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最低限の画力
昨日は久しぶりに


大阪の、国立国際美術館へ





お客様のKちゃんとスタッフ青野と3人で







絵画の庭
ゼロ年代日本の地平から、、、を見行きました!








平日の金曜日の午後という状況から
考えても、結構多くの人、特に女性が目立った
のですが、若い人はもちろんですが、中年の女性
も多く見受けられました・・



少し前にこういった現代美術の展覧などは
閑古鳥状態だったことを考えれば、時代は大きく
変わった?という実感を掴めるなぁ~と改めて
感心いたしました。。



さて内容ですが、、



ここで私ごときが展評するなどは、、おこがましい
のですが、先ず紹介文を転載させていただくと・・


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具象的な絵画は、時代を超えた普遍性を持っています。
しかし、90年代半ばから台頭し、ゼロ年代を経てもな
お衰えを見せない日本の具象的な絵画の隆盛には、か
つてない地殻変動が感じられると同時に、欧米の美術
史の文脈のみに縛られない解放感に溢れています。
本展でご紹介する作家の多くは、新しさを一義的に追
求することなく、目に見える世界を素朴に再現するも
のでもなく、個人的で日常的な視点から、描くことそ
れ自体を肯定し、時代の閉塞感さえも軽やかにあるい
はアイロニカルに捉える自在さを具えています。また、
完成作としてのタブローばかりではなく、ドローイン
グの瑞々しい表現を積極的に駆使し、挿絵や絵本、マ
ンガなどこれまで周縁的なものとして排除してきた大
衆文化の養分をも吸収した斬新な作品群も数多く見ら
れます。


国立国際ホームページ記載文転載
http://www.nmao.go.jp/japanese/b3_exhi_beginning_garden.html


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という内容で、確かにその通りの展示となっており
ました。


ゼロ年代からの特徴的な作家作品が上手く収攬されて
いて、プレスメントも見やすくなっていましたが、、、



私は今回、大いなる疑問と大事な部分を再確認
できたような気がしたのです。。




正直言って、私の心を捉えたのは




奈良美智、町田久美、加藤泉、、この3人のみで
した。



これについては後にその理由も書きますが・・・




実は、この3人のタブロー、特に秀作と呼ばれても
おかしくないレベルの作品を見たのが今回が初めて
だったのですが、実物を見て、改めてその完成度
の高さに驚かされました・・・・



奈良美智、そう言えばこの人の作品は雑誌その他
メディアのフィルターを通して数限りなく見ていた
ので初めて?という感覚すら無かったのと同時に
オークションのプレビューなどでドローイングは
結構みたいたので、知ったつもりになっていまし
たが、、実はトップギアのタブローは今回が初めて
で、実際作品に近づいてマジマジと見つめて感じた
のは、、、、、



すごい細微な仕事をしている・・と言うことと
粗いキャンバス地を使って描かれている絵肌は
到底紙媒体やPCのスクリーンでは感じられない
肉厚があるのと同時に、複雑な様相が感じられた。



率直にすごい!と圧倒され、所謂表現という部分
もさることながら、、絵を”物体”として見た場合
においてもその作り、完成度の高さを存分に感じ
ました。


単純に時代を超えられる”強度”がある・・



町田久美も奈良美智同様に媒体でしか見たことが
なかったのであるが、こちらは奈良以上の繊細な
作りがあり、正直度肝を抜かれた・・・・



この単純なフォルムの構成の中に、ここまで細かい
配慮と効果を含んだ繊細な仕事をしているとは・・
線の一本一本の美しさ、、、近づけば恐ろしく繊細
な仕事、離れて見ればとてつもないダイナミックな
迫力・・・このギャップは正直あまり今まで感じた
ことがない衝撃でした・・



この作家の作品も時代を超越する”強度”と国境を
軽々と超えられる、日本独特の感性を感じざるを
得ませんでした・・・



正直、町田久美の作品には凜とした
感動がありました・・



どちらにも共通して感じたのは、神経質くらいに
絵という物を作る人間の感覚がここまで研ぎ澄まさ
れているのか?という事でした・・


これは完全に偶発的に時代がその感性をキャッチし
たというだけではない、、ある意味強かであり、あ
る意味とんでもない研鑽の成果なのでは?と感じ入
りました。


これは、この絵に行き着くまでに、単純にどれほど
描いてきたのだろう?どれほど様々な要素を自分自
身の栄養素として取り込んできたのだろう?とそっ
ちへの感心が高まりました・・


加藤泉は仕事の丹念さというよりも、その作品から
出てくるオーラみたいなものの強さに圧倒されました。
入場口の最初に木彫が展示として配されていたのですが
その作品のプリミティブ・土着的な強さはなにか民族や
宗教を超越する強さや、イノセントな感覚を引っ張り
だすような凄みを感じました。。。


平面も同様な感覚に浸れ、個展ではないのですが、
作品に囲まれた瞬間に独特の世界観に高速で持ち込ま
れました・・



ここまで3人の作品を書いてきましたが、、、
共通に感じたのは、、、やはり、、、




完成度が高い




この一点です。



これは全てにおいてです。



その他の作家も沢山展示されていたのですが、


この完成度という点で比較して見たばあい・・


この3人と同列的に展示されているというのは
果たして????????????





あえてここで私の個人的な感覚で毒づくとするならば




最低限の”画力”を有していないものを
持て囃すな!という事です・・・・




考え方、時代とのチューニング、感性など
様々な要素は認める・・・



しかし、やはり


絵描きなのであれば



絶対値としての画力はいる!と
改めて感じました。



キャンバスや和紙、パネル等という材料や絵の具
や筆という道具などの性質も研究せず、書き殴った
ような結果・・・・



こんなものが



良い筈がない・・



あまりにも稚拙すぎる!



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新しさを一義的に追求することなく、目に見える世界
を素朴に再現するものでもなく、個人的で日常的な視
点から、描くことそれ自体を肯定し、時代の閉塞感さ
えも軽やかにあるいはアイロニカルに捉える自在さを
具えています。また、完成作としてのタブローばかり
ではなく、ドローイングの瑞々しい表現を積極的に駆
使し、挿絵や絵本、マンガなどこれまで周縁的なもの
として排除してきた大衆文化の養分をも吸収した斬新
な作品群も数多く見られます。


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再度言えば、、、、、



確かにそれぞれ若い作家たちの優れた、そしてこの時代
の中において瑞々しい感性という輝きは認めますが、
やはり、見る人と向き合い、ある意味”戦い”を挑む
ような美術館という環境で、こんな稚拙な画力しか持てて
ないものを堂々と飾るというのは如何なものか?という
怒りと、それを上質な”作品”みたいな捉え方やコレク
ションしている現状には少し辟易とさせられました・・・




なんじゃこりゃ?



と言うのが多い!



私に対して




「君は分かっていない!」




と罵声を浴びせられても”結構”です。




こんな物達を上質や鋭い感性などと、持て囃すのは、
とても私の感覚の中にはないものであり、






嘘はつきたくない・・・



この展覧は全てとは言わないが



ある一部分




駄作愚作が図々しく鎮座していたと断罪したい!!!

▲TOP
100万長者
先日、田村さんと一緒に直島に行ったとき


話した内容で、、ハッと気づかされる事が
あった。。



田村さんは64歳なのだが



仕事を始められて家を購入されたのが
昭和45年位であったらしい・・



実は私の父が家を購入したのも丁度この
時分で、その当時の購入価格を聞いたのを
覚えていて田村さんに確認したところ、
やはり同じような金額だった。。。


おおよそ300万円から500万円・・


現在の平均的な家屋(マンション含む)の
購入金額は正確な数字は分からないが、
個人的な感覚で言えば2000万円~4000万円
程度かなと思う。



この倍率で考えれば



約6倍~8倍と言うことになり、そのまま
所得の倍率を考えれば1/6~1/8程度となる。



現在所得が300,000であった場合、この当時
の金銭感覚の互換を考えると、50,000円と
いう事になる。



そうなると当たり前のことであるが、月収の
約60倍が家屋購入金額となる。



しかしである、、この時、ハッと気づかされる
事が思い浮かんだ!



私が中学の頃、オーディオブーム?見たいな
ものがあり、皆こぞってステレオというもの
に憧れを抱いていた。各メーカーがそれぞれ
に個性的な機種を用意し競争していたのである。




私もこのブームに触発され、約2年がかりで
親にねだって買ってもらったのだが、それが
確か14歳か15歳の時分で、価格は25万円~
30万円程度だった記憶がある。




ここでハッと気づくのであるが、私が14,15歳
というのは今から28、29年前で、昭和でいうと
昭和55年~56年時分に当たる・・・




そうなると、、、昭和45年当時家屋が300~500万円
だったのに、、その10年後ではオーディオという
ある種家屋から比べれば趣味の”おもちゃ”みたいな
モノが家屋の10分の1近い値段がしたのである・・・




これを今の感覚で比較すれば、2,000万円の10分の1
と言えば200万円である。。。。
果たして子供のおねだりで親が買うだろうか????

因みに

(昭和40年物価)白米10kg:1,125円、
 公務員初任給:21,600円、日雇労賃:972円、
 週刊誌:50円

(昭和55年物価)白米10kg:3,235円、
 公務員初任給:101,600円、日雇労賃:6,550円、
 週刊誌:200円


改めて言うまでもないが、、昭和45年~55年という
この時代の経済成長のもの凄さを感じざるを得ない。



この10年で何が起こったのか、万博が開催され
オイルショックが起こり、そして高度経済成長
が終焉した。。。


ここまではどうも中国は同じような動きとして
見れる、、が、、この後が果たして・・・・・
どうなのか?日本は第四次中東戦争により、オイル
ショックと遭遇し強烈なインフレを発生させたが、
中国は?・・・・この国も本質的には同じような
エネルギー資源確保の問題を抱えているが・・



高度経済成長が終焉の始まりが昭和48年、1973年、
私が小学校一二年の頃だ。



この時分、、




もう今では笑い話にしか成らないが



子供の私たちの間で”長者”=金持ち



は100万長者だった!!!



しかし、今、長者と言えばどうだろうか?



まず、億万長者であろう・・・



それほどの違いがあるのと同時に、、、実は



千万長者は言葉として存在しないのだ・・・




と言うことはこの部分




僅か10年~15年程度の時間の中で




脇目もふらず





すっ飛ばして、、、、




日本は世界の中心へ駆け上がっていった
という事だったのだ・・・・・・




。。。。。。。。。。。。。

▲TOP
チャイナパワー?
いよいよであるが


2010年に中国は国内総生産(GDP)で
日本を抜くことが確実となった・・・



もうちょっと辛辣な言い方をすれば



世界第2位の経済大国の座を日本から
奪い取るということである。。



この手のニュースがここ最近やたら
目につく。今更ながらという様な印象で
私がこの場でことさらに書き連ねるまで
もないのだが、この中国の凄まじい勢い
は一体どこまで行くのやら??と感じる
向きも実際多いのではないだろうか?



落日、斜陽と化した日本経済と比較して
の日の出の勢い、、、その上今年は上海
で万博が開催され、投機マネーが世界中
から流れ込みバブル?の様相を呈しており
その勢いはまだまだ増すことが予想される。



万博開催?終了と同時にしぼむ?
果たしてそうなのか否か???



世界的な経済不況、所謂リーマンショック
を中国も直撃したのだが、政府がいち早く
52兆円規模の景気対策を打ち出し輸出先行
の経済を(減税や公共事業)内需へと導き
経済の停滞を回避させた。。



自動車の販売台数も09年度は世界一に
なり、今やモータショーもメーカーは
東京には行かないが上海には全員集合と
いうような状態らしい。



ここ最近知った二つの言葉なのだが


一つ目は、、


バーリンホウ


ジウリンホウ


という言葉。



これは何かと言えば

バーリンホウ=80後
ジウリンホウ=90後


の意味で、所謂80年代以降生まれの
ジェネレーションと90年代以降生ま
れのジェネレーションらしい。


この2層のジェネレーションがどういう
意味を持つかと言えば、


一人っ子政策で生まれてきた子供?
たちで、現在20ー30歳とそれ以下
という事らしいのである。


実はこのジェネレーションが現在の
中国の消費トレンドに大きな影響力
を持っており、富裕と化した中国の
アッパー達が、この一人っ子に惜し
みなく金をつぎ込むという図式が
あるらしい。。。


二つ目は、、


ネット評論員なる言葉。



単純にこの言葉を聞けばネットの世界
の状況を評論する機関の委員みたいだが
実は、政府が主導する言論統制要員とい
うのが正しい解釈のようである。



政府、共産党に都合のいい、もしくは
後押しするような書き込みを行う集団で
純粋な批判的意見に対し、政府よりの
見解を個人という立場で書き込みネット
の世界における世論を操作しているらし
い。


そんなもので操作できるのか?と思うが、
所謂前時代的な言論統制ではなく、そこ
はかとなく誘導するようなやり口で、この
委員にはギャラまで支払われているらしい。



一説によるともうすでに10万人程度いるらし
く書き込み一回につき約6円程度が支払われて
いるとの事らしい・・・



中国のネット人口は3億8千万人、携帯利用者
は7億人規模と聞く、、それから言って10万人
など如何ほどの事が?と思うが、、これは実際
には氷山の一角でしかないのじゃ?とも思う。




実際フェースブックやユーチューブ、ツイッター
などは完全遮断に近い。これもある意味、、、、



大きな氷山の一角であると判断できる・・・



実はこの二つの要因が今の中国の中にある
現実で、これを一つに纏め一本の線にすると



恐ろしく儲け、歴史認識が脆弱な世代に享楽的
に消費させ、外で稼いだ金を国内で循環させ、
その余勢をかって国内の生産消費を拡大する。
その流れを寸断するような、状況を政府がこと
ごとく遮断していく。



これは何を意味するかと言えば、民意がない。
という事でもある。


もっと言えば、国?いや共産党が儲けている
という事であり、その流れを邪魔するものは
圧殺されるということである。



中国は強かである。



世界第2位の経済大国という側面と並行して
今だ、途上国という顔を持ち、ダブルスタン
ダードで外交を展開する。。



エネルギー関連などは完全に途上国という
キャラクターで厚顔無恥な言動を連発している。



実はGDPが世界第2位という経済大国にのし上がっ
たのは良いが、実際の国民の一人辺りの所得等か
ら考察すれば、日本との比較においてはまだ数分
の一程度でしかない。そしてもっと言えば、この
国の”信用”という観点から考えれば、経済の国
際マーケットで”元”を欲しがる人間がいるか?
という部分にも突き当たる。



きつい言い方をすれば”信用”されていないので
ある。実際、中国の富裕層で”元”で貯蓄している
人間が如何ほどいるのか?なぜ、今だ香港が上海を
凌いでいるのか?こう考えれば、投機的な部分に
金が流れるのも、現代アートという部分に金を継ぎ
込むのも理解できる。


この数年で、、、いやホンの2,3年での草間弥生
の持て囃しブリは、間違いなくこの感覚であり、
ガゴシアンギャラリーの取り扱いはまさしく”保証
書”や”担保”という位置付けが確定したのであろ
う・・



ある意味、グローバルな銘柄に対し付加価値を担保
しているという事で結論づけられる・・・し、、、
短期的に儲け$に変換しているという図式もあるだ
ろう・・・これは一部の富裕層に許された特権でも
あるが、、実は非常に危険な環流のような気もする。


ある意味のお目こぼし??



いずれにしても中国国民自体が一番自国通貨に対し
信用していないというのが現実であり、その背景
には、経済が豊かになったが不安がつきまとうと
いう構図が伺えるのである。



実際、先に挙げたバーリンホウ、ジウリンホウという
ジェネレーション以外を見ると、私は大きく二つの
特徴的ジェネレーションが存在するような気がする。



一つは文革世代・・経済で言えば国家統制経済化で
過ごした世代。



もう一つは天安門事件の世代で、民主化闘争の世代
である。



この二つの世代とバーリンホウ、ジウリンホウ及び
その両親という構図は実際には価値観が大きく乖離
しているのは目に見えて分かる。



文革世代と民主化世代は完全に取り残された存在で
ある。よく沿岸部と内陸部の経済格差という事が言わ
れるが、実際の経済活動は人が行うのであり、沿岸部
が栄えるというのは栄えている人が多く存在するとい
うことで、では誰がとなればこのバーリンホウ、ジウリ
ンホウ及びその両親という事になる。確かに政府の開発
資金等による格差はあるだろうが、仮に内陸部を中心
に今後内需拡大による経済伸長があったとしても、それ
はだれが?となれば、やはり私はこのバーリンホウ、
ジウリンホウ及びその両親だと思うのである。



実際の構図はこの3つのジェネレーションの価値観の
捻れが大きいように思うのと同時に、前世代は完全
に無視されている・・・仮に何かあるとすれば、それは
やはり、インターネットというアナーキーなメディア
に登場するのだろう。これが先に書いた評論員との
関係に直結する。



実は中国共産党が考える統制の一つに、私は、富裕階層
の虚無感と退廃ということがあるのではないか?とも
推察している。大体どこの国も、革新的思考や退廃的な
美意識は特権階級や富裕層から生じている。儲けすぎると
次の世代は必ずリベラルな思考を彷徨い始める。


ここに僅かな恐れもあるのではないか?と見る。
今すぐの直撃的な反動ではなく、何年か先の様態を
想像してというのが確実にあると思うのである。



このとき厄介な因子が、文革世代はもう消えて無くなる
が民主化世代は間違いなく絡んでくる・・・・
絡み方も職業的になってくるような気がする・・・・



これらの不安要因を今は経済で接着しているというのが、
実は現実の風景のような気がする。。。が、、、、、



果たしていつまで持つか?




経済大国というのが蜃気楼なのかどうか?



大体10億を超える人間を束ねる国家は人類史上初
の筈である。実はこのような超大な国家を我々が踏襲した
民主主義で統括できるのかどうか?少し疑問である。



実は共産党の一党独裁でしか無理なのでは?という
逆説的なものも又真理として浮かび上がる。。。。。。



が、、、いろいろな捻れを経済で接着していくこの
方法は果たして持つのだろうか?



その不安がこの経済大国という称号には今後もついて
回るのは間違いないだろう・・・・




先般、世界中が大笑いした


政策に北朝鮮のデノミがあった。所謂貨幣価値の切り下げ
でハイパーインフレを抑えるという手法なのだが、実は、
大失敗らしい。可笑しいのは労働者の賃金(国家に忠誠
を誓う)はそのままということで、これはどうなるか?
と言えば労働者の賃金は100倍という価値の膨らませ方に
なったのである・・・・・・・



じゃなんの為に?となるが、所謂国家統制経済から外れ
滞留仕始めたアングラマネーと新興富裕層の壊滅を国家
が図ったというのが事の真相だったらしい。しかし新興
富裕層の壊滅を図れたとしても他の人民に及ぼす被害も
甚大で、いよいよ国家破綻の直前というのが現状らしい



このような状態を決してシミレーション出来なかった?
のかと疑問に思うが、権力というものはそういった事を
盲目的にしてしまうらしい・・・最後は自分たちがとい
う独善的な道を爆走する。。。。。。




この状態を考えれば、、、、、





ここまで中国はアホではないしても、、少し本質的に
被る部分があることを感じなくもない・・・





実際、、ここを一番気をつけなくてはいけないのだが、
中国の個人が儲け財産を貯蓄しているのではない!
中国の国民が個々に保管しているという事であって、、
最終的に中国の経済とはすなわち共産党の財産なので
ある。これが本質ではないか?と思う。



土地という財産も共産党からの長期借地権でしかない
と聞く・・・



人民の生命と財産を守る?というような国是があるか?
と思うし、有史以来選挙という民主行動を起こしたこと
のない国家で当然、個人という欧米的な民主主義の観念
は皆無だと思って間違いない・・・





どうも私は



現状の中国の姿には、、



今の内に・・・早くしないと・・



と言うような、、、



半笑いで



且つ



焦って



狂奔している風景が



垣間見えて仕方がないのだが・・・



違うのだろうか???

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木守
ちょっと前の事




休みの日珍しく早起きした。。



理由は単純。




前の晩、早い時間から飲み、
酔って居間で横になりそのまま朝まで
寝てしまったのだ。。。




午前6時。。



歩こう。。


暫く休んでいた。



外に出るとヒヤッとした。



次の瞬間、普段嗅いだことのない匂いが
体を突き抜けた。。




“雨の匂い”



雨上がりだった。。



“今日は1日中雨か?
この瞬間だけ休んでいるようで、雨の吐息
のような匂いだった。。




日本語は本当に豊だ。



木々の囁き。。風に誘われて。。



雨の匂いと自分で表現して感じる。。


雨も又良しかな!
無理して何かしなくてもいいかなぁ?



雨が休みを休みにしてくれる。。


皆、休みにするだろう。。






木守。



きまもり。



この言葉を最近知った。。




秋に柿の実を取るとき、来年もまた豊に
実るよう、ひとつだけ取り残す実が木守
と呼ばれる。。




植物学上そうなのかも、そうじゃないの
かも私は知らない。



しかし、古の人々の自然に対する畏敬、
自らに重ねるような気持ちが、美しく感じ
られる言葉だ。。



この名前を持つ茶碗が存在したらしい。



楽、創始者の長次郎作。



利休が注文したものらしい。


謂れがある。。



長次郎が作った茶碗を、利休が高弟たちに
選ばせた。



しかし1点だけが残った。。。



目利きが刎ねた茶碗。。



出来が悪いという選別。。



しかし、利休はこれを取り上げ



“木守”と名づけた。。。



その時、この駄作に?



高弟たちが選んだ秀作をしのぐ価値が




生れた瞬間であった。。





・・・・・・・・・・・・・




大逆転・・



革新



革命などというのは




どうも




こうゆう所から生まれるような




気がしてならない・・

▲TOP
狼親父とmirror
もうすでに


COMBINEのサイトを見ていただいている
方はお気づきかと・・・・思いますが・・



私は”オオカミ少年・・・”???


少年??


違うか、、



狼親父??



なんか、油ギッシュでヨダレだらだら


猥褻な感じであるが・・



とにかく、、期日を宣言したにも関わらず、、、、
まだ出来ていない事が・・・・・・・



フラッシュバージョン・・・



実はこれが、、確か2月1日というような事を
高らかに昨年本年初めにかけて歌い上げてい
た筈なのだが・・


諸般の事情により・・・・・・・
未だに形になっておりません・・


遺憾な事です。
(イカン!誰と言うことを確定しない
 便利な言葉だなぁと改めて感じる。。)


と、、言えども、実は着実に作業は進んでいて
先月末辺りからmirror(デザイナーユニット)の
原地くんから頻繁に連絡があり、細かい確認が
ワンサか私の所に持ち込まれて来ている。。


そんな昨日


メールでフラッシュの”デモ版”が送られて
きた。



ワクワクしながらURLをクリックすると



思っていた通りの”もじゃ茂木さん!!”
↓  ↓  ↓  ↓  ↓

http://www.nhk.or.jp/professional/mogi_moja.html



面白い!!!


ちょっとだけお見せすると



プニョプニョ動く






モアと動く




ポコポコ動く






なんと、、なんと、、、
ブログはこんなにも格好良くなる!!!!







実はフラッシュは途中から計画したものではなく
初期からちゃんと計画されていたものであった。


最初の計画からすでに1年半、取りあえずSEOの関係で
HTMLバージョンから公開したのであるが、実はフラッシュ
の搭載をもってCOMBINEのホームページは一旦初期計画
が完了する。


私がホームページを計画したときにmirrorの面々に
お願いしたのは”体感型”のページに是非して欲しい
という事であった。今もそうだが、楽天やその他の
ポータルのようなTOPページに情報が満載している
ようなものではなく、使いづらくても階層の奥まで
見ていただけるような体感型のモノが欲しかったの
である。


ホームページというものの基本は情報発信と情報確認
だと思う。しかし私は、COMBINEのホームページはただ
それだけに活用したくはなかったのである。


当然、内容が問題で、内容が無ければ何も意味はない。


しかし、内容が良くても、確認行為だけで終わるの
ではなく、、、色んなパーソナリティーが発信して
くれている内容を、楽しんでもらい、是非、遊んで
もらいたい・・・そして、いつでも気にかけて来て
欲しい・・


そんな思いがあった。。


まぁそれの代表的なものが我々サイトの売りの一つ
全員ブログなのだが・・・



それら構想を形にしてきてくれたのがmirrorの面々
だ。mirror面々の感性がなければ、今のホームページ
は出来ていないのは間違いない。


正直、自分でホームページビルダーなんかでシコシコ
作るというような事でも出来なくはないだろう・・・
又、それなりの金を払って知り合い程度の人に依頼
することも可能だろう・・・・・


でも、私の中ではその辺りの感覚はちょっと??・
いや。大いに違ったのである。。。


もっと言えば、よく見ていただければ分かるのである
が、実はARTIS項目にMIRRORというこのホームページ
を制作してくれている彼らのユニットも掲示している。


これは何かと言えば、当然それぞれに面白いキャラクタ
ーをもっている彼らの今後の活動を視野に入れてアーテ
ィスト参加してもらっているのだが、先ず手始めとして、
このホームページを彼らの作品として欲しかったのだ・・



私の中で、COMBINEのホームページは作品という位置付
けが明確にある。彼らの作品だと公言してもらって構わ
ない!!!できればそうしてユニークで才能溢れる彼ら
の今後の一助に成るならば、それは巡って我々のメリッ
トにもなる。



我々のような絵画を扱う商売先のホームページを覗くと
、大抵が展覧会告知・作家紹介・作品紹介・・等々とあ
まり代わり映えがしない内容で構成されている。


よくて店主ブログ、スタッフブログが更新されている・・


これがいけないと言うのではない。当然その必要最低限
でも問題はないと思うが、はっきり言って後発のしかも
京都という地方から物事を発信するにあたり、それら
これまでのモノと同様で良いのか?という疑問があった
のと同時に、何か一方通行のような感覚は嫌だなぁ・・・


折角見に来てくれたのに、、、


お近づきになったのに、、、、



という感覚が私にはあった。。。



それを出来るだけ近づけるようにしたい、そういう思
いを初期計画段階から彼らには投げかけたのであった。。。



彼らとは一年半の間に何度か揉めた事もあった・・


デザイン感覚が研ぎ澄まされている原地くん。。。
ちょっとやそっとではテコでも譲らない・・・・


常に全体を俯瞰して状況を包括する能力に長けている
MIRRORの藤本君からは”この私・・(長文をタラタラ書く・・)
ですら圧倒されるような相当数の資料が添付された反駁文章
が送られて来たこともあった・・・



貴方が言っていることはこういう事か?
これではおかしいだろ???



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



若年からシステムに長じている月澤くんからは



・・・・・・・?



特にはなかった・・






と言うような彼らユニットには・・・



正直”負けた”というよりも、、、、
彼の方が一枚も二枚も上手であった・・



末恐ろしい奴腹め!と



臍を噛んだ・・次第であった。。。



そんな彼らが今最後の追い込みで相当な時間をかけて
検証しながら完成に向けて仕上げてくれている・・・



いよいよ



COMBINEのホームページ
MIRRORの作品が完成する・・・



と言うことで


完成予定日は、、、、、



3月20日~末にかけて・・・・・で・・




お-------------い、、、MIRROR




これ以上、、、、俺を狼親父にしないでくれよ!




頼んだぞ!!!

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