさを力強く
見せなさい!

何かに”おもねって”はいけない!

というありがたいご指導。





少し抽象的ですが、しかしこの抽象的な宿題は
作家にとっても我々スタッフにとっても実に恐ろしく、
そして逃げてはいけない、やりがいのあるものになり
ました。


お客様はジッとその時、つまり今回の展覧会まで
の長い時間をお待ちくださいました。


そして今回、正直、まだまだ課題はあるものの、


一つの通過点、あくまで現時点としての合格を
許していただきました。


作家、我々共に嬉しい瞬間となりました。


まだまだ若い作家二人





そして未熟な私


足りないものだらけですが、


一つ一つコツコツと作家達と


階段を昇って行きたいと改めて思いました。











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9月4日(水)start 遠藤良太郎 Ceramic Works 「境界の狭間でオドル」
遠藤良太郎 Ceramic Works 「境界の狭間でオドル」

2013年9月4日(水)~10月1日(火)

高松天満屋5階アートギャラリー
TEL087-812-7549(直)担当 青野
〒760-8516
香川県高松市常磐町1-3-1

【ステートメント】

人間及び人間の作り出したあらゆるモノや概念は、
常に境界の狭間を行き来する。

物体と生物、表と裏、愛情と憎悪、そして生と死。
それら全ては対極にあるもののようで決してそう
ではない。

私はそうした曖昧さの中に躍動する何かがあるよう
に思う。

私はそれを感じたいのです。


(遠藤良太郎)




Atom-c
12.5x4.5x4.5cm
赤土,ステンレス



Atom+
19x13x13cm
半磁土,ステンレス



Atom
11x4x4cm
半磁土,ステンレス



ケモノズ
19x21x11cm
赤土



幻のエルドラド
71x50x30cm
半磁土,赤土,ステンレス



モノノズ
53x45x45cm
半磁土,ステンレス



モノノズ-P
21x11x11cm
赤土



モノノズ
61x45x22cm
半磁土,ステンレス



無常城
63x45x38cm
半磁土,赤土,ステンレス



自由な境界の図
19x18x10
半磁土,ステンレス



自由な境界の図
16x28.5x9.5
半磁土,ステンレス

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丁度10年前
今から丁度10年前だったと思うが、


東京で行われたアートフェアに行った。


10年前だった、もしくは11、2年前かもしれないが、
その曖昧さはあるニュースによって10年前だと確信
できるのである。


10年前のアートフェアとはNICAFと呼ばれる、現在の
東京アートフェアの前身にあたるもので、1992年に
『パシフィコ横浜』にて開催されたのが最初であり
確か2003年の第8回まで行われていた。


つまり私が10年前に行ったと記憶する
アートフェアはNICAFの最終回であった。

なぜこの時NICAFに行ったのかは覚えていないが、
会場が閑散としていた記憶だけは鮮明に残っている。

今を時めく草間弥生を含め様々なものが今から
思うとかなりの安価で販売されていた、、、


さて最初に書いたあるニュースによって10年前だと
限定するそのニュースとは、


************

wiki転載

2003年(平成15年)春、ニューヨークのオークション会社・
サザビーズにて等身大フィギュア『Miss Ko2』が50万ドル
(約5,800万円)で落札、話題となった。これは当時の日本
現代美術作品の最高額である。

※当時のレートが120円/$で、確かハンマープライスが
上記金額であり手数料を含めた購入額は7000万円を超え
ていたと私は記憶している。
  
***************


このニュースの後にNICAFを見に行き、この手のフィギュア
の小型が並んでいたのを今も覚えているのと同時に、
現代美術、コンテンポラリーアートの市場の潮流を感じた。
が、、この時点で二つの思いが交差していたのである。


前提として、私は大学時代からコンテンポラリーアートは
大好きであった。


しかしこういう世界に身を置き職業としてからは、それら
憧れを持って見てはいたが、実際の仕事としてではなく趣
味の範疇としてきた。


そういう前提に立って、、、


一つはNICAFというアートフェアの存在なのだが、その時点
で、こういう世界に身を置いて10年以上経過した者からすれ
ば、果たしてこういう商材(作品)=所謂一般的な風景や花、
人物に代表される、誰にでも理解できるモノとは根本的に違
う性格の作品群に大きな市場性が生まれるのだろうか?


つまり、その時までの率直な印象は、ある意味、偏狭な
市場性=コレクターやある部分の特別な資金性
(美術館等行政)だけで成り立つものであり、到底
一般的芸術市場(先述の通念としての商材)としての
マスの広がりには到達しきれないだろうというものであった。


事実、現在の東京アートフェアとは比べ物にならない程の
集客であった。


しかし、もう一つの思いとは、村上隆のサザビーズでの
出来事である。実際にあの奇態なマネキンのようなもの
に7,000万円という金が動いた、如何なるスキームや
仕手が介在していようとも、その事は事実として記録さ
れた訳であり、なによりも重要なファクターは日本現代
美術作品の最高額となったという事である。


この二つの思いから単純に導き出されるものとは?



ニューヨークでの事実が、日本では虚偽ではないが、
仮想の世界でしかないという実態、、


つまり市場性があるのだろうか?と疑う私の思いの中に、
確実に市場性とまでは認めきれないにしても一つの
エポックな出来事が生まれていた訳である。


それも金銭感覚だけで比較すると、この金額は極々僅
かな日本国内の支配層的画家か近代作家もしくは
歴史的文脈上重要な文化遺産とよばれるドメスティック
な巨匠に匹敵、、


いやそれ以上のものであるという冷静な対比が浮かび
上がってくる。


まさにそういう太い事実が私の懐疑的な心情に突き刺
さったのである。


ここで単純なパラドックスが生まれる。正しそうに見
える前提と、妥当に見える推論から、受け入れがたい
結論が得られる事を指す、つまりそれを頭の中でパラ
ダイムシフトさせる。


どういうことか?簡単な事である、逆のパターンの仮説
をつくる。


日本国内の支配層的画家か近代作家とよばれるドメステ
ィックな巨匠の作品をニューヨークに持ち込んだとして、
村上隆のような金銭=現実は簡単になんの操作もなく生
まれるのか??


こういう現実を国内の実勢価格並に生み出せるのか?
所謂等価感覚があるのか?


瞬時に答えははじき出されるであろう。


壊滅的に“0円”という事ではないか?


一体これは何を現してるのか?


おそらくここが分水嶺だったと私は思うのだが、
誤解があってはいけないので、予め断っておくが、
良いか悪いかではない、作品が金銭に代わる現実
的な現象面を指しているだけだ、、、


何が分水嶺か?


ドメスティックな価値観が崩壊を始めたのであると
思うのである。


これまで国内で頑強にヒエラルキーとして守られてき
たものが崩れた、市場が海外と地続きになっていると、
これまで蒙昧としていた部分に門戸が開かれた訳である。



¥でしか売買不可能なものと、¥+$+EURという


世界の基軸通貨で取引できる作品の差が明確に現れた
瞬間だったと思うのである。


これは非常に重要だ。


何が重要かと言えば、買う側のマインドを考えれば
一目瞭然ではないだろうか?


芸術品に目を奪われて情緒的な説明で回避したとして
も冷静に考えれば、購買側からすれば最終的に兌換性
というものは外しきれない。


つまり、資産価値だ。


それだけの金額に見合うという担保的ポートフォリオは
なんなのか?


その相対感が国内と言う小さな情報源よりもワールドワイド、
例えリスクがあったにせよその情報源を得たいのは心情では
ないか?と思うのである。



時計や車を考えれば分かるのではないだろうか?



買った金額以上になることは稀にしても、ある程度の%で
兌換し得る。これが現実であり、芸術には長期保有として
のハイリターンがこれら物品よりも極めて潜在的可能性が
高いことは、現代の富裕層は充分承知している。



何千万もする物品はそれを保持するブランド努力があるが、
同時に、それを相対化させているマーケットが頑健に存在
し支えている。どの市場においても同期できる安心感がある。


宝飾もそうであろう。芸術品をそれら物品と同様に・・・・


と言う考え方こそが、、、、、


この話の核であり、分水嶺のポイントな訳である。



これまでのものがこれらの事によって無価値であるとは
言わない、しかし、そのこれまでの価値の根拠が問題と
化すのは避けられないであろうと考えざるを得ない曲面
であったことは間違いないのではないだろうか?



これが2003年の出来事であり、今から10年前の話だが、
その2年後にNICAFは現行の東京アートフェアとして改編
され、日本国内の大きな売買のファクターと化す。



そしてその辺りから急速に東アジアは地続きのマーケット化
していく。


一番大きな要因はそれより以前から顕著になり始めた
中国富裕層の台頭であり、香港を中心とした
トレーディングセンター化が始まった事による。


2005年あたりから2008年のリーマンショック
まで、膨張の一途、ある意味バブルに突入する。



気が向けばそれ以降の事も書きたいと考えている、、、、
多少その波の中にいた記憶もあるので・・・・・・・・・


さて、、



先に述べた



私にあった二つの思いの交差ポイントとは以上のような
事なのだが、、、


その自分の心情を有体に述べれば


村上の現実を見て感じたのは


“ざまぁ見ろ!”というものであった事は包み隠さず書
き記したい。


誰に対しての“ざまぁ見ろ!”なのか?


それは明白である


これまでの因循姑息な支配層に対してである!


村上が良いとか悪いとか、、そんな事ではない



こういう劇的な現象が非常に大事なのだと私はつくづく思う。



確かにそれは主体的に起こした事なのか否かという事は
あるだろうが、、、


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